【第六章:虚構、駆け抜ける (The Edge of Acceleration )】
ネルヴェリア技術施設、第7調整ベイ――
壁面の大半を占める大型スクリーンには、ギアのエンジン出力波形が複雑な曲線を描いていた。
「……これだ、この異常波形。通常推力領域を外れた特異共振が、三度確認されている」
フェリオ・ゼルト中尉は、その波形を冷静に見据えていた。
アグノテウム本部から派遣された技術参謀であり、機体制御と安全性に特化した観点から計画全体を監督する立場にある。
技術革新自体を否定しているわけではないが、再現性と制御性が伴わぬ進歩は“未熟”と切り捨てる男だった。
タブレットを指先で弾きながら、フェリオは冷ややかに言い放った。
技術参謀としての職責ゆえ、彼はイマジディアの革新性よりも、その不確実性と危険性に警鐘を鳴らす立場を貫いていた。
「これは暴走の兆候と見て差し支えない。しかも波形の揺れ幅は指数的に拡張している。
明らかに――制御できていない」
その声に、隣でシオン・エルセイが小さく息を吸った。
「それは……不安定な初期型のSレンジ制御波動です。
この挙動はあらかじめ想定されていた領域で、暴走とは違います」
「ならばこの共鳴曲線の意味を説明しろ。
“想定”という言葉で隠すには、これはあまりにも理屈から逸脱している」
フェリオは、無感情とも言える声で続ける。
「君の理論に基づけば、これは“虚構の安定化過程”とでも呼ぶのか?
皮肉なものだ――“虚構の心臓”とは、よく名付けたもんだ」
「……その呼び名、本部が皮肉でつけたことくらい分かってます。
でも、それでも構わない。“虚構”だって、僕たちは現実に動かしてる。
名前がどうであれ、前に進めるなら、それだけで意味はあるはずです!」
シオンが声を上げかけたとき、後ろで腕を組んでいたカイルが割り込む。
「……おいおい、あんたさっきからずっと“止めろ”か“制限しろ”しか言ってねぇな。
じゃあ、あんたならこの出力をどう活かすってんだよ。教えてくれよ、“中尉閣下”?」
その皮肉に、フェリオは眉一つ動かさず返した。
「活かす必要などない。兵器において最も重要なのは、制御と再現性だ。
技術は軍規に準拠してこそ意味がある。使えなければ、それはただの神話だ」
「……違う。これは、技術の先を見せてくれている」
シオンが一歩、前に出た。
「確かに不安定で、理屈が追いつかない部分もある。
でも、だからこそ僕たちは“そこに踏み込まなきゃいけない”。
それを閉じるなら、僕らは何も進めないまま終わる!」
短い沈黙の後――
フェリオは冷たく、だがどこか苛立ちも滲ませて言った。
「その姿勢が、君を潰す日が来ないことを祈るよ」
---
フェリオはもう一度スクリーンに視線を戻すと、指先で数点をマーキングしながら言った。
「……データは私の方で整理する。
中隊として改修案を取りまとめ次第、正式な試験計画と併せて其方に送る。
それまでは、今述べた要点を遵守し、各種の整備に当たれ。以上だ」
無言で振り返らずに歩き出したフェリオだったが、
出口の手前で、ふとタブレットを握る手をわずかに緩めた。
まるで、緊張を解くように。
そのまま、誰に向けるでもなく一度だけ手を軽く振った――。
重い足音を残して整備区画を出ていくその背中を、カイルは睨むように見送った。
「……あの堅物やろう。何が技術参謀だ、舐め腐ってからに……!」
苛立ちが抑えきれない様子で、手元の工具を机に乱暴に置く。
その隣で、シオンはモニターに視線を向けたまま呟いた。
「でも……言ってることは、間違ってはいないよ」
その言葉に、カイルが顔をしかめる。
「だからって、ああまで言わなくてもいいだろ。
いいか――あいつに、“机の上の計算で終わるな”ってのがどういうことか、教えてやろうぜ」
カイルの目が、静かに燃えていた。
「見てろよ……この機体、俺たちでキッチリ安定させてやる。
妄想じゃないってことを、証明してやるんだよ。」
その姿を見て、シオンが小さく笑った。
「……あぁ」
二人は再び整備台に向き直る。
未完成の内部フレームが光を鈍く反射しながら、確かに彼らの手を待っていた。
整備室を見下ろす、上階の観察室。
壁一面の強化ガラス越しに、整備台の周囲で作業を続けるシオンたちの姿が映っている。
その前に、リアナが資料を抱えたまま、やや落ち着かない様子で立っていた。
