第99話「玉」
「……このあたりでいいかな」
破壊された壁は運動場に面したものだったため、さほど時間をかけずに校舎から距離を取ることができた。自身の一助となった偶然に感謝しつつ、風太は図書室の方面へと向き直る。
「さて、どうしようか」
今も尚広がり続けている穴から、風太の後を追うようにして、さりも姿を現していた。
取り急ぎ行うべきは、暴走しているらしい彼女の沈静化だ。だが、その結果を確実に得られるような方法が、彼には思いつけずにいる。
「多分、神器が悪さをしてるんだろうけど……第三者の介入、って線は考えたくないなあ」
神器を取り外そうとしたことで彼女の暴走が引き起こされたと見て、間違いないだろう。問題は、それが権能とやらによるものなのか、はたまた悪意ある第三者の目論見によるものなのか判別できないことだ。
(……みんなは、いないみたいだね)
付近に、二人以外の姿は見えない。
旧校舎に阻まれているために確認できないが、恐らく、紫穂をはじめとする自警団員は既に正門へと集合しているのだろう。
運動場からはそれなりに距離が開いているため、突然の轟音を耳にしたことで向かってきていたとしても到着には時間がかかるはずだ。
(一人は不安だけど……まあ、これはこれでいいか)
仮に、さりの姿が今も見えていないとしたら、戦力の増加は見込めない。それどころか、足手まといになる可能性すらあるだろう。
強いとは決して言えないはずの自分が、まさかこのような考えに至るとは。人生何が起こるかわからないものだと思い、風太は微笑を浮かべる。
「まあ、やれるだけやってみるしかないね」
何者かが裏で糸を引いているとしたら、さりと戦ったところで解決はしないかもしれない。だが、彼女をこのまま放置していては余計な被害を招きかねないだろう。
今、彼女を抑えられるのは、自分だけ。怯んでいるわけにはいかない。
「じゃあ、行くよ!」
来た道を引き返すように、風太は駆ける。
両者の距離は五十メートル程。身体能力が高くない彼と言えど、全力疾走であれば詰めるまでに十秒とかからない。
ただ、それは最短経路を進むことができたならの話だ。
(やっぱ来るよね……!)
進行方向に、魔法陣が展開される。直後、その中心から錆びた槍が射出されて風太へと迫った。
恐らくは、触れたものを腐食させる効果があるのだろう。先程貫かれた壁の惨状から、彼はそう推測していた。
掠めただけで致命傷となりかねない一撃。なんとしてでも、回避しなくては。
「……っセーフ!」
寸前まで引きつけてから身を捻ることで、回避による減速を最小限に留めた。
相手の攻撃は素早いが、注意深く観察していれば充分に躱しきれるものだ。それを自ら証明できたことで、風太の心に僅かな余裕が生まれる。
この調子で行けば────彼が抱いたそんな期待は、無情にも即座に打ち消されることとなった。
「増えた!?」
前方に二つ、足下に一つ。計三つの魔法陣が展開される。
大きく動かなければ躱せないであろう、位置と角度。魔力量の少なさ故に温存しておきたいと考えていたが、風太は魔法の行使を余儀なくされた。
「そおいっ!」
左腕を横に伸ばし、掌の先から風を放出する。その勢いによって、風太の体は右方向に加速した。
直後、つい先程まで自身がいた位置で三本の槍が交差する瞬間を見たことで、彼は肝を冷やす。だが、すぐに視線をさりの方へと戻し、接近するための行動を再開した。
(平面での移動だけじゃ駄目だ……!)
攻撃を掻い潜るためには、上下左右、立体的な動きで相手を撹乱する必要がある。ただ、風属性の魔法だけでは満足に飛行することはできないだろう。そう判断した風太は、走りながら全身に熱を滾らせた。
「いっけえ!」
新しく出現していた槍を、飛び越えるようにして躱す。舞い上がった風太の両手足には、赤い炎が揺らめいていた。
火属性の魔法だ。より正確に表現するならば、彼は今、二つの属性を併用し、炎の風を発生させて自身の推進力として利用している。
(よし、成功した!)
