第1章 内蔵風呂殺人事件 (④ 解決のラストピース 後半)
④解決のラストピース 後編は長いので、分けてお送りします。
(汐里)「もしもし、キャプテン?桜田汐里です。ずっとイヤホンで繋がってたから、何となくは知ってると思うけど…今、普通にピンチです」
(杉野)「いや、そんな落ち着いて言ってる場合じゃなくないですか!?キャプテン!今、めちゃくちゃピンチです!」
――汐里、杉野は《サンサン・建築事務所》の作業員寮の最上階である7階……の廊下を全力で駆け抜けていた。
(安田)「はははっ!待て待て〜♪♪」
鉄パイプを持った安田が、驚くべき脚力で二人を追ってくるからだ。
(海)『――分かってる!今、近くで待機させていた捜査員達…嬉平、一条、千家、遠藤さんの4名を急いで向かわせている!俺も車で向かってる途中だ!もう少しだけ頑張ってくれ!』
(杉野)「いや、頑張ってくれって言われても!逃げ続けられる広さとか!二人で隠れたりする場所とかも無いんですー!」
…安田の急襲を受け、廊下を走り抜ける事となった数分前。
(安田)「そーれ♪」
安田が、瞬く間に二人に近付き、二人に向かって鉄パイプを振り下ろそうとした、その瞬間――……汐里は、咄嗟に杉野を庇うように動こうとした。
だが、杉野は、汐里が庇うよりも早く――
(杉野)「っ…あぶ、ねぇなぁ!!」
安田の一瞬の隙をついて、安田の足を自らの足で振り払う様に蹴っていた。
(安田)「いてっ、」
安田は杉野の蹴りによってバランスを崩し、床に倒れ込む。
(杉野)「汐里さん!」
杉野が汐里の腕を掴む。汐里も杉野に力強く頷き返す。
(汐里)「分かってる、全力前進で…逃げるよ!!」
二人は起き上がろうとしている安田の横を全力のスピードで通り過ぎ、部屋を出る。
(副社長)「うっ…」
部屋を出ると、廊下に頭から血を流した副社長がうずくまっていた。
(汐里)「……良かった、生きてる…。この傷なら、すぐに大量出血で危険な状態になる事はない。杉野くん、多分安田の標的は私達になったと思う。だから私達が逃げ続けてるかぎり、副社長さんにはこれ以上手は出さへん。とにかく下の階に行って、碧くんと合流して――」
(安田)「今のキックは痛かったよぉぉ!?」
安田が部屋のゴミを蹴散らしながら、汐里達の元へ向かって来ようとする。
(汐里)「杉野くん、行くよ!副社長さん、後で必ず病院に送ります!」
(杉野)「おっ、置いて行って、ごめんなさい!」
汐里達は副社長を背に、階段やエレベーター等の下の階に降りる手段を求めて廊下を駆ける。
(安田)「おやぁ、流石《狂人捜査員》。足が早いなぁ……そーだ♪『これ』、押しちゃお〜♪」
部屋から廊下に出てきた安田が、廊下の壁に備え付けられている《火災報知器のボタン》を躊躇う事なく押す。
ジリリリリリー!
