【第五章:イマジディア(IMAGEDIA)】
セリグマ律廷との戦闘から数日。
Dev-3 小隊は壊滅的な損耗を受けながらも、辛うじて本拠――複合国家アグノテウムの一角、ネ
ルヴェリア機構の管轄下まで帰還していた。
ネルヴェリア――六大圏のひとつにして、科学と技術の心臓部。
そのコアセクションに併設される試験機体収容ベイに、コード無し・識別不能のギアが、今なお
異常エネルギーの揺らぎを放ちながら保管されている。
──ネルヴェリア機構 技術部隊本部基地・第7区控室。
「うちの小隊長様と、正義のヒーローさんはいつ帰ってくるんだよ〜」
カイル・ブロムが伸びきった姿勢で、スリッパを投げるように脱ぎながらソファに倒れ込む。
「仕方ないだろ。試験中にセリグマとの対峙、報告だけでも膨大なのに……」
ダリオ・レーン中尉は、隣のテーブルで報告端末を叩きながら呟く。
「加えて意味わかんないモン拾って、そのうえ空っぽのギアにぶち込んで動かしちゃったんだから
な……」
「そりゃ俺らもこうして謹慎ってわけだよなぁ。ほら、これがその報告書」
カイルは顔も上げず、モニターをタップしてスクロールバーを指差す。
しばらくして彼はちらりとダリオの方を見やる。
「……なんなんですか? その分厚い紙」
「お前と同じ、報告書だよ……。俺は元々ドラウスト圏出向だからな。あそこはまだ“紙で提出する
のが礼儀”なんだよ。技術のネルヴェリアと違って、あっちは理屈より行動がすべてって文化だから
な」
大きなため息をついて、机に積まれた紙の山を見下ろす。
「紙!? 技術大国アグノテウムが紙媒体!? いつの時代ですか!? 西暦ですか!?」
今にも転げ落ちそうな勢いで飛び込んできたカイルが、額に汗を浮かべながら叫ぶ。
「うるせぇ! そんなもん、カティス・ヴェルドライン局長に聞きやがれぇ!!」
ダリオが怒鳴り返すと、カイルは「うわ、やっぱ中尉こえぇ……」と背筋を縮めた。
そんな賑やかなやりとりを横目に、部屋の隅ではリアナ・ヴェレシアがモニター端末を覗き込んで
いた。
「……うるさいなぁ。そんなことより、シオン……大丈夫かしら」
彼女はぼそりと呟いた。
「……あれから数日経ってるけど、音沙汰ないし」
リアナの言葉に、ダリオは端末を閉じてから椅子にもたれかかる。
「まぁ、こっぴどく怒られはするけど……大丈夫じゃないか?
この銀河はなんたって――」
──
──ネルヴェリア機構 本部 第六棟・下層特別会議室。
壁面に機構章を掲げた、無機質でありながら威厳漂う室内。重い空気が漂う中、会議卓には五
人の姿があった。
一人はグラン・マルティノ大尉。Dev-3小隊を率いる実直な軍人。
一人はその副官にして技術士官、今回の“騒動”の張本人であるシオン・エイセル。
そしてその対面には、ネルヴェリア機構の中枢を担う三名の重鎮。
中央開発総局長にしてアグノテウム技術政策の最高責任者、ケル・ザナフ。
次世代エネルギー応用課長、ライア・エルドヴァ。
そしてシオンの元直属上官である理論物理解析官、ノア・ヴェリスト。
淡く光るホログラフの上には、出撃時の記録映像が再生されていた。
漆黒の空を滑る未登録のギア。動作中に観測された光の歪み、異常加速、そして焼け落ちる試
作兵装―
「……以上が、Dev-3小隊によるセリグマ律廷との交戦記録、および識別不明エネルギー使用時
の挙動ログです」
ライアの冷静な声が、室内に淡々と響いた。
「この映像が示しているのは、未登録・未認可技術の実戦投入。そしてその結果として、通信障害、
兵装焼損、反応波形の異常。いずれも正規の技術応用とは著しくかけ離れています」
グラン・マルティノ大尉が、低く口を開いた。姿勢は正しているが、その声音には苦悩がにじんで
いた。
「……ご指摘の通りであります。ただ、確認いただきたい点もございます」
彼は一呼吸置いてから、言葉を続けた。
「我々Dev-3小隊における新型機体およびエンジン開発は、いずれも事前に上層部の許可を得
ておりました。ですが、本作戦中に発見された未知のエンジンコアに関しては、認可も手続きも経
ておらず、使用判断は現場の独断によるものです」
「それこそが問題なのです」
ライアが即座に応じる。感情を排したその口調は、却って鋭かった。
