第88話「業」
七億の命を懸けた激闘から、早二週間。
浮遊城の攻略に一役買っても、その働きが讃えられることはない。そもそも、誰がそれを成し遂げたのかすら、大半の人間は知らないのだから。
故に、雷貴は普段どおり────いや、今まで以上に、自警団としての活動に忙殺されていた。『神』が消滅してから、騒動の件数は更に上昇していたのだ。それも、人為的に引き起こされるものに限った話ではない。魔導具の自然発生でさえも、頻発していた。
休む暇もない程の仕事量なのだが、彼はどうにか時間を作り出して、夜な夜な遠くへと出かけている。
ちょうど、今日のように。
「……ここか」
公共交通機関を乗り継いで辿り着いたのは、広大な敷地面積を誇っている、とある工場。調べたところ、数年前に廃業していて、人の出入りはほとんどないらしい。解体作業を行うための費用すら惜しいのか、何に使えるわけでもないであろう古びた建物やらがそのまま残されている。
「さてと」
正当な理由でこの場を訪れたわけではない。正面から入ることはできないため、周囲に人の姿がないことを確認してから、高い柵を上り始めた。
何度も雨風に晒されてきたためか、柵はひどく錆びついている。だが、強度には問題がないようで、雷貴が上っている途中で破損することはなかった。
「よっと」
柵の頂上から、一気に飛び降りる。上手く衝撃を殺せたのか、音が響くことはなかった。柵の向こうからでも姿は確認されてしまうため、すぐに奥へと進んで暗闇の中に身を隠す。
(いるとしたら、ここだよな……)
照明の類は一切なく、月明かりによって辛うじて周辺の様子を窺える状況だ。足下に気をつけながら、ゆっくりと進んでいく。
怪しげな雰囲気の漂う場所だが、雷貴は何も肝試しに来たわけではない。ある人物を探して、足を運んだのだ。
(セレス……)
鋭才自警団員の一人、セレスティーナ。
山盛高校の学園祭が行われた日、同校の自警団員を襲ったことでその身を追われ、逃亡の最中に何人もの命を奪った、とされている少女だ。
彼女の捜索および拘束は、任務として与えられていない。また、彼女に関することで個人的に動くのも禁じられている。それでも、雷貴はこうして密かに彼女を追っていた。ただ一人、千歳には勘づかれてしまい、再三に渡る忠告を受けていたが、のらりくらりと躱し続けて今に至る。
(犯行の分布から、大まかな移動予測は立ってる。休まず逃げ続けるなんてできるわけないから、どっかしらで身を潜めてると思うんだけどな……)
セレス自身の情報と、彼女が手にかけたとされる被害者たちの情報。その二つは、なんらかの圧力によって隠蔽されている。それが、彼女に危険が迫っていることを示しているような気がしたために、雷貴はこうして彼女を探し回っていた。
このまま彼女が警察に捕まったら、取り返しのつかないことになる。そんな予感がしていたのだ。
(……こっちかな)
思考を巡らせながら奥へ奥へと進んでいった雷貴は、いくつかの建造物の外壁によって形成された、小さな空間へと辿り着いた。学校で言う、中庭のような場所だ。
ドラム缶や鉄パイプ等、資材やら廃棄物やらが散乱するその場所には、一人の先客が立っていた。姿を隠すかのようなその黒いパーカーに見覚えがあったため、彼は警戒することなく歩みを進めていく。
「よっ」
気さくに声をかけると、その人物の体が雷貴の方へと向いた。依然として顔は見えないが、暗闇に紛れることのできないこの距離にまで達してしまえば、その正体を確信できる。
「やっと会えたな、セレス」
その沈黙は、肯定を表していたのだろう。逃亡中のはずだが、セレスはこの場を離れようとせずに雷貴と向き合った。
「……何しに来たの」
「お前と、話がしたくて」
「話すことなんてないよ」
「そうか。でも、俺にはある」
邪険に扱われても、雷貴はその笑みを絶やさない。言いたいことは色々とあったが、伝えるべきは既に決まっていた。
「この間は、助けてくれてありがとう」
そう言って、頭を下げる。
