【第一章:夢と歯車(Gears of a Dream)】
宇宙に浮かぶ艦のなか。
それは、何も起きていない時ほど、妙に広く、妙に静かだ。
重力制御の効いた小型艦「アルヴィエル」の格納区画では、
試験的に設置された一基のコアユニットが、沈黙を保ったまま、ただそこにあった。
このアルヴィエルは、居住性こそ最低限だが、格納ベイだけはやたらと広く――
技術試験小隊にとっては、ありがたい“作業空間の塊”だった。
その中央、肩を丸めながらユニットと向き合っていたのは――シオン・エイセル。
アグノテウム技術試験小隊Dev-3所属の技術士官であり、機体設計とエネルギー理論を専門とする。
さらに、自身が開発に関わる新型機体のテストパイロットも兼任しているという少し風変わりな技術者だ。
周囲からは“整備室に住んでいる”と揶揄されるほど、彼はこの格納区画に長く居続けていた。
配線調整のデータを片手に、指先だけで機器の端子をなぞっていく。
「……応答なし。エネルギーフロー、ゼロ……」
ぼそっと、空気に溶けるような声。
「今日もちっとも光らないな」
数百回目の起動試験。
数値は正しくても、出力はゼロのまま。
薄明かりの格納区画には、剥き出しのギアフレームが一機、天吊り架台に吊るされたまま、静かに沈黙していた。
動力部の背面にはぽっかりと空洞が空き、本来そこに収まるはずのコアユニットは、既に取り外されている。
――そのユニットが今、別の作業台の上で、仮設電源と仮設フレームに固定されたまま、微かに通電を待っていた。
床にはケーブルが縦横無尽に走り、補助モニタが点滅を繰り返す。
それはまるで、返事をくれない誰かと、それでも会話を続けようとするような時間だった。
「言っただろ、そんなもんで光るはずがないって。そんな未完成をずーっといじくり倒してるから、うちのDev-3小隊は**“デブデブ小隊”**とか言われんだよ」
「……は?」
シオンの手が止まり、わずかに肩が跳ねた。
声がして、カイル・ブロムが工具箱を片手にふらっと現れた。
Dev-3小隊所属の整備担当――陽気で騒がしく、どこか憎めない性格の持ち主。
整備室のどこにいても、ちゃっかり何かをいじっているタイプの男だ。
「言われてるのか、それ?」
「言われてんだよ! しかも正式中隊のやつらに! 整備場で“あーあのとこ、デブデブのDev-3ね”って、普通に!」
「それ、お前が広めてんじゃないのか?」
「……いや、まぁ、半分くらいはそうかもだけどよ? でも正直、あながち間違ってねぇだろ?」
カイルはシオンの工具を指差す。
「あれだぞ? 何ヶ月経っても未完成。コード無し。試験もまともにできねぇ。
“重たい問題を抱えてる”って意味じゃ、まさに太ってるんじゃねぇの?」
「……」
シオンはしばらく無言だったが、やがて静かに呟いた。
「……だったら痩せさせてやらなきゃな。俺の手で」
「おお、いいねぇ。そしたら“減量成功小隊”にでも名前変えてもらうか」
「それはそれでなんかヤダな……」
二人の笑い声が、静かな整備ベイに響いた。
ツヤのある髪を適当に撫でつけ、軽く首を傾ける。
「なんていうかさ。そもそも“仮定のエネルギー”なんだろ?