「報告書……見たわよ」
背後から、柔らかな声がかかる。
アマルディナ・クロスフェル少佐――技術中隊のオペレーション主任であり、リアナの直属の上官。そして、士官学校時代からの付き合いがある“先輩”だった。
「だいぶ苦労してそうね、あなたの小隊は」
軽く片眉を上げながら、アマルディナはリアナの隣に立ち、整備室の下を見下ろす。
その視線の先には、試験用ギアのパネルを開けて調整作業を続けるシオンとカイルの姿があった。
「……はい。でも、皆、本当に一生懸命で。
あのエンジンの出力に追いつくの、大変なんですけど……でも、シオンはずっと諦めなくて。
彼って、技術のことになると本当に真っ直ぐなんです。
たまに“無謀なんじゃないかな”って思うくらい、突っ走ることもあって……。
でも、そのたびに――ちゃんと理由があるんです。
ただの勢いじゃなくて、悩んで、考えて、それでも進もうとしてて……。
……だから、私も何かしたくなるんです。
あの人のやってることが、本当に報われてほしくて。
私なんかにできることがあるなら、って、いつも考えちゃってて……」
リアナがふと横を向くと、アマルディナが腕を組んだまま、じっとこちらを見ていた。
目が合う。
「…………何ですか?」
アマルディナは、口元をほんの少し緩めた。
「好きなんだ、彼のこと」
間を置かず、リアナの耳まで顔が真っ赤になった。
「――っ、ち、違います……そういうのじゃ、たぶん……」
一瞬だけ目を伏せたあと、リアナはあわてて資料を抱え直した。
「な、なんでそんなこと言うんですか!? ほんと、そういうの困りますから!」
慌てふためくリアナを横目に、アマルディナは楽しげに、でもどこか頼もしげに肩をすくめた。
「ふふ、そういうのはね、困ってるうちが一番かわいいのよ。覚えておきなさい」
そのまま彼女は、ひらりと片手を振ってガラス窓を背に歩き出す。
リアナは頬を押さえながら、背中越しに小さくつぶやいた。
「……ほんと、からかうのだけは昔から変わらないんですから……」
観察室のガラス越しに、こちらへ向かってくるシオンの姿が見えた。
「ほら、ダーリン、こっち来たわよ」
アマルディナが、くすっと笑いながら横目でリアナに囁く。
「か、からかわないでくださいって、もうっ!」
リアナが思わず大きな声を上げた、その瞬間――
「――ん?」
控室のドアが音もなく開いて、シオンがひょっこりと顔を出した。
「どうした? 顔、赤いぞ?」
思わぬ登場に、リアナは一瞬、息を呑んだあと――
「っ、な、なんで!?……どうしたの、あなたがっ!!」
声にならない驚きと、慌てふためく声が入り混じり、資料を抱え直す手がもつれる。
シオンは一歩だけ部屋に入り、アマルディナに軽く敬礼をした。
「アマルディナ少佐、失礼します。
リアナ、カイルが言ってたんだけど――」
「はい?」
「オービタリス・クラウンに降りて、何か食べ物買ってこいって。
“休憩がてら”って……なんで俺たち二人なんだろうな」
その言葉に、アマルディナがふふ、と喉の奥で笑った。
そしてリアナに向けて、そっと窓の外を指さす。
「他にも、おせっかいさんがいるみたいね」
視線の先には、作業台の隅でこちらを見ているカイルの姿があった。
しかも、なぜか片手を軽く挙げて、ウィンクまでしている。
「……あのバカぁ……!」
リアナが顔を真っ赤にして、声を押し殺しながら言い放つ。
シオンはその様子を不思議そうに眺めていたが、やがて小さく口を開いた。
「リアナ……?」
「な、なんでもないの!ほんとにっ!」
リアナは慌てて背を向けながら答えた。
そんな彼女を横目に、アマルディナは静かに言葉を重ねた。
「こっちは私が進めておくから。
あなたたちは――休憩ついでに、行ってらっしゃい」
それだけ言って、資料の端末を手にしたまま、再びガラスの外へと視線を戻す。
リアナは何か言いかけたが、結局そのまま黙って頷いた。
そして、シオンと一緒に観察室をあとにする。
扉が閉まる音がして、アマルディナはひとり、笑みを浮かべながらつぶやいた。
「……ほんと、かわいいわね、あの子」
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オービタリス・クラウン外縁区――
アグノテウムの主要生活圏と商業圏を共有する、人工重力制御によって構築されたこの街は、今や数十万人が暮らす巨大環環都市の一部だった。
