【第七章:静寂の足場(Foundation in Silence)】
宇宙の闇の中を、曳航光が一本、ゆっくりと伸びていた。
その先頭を行くのは、Dev-3所属のSD-NV-02L
背後には沈黙したままの**ID-NV-01tC〈イマジディア〉**が牽引アームで繋がれ、死体のように揺らめきながら曳かれていた。
コックピットの中で、ダリオ・レーンは硬い息を吐く。
シオンはまだ目を覚まさず、イマジディアも起動の兆しすら見せない。
このまま本来の帰還先であるネルヴェリア圏へ戻るべきか──
その確認のため、ダリオは通信回線を開いた。
「アルヴィエル、こちらDev-3、ダリオ・レーン。
帰還進路の確認を願います。イマジディアは完全停止中。
ネルヴェリアに戻る現行ルートでよろしいか」
短い沈黙ののち、アルヴィエル側から応答が入る。
声の主は、技術試験中隊の指揮官であるグラン・マルティノ大尉だった。
『ダリオ中尉。進路を反転してくれ。
そのままドラウスト圏へ向かう。本艦は後方より追随する』
「……ドラウスト圏? 大尉、ネルヴェリアではなく?」
ダリオは思わず問い返す。
ドラウストはネルヴェリアから見て逆方向だ。
通常の帰還ルートでもなければ、技術本部のある宙域でもない。
グラン大尉の声は低く、だが迷いはなかった。
『スフェル=ヴェリス宙帯経由で、本部から通達が来た。
シオン少尉の状態を最優先で処置せよ──との判断だ。
重傷者の受け入れ体制を考慮し、最も近く設備の整った
ドラウスト圏を指定された』
続いて、サブ回線にリアナの声が重なる。
『……恐らく、そのためでしょう。
ドラウスト圏の医療区画なら、重度外傷にも対応できます。
ネルヴェリアより早く処置が行えるはずです』
コックピットの中で、ダリオは唇を噛んだ。
納得には遠い。
だが、背後に眠るシオンの沈黙は、もっと重かった。
「……了解。
Dev-3、進路を反転。ドラウスト圏へ向かう。
アルヴィエルの追随を確認した」
曳航軌道がゆっくりと反転し、
イマジディアを抱えた二機は、新たな宙路へ滑り込んでいく。
無反応のままの黒い装甲は、闇の中に溶け込みながら、
どこか不吉な影を残していた。
ゆっくりと開かれた軍事格納庫の天井。
SD-NV-02Lの脚部が床へと接地し、
続いて牽引されていた**ID-NV-01tC〈イマジディア〉**が
無音のままクレーンに吊り下げられ、慎重に降ろされていく。
ここはドラウスト圏──
アグノテウムにおける軍事中核圏であり、
兵器開発から量産、戦術実験、補給輸送までを一手に担う
軍産複合の巨大拠点である。
格納庫の奥には、用途別に区画が幾重にも分かれ、
新型ギアの試験機体、補給ラインの無人搬送車、
そして戦場帰りの機体が黙々と処理されている。
この圏域に満ちるのは技術者の熱意ではなく、
徹底した実用主義と戦略合理の匂いだった。
だがその中心には、
兵員救護のための医療区画が広く設けられている。
軍事施設である以上、その規模は民間の病院を凌ぎ、
戦場帰還者の即時処置に特化している。
イマジディアが着地するより早く、
白いホバーストレッチャーが複数、
静かにダリオたちの前へ滑り込んできた。
コックピットから飛び出すようにして地面に降り立つと、
ダリオは肺が裂けるほどの声を張り上げた。
「救急班ッ! 救急班をすぐ寄こせ!!」
ヘルメット越しでも分かるほどの怒気。
その背後には、すでに応答不能となった
**ID-NV-01tC〈イマジディア〉**が、
漆黒の巨影となって沈黙している。
格納庫内には数十名の整備兵と軍務員――
そして、好奇心と恐怖で固まった野次馬たちの視線。
「……あれが“虚構式”……?」
「止まらなくなったって噂、本当だったんだな……」
「てか、アレもう兵器じゃねぇだろ……」
ささやき声が波紋のように広がり、
緊張とざわめきが格納庫の空気を揺らした。
「おいッ! そこ邪魔だ! どけってんだよ!!」
ダリオは肩で人を押しのけながら駆け出す。
荒い息、握られた拳。
その叫びは怒号ではなく、
抑えきれない焦燥そのものだった。
「アイツは……今、生きてんだよ!!