警報音が寮全体にけたたましく響き渡る。
(汐里)「っ、うるさい!」
(杉野)「なっ、アイツ…なにして…あれ?あれ…!?汐里さん、階段に繋がる扉が開きません!エレベーターも、止まってる!」
エレベーターフロア、階段に繋がる扉の前に辿り着いた汐里達だったが、杉野が階段に続く扉を開こうと力を込めても、エレベーターのボタンを何度も押しても何をしても下へ行く道は見えない。
(汐里)「――まさか?いや、間違いない。安田は、《火災報知器》を押したんや…。最近の建物は、火災報知器を押すと…火が燃え広がっていかない様に『火災の起きたフロア全体』に、防災用の扉やシャッターが降りてきてロックがかかる。非常階段以外の場所は、全部。つまり私達は……」
(杉野)「閉じ込められたって事ですか!?この、7階フロアに…」
(汐里)「そういう事になるね……」
杉野と汐里は辺りを見渡す。
確かに、今いるエレベーターフロアから、もう暫く続く廊下の先は分厚い防災用シャッターに覆われ、もう見えなくなっている。
(杉野)「そっ、そうだ…非常階段の扉は開いてるんですよね、そこから降りれば……」
(汐里)「非常階段は…私達が逃げてきた方向――つまり今、安田がいる場所の先にある」
汐里は、壁に貼り付けられた7階フロアの地図を見ながら、眉を微かに寄せ、苦々しい顔をする。
7階フロアの一番左端にあった安田の部屋の隣には、非常階段に繋がる扉があった。
――つまり、汐里達の逃げ場は完全に失われ、正しく《袋の鼠状態》だという事だ……。
そして現在ー…
あと少ししか先がない廊下を汐里と杉野は、安田の追手をかわしながら、何とか駆けていた。
(杉野)「はぁはぁ…あの人、早すぎませんか!?」
(汐里)「はぁーはぁー…《狂人》の…《ディスオーガナイズド型》は特に筋力や身体能力が、平均的な人と比べて、『異常』と呼べるぐらい、発達してる…。というか元々の話すると《狂人》の身体に備わった、脳、全ての細胞、筋肉質、の作りが、通常の人達とは違う。だから、、足の早さは『狂人にとって軽く走ってても』…陸上選手くらいの早さはあるよ」
(杉野)「はぁ!?あれ、軽く走ってるんですか!?……って、汐里さん!?何してんですか!」
汐里は息切れしながら走っている中、スマホをポケットから取り出す。
そして――
(安田)「あははははは!!よく走る子ネズミ共だなぁ〜!」
ガシャンガシャン!と鉄パイプを振り回して、窓ガラスを割りながら追いかけてくる安田の姿をスマホで捉えて、『あるモード』で撮影する。
撮られた安田の写真は、インターネットに繋がる時に出るマークの様な…三角のマークが写真の中心部分に現れ、マークがクルクルと右回りし出す。
(杉野)「な、なんですか、それ…?」
(汐里)「対狂人捜査員全員の、スマホに付けられた撮影モード…《狂人レベル観測機》で撮ったやつ。対象の写真を撮影しないと、レベルを観測出来ない。《狂人》やって分かってても、一応《狂人》って事と《狂人レベル》を確実に出さなきゃ…捕まえた後とか、まぁ色々ややこしいんだよ」
そんな話をしている間に、安田の《狂人レベル》の観測が終了した…と、同時に防災様シャッターに汐里達二人は先を阻まれる。
(汐里)「あっ、やっぱり安田は《狂人レベルIII》か」
(杉野)「いや、明らかにそれは後でいいでしょ!俺たち、追い込まれちゃいましたよ!?」
杉野が汐里の肩を掴んで振り回す。……安田は、もう目の前にいる。
(安田)「はぁ〜…やっ〜と殺せる…この後、コイツらの仲間来るよなぁ、来ちゃうよね?どうしようかなぁ……殺っちゃう?殺っちゃおか!うん!僕なら出来るよね!捜査員を、皆殺しだァ!」
(杉野)「ひぃ…」
安田の支離滅裂な言葉に、悪魔の様な恐ろしい笑みに、杉野は情けない声を漏らす。
(杉野)――俺、ここで死ぬのか?怖い怖い怖い怖い…ダメだ、足の震え止まらねぇ…。ごめん、おじさん。俺、無理だったよ、やっぱり対狂人捜査員なんて俺には、無理だったよ。ごめん…ごめんな……
(汐里)「…杉野くん、君は守るから大丈夫だよ」
(杉野)「……っ!」
――気付けば汐里は、杉野の前に両手を広げて立っていた。
汐里の目は、真っ直ぐにゆっくりと近付いてくる安田を捉えている。その目は、一切諦めも恐れの感情もなく、ただただ強く光っていた。
(杉野)――守って、くれてる。俺より体も小さいのに、俺と1歳しか違わない女の子なのに…。俺が勝手に諦めて、絶望してる間も汐里さんは安田から、俺を最後まで守ってくれようとしてるんだ。なのに、俺は、俺は何してんだ!!……もう震えんのは…何も出来ないのは!嫌だ!