強化ガラスのドーム越しに見える宙には、微かに輝く地球が浮かび、
周囲には光を灯すリニアラインと輸送ポッドが行き交っていた。
広場では子どもたちが遊び、通りには屋台とカフェ、軽食スタンドが並ぶ。
暮らしの風景――戦争とは無縁の時間が、そこにはあった。
その雑踏の中、シオンとリアナは肩を並べて歩いていた。
制服の上に上着を羽織り、目立たないよう帽子を深くかぶっている。
どこか緊張が抜けたような顔で歩きながら、シオンが口を開いた。
「……フェリオ中尉に、また言われたよ。
“危険だ、安全性を最優先しろ、制御しきれないなら凍結すべき”――ってさ」
リアナは足を止めずに頷きながら、少し考えるように目を伏せた。
「小隊のみんなは、あの子に助けられた。
……でも、分かる気がするんだよね。中尉の言ってることも」
通りを曲がった先で、風が吹き抜ける。リアナの髪がふわりと揺れた。
「……だって、シオンが死んじゃったら……嫌だもん」
声は小さく、けれど真っ直ぐだった。
彼女は視線を地面に落とし、ぽつりと続けた。
「……あの子はさ」
その言い方に、シオンは少し驚いたようにリアナを見た。
「ギアのこと。……イマジディア」
リアナの瞳は、どこか遠くを見ていた。
「他の子たちと、なにかが違うって思えるの。
……時々、シオンが“飲み込まれちゃう”んじゃないかって、そんなふうに見えるんだよ」
シオンは、しばらく黙っていた。
だが次に口を開いた時、その目はまっすぐに前を向いていた。
あのとき、軍法会議の壇上で語った時と同じ、“迷いのない目”だった。
「……イマジディアは、やっと目覚めたんだ。
確かに他のギアとは違う。でも、だからって“希望”まで否定するわけにはいかない。
俺は――あいつを、必ず光らせてみせるよ」
そう言って、シオンはふと足を止め、街の光景を見渡した。
人々の笑顔、家族の時間、流れる音楽、暮らしのぬくもり。
「……ここを守りたいからさ」
リアナはしばらくその横顔を見つめていたが、やがてふっと視線を外した。
「……機構からちょっと遠いけど、街に降りてきて良かったね」
無理に明るく言うような声色だったが、その表情には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「ほら、みんなのご飯、早く買って戻らなきゃ」
そう言って、リアナは先に歩き出した。
シオンは少し遅れて歩を合わせながら、肩の力を抜いたように微笑んだ。
光に包まれる街のなか、2人は肩を並べて、再び歩き出した。
賑わいの街から一転――
小型艦艦内。
艦橋の一角にあるブリーフィングスペースで、通信端末の着信音が鳴り響いた。
グラン・マルティノ大尉は、音もなく端末に手を伸ばすと、無造作に受話機を取った。
「……あぁ、お前か」
どこか柔らかくも気を許した声音だった。
スクリーンに映し出されたのは、アグノテウム技術部・第一技術試験中隊の統括官――クレイド・ヴォルゲート大佐だった。
『大尉。ご無沙汰している』
「……そちらは忙しそうだな。何か、またトラブルか?」
グランの言葉に、クレイドは表情を変えず、淡々と答える。
『本日は報告と、次任務の伝達だ』
「……早いな。イマジディアの整備が終わってないぞ」
『承知の上だ。だが、上層部より通達が下りた』
クレイドは端末に表示されたデータを転送する。
『ドラウスト宙域にて、スカーヴァン掃討任務。
戦術小隊との合同作戦において、イマジディアは“試験稼働”を兼ねることとする。』
しばしの沈黙のあと、グランはわずかに眉をひそめた。
「……あんな不安定なものを、いきなり実戦に。
“試験”という言葉は便利だな。本部は何をそんなに急いでやがる……」
それでもクレイドの声色は変わらなかった。
『……技術とは本来、結果が命に先行する。
運用可能と見なされた瞬間、それは“使われるべきもの”に変わる。
情勢は日々変動し、猶予は常に削れていく』
グランは受話端末を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「……その言い分は分かるさ。だが、割り切れない現場もある」
クレイドはほんの一瞬だけ目を伏せ、そして視線を戻す。
『……現場の判断は尊重する。
だが任務は下りた。中佐、貴隊の判断に期待している』