「登録前のギアに、出処も性質も不明な外部コアを接続し、即座に起動――軍規違反も甚だしい。
結果として、貴方は自軍の兵を、制御不能の賭けに晒したのです」
「……承知しております。軽率だったとは思っておりませんが、命令系統を逸脱した行動であること
は否定いたしません」
グランは姿勢を崩さぬまま、しかし声の温度をほんの少しだけ上げた。
「ただ、あの場で我々が直面していたのは、セリグマ律廷でした」
その名が出た瞬間、空気がわずかに動いた。
「彼らは狂信に突き動かされた特殊部隊であり、極めて高い戦術連携と攻撃性を有しています。
加えて、当時我々の兵装は既に多数が損耗しておりました。通常の装備、通常の判断では―
壊滅は免れなかったものと認識しております」
言い終えたあと、グランは一瞬目を伏せる。
「“何をしてでも生き延びろ”というのが、あの瞬間の私の全判断でした。……それ以外に選択肢は、
ございませんでした」
「その判断を軍規で正当化するのは難しいと申し上げています」
ライアの声が静かに重ねられる。
「“何をしてでも生き延びろ”というのが、あの瞬間の私の全判断でした。……それ以外に選択肢
は、ございませんでした」
グランの言葉が終わるより早く、ライアが切り返す。技術者特有の冷徹さと理詰めの正義感が、そ
の声に色濃くにじむ。
「その“選択肢がなかった”という言葉が、どれだけ危険な前例となるか、貴方はお分かりです
か?」
「突発的に得た正体不明の物体。それを、検証も認可もされていない状態で、未登録の試験機に
接続して実戦投入――。その判断が許されるなら、我々の管理体制は何のためにあるのでしょう」
会議卓に沈黙が落ちた。その中で、シオンが静かに口を開く。
「……おっしゃる通りです。軍規を逸脱した判断だったことは、重々承知しております」
彼は両手を机の上でそっと組み、目を伏せたまま続ける。
「ですが、あの場で私たちには――他に手段がございませんでした。敵戦力と状況を考慮すれば、
既存の装備では持ちこたえられなかったと判断いたしました」
その声は小さく、しかし震えてはいなかった。
向かいの席に座るノア・ヴェリストが、軽く端末を操作しながら静かに口を挟む。
「報告書によれば、今回接触した敵性存在は“アークラ”と呼称されていたな。
出処も目的も不明……だが、我々の理論で仮説的に想定されていた存在形態と、完全に無関係とも言い切れない」
「“名称”があれば、安全に扱えるとお考えですか?」
ライアが皮肉まじりに言い放つ。
「構造も出自もわからない技術を、そのまま起動して“奇跡的に成功した”からといって、正当化さ
れるわけではありません」
沈黙が落ちる中、ケル・ザナフが静かに端末を閉じ、席を立った。
「技術は、原則として奨励されるべきだ。危険を伴うならば、それを制御するのもまた技術の役割」
「……我々アグノテウムは、過去、幾度となくその道を選んできた」
そして、はっきりとした声で告げた。
ケルは端末を操作し、壁際のホログラフ表示にコードと命名を浮かび上がらせた。
「本件技術にコードを与える。試験的に採用し、今後の研究および運用は Dev-3 小隊に統括を任
せる」
ケルは端末を操作し、壁際のホログラフ表示にコードと命名を浮かび上がらせた。
「本件技術にコードを与える。試験的に採用し、今後の研究および運用は Dev-3 小隊に統括を任
せる」
「コード名称は――“Imaginary Expansion Scale Substance”。通称、I.E.S.S」
表示された名称が、無機質なフォントで静かに発光する。
“Imaginary”――現実ではなく、空想の産物。
続く語が示すのは、形を持ち得ないものが、物質として拡張するという、あまりに不確かな概念
だった。
その構成に、距離と皮肉がにじんでいた。
未知の現象に名を与えながらも、それをどこまでも“仮”として扱う態度。
力が現実に作用したという事実よりも、それが“枠外のもの”であるという立場を崩さない。
与えられたのは、信頼ではなかった。仮の名と、居場所にすぎない扱い。 ――それが、“I.E.S.S.”という呼称に込められた、本部の認識であり、限界だった。
それは、後に“虚構の心臓”と呼ばれるエンジンの、最初の命名だった。