(杉野)「……俺が、相手だ!来るなら…来いよ!」
杉野は、汐里の前に一歩出て、さっき汐里が杉野にしてくれた様に両手を広げて立つ。――最後の方の言葉は、酷く情けく震えていた。
だが、足の震えはもう止まっている。背を真っ直ぐに伸ばして、深呼吸する。――もう怖くない……汐里を守るという強い意志が杉野を奮い立たせた。
(安田)「ええっ〜?レディーファーストで、先にしおりさん?から殺してあげようと思ってたのに、、まぁいーや、君からで」
安田は鉄パイプを改めて持ち直し、ニヤリと笑う。
(杉野)――やっぱり怖ぇぇぇぇぇ!!
(美桜)「……杉野くん、ありがとう」
(杉野)「えっ?まっ、まだお礼言われる様な事ー…」
混乱して少し汐里の方をチラッと見る杉野に、汐里は優しく微笑み、ゆっくりと首を振る。
(汐里)「――ううん、もう充分頑張ってくれたよ。後はー…」
(安田)「逝くよぉぉぉぉ!?」
安田が、鉄パイプを構え、汐里達の方に勢いよく突進してくる。
(杉野)「ひぃぃ!?」
(汐里)「――碧くんに任せる」
――まさに鉄パイプが汐里達に振り下ろされようとした、その瞬間だった。
ガシャァァァァン!!
という音が、杉野のすぐ真後ろのやや左の方で響き渡りー…杉野が咄嗟にその音の方に目をやると、『防災用シャッターは破れ、足が飛び出していた』。
……その足が『防災用シャッターを蹴破ったのだ』と、杉野が気付いたのは少し時が経ってからだった。
その足は、安田が振り下ろした鉄パイプに見事に当たり、安田は、その蹴りの勢いと自分の突進の勢いが混じりあって、壮大に廊下を滑るように倒れた。
(安田)「なっ、」
(杉野)「えっ、、」
安田と杉野は同時に驚きの声を漏らす。汐里だけが、その足を黙って見つめていた。
汐里達の方に伸びた足は、一度防災用シャッターの奥に戻り、再び何度かシャッターを蹴り上げる。
ガシャァァン、ガシャアァン…
と、シャッターを蹴る音が数回響いた後――防災用シャッターの一部は完全に破れ、人が一人通れる程の穴がぽっかりと空いた。そしてその穴から、ひょっこりと人影が姿を見せる。
(碧)「――よう、2人ともぉ!遅れてごめんな〜!」
……さも、ここにいる事が当然の様な、待ち合わせ場所にちょっと遅刻して着いた時の様な雰囲気の碧が現れた。
(汐里)「……遅いよ、碧くん。来てくれてありがとうやけど…でも、久しぶりに死ぬかもな〜って思った……」
汐里は、深い溜息を吐きながら肩の力を抜いた。そんな汐里に碧は近付きながら、楽しそうに笑みを浮かべる。
(碧)「ごめん、ごめん!思ってたよりも、トイレからここまで遠いし、防災用シャッターが意外と硬くてさ〜。――汐里、俺の事、待ってた?ずっーと俺の事さ、考えてたりした?」
汐里の目の前に来て、ニヤニヤしなから小首をわざとらしく傾げてみせる碧。
(汐里)「……めちゃくちゃ待ってたし、考えたよ。碧くん、早く一緒に帰ろ」
汐里の言葉に、――ん、一緒に帰ろ〜と嬉しそうに頷く碧。
杉野と安田は、そんな二人の会話に当然ついていけない。
(杉野)「あ、碧さ…?えっ、何で?…ってか、防災用シャッター蹴破って…?」
(碧)「おおっ〜!スギノくん、生きてたんだ!凄いねぇ、大抵は初捜査で死ぬか、大怪我するかなのに〜。……ざ〜んねん」
(杉野)「……ん?最後の方聞き取れなかったんですけど――」