「……ああ」
静かに頷くと、グランはふっと視線を落とし、わずかに笑う。
「たまには、オービタリスで飯でも食いながら話したいもんだな。
昔は、もう少し肩の力を抜けたもんだった」
クレイドの表情は変わらない。ただ、端末越しに一言だけ返した。
『……時代が変わったのだ。私たちもまた、それに倣うだけだ』
通信が切れる。
画面が沈黙に包まれた艦内には、低い電子音だけが残った。
グランはしばし無言のまま、手元の報告書へと視線を戻した。
鈍く反射する金属フレームの奥に、イマジディアが静かに立っていた。
ネルヴェリア整備施設・第七調整区。
戦闘に向けた最終調整が、粛々と進められていた。
目の前の端末を睨みながら、カイル・ブロムが額に手を当てる。
「ったくよぉ……」
上層部から下りてきた改修案の最終データを開きながら、カイルは苛立ちを隠さずに舌打ちをした。
「きっちり出力も許容範囲に仕上げて、
降りてきた改修案どおりに全部作り直して……」
端末を軽く叩きながら、荒れるようにスクロールを続ける。
「最終調整だって一旦ギアを本部に引き上げられて――
やっと戻ってきたと思ったら、これだよ……」
隣では、シオン・エルセイが別の端末を見つめていた。
そして、小さく息を吐くように言った。
「……でも、これなら――きっちり回せる」
その声には、どこか希望を見出すような柔らかさがあった。
カイルは苦笑しながら首を振る。
「俺らがよ、“おもちゃ”から“本物”に仕上げたってのによ……
こりゃないよ。今度は“本隊のおもちゃ”かよ……」
二人は同時に、目の前の整備ベイを見上げた。
そこには――完成されたイマジディアが静かに立っていた。
その外観は、既存のソルディギアとはまるで別物だった。
エネルギー変換シールドは搭載されておらず、
強度強化のためのパネルは軽量化され、いたるところに開口された吸気ダクト。
大ぶりのバーニアと増設されたスラスターが、全体のシルエットを獰猛に形作っている。
「安全性がーとか言ってなかったか?
いくらS.O.L.Sじゃねぇって言っても、エネルギー変換シールドすら使えねぇからって、
防具ナシでコイツは……」
カイルは肩を落として、ぽつりと呟く。
「……やっぱ俺たち終わったわ~」
その隣で、シオンは何も言わずにイマジディアを見上げていた。
その目は、まるで対話しているかのように真剣で、どこか静かだった。
カイルが肩をすくめながら、溜息を漏らした。
「それにしたってよ……出力制限なしで通ったのは、ちょっと出来すぎじゃねぇか?」
シオンは手元の端末から目を離さずに、微かに口元を緩めた。
「――誰かが、“止めない判断”をしてくれたんだ。
可能性よりも危険性を語る人が、それでも“試してみろ”って言ってくれたのかもな」
イマジディアの整備台に立つ漆黒のフレームが、光を鈍く反射する。
それはまるで、誰かの沈黙の中に差し出された、小さな肯定のようだった。
そして――その空気を裂くように、整備区のスピーカーから無機質な声が響いた。
『――Dev-3小隊、全員至急ブリーフィングルームへ。指示伝達がある』
短く、乾いた指令音。
カイルとシオンは顔を見合わせ、そして無言で歩き出す。
簡素な会議室に、Dev-3の面々が揃っていた。
前方モニターにはドラウスト圏の宙域地図、そして通信ログ。
グラン・マルティノ中佐が、いつになく硬い表情で立っていた。
「……スカーヴァンの襲撃事案が、再び発生した。
場所は、ドラウスト第六航路付近。要請により、我々が対応に当たる」
一同がざわついた。
会議室の空気が、明らかに変わった。
「……マジかよ」
カイルが、報告端末を叩くように置いて言った。
「ろくな試験もしてねぇってのに、いきなり実戦って……」
リアナも、思わず息を呑んでいた。
「正式稼働はまだ先じゃ……なかったんですか?」
グランは静かに首を振った。
「イマジディアの運用可否は“実戦下の挙動”を含めた判断に委ねられた。
あくまで“試験運用”ではあるが、任務そのものは本物だ」
その言葉に、カイルが苦笑まじりに肩をすくめる。
「……だったら、ダリオさんがイマジディア乗った方がよくないっすか?」
場に一瞬の沈黙が走り――その空気を破ったのは、当のダリオだった。
「冗談言うなよ。
あれ、ペダルもスイッチも何倍あると思ってるんだ?