理屈は面白いけど、動かせないなら、ただの夢物語だよ」
「夢にしちゃ計算は合ってる。
あとは現実の方がこっちに歩み寄ってくれれば、文句なしなんだが」
「出たよ。歩み寄りって……お前、宇宙に向かって口説いてんのか?」
カイルは呆れたように鼻を鳴らし、ユニットの上に無造作に腰をかけそうになって、あわてて足を止めた。
「つーか、エーテルってアレだろ。今じゃ“存在しない”って決まったやつじゃねぇの?」
「“今の常識”でな。けど、理屈上は、全否定されてるわけじゃない。
観測できないだけで、運動エネルギーに影響してる可能性は――」
「はいはいはい、でた観測不能。都合のいい便利ワードきました~」
カイルは両手を投げる仕草をして、苦笑する。
「シオン、お前の考えてることってさ、いつも“動いてないけど動いてるかもしれない”とか
“そこにあるけど見えないかもしれない”とか、幽霊の研究と大差ねぇぞ」
「幽霊よりはマシだろ。こっちはちゃんと計算式がある」
「でも出力はゼロ」
「……今のところはな」
カイルが肩をすくめる。
「俺はな、シンプルでいいんだよ。
光ったらすごい、動いたらすごい。それまではただの鉄の塊。
この世には、動いて初めて意味があるものってのが、あるんだよ」
「……それでも、もし動いたら?」
「そんときゃ手のひら返すわ。今度はちゃんと“すげぇ”って言ってやる」
そんな軽口を交わす二人の元に、ひょこっと現れた声がある。
「……また遊んでるんだから」
リアナ・ヴェレシアが、工具ラックの影からそっと顔を覗かせた。
Dev-3小隊のオペレーション補佐を担当している、小柄で落ち着いた印象の女性だ。
制服の袖を軽くまくり、少し呆れたように、それでいて優しげな口調だった。
「いつもそう。二人が言い合い始めたら、作業の進みが半分になるの」
「進みってほど進んでねえだろ、これ」
「そんなことないよ。……ほら、シオンだって、ちゃんと向き合ってるんだし」
ふと、言葉の調子が変わった。
リアナは手に持っていた整備タブレットを胸元でそっと抱えるように持ち替え、
視線をそらすようにしながら、ちらりとシオンの横顔を盗み見る。
「……君のそういうところ、ちょっと、すごいと思うから」
言葉を置くようにそう告げてから、そっと口元に髪をかけ直す。
それは癖のような仕草だったが、耳が少し赤く染まっているのが見えた。
その横顔を見つめながら、リアナはほんの一瞬、心の中で呟いた。
(……きっと、彼には“信じたいもの”があるんだろうな。――そう思わせる何かがある)
「ん?」
シオンが顔を上げかけたところで、カイルが横からニヤニヤと顔を突き出した。
「おっと、なんだなんだこの空気。俺、そろそろ目線そらした方がいいか?」
リアナの顔がぱっと赤くなる。
「ち、違っ……もう、からかわないでよ!」
「はいはい、わかりましたわかりました」
カイルが手を挙げる。面白がってる様子は隠す気もない。
空気が少しだけ和らいだその時、リアナが何かを思い出したように口を開いた。
「……そういえば、さっき通信で例規通達が入ってたよ。No.06-17」
「またスカーヴァン絡みの揉め事? しょっちゅうだろ、あの辺」
シオンは、興味なさそうに端末を閉じながら言う。
「えっとね、内容はまだ全部見てないんだけど……なんか、ちょっと雰囲気が――」
言いかけた彼女の言葉を、低く響く艦内アナウンスが遮った。
《通信コードF23、技術試験小隊Dev-3。管制室より通達――
グラン・マルティノ大尉の命令により、ただちに指令室へ集合せよ。繰り返す、Dev-3小隊は……》
一瞬、空気が止まる。
いつもより明らかに固い口調。
軽い連絡放送とは違う、“公式命令”としての響きだった。
「うわ……俺たち宛てで合ってるよな?」
カイルが声を低める。
「珍しい……グラン隊長って、めったに直接呼ばないよね……?」
シオンも、どこか警戒するように端末を再び起動し直した。
さっきまであった軽口はもうどこにもなかった。
……その一報が、すべてを変えた。
暗く沈んだ空気をそのまま引きずるようにして、三人は指令室へと向かった。
指令室に射し込む照明は、他の区画よりも幾分か白く、冷たかった。
天井から垂れた情報パネルが、各部隊の現在状況を淡々と映し出している。
「……試験機 02系、やっぱり初動出力が不安定だな」
「出力ライン、まだ調整効かないんじゃないですか? 起動時の揺れが大きすぎる」