そんな言葉を無視し、碧は杉野の肩をポンポンと軽く叩き、「汐里の事を守ろうとしてくれたみたいでありがとね〜。こっからは俺がいるから、まぁリラックスして待っててよ」と、笑みを浮かべる。
(杉野)「はっ…?」
意味が分からずに眉間に皺を寄せる杉野と、――行ってらっしゃい、ほどほどにね、と見送る汐里を後ろに、碧は起き上がった安田の方に歩き出す。
(安田)「なんかよく分かんないけど、、細長いモヤシみたいなお前!すご〜く腹立つ!僕、もうマジでマジな力、出すから!」
そう言うと、安田は先程よりも素早く動き、鉄パイプを碧に向かって振り下ろす。
……だが、碧は笑みを浮かべたまま、ひょいと鉄パイプを軽く避ける。
(安田)「んんっ…?いや、まだまだマジ出すからァ!」
安田は、更に速さを上げ、力強く鉄パイプを振り下ろし続ける。碧はその全ての攻撃を避けていく。
(杉野)――めちゃくちゃ速い。目で追うので必死だ。俺たちには、安田は本気出してなかったのか。というか、その攻撃を碧さんは全部避けてる、どうしてー?
杉野は、その二つに驚きと恐怖を覚え、ただ呆然と二人の攻防を見守っていたが……「あっ、碧さん!1人じゃ危ないです!」と、何とか気合いを入れ直して、自分も戦いに参加しようとする。
……が、杉野の腕を汐里が掴んで止める。
(杉野)「しっ、汐里さー?」
(汐里)「……行ったら、あかんよ。怪我、する事になる」
(杉野)「でっ、でも碧さん1人じゃ危険じゃ……」
そんな杉野に首を振り、汐里は先程安田を撮影した時の様に、スマホを構えて碧の姿を写真に収める。
――再び三角のマークがクルクルと右回りする。
(杉野)「えっ、何、してー…」
(汐里)「……危険なのは、碧くんの『逮捕』に参加しようとする杉野くん…それから、『今まさに逮捕されようとしてる安田の方』だよ」
(杉野)「どういう――」
意味ですか、と聞こうとした杉野の言葉が止まる。ー三角のマークが止まり、碧の写真の上部に金色の文字で、ある衝撃の真実が書かれている。
それを見て杉野は絶句した。
(汐里)「杉野くん、碧くんはね――」
(安田)「はぁはぁ……もっ、うしつこく避けんなぁ!!」
安田が肩で息をし始め、鉄パイプを振り下ろす回数が減っていく。碧は、ニヤッといたずらっ子みたいに笑い――「しつこいのは、おめぇーだろ。――しつこい男は嫌われんぞ」
そう言って、トンっと軽く床を踏みしめ、飛び上がりー…光のような速さで安田の顔に向かって、飛び蹴りした。
バギィ……
と、妙な音がして、安田の鼻は砕け散り、身体は後部に吹き飛び、しばし宙を舞いー…ドスンッ!と大きな落下音を響かせて、1m程の先の廊下に、車に轢かれた動物の様に身体を広げ…グッタリと力なく床に倒れ込んだ。
そして顔面から大量の出血をしながら、ピクピクとしばし痙攣して――それっきり、安田が立ち上がる事はなかった。
(汐里)「碧くんは、《狂人レベルV》の《狂人》なんだよ」
――鉄パイプを避けながら、楽観的な笑みを浮かべる碧の写真には、《狂人レベルV 危険度 判定不可能》と書かれていた。
(杉野)「……えっ…?どうし、て…?」
(美桜)「うーんと……少し事情があってね。またちゃんと話せる時があったら、話すからね」
汐里はそう言って、愕然とする杉野を置いて、碧の元へ行く。
(汐里)「――碧くん、守ってくれてありがとう」
(碧)「ん〜?どーいたしまして♪……アイツ、どうする?もうのびってから、なんも害ないと思うけど」