パイロットと技術屋が同居してないと動かせねぇよ、あんな化け物」
苦笑しながらも、どこか納得したような声だった。
「……まぁ、アイツならやるだろ」
シオンは黙って皆の視線を受け止めていた。
その隣でリアナが、不安げに問いかける。
「……シオン、本当に大丈夫?」
「……大丈夫。
俺が組んで、俺が調整してきた。
“あの子”の声なら、俺が一番、よく聞こえるから」
その静かな声に、誰も言葉を返せなかった。
宙域表示パネルには、赤い航路ラインが斜めに交差していた。
ここはドラウスト圏――アグノテウム本体にも程近い、軍直轄エリアのひとつ。
この宙域では、軍への補給品を運ぶ輸送航路が密集しており、
そこを狙ったスカーヴァンによる襲撃が後を絶たない。
近年では武装化が進み、軍基地近辺での活動を辞さない“武闘派セル”が増加していた。
「……ったくよぉ」
通路側の座席で、カイル・ブロムが頭を抱えながら唸る。
「よりによって、なんでドラウスト圏だよ……。
こんなとこ軍本体がすぐ近くなんだから、戦術部隊にでも回せばいいだろがぁ」
ブツブツと文句を垂れるカイルの隣で、ダリオ・レーンが肩をすくめる。
「任務は任務だ。仕方ないだろ。
……ま、スカーヴァン相手なら俺もいるし、今回は問題ないさ」
どこか余裕すら見える表情で続ける。
「それにな、今回はありがたいことに――試験機じゃないんだ。
整備枠も予算もちゃんと割られててよ。
いや~、こういうのが本来あるべき支援体制ってもんだぜ?」
にやけるダリオに、カイルが皮肉たっぷりに返す。
「へぇ……そりゃ冥土の土産にピッタリっすねぇ。
軍の本気の“棺桶パック”ってやつじゃないですか?」
思わず笑いかけたリアナが言葉を飲み込み、シオンが口を開く。
「大丈夫さ。
……イマジディアはもう、“おもちゃ”なんかじゃないから」
カイルは視線をそらしながら、ぼそりと呟いた。
「……ま、今や本部のおもちゃだけどな、俺らは」
その言葉にダリオが苦笑しながら、カイルの背中を**ドンッ!**と叩く。
「いてええぇえ!!」
カイルが大げさに叫ぶと、空気が少しだけ和らいだ。
そして、ダリオはふっと表情を切り替える。
「……さ、最終確認も終わったんだろ? 行くぞ、シオン」
シオンも静かに頷き、迷いのない声で答えた。
「……はい!」
――格納庫第3ブロック、カタパルト搭載区画。
重力制御がわずかに揺らぐ格納庫内。
出撃を待つ二機のギアが、並ぶようにして固定されていた。
一機は――SD-NV-02L。
外装には細かな濃淡のグレーが重ねられた灰色迷彩の塗装が施されており、装甲面は実戦を重ねた痕跡があちこちに残されている。
落ち着いた色合いながら、整備の行き届いたフレームが光を吸うように沈んでいた。
その隣に立つのは、異質な黒――ID-NV-01tC〈イマジディア〉。
迷彩のない純粋な黒装甲に、整流されたダクトと拡張バーニアが浮かび上がる。
まるで、“合理の影”と“幻想の意志”が並んでいるかのようだった。
艦内の空調が静かに低くうなり、出撃前の沈黙が支配していた。
『――これより最終シークエンスに入ります。
ID-NV-01tC、SD-NV-02L、各機パイロットはコックピットに乗り込み、エンジン起動を開始してください』
リアナ・クローデル中尉の艦内アナウンスが、格納庫に落ち着いた声で響いた。
ダリオは装甲リフトから軽く跳ね上がるようにしてコックピットへ飛び込むと、慣れた手つきでスーツのロックを確認し、端末を起動する。
一方、シオンはゆっくりとコックピットに腰を下ろした。
視界の前方――薄暗い多層モニターに、無数の表示が点滅しながら浮かび上がる。
その中央に表示される、**“ID-NV-01tC”**の文字。
その記号を、シオンはしばし見つめていた。
イマジディア――ネルヴェリア――プロトタイプ高機動……
IDは「イマジディアギア」、NVは所属圏域である「ネルヴェリア」、01は機体番号、tは試験機、そして――C。
Cは、高機動型。そして、指揮官機に割り当てられるコード。
何を意味しているのか。本部が、なぜこの型番を――この記号を、与えたのか。
シオンは手元の計器に触れることもなく、ただ起動画面を見つめていた。
その奥で、何かが光るような感覚だけがあった。
「……“C”。
高機動型、そして指揮官機に与えられる識別コード。
“問題児”のくせに……まるで、本部が“エースに相応しい”って言ってるみたいじゃないか。
皮肉なのか、期待なのか――
でも、そう呼ばれた以上……応えるしかない」
『――出撃まで、10秒前』
リアナのカウントが艦内に響く。
各モニターが発光し、カウントダウンの数字が冷たい光で表示される。
『……3』
『……2』
『……1』
「――イマジディア、出撃する!」
シオンの声と同時に、イマジディアの出力が滑らかに上昇する。
バーニアは炎を上げることなく、黒い装甲を震わせ、
無音のまま――まるで重力の束縛すら拒むように、静かに宙へと滑り出した。
静かに宇宙へと滑り出した二機のギア。
周囲は無音のまま、星々と人工航路が遠くにまたたいている。
通信はまだ混雑しておらず、軌道上は静かだった。
「……無線、問題ないか?」
SD-NV-02Lの機体内、ダリオの声が割れたノイズもなく届いた。
対して、**ID-NV-01tC〈イマジディア〉**からの返答は、やや明るく響いた。
「はい、問題ありません。
今回は――頭に高感度の“トサカ”がついてますから。
通信安定性は向上してます」
どこか誇らしげな声だった。
続けて、シオンはチャンネルを切り替え、**小隊艦**へ通信を飛ばす。
「アルヴィエル、こちらイマジディア。無線チェック、どうぞ」
すぐに、リアナの声が応答する。
『――イマジディア、こちらアルヴィエル。通信状態、良好です!