一生命体が宿せる魔力の属性は、一つだけ。その通説を、風太は血の滲むような特訓の末に覆していた。
習得までの一連の流れを公表するまでは使用を控えるようにと、山盛高校の魔法学指導教員である火野蒼から言いつけられていたが、今回は止むを得ないだろう。命がなければ、小言すら聞くことはできないのだから。
(さりちゃんは……反応なし、か)
抑えきれない力によって苦しめられているためか、さりは俯いていて、その視界に炎が映ってはいないようだった。恐らくは、魔力反応の差異を認識する余裕もないだろう。
(少しでも動揺してくれたら良かったんだけど……おっと)
僅かに意識を逸らした瞬間、それが魔力の制御にまで影響を及ぼしたらしく、四点から放出している炎が大きく乱れた。
その隙を突くかのように、彼の周囲で魔法陣が次々に出現する。
「まだ増えるの!?」
思わず叫ぶ風太。炎を安定させつつ、回避に専念する。不慣れな飛行ながらも、どうにか相手の攻撃から逃れることができていた。
だが、一向に距離を詰めることができない。先程から、さりの周囲を回され続けている。
(先に魔力切れになるのは僕、だよね)
火属性のそれを新たに得ても尚、風太の魔力総量は平均以下しかない。彼自身それを理解できているため、相手の魔力切れを狙う気にはなれなかった。
(早いところ、決着を付けないと)
そう思うのには、魔力量以外にも要因がある。
さり自身の限界だ。彼女は無理に力を引き出されているらしく、今も風太の視線の先で苦しんでいる様子だった。これ以上長引かせて負担をかけ続ければ、彼女の身に重大な被害が生じる可能性も考えられる。
(でも、近づけなきゃ話にならない……!)
暴走の原因が神器にあるとすれば、この場で解決できるかもしれない。たった一つだけだが、風太はその術を思いついていた。
あとは、どう接近するか。
回避に意識の大半を割きながらも懸命に思考を巡らせていたが、視界の端に見覚えのある紫を捉えたことで、彼は頭の働きを一瞬停止させられる。
「赤城君!」
気のせいだと思いたい。だが、そうではなかった。声が聞こえた方、図書室に開いた穴の辺りから、その主と思われる紫髪の少女、氷見谷紫穂が走ってきている。
(紫穂ちゃん!?)
「赤城君、いったい何が起こってるの!?」
飛び回る風太を目で追いながら、大声で尋ねる紫穂。即座に参戦しないあたり、さりのことも、次々に現れては消えていく槍のことも、認識できていないのだろう。
それでは、駄目だ。
風太が撤退を指示しようと考えたその時には、既に彼女の周囲で五つの魔法陣が展開されていた。
見えていても間一髪で躱すのがやっとの攻撃。さりの魔力反応すら感知できていない様子の紫穂では、回避は困難だ。
ただ、救出も間に合いそうにない。彼女自身が何かしらの行動を取らなければ、串刺しになることは免れないだろう。
どう声をかければ危険が迫っていることに気づけるか、彼は短い時間で必死に知恵を絞った。
「紫穂ちゃん! 全方位防御!」
互いに、馴染み深くはないはずの言葉。
だが、聞き漏らすことも理解に苦しむこともなかったようで、紫穂は即座に球状の氷で自身を覆い隠し、直後に射出された槍を防いでみせた。
(良かった……って、安心してる場合じゃないな)
槍は氷の壁を破壊することこそできていないものの、甲高い音を立てながら尚も攻撃を続けている。時間が経てば、腐食して脆くなった箇所を容易に貫いてしまうだろう。
(ピンチはチャンス、って思うことにしようか)
風太は、自身に迫る攻撃の勢いが軟化していることに気づいた。五本もの槍が紫穂へと割り当てられているためにそうなっているのだろう、とも。
ならば、今が好機。仲間の窮地を利用する罪悪感など覚える暇もなく、彼はさりのもとを目指して飛行する。
(……助けになるって、約束したからね)
全てが終わったとき、いたいけな少女が自らを過度に責めないように。誰の限界も、迎えさせるわけにはいかない。当然、自身のことも勘定に入れながら、風太は全力を振り絞った。
そして、ついに、その手が届く。
「捕まえた」
滑り込むようにしてさりの眼前に着地した瞬間、風太は彼女を優しく抱き寄せた。懐に入り込んだためか、槍による迎撃はない。
「ごめんね、待たせて」
さりの冷たい体温と自身の熱が循環するのを肌で感じながら、風太は彼女に囁いた。それから、一度深く瞬きをし、暴走の元凶と思われる『それ』へと意識を集中させる。
「三種の神器、八尺瓊勾玉よ……そこは、お前の居場所じゃない」
望む者のもとに現れるという仮説が正しければ、図書室内でのやり取りの時点で問題なく回収を済ませられたはずだ。
だが、そうはなっていない。
この事態を招いた理由として考えられるのは、二つ。
一つは、さりが神器を諦めきれていなかった可能性。もう一つは、風太の中に、『神器を無理に回収しなくてもいいのでは』という甘い考えが少なからず存在していたこと。