セレスがいなければ、浮遊城での戦いを制することはできなかった。まずは、そのことへの感謝を告げることにしたのだ。
「ただの気紛れだから、礼なんていらない……用が済んだなら、早く帰って」
「いや、用件はまだある」
頭を上げた雷貴は、その表情を真剣なものへと変化させてから続けた。
「山盛高校の学園祭以降に発生してる、連続殺人……その犯人は、本当にお前なのか?」
あくまで、容疑の段階。世間は彼女の犯行だと決めつけているが、雷貴には信じられなかった。
情報の、中途半端な隠蔽。それは、セレスに罪を着せようとしている第三者が存在するためではないかと思えていたのだ。
そして、何より。
「どうして、そんなこと聞くの」
その答えもまた、決まりきっている。雷貴は力強い眼差しをセレスに向けながら、口を開いた。
「俺は、お前がそんなことするような奴だと思えない」
「……そんなの、勘違いだよ」
短い沈黙の後、セレスがそう返す。雷貴の記憶に残る彼女の声も確かに小さかったが、今の声は更にか細く、どこか弱々しいものに感じられた。
「気に食わない奴も、邪魔する奴も、この手で傷つける。それくらい、雷貴も知ってるでしょ」
実際に、見てしまった。自警団の活動で、相手を必要以上に傷つける彼女の姿を。
聞いてしまった。自身の大切な先輩に、彼女が襲いかかったと。それが、確かな事実だと。
「でも、殺しはしなかった」
未だ、セレスが人を殺めたという確かな証拠はない。浮遊城の精鋭を手にかけようとしたときも、雷貴の制止によって大人しく引き下がっていた。
「殺しそうになっても、踏み留まった。誰かの言葉で止まれるような奴が、あんなことをできるはずがない」
期待でも、願望でもない。セレスが連続殺人犯などではないという確信が、雷貴の中にはある。
「勘違いだって、言ってるでしょ」
「ならどうして、はっきり言わないんだよ。自分が犯人だって。自分が殺したって。そう言えないのは、それが真っ赤な嘘だからなんじゃないのか?」
反論に雷貴がすかさず言葉を返したためか、セレスは黙り込んで数歩後ろに下がってしまった。
開いた二人の距離。それを強引に詰めることなく、彼は彼女の言葉が再び紡がれるのを待つ。
「……うるさい」
振り絞るような、セレスの声。
「うるさいうるさいうるさい!」
感情が堰を切ったかのように、彼女は声を荒げた。今までにない程の声量で、同じ言葉を繰り返している。
「もうボクに構うな! 弱い奴が首を突っ込んだところで、死ぬだけだぞ!」
「そんなわけにはいかない」
激昂するセレスとは対照的に、至って冷静な状態の雷貴。初めて見る姿に気圧されることなく、彼女に言葉をかけていった。
「セレスがクロさんを襲ったのは、事実だ。その罪は、償ってもらわなきゃならない。だから、同じ鋭才自警団員の俺が、責任を持ってお前を捕まえる」
そして、と雷貴は続ける。
「お前が抱えてる問題も、解決する。仲間として、先輩として、友達として」
どうすればその望みを叶えられるかなど、わからない。想像以上の困難が待ち受けているかもしれない。それでも、雷貴の決意は変わらない。
「……ああ、そう」
そんな彼の瞳から何を感じ取ったか、セレスが呟く。直後、その手にお馴染みの大鎌が握られた。
「どうせ殺されるなら……」
いつまで待っても、その言葉の続きは放たれない。恐らくは、思わず漏れてしまった彼女の心情なのだろう。
「いいよ。その命に、刻み込んであげる」
大鎌を構えたセレスの魔力が、急激に高まっていく。フードの奥に潜む眼光は、確かに雷貴へと向けられていた。
「ボクが、死神だってこと」
未だかつて受けたことがない程の、殺気。戦いは避けられないだろうと雷貴は直感した。
ならばと、彼も臆することなく魔導具を引き抜く。魔力を込め、紫色の雷で刃を構成すると、セレスから視線を外さぬまま同様に構えた。
「俺も教えてやる。首突っ込んだぐらいで死ぬ程、弱くないってな」
「……言ってろ」
同時に駆け出す二人。刃のぶつかり合いにより、甲高い音が辺り一帯に響き渡った。