……シオン少尉、くれぐれもお気をつけください』
言葉の調子は確かに軍用の定型応答だった。
だがその声には、どこか柔らかく、彼女らしい優しさがにじんでいた。
シオンは短く「了解」と返し、微かに息を吐いた。
「よし、行くぞ」
ダリオの声が再び入る。
「二名は、イマジディアの飛行試験を兼ねながら目標宙域へ接近。
――スカーヴァンの残党がいたら、先に見つけてやろうぜ」
その瞬間、SD-NV-02Lのスラスターが噴き出し、推進速度を一段階引き上げる。
その後ろを、黒い影――イマジディアが、無音のまま追随した。
宙域航行中、シオンのイマジディアが軽く傾き、センサーパネルに映る反応を追った。
「……所属不明の小型艦を発見しました。
座標、転送します」
短く一呼吸置いて、シオンが照準スコープに視線を合わせる。
「標準合わせて確認しま――」
その時、SD-NV-02Lの腕部が視界に割り込んだ。
ダリオ・レーンのギアが、明確な「待て」の合図を送っていた。
「落ち着け。スコープ外せ」
「……スカーヴァンの多くはな、
戦闘後の残留物をあさるだけのコジキもどきだ。すぐに撃つな。
まずは注意勧告。それからだ」
シオンは一瞬の沈黙の後、軽く頷いた。
ダリオの機体が推進力を上げ、距離を詰める。
――そのとき、小型艦から熱源反応。
レーダーに赤く光る印が現れ、2機の旧式ギアが飛び出した。
「チッ……2機か」
ダリオが舌打ちをする。
「P.E.時代の骨董品が1機に……あれはなんだ、仏像かよ……?」
その言葉通り、1機だけひときわ巨大なシルエット。
大型のパイロン型装甲を纏った、異様な機体だった。
「……あれ、多分……」
シオンが呟くように言った。
「旧型のN.R.F.Cエンジンを……二基、搭載してます。
――こんなもの、初めて見ました……」
通常、パイロンギアには1基の核系動力が搭載される。
だが、その機体は**“2基”を搭載した、明らかに改造された異型**だった。
そのとき、ザザッと通信に割り込むノイズ。
『……こちら、ガイル・ヴォルグ。
やり合う気はない。アグノテウム側に特別な不利益があるわけでもない。
――引いてくれないか』
通信の向こう、ガイルの声には不思議な誠実さがあった。
決して媚びるでも、脅すでもなく――ただ、**“面倒な争いを避けようとする者”**の響きだった。
その背後で響いたソリオの狂乱に、彼は露骨な苛立ちをにじませる。
「……頼むから、引っ込んでろよ……」
小さく呟いたその言葉には、同胞を抑えきれない指揮官としての疲弊すらあった。
ダリオは眉をしかめながら、すぐに本隊へ通信を飛ばす。
「アルヴィエル、こちらSD-NV-02L。
ああやって言ってますけど……どうします? 放置するわけにもいかねぇですけど」
ブリッジ。グランがモニターとレーダーを睨む。
「小型船の周囲、残骸反応……これは貨物船だな。
――よし。細心の注意を払って、状況を聞き出してくれ」
ダリオはため息をつきながら、無線に戻る。
「でかぶつのあんた、悪いが説明してもらえるか? その残骸、何なんだ」
『……これは、漂流していた――』
そこまで話したとき。
『――リーダーが丁寧に説明してるのにぃぃぃっ!』
突然入った奇声混じりの音声。
無言だったソリオが、突如として通信に割り込む。
奇声に近いその声の裏で、彼は黙々とマシンガンを構え、機体を前にせり出させていた。
動きに迷いはなく、その手付きにはどこか、楽しんでいるような余裕すら感じられた。まるで、戦い
の空気だけを吸って生きているかのような、静かな“狂気”――。
次の瞬間、小型実弾マシンガンの弾幕が、ダリオたちの前方にばら撒かれる。
「おい!やめろ!ソリオッ!! 無暗に撃つな!」
ガイルが慌てて止めにかかる。
だが――さらにその奥。小型船の船体に隠れるように張り付いていた一機のギアが、
高出力の長距離エネルギーライフルを構えていた。
青白い光――そして、発射。
「クァルナ!お前までかっ……! くっ、仕方ない!」
咄嗟に退避行動を取るシオンとダリオ。
「おっと、敵さん……どうやら、やる気満々だな」
「本当は戦いたくはなかったが――仕方ねぇ!