(汐里)「多分もうすぐ志田さんやキャプテン達が……」
ガガガガ…
蓮が蹴破った防災用シャッターが上に上がる。
そしてシャッターが上がりきる寸前に、志田、そして海、鈴木、一条、遠藤がドタドタと慌ただしくやって来た。
(海)「汐里!杉野くん、碧!無事か!?」
(杉野)「海さん…皆さん……」
様々な感情が溢れて、杉野は涙目で海達を見つめる。
(海)「……杉野くん、よくやったな、よく無事でいてくれた。――嬉平、志田!安田宝に手錠をかけ、下まで運んでくれ!遠藤さんは、万が一にもまた安田が目覚めて暴れた時の為、寮にいる人達を外に誘導頼む。一条は、《狂人監獄》、捜査に協力してくれていた公安に、安田を逮捕した旨を伝えてくれ!」
海は次々と捜査員に指示を出し、捜査員達も素早く海に従う。一条は先に公安に連絡し、志田と鈴木は、安田の元へ向かい……志田が気を失っている安田に手錠をかける。
(志田)「……これ、手錠いるか?」
(鈴木)「はははっ!これはまた派手にやったな、碧!」
(汐里)「――碧く〜ん…いつも手加減してって言っとるのに…」
(碧)「はぁ?これぐらいで壊れちゃうコイツが悪くない?」
四人の会話を見つめながら、海はイヤホンに手を当て、下の階の作業員寮全体を動かすコンピューター操作室にいる千家に報告する。
(海)「千家?7階フロアの防災用シャッターの解除助かった、ありがとう。ーああ、安田は逮捕出来た…汐里達も皆無事だ。《捜査部》にいる者たちにも知らせてくれ。それから――」
廊下の壁を背もたれにし、力なく座り込んでいた杉野は、そんな全員の様子をぼんやりと、、まるで夢を見ている様な心地で眺めておりー…そして、全ての緊張や不安から解かれた杉野は、座り込んだまま意識を失った。
(海)「ああ、もう降りるー…杉野くん?大丈夫か、杉野く――……気を失っている……」
(志田)「はぁ〜?まさかビビり散らかした挙句、気失うとか…マジで弱いやん、そいつ。心理官ちゃん、ほんま何でこんな奴を捜査員に推薦したん?」
志田の言葉に汐里は少し考えた後、杉野の方を見ながら口を開く。
(汐里)「…最初は、碧くんの蹴りを受けた時です。杉野くんは、何の警戒心もなく、碧くんの蹴りを受けたんです。普通ならまともに蹴りが入って、1ヶ月程はベッドから動けない生活を送るぐらいの……もっと大怪我に繋がってたはず。なのに、杉野くんは1日で復帰した。つまり、杉野くんは碧くんの蹴りを寸前で避けようと動いてたから、大怪我を免れたんです…碧くんは、もう気付いてたやろ」
汐里に話を振られた碧は、バツが悪そうに口を尖らせて言う。
(碧)「……まぁね〜。スギノくんを蹴った時、足に違和感あったんだよね。なんか蹴りが入り切ってないな〜って感じがさ。だから、俺の蹴りを見た瞬間に避けようと頭動かしやがったな、って思ったよ」
(志田)「……それだけ?ちゃうやろ、まだあるやろ?」
志田は溜息を吐きながら、汐里に次の言葉を促す。
(汐里)「――もしかしたら、彼には何か特別な《能力》があるのかもって思って…捜査に一緒に連れて行きました。……そしたらやっぱり…初めに安田の急襲を受けた時、凄いスピードで向かってくる安田の足を杉野くんは蹴り払ったんです。驚き、恐怖しているにも関わらず、彼は無意識のうちに安田の動きを目で追って、足に狙いを定めて蹴り払った……」