軍法会議を終えた帰路――コロニー内の中央搬送通路には、少しだけ重たくなった空気が残っ
ていた。
グラン・マルティノとシオン・エルセイは、言葉少なに並んで歩いていた。
制服のまま、背筋を伸ばしてはいるが、どこか足取りは抑え気味だ。
「……今後の任務は、追って上層部から連絡があるそうだ」
グランが、不意にそう呟いた。
シオンはその言葉に頷くだけで、特に返事をしなかった。
ふと立ち止まり、コロニーの外が見える展望窓へと目をやる。
眼下に広がるのは、オービタリス・クラウン―
アグノテウム中枢が所在する、最上環軌道コロニー群の冠。
地球に代わる、人類の主要生活圏でもある。
その中心から、まっすぐ下へと伸びるのは、地球と接続された天柱構造――クラウン・ピラーだった。
いまや、地表との往来はわずかとなった。
……それでも柱は、ただそこに立ち続けている。
まるで、空に突き刺さった一本の光の杭。
「……学生のころ、教科書で読みました」
シオンがぽつりとつぶやいた。
グランが視線だけで彼を見やる。
「クラウン・ピラーが、一度だけ襲撃されたことがあるって」
「……あぁ」
グランが静かに応じた。
「“異端者の侵攻”――そう記されていました。
襲撃を仕掛けたのは、セリグマ律廷。」
「それに――アークラっていう、得体の知れない脅威も増えて。
あいつらがどこから来て、何を考えてるのかも分からないまま……こんな奴らがまだ生きてて、
これからも何をしてくるのかも分からなくて。」
シオンは、自分の言葉に戸惑うように、声を少し落とした。
「ただ“戦う”って言われても、どこに向かってるのか分からない時があるんです。
いくらギアを動かしても、怖いです。正直……」
俯いたまま、彼は吐き出すようにそう言った。
グランはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「――だから、我々は技術を進歩させるんだ」
その声は、まっすぐで、澄んでいた。
「不安という暗雲を晴らすために、技術で光を照らす。
それがアグノテウムの原点であり、誇りだ。
……お前は光となれ、カイル」
シオンは目を閉じ、もう一度正面を向いた。
「……はい」
その声は小さかったが、確かに震えは消えていた。
ネルヴェリア機構 技術部隊本部基地・第7区控室。
帰還したグランとシオンが扉を開けると、さっきまで賑やかだった室内が、ぱたりと静まり返った。
一瞬の間―
先に声を出したのは、リアナだった。
「……おかえりなさい」
少しだけ、ほっとしたような笑みを浮かべながら。
「お、ヒーロー様のお帰りだな!」
すかさずカイルが口火を切る。
「で、どうすんだ? あれは解体か? 小隊は解散か? それとも左遷か?」
軽口を叩きながら、いつも通りの調子で室内に溶け込んでいく。
ダリオは書類の山に囲まれたデスクで、ちらりとこちらを見たものの、何も言わず報告書を書き続
けている。
カイルがさらに何か言おうとしたとき―
先に口を開いたのは、グランだった。
「……軍法会議の内容は、すべてここに記載している」
そう言うと、端末の表示をスクリーンに映し出す。
「小隊は存続。降格も、処分もなし。
アークラのコアエンジンを改修したギア――あれは我々が継続して試験・調整・運用する。
開発・管理責任は当小隊にあると正式に認定された」
カイルとリアナは、一瞬ぽかんとした顔を見合わせる。
ダリオが、手を止めずに片目を向けて言った。
「……だから言っただろ?」
その口元には、珍しくニヤリとした笑みが浮かんでいた。
リアナが、スクリーンの情報を眺めながらぽつりとつぶやく。
「改修エンジン名称は――Imaginary Expansion Scale Substance。コードは、I.E.S.S……」
「妄想ねぇ……」
ダリオが、苦笑まじりに肩をすくめる。
「かぁ~、結局空想のままじゃねぇか。お前のおもちゃはよ!」
カイルがそう言って笑い、部屋の空気がようやく柔らかく戻っていく。
その横で、グランがゆっくりと呟いた。
「――名は」
その言葉に、シオンがわざとらしく肩をすくめ、声を張る。
「イマジディア」
誰が笑ったかはわからない。
それでも、確かにその声が、小さな光のように響いていた。
けれどその名は、確かに小隊の中に響いて、静かに染み込んでいった。