行くぞシオン、落とされるなよ!」
「――了解!」
そして、戦いの火蓋が、今、切って落とされた。
ソリオのNRXX-02Gがマシンガンを乱射しつつ、前方に突撃してきた。
「っ、しつこい野郎だ……!」
ダリオのSD-NV-02Lはその機動に合わせて後退しながら、
シールドを展開して砲撃の雨をいなす。
だが、次の瞬間――
「……本命は、こっちか」
その呟きとともに、ガイル機が宙を切って横合いから急接近してきた。
構えたのは、大型バズーカ砲。
「くれてやるよ――“旧世代の一撃”だ!!」
閃光とともに放たれた砲弾は、直線軌道でダリオの機体を襲った。
ドガァァアアンッ――!!
直撃と同時に、展開されていたエネルギー変換シールドが爆ぜた。
装甲の表面が一部弾け飛び、衝撃波に巻き込まれた機体が大きく横滑りする。
「ぐっ……っ!!」
警報音がコックピットに響き、ダリオは歯を食いしばる。
「クソっ……まさか、シールドがここまで……!」
前方に浮かぶガイル機。
あの異様なパイロンギアは、核エンジン2基で機体制御を強引に支えている。
バズーカの爆風にすら揺るがず、まるで“地面に立つ”ような安定性を保っていた。
「普通、撃った反動で機体が後ろにのけぞるんだがな……あいつ、重力を殺してる……」
一方、シオンのイマジディアがガイルの後方に滑り込み、
高出力ライフルの照準を合わせる。
「今だ……っ!」
トリガーを引いた瞬間、砲身が白熱し、熱がスーツ越しに伝わる。
発射された光線がガイル機の肩部外装を掠め、装甲を部分的に溶かしながら吹き飛ばす。
「ぐっ……っ、なんだ今の出力……!」
ガイルの声に苛立ちが混じる。
その瞬間、イマジディアのライフル砲身から白煙が上がり、表面が焼け焦げていた。
「っ、やっぱり――高出力は一撃ごとの“賭け”だ……!」
シオンは再充電に入る端末を睨みながら、再起動手順に指を走らせる。
「――マルキ! 取れるか!!」
ガイルが無線越しに叫ぶ。
背後の小型艦にいるスカーヴァン整備員――マルキ・デナスへの呼びかけだった。
「……あの一機、なんかおかしいぞ! なんだあれは……!?」
焦りを隠しきれないガイルの声に、即座に返ってきたのは、落ち着きのない荒い声だった。
『送られてくる映像や波形データじゃ何も分からない!
……ただ、高機動型にしてもパワーが圧倒的すぎる……!』
マルキの声は、焦りというよりも、判断を誤ったことへの自責に近かった。
『ガイル、あれは……“関わるべき相手じゃない”! もっと早く引くべきだった!』
返事はなかった。
ただ、歯を食いしばるガイルの姿だけが、無言で画面に映っていた。
一方、シオンのコックピット内では、冷却が終わらない高出力ライフルの表示に、警告灯が点滅し続けていた。
「……まだ、ですか……!?」
放電ラインのインジケーターは、まだ出力可能域に達していない。
「――ダリオ先輩! まだ時間がかかります!」
『こっちもなぁ、スナイパーと近接機に睨まれてっから、ちょいと厳しいね……』
ダリオの声には余裕がありながらも、ギリギリの綱渡りをしている響きがあった。
だが、シオンの視線は次第に一点に定まっていく。
その先――小型艦。クァルナの狙撃台、ソリオの起点、そして拠点。
「――前に、出ます」
決意を声にしたその瞬間、イマジディアの背部バーニアが光を伴わずに加速。
音もなく空間を滑るように、急発進。
異常な加速度――他のギアとは“物理法則の解釈が違う”ような挙動。
「……加速の理屈が、完全に破綻してる」
ブースト推進も慣性制御も、入力とは別の“何か”が動かしているような……
この挙動――
まるで、数式じゃなく意志で動いてるみたいだ。
“虚構の心臓”って、そういうことか?