それらすら、結局は憶測でしかない。だが、だからこそ彼は試す。
少なくとも、先程伝えたあの言葉には一切の嘘偽りがなかったと、証明するために。
「僕と共に、来い」
そう語りかけた後、神器から発生した赤い輝きによって風太の視界が奪われる。次に彼が目を開けたとき、そこに映っていたのは、穏やかな寝息を立てる少女の姿だった。
「無事、みたいだね……ん?」
直後、風太は自身の胸元に違和感を覚える。
そこには、つい先程までさりが身につけていたはずの神器、八尺瓊勾玉が存在した。
「こっちも、なんとかなったか……うん、取り外しも大丈夫、と」
首から吊り下げられたそれを試しに取り外してみたが、特に異変は生じていない。権能の使用ではなく、あくまで回収が目的である、という点が影響しているのだろう。
「赤城君!」
さりを挟んだ向こう側から、声が聞こえる。視線を向けたことで、風太は紫穂が自身の方へ駆けてきていると確認できた。
術者の気絶によってか、槍は全て消滅している。どうやら、それらが氷の壁を突破することはなかったようだ。
「紫穂ちゃん、大丈夫だった?」
息を切らしてこそいるものの、紫穂の体に外傷は見受けられない。ただ、猛攻を防ぎきる魔法の行使による負担は決して小さくなかっただろうと、風太は彼女を心配していた。
「う、うん。私はなんとか……赤城君は平気なの?」
「正直めちゃくちゃきつい……けど、一応無事だよ」
不慣れにもかかわらず異なる属性を併用した代償は大きく、風太の肉体は裂傷のような痛みと熱によって内側から襲われている。それでも、微笑みながら言葉を返す程度の余裕は残っていた。
「……さっき言ってたのは、その子のこと?」
紫穂の視線が、風太からややずれる。彼の腕の中で眠る金髪の少女を、彼女はようやく視認できるようになったらしい。
「うん。神器の権能か、この子の魔法か……そのどっちかのせいで、見つけられなくなってたみたい」
透明化と、槍。どちらが神器の権能なのか、確かめることはできなかった。
現在の所有者である自分が紫穂の目に映っているということは、後者がそうなのだろうか。風太はそう考えたが、この場での検証はしない。自分まで暴走させられては、今度こそ収拾がつかなくなると理解していた。
「でも、どうして赤城君にはそれが効かなかったんだろう」
「思い当たる節はないな。まあ、さりちゃん……この子が起きれば、何かわかるよ。多分」
というか、と続けながら、風太は視線を持ち上げる。
「紫穂ちゃん、なんで図書室の穴から出てきたの? 音を聞きつけて戻ってきてくれたんだってのはわかるんだけど……正門からこっちまで直接向かってたら、図書室通らなくない?」
「どの辺りから音がしたのかまではわからなくて……とりあえず、赤城君がいたはずの図書室まで向かったの」
「なるほどね……まあ、よく考えたら別におかしなことでもないのか」
紫穂の視点からは、騒動の正確な場所などわからないのだ。位置関係を考慮すれば、先に図書室を経由するのも充分納得がいく。
すぐにそう思い至れなかったのは、疲労が原因か。どうやら、風太は自らが思っている以上に無理をしていたらしい。早急に休息を取る必要がありそうだった。
「他のみんなは、まだ正門に?」
「うん。全員で風太君の所に戻るのは危険だと思って、待機してもらってる。異常を察知したらすぐ逃げるよう伝えておいたけど、多分、まだ残ってると思うよ」
「そっか。紫穂ちゃんが色々動いてくれたおかげで助かったよ。ありがとう」
客観的に見ても、最善と思える判断。それが、思わぬ形で千載一遇の好機を作り出したらしい。
誰も様子を見に来なければ。あるいは、紫穂以外が駆けつけていたら。この結果は得られなかっただろう。素直に感謝を伝えてから、風太はさりを抱きかかえて立ち上がる。
「そんな、私は何も……」
「またまた、謙遜しちゃってえ……さて、お喋りはこのへんにして、そろそろみんなの所に戻ろうか。悪いんだけど、諸々の連絡をお願いしてもいいかな。僕は、この子を運んでいくから」
「だ、大丈夫? 私がやろうか?」
「平気平気。羽根のように軽いってのはこういうことを言うんだって感じだよ」
神器による暴走を止められただけで、さり自身が抱えているであろう問題を解決できたわけではない。そんな状態で彼女を遠ざけるのは、無責任なことのように思えてならなかった。
「あ、そうだ、僕が使ってた魔法については、他の人には内緒でお願いね。火野先生に怒られちゃうからさ」
「う、うん……」
「さあ、急ごう。きっとみんな待ちくたびれてるよ」
今の時代、どこからどのように観測されているかわからない。そう考えれば最早手遅れにも感じられたが、風太は念のため口止めをしてから歩き出すのだった。