(海)「……なるほどな。彼の《能力》はー…」
(汐里)「はい、杉野くんには非常に優れた《動体視力》があります。――更に言ったら、その《動体視力》を活かせる《反射神経》も備わっている」
志田は、――ふーん、確かにソレは使えるかもしれんな、と呟いた。汐里も志田に頷き返す。
だが、海はまだ納得しきれてない様子で「杉野くんの《能力》は分かった。……けど、汐里が彼を捜査員に推す理由は、その《能力》だけじゃないだろう?」と、聞いた。
汐里は少し黙った後、再び杉野に視線を戻し、杉野を初めて見た時の様に微かに微笑む。
(汐里)「……う〜ん…杉野くんには『対狂人捜査員としての素質がある』って言ったじゃないですか?その《素質》は、杉野くんがこれから《対狂人捜査員》としてやっていくうえでも、最も重要な《武器》となるもの…それは『意思』です」
「『意思』?」海はそのまま聞き返す。
(汐里)「はい、彼にはいつも揺るがない《意思》があったんです。――最初は捜査員になりに来た、捜査員にして下さい、から始まって、まだ何もしてないから絶対に捜査には行ってやる、俺が《狂人》を捕まえてやるって譲らない。そして、安田に追い詰められ、死を恐れて動けなくなった時も…きっと杉野くんは、私を守ろうという《意思》の力で、自分を奮い立たせて、諦めも死への恐れも押し込んで、一生懸命戦おうとしてくれたんです。…とても、強く鋭く、何があっても決して揺るがず、自分を突き動かす『意思』は、《対狂人捜査員》には必要不可欠である、と…個人的に思っている為、杉野くんを推しました」
汐里は一気に話し終わった後、海の正面に立ち、真っ直ぐに見据える。
(海)「……?」
(汐里)「 ――そんな理由で、対狂人捜査員をパズルにすると…絶対に必要なピースの1つとなる《意思》という最大の《武器》を持つ杉野くんは、良い《対狂人捜査員》になると思いませんか?キャプテン?」
汐里はにひひ、と子供みたいに笑う。
ーーその笑顔を見て、海は思わず吹き出し、豪快に笑い声を上げる。
(海)「……はははっ!まったく…お前には、なかなか苦労させられるよ。――確かに杉野くんは、《対狂人特別捜査部》に来た頃の汐里とよく似ているよ。『馬鹿みたいに頑固で真っ直ぐな意思を持った所』が本当にそっくりだ。――分かった、杉野くんを正式に《対狂人捜査員》として認めるよ」
海は目尻を細め、汐里を優しく見つめて強く頷く。
(碧)「はぁ〜!?動体視力や反射神経はまだしも、意思の力とかワケわからねー理由で捜査員にさせんの!?」
その決定に最初に声を上げたのは、碧だった。眉を深く寄せて、明らかに不満を顕にしている。
(鈴木)「ふはははっ!残念だったな、碧!……だが、彼には色々期待出来そうな所が多そうだな!なかなか根性もあるし!」
(志田)「……まぁ、気に入らん部分はまだまだあるけど…ほんまに捜査員の手は足りんし、とりあえずは認めたるかぁ…」
(碧)「ええっ〜!ちょっと、2人ともー!特にグダグダ言ってた志田センパイ!もっと反対しましょうよ〜!ねぇ〜!ねぇねぇー!」
頬を膨らませ、ムスッとした表情を作りながら言う碧を、鈴木は子供を扱うみたいになだめ、志田は碧の存在自体をスルーして安田を引きずるように運ぶ。
海と汐里はその光景を見ながら苦笑した後、互いに目を合わせ、《内蔵風呂殺人事件》の終わりに安堵の息を漏らしたー。