現実の法則じゃなく、仮想構造で定義された“動き方”――
「やらせるかよぉぉぉッ!!」
ガイルが叫び、バズーカを放棄。即座に大鉈を背に切り替え、推進を最大に踏み込む。
しかし――追いつけない。
警告灯が点滅する。
ペダルを踏み抜いた瞬間、一基のエンジンが過熱オーバーで赤く染まり――火を噴く。
「っ……!」
機体が傾いた。
さらに追い討ちのように、右腕の制御系がショートし、鉈の保持を失う。
制動不能のまま、宙を滑るようにして後退していくガイル機――
その前を、漆黒の光が、まっすぐに突き抜けていく。
小型艦へ向けて急接近するイマジディアを視認した瞬間、
クァルナが慌てて高出力スナイパーライフルの照準を合わせる。
「……くっ!」
彼女の狙撃がわずかに揺らいだのを、シオンは察知していた。
急停止――
全身を襲うGに、血が逆流するかのような痛みが走る。
「……耐えろ……!」
歯を食いしばりながら、再展開したライフルを構える。
「――送電完了次第、撃ちます!」
その刹那、先にクァルナの一撃が走る。
だが――
「撃つ……ッ!!」
シオンの高出力ビームが、わずかに遅れて火を噴いた。
――両者のエネルギー波が、宙で正面から衝突する。
だが、光の圧力は一瞬で傾いた。
「なっ……!」
クァルナのエネルギーは押し返され、接続ケーブルが破裂。
ライフルの砲身が火を噴き、機体が仰け反る。警告音と焼け焦げた煙がコックピットに充満し――
「っ、なに、これ……! なんなの……あの機体……!」
クァルナの声は、痛みによるものか、それとも得体の知れない何かへの怯えか。
あれは“ギア”じゃない。何かがおかしい。動き方も、出力も、全部が違う――
わけが分からないまま、視界は白いノイズで埋め尽くされた。
「クァルナぁあああッ!!」
ガイルの怒声が響く。
そのまま鉈を手に、燃えかけた機体でシオンに突進。
強烈な振り下ろし――
イマジディアの左肩装甲が、鋭く裂けて装甲片が弾け飛ぶ。
「……っ!」
反応する余力もないまま、シオンの視界が大きく揺れた。
体が軋む。
コックピットに響く警報音と、焦げた匂い。
イマジディアが、初めて実戦で“吠えた”。
出力は跳ねるように荒れて、制御なんて程遠い。
「……くそっ、動いたんだ……ようやく……!」
「カイルも……リアナも……俺を信じて、ここまで来たんだ……!」
歯を食いしばり、シオンは揺れる視界に叫ぶ。
「ここまで来たんだ! 何が“虚構”だよ……!
嘘なんかじゃない……俺たちの、手で動かしてるだろ……!!」
かろうじて残る右手で、再起動手順に指を滑らせる。
振り落とされそうなイマジディアの鼓動を、必死で掴み直しながら――
「――ソリオ! マルキ! 撤退だ!! 急げッ!!」
ガイルの指示と同時に、ソリオが手元から閃光弾を投げつける。
眩い白光が一帯を包む。
「チッ、くそっ……!」
ダリオが咄嗟に反応するが、視界が完全に奪われる。
シオンはコックピットで項垂れ、既に意識が朦朧としていた。
――そして、戦いは、終わった。
戦場に残されたのは、閃光の余韻と、やりきれない静寂だけだった。
『……掃討失敗。排除のみを行使し、任務を完了。
各機は帰還せよ』
グランの無線が、淡々とした音声で宙域に流れた。
コックピットの中、ダリオ・レーンはゆっくりとレバーから手を離す。
深く息を吐きながらも、その視線は宙を彷徨っていた。
――落とせなかった。止めきれなかった。
“任務”という言葉が、虚しく胸に残る。
軽く唇を噛んだダリオの表情には、
戦い抜いた者の誇りではなく、“納得のいかない現実”だけが刻まれていた。
「……あれが、“未来”の出力ってやつかよ……
――でもよ。納得なんか、できるかっての……」
一方、シオン・エルセイのコックピット内。
メインパネルに表示された出力ログは、赤いエラーコードで埋め尽くされていた。
機体の冷却系は限界を超え、スーツ内にじんわりと熱が残る。
「……は……」
細く、息が漏れた。
もう、自分が何を見ているのかも曖昧だった。
視界の端で微かに揺れるレンズフレアが、
どこか遠くの星のように感じられる。
シオンは、軽く首を垂れるようにして、
静かに、意識を手放した。