艦内の一角でデータを確認しているのは、Dev-3小隊のグラン・マルティノ大尉と、
その部下であり、同じく小隊に所属するパイロット――ダリオ・レーン中尉だった。
「補助リアクター、替えてもらうか……。あれじゃ量産試験には回せないな」
「その判断、上も納得してくれるといいですけどね」
グランは顎に手をやり、無言で頷く。
そのすぐ後、司令室のドアが静かに開いた。
「失礼します!」
先頭で声を上げたのはカイル。続いてリアナ、そしてシオンが入室する。
普段の整備室や作業区画とはまるで違う空気。
無機質な白の壁面と、簡素すぎる照明――この場所が、遊びや実験とは異なる場所であることを、空気が語っていた。
「……座れ」
短い指示に、三人は互いに顔を見合わせてから、並んで着席する。
端末パネルが眼前に浮かび、次の瞬間、データが表示された。
「これ……例規通達の、06-17……」
リアナが、かすかに眉を寄せる。
「通知は届いてるな。内容の詳細を、こちらから伝える」
グランが資料を一瞥しながら、重く口を開いた。
「国家管轄外宙域で任務中だった**第二戦術中隊が、通信途絶。
戦術ログと緊急信号の断片から――**現時点で壊滅と判断されている」
静かだった空気が、凍りつくように変わった。
「そんな……壊滅って……」
リアナが動揺し、声を震わせる。手元の端末がかすかに揺れた。
――第二戦術中隊。あの中に、彼女と訓練時代を共に過ごした仲間がいたはずだった。
名簿はまだ確認できていない。でも、予感だけが胸を締めつける。
カイルが隣からさりげなく手を伸ばし、そっと彼女の腕を支える。
彼は黙っていたが、口を開かずともその表情が“察して”いた。
一方、シオンは静かに口を開いた。
「すみません。……敵勢力の構成は?
兵装、搭載艦のサイズ、動力系の特性――」
「今はそういう話じゃねえだろ!」
カイルがついに声を上げた。
普段は冗談混じりに抑えている声が、今だけは真っ直ぐだった。
「リアナが動揺してんのが見えないのか? 今考えるべき問題は違うだろ、シオン」
シオンは視線を下げたまま、言葉を返さない。
ただ、目を伏せたまま言葉を飲み込む。
なぜ真っ先に“動力”の構成を考えたのか――自分でも、よくわからなかった。
ただ、どこかで“それが知りたい”という衝動があった。
まるで、現実の破片を拾って、自分の仮説に繋げようとするかのように。
すると、正面で腕を組んでいたグランが、軽く咳払いをした。
それだけで、空気が静かに落ち着く。
「――沈静に感謝する。では、続けよう」
「第二戦術中隊に続き、同宙域で展開していた中隊も交戦後に沈黙。
支援に向かった大隊主力は半壊。
敵勢力は現在も正体不明、出現経路・目的不明、通信反応なし」
その言葉が、ゆっくりと、重く部屋に沈んでいく。
「現段階では敵の全容は把握できていない。
ただし、遭遇の可能性があると認識しておけ。
例規通達 06-17に基づき、接敵の際は回避を最優先、報告を即時に行え。
繰り返す――戦うな。退け」
「……了解しました」
ようやくリアナが息を整え、姿勢を正す。
カイルも短く返答し、正面を向いた。
一方のシオンは――まだどこか浮いていた。
彼だけが視線を落としたまま、何かを考えているようだった。
その後頭部に、ぽん、と軽く手が置かれる。
「エルセイ。お前な」
叩いたのはダリオ中尉。にこりともしない顔で、だが声音には険しさがなかった。
「技術に呑まれるのは悪いことじゃない。
ただ、それで周りが見えなくなるなら……それは“研究”じゃなくて、“独り言”だ」
言葉の意味を噛み砕く間もなく、ダリオはふっと目線をそらし、リアナとカイルを交互に見やった。
「……誰がいて、何があって、何が起こりかけてるか。
全部を同時に見ろとは言わん。でも、そこにいる意味は、忘れるなよ」
それは叱責ではなく、たしかな忠告だった。
……その言葉は、まるで胸の奥に静かに沈む鉛のようだった。
シオンは、答えを返さなかった。ただ、わずかに視線を落とし、何かを噛みしめるように息を吐く。
技術にのめり込むあまり、周囲が見えなくなる――
その指摘に、否定はできなかった。
けれど。
それでも、見ようとしている“何か”が、きっとある。そう信じたかった。
ダリオの言葉が去った後の静けさが、どこか優しく思えた。
静けさの中、彼の胸には、まだ名もない答えが、小さく息をしていた。