死にかけて戻って来てんだ……ッ!!」
その迫力に、野次馬たちは道を開けざるを得なかった。
やがて担架と医療班が駆けつけ、
イマジディアの胸部ハッチが重々しく開かれる。
内部から運び出されたのは、
血の気を失い、微動だにしないシオン・エルセイの身体。
リアナは言葉一つ発せず、
ただその傍らを離れなかった。
視線はシオンへと固定されたまま、
救護班と共に足早に医療区画へと向かっていく。
背後にはまだ、沈黙したままのイマジディア。
その黒い装甲は、
まるで“何か”を隠し続けているように、光を吸っていた。
白色灯が、医療区画を均一に照らしていた。
廊下に残るのは、機器の電子音だけだ。
ダリオ・レーンは壁にもたれ、腕を組んだまま足を踏み替えた。
隔壁の向こうでは、まだシオンが戻ってこない。
「……まだかよ」
吐き捨てるような声。
それ以上、何も言えなかった。
近くのベンチで、カイルがヘルメットを両手で回している。
普段の軽口は消え、指先だけが落ち着きなく動いていた。
「なぁ……あいつ、大丈夫なんだよな」
ダリオが答える前に、リアナが口を開いた。
「生体反応は安定しているわ。
危険域は脱した、と軍医は言っていた」
淡々とした報告。
だがダリオには、その声が少しだけ硬く聞こえた。
「だったら……なんで出てこねぇ」
リアナは答えなかった。
その沈黙を切るように、待機室の自動扉が静かに開く。
黒い外套の女が一歩、室内に入る。
軍監査局の徽章が、白色灯を鈍く弾いた。
「失礼するわ。Dev-3の三名で間違いないかしら」
声は穏やかだった。
だが、その場の空気がわずかに沈む。
リアナが即座に立ち上がる。
「……ティアナ・ゼルトス監査官」
女はうなずき、視線を三人に流した。
名前を確認する必要すらない、というように。
「今回の件――
“虚構式の不可解な停止”について、状況確認に来たわ」
ダリオは眉をひそめた。
「今はそれどころじゃない。
シオンが――」
「承知しているわ」
言葉を遮るように、しかし声量は変えずに言う。
それだけで、ダリオは続きを飲み込まされた。
ティアナは隔壁へと歩み寄り、
透明な強化ガラス越しに治療室を見つめた。
「……意識喪失。制御不能。完全停止」
独り言のような呟き。
だが、評価を下す声だった。
カイルが耐えきれずに口を開く。
「……あんた、シオン少尉を疑ってるのか」
ティアナは振り返り、微笑んだ。
その笑みは、目に届いていない。
「疑ってはいないわ。
ただ――事実を確認するだけ」
その瞬間、
「反論しても意味がない」とダリオは悟った。
照明の下で、ティアナの足音だけが淡く響いていく。
隔壁の手前で立ち止まり、透明な強化ガラス越しに治療室の内部を見つめた。
「……シオン・エルセイ。
あなたが、どうして止まらなかったのか――」
その声は小さく、誰にも届かないほどの囁きだったが、
どこか、冷えた興味と期待が入り混じっていた。
やがてティアナは振り返り、三人へと向き直る。
「治療終了後、事情聴取を行うわ。
あなたたち三人も対象よ」
扉が閉まる。
足音が遠ざかると、待機室には再び電子音だけが残った。
「……俺たちも、か」
カイルの声が、乾いていた。
そして――
また、静寂だけが戻ってきた。
治療室の照明は、
夜と昼の境目をなくしたように白く眩しかった。
隔壁の向こうでは、シオンが静かに眠っている。
胸元の生体モニターは規則正しく光っていたが、
それが生の証であることすら、今の三人には実感しづらかった。
ダリオは腕を組んだまま壁にもたれ、
時折、重い息を吐く。
「……結局、いつ事情聴取が来るかは分かんねぇって話だよな」
カイルは椅子に座ったまま、
床に投げ出した足先でリズムの崩れた音を刻んでいる。
落ち着かない仕草だが、本人も止められないようだった。
「監査局と軍務局、両方だろ。
あのティアナ監査官……目、笑ってなかったぞ」
「そりゃそうよ」
リアナは腕を組み、視線を隔壁へ向けたまま続けた。
「虚構式の暴走。I.E.S.S系統の挙動不良。
そこに“搭乗者の意識喪失”が重なった。
本部が黙っていられるはずがないわ」
カイルが顔をしかめた。
「……でもさ、シオンが悪いわけじゃないだろ?
あの状況、どう考えても機体側の異常で……」
「異常の原因を探るための事情聴取よ」
リアナの声は冷静だったが、その目には迷いが滲んでいた。
「ただ……軍が“どこ”を疑うかまでは、分からない」
沈黙が落ちた。
白い光だけが、三人の表情を淡く照らす。
ダリオが苛立ったように靴先で床を蹴る。
「とにかく――シオンが目ぇ覚まさねぇことには話にならねぇ。
なのに、起きたらすぐ取り囲んで尋問ってか。冗談じゃねぇよ」
リアナが小さく息をつく。
「事情聴取は、私たち三人にも行われるわ。
今後、Dev-3がどう扱われるかも含めて」
カイルの手が止まった。
リアナは淡々と続けた。
「“虚構式の暴走時に同行していた技術士官と整備士”。
本部は必ず確認を取る。
ネルヴェリア機構から派遣された支援整備士ももう到着してる。
彼らとすぐに合同調査が始まるでしょう」
「ネルヴェリアが……来たのか」
カイルの声には複雑な色があった。
「ええ。本部通達よ。
イマジディアの解析には、ネルヴェリア機構技術班の協力が不可欠だと言っていたわ」
ダリオはその言葉に反応するように、
視線を隔壁から外し、仲間たちへ向けた。
「じゃあ……俺たちはどうなるんだ?」
リアナはわずかに目を伏せた。
「分からない」
「ただ――」
その先の言葉を絞り出すように、
「Dev-3は解体される可能性もある...」
空気が、凍った。
カイルの足元のリズムも止まる。
「……解体って、俺たちバラバラってことじゃないよな?」
「再配置よ」とリアナ。
「私は通信中隊へ戻るかもしれない。
カイルはネルヴェリア技術班に呼ばれる可能性が高い。
……ダリオ、あなたはドラウスト圏の元部隊に復帰を命じられるでしょう」
ダリオは隔壁の向こうを見つめた。
白い光の中で、シオンの胸元のモニターが静かに明滅している。
「……起きたときにさ」
小さく、しかしはっきりと言う。
「居場所がねぇ、なんてことだけは――
絶対にさせねぇ」
カイルが頷く。
リアナも、深く息を吸った。
三人の視線が、同時に隔壁の向こうへ向く。
まだ脆い。
だが、確かにそこに――立つための足場はあった。
静寂の中で、次の局面が、音もなく組み上がっていく。




