第86話「不服にも」
「二人とも、大丈夫ですかね……」
山盛高校の保健室。ソファに腰掛ける雷貴は、俯きながらそう口に出す。
彼に続き、紫穂とつかさも浮遊城から帰還していた。重傷を負ったらしく二人とも気絶していたが、『神』が反応を示していないことから、精鋭を倒すことには成功したと思われる。
負傷者を手狭な理科準備室に寝かせておくわけにもいかないため、この教室まで移動させて応急処置を済ませた後、非常事態に備えて彼と風太の二人で警護に当たることとなった。
「大丈夫大丈夫。心配いらないって」
向かいに座る風太がそう返してくるが、その声はやや上ずっているようにも思える。やはり、彼もまた不安を感じているのだろう。未だ戻って来ていない二人は、彼と同じ山盛高校の自警団員なのだから。それを表に出すまいとしているのは、後輩を慮ってのことか。
「少なくとも、うちの生徒のなかでクロは間違いなく最強だし、そんな相手に黄田君は一度勝ったことがあるからね」
「……それ、クロさん最強じゃないんじゃ」
「いやいや、形式的な勝負でだから! ルール無用の戦いだったら、絶対にクロの方が強いよ」
慌てて訂正した後、風太は胸を張る。顔こそ見えないが、得意げになっているのは間違いない。
「……風太さんは、クロさんのこと、信頼してるんですね」
「そりゃそうだよ。友達だもん」
迷いのない返事。冗談などではなく、心からの言葉だと感じられる。癖のある先輩兼後輩に風太のような同級生がいることを、雷貴は嬉しく思った。
「なら、信じて待つしかないですね」
「だね」
戻りが遅いのは、一人で戦うことで時間がかかっているためだ。彼らの強さなら、問題なく勝利を掴み取ってくることだろう。そう信じるしか、ない。
「そういえば────」
話し始めようとした雷貴だが、すぐにその口を閉じた。
直感が働いたためだ。『それ』が始まると。
『全人類に告ぐ』
壮年、あるいは中年男性の声。老いているような印象こそ抱かせるが、弱々しさは決して感じられない。
『たった今、ある国の浮遊城に配置した精鋭が全て倒された』
名乗りを上げないのは、その必要がないからか。『神』は世間話を挟むこともなく本題に入った。
『日本だ』
どうやら、クロと大和も勝利できたらしい。ただ、どれ程の傷を負っているかわからないため、まだ安心することはできなかった。
雷貴は風太と顔を見合わせて頷きつつも、特に言葉を交わすことなく話の続きを待つ。
『約束どおり、私も戦地へと赴くことにしよう』
その言葉の直後、二人の目の前にそれぞれ魔法陣が展開された。
危害を加えてくる様子はない。魔法陣は徐々に収縮していき、輝きを増しながらある一つの物体へと変化した。
紙だ。そこには、また別の魔法陣が描かれている。重力に従って落下し始めたそれを、二人は即座に掴んだ。
『試練を突破せし勇敢なる者たちよ。術は授けた。依然、志に変わりがないと言うのであれば、我が眼前にその姿を現したまえ』
恐らくは、これが『術』なのだろう。口ぶりからして、試練を乗り越えた八人にだけ配られたらしい。
『命運は、諸君らに委ねられた』
やがて、声は聞こえなくなった。
雷貴は紙に描かれた魔法陣をまじまじと見つめた後、風太の方に視線を動かす。
「これ、セレスにも届いてますよね」
「多分、そうだろうね……」
浮遊城を訪れたということは、セレスにも少なからず、『神』への反抗心があるということなのだろう。そんな彼女が、相手のもとへ直接向かえる術を手に入れたらどうなるかは、想像に難くない。
彼女の傷も、決して浅くはないはずだ。まともな手当てを受けられる状況でない今、無茶をすることはないと思いたいが────やはりあのとき、すぐにでも探し出して連れ戻すべきだったかと、雷貴は悔いた。
「とりあえず、火野先生から指示があるまでは待機かな」
雷貴の、紙を握る力が強くなっていたことに気づいたためだろう。そこから、彼が独断で動きかねないと判断したのか、風太は牽制するようにそう告げた。
「心配しなくても大丈夫だと思うよ。こうやって一人ずつ渡されたってことは、複数人での挑戦を予定してるんだろうからね。セレスティーナちゃんが一人で向かってたとしても、役者が揃うまで神様は手出ししないって」
「そう、ですよね……」
ここで焦って飛び出しては、自分も他の誰かに心配をかけてしまうことになる。そう気づいた雷貴はなんとか笑みを浮かべ、募る不安を誤魔化した。
「まあ、全員で向かうことはないだろうけどね……」
カーテンに隠されたベッドの方へと、風太が顔を向ける。
紫穂とつかさの意識は、しばらく戻らないだろう。当然、彼女らを頭数に入れることはできない。また、今雷貴たちがそうしているように、彼女らの警護を行う者も必要になるため、『神』と戦える人員は限られてくるはずだ。
「風太さんは、まだ戦えますか?」
「うーん、正直難しそうかな。もちろん、火野先生から指示を貰えれば行くつもりはあるんだけど……時間が経って魔力もある程度回復したとは言え、元々少ない方だし……精鋭相手に使った奇襲が、『神』にも通用するとは思えないしね」
「そう言えば、あのときの魔法ってなんなんですか? 見るからに火属性って感じでしたけど」
二人とセレスが戦った精鋭、ドリー。彼女を倒す決め手となったのは、風太が使った火属性とおぼしき魔法だった。
彼に流れているのは風属性の魔力だ。そのため、与えられた魔力と異なる属性の魔法を使うことはできない、という相手の思い込みを利用した奇襲だったのだろうとは推測できる。ただ、決着が付いた後も、本来不可能とされていることを何故彼ができたのか、雷貴は答えを出せていなかった。
「火野先生との特訓の成果だよ。あ、このことは内緒でお願いね。僕みたいな例もあることを公表するまでは使うなって、火野先生に言われてるからさ」
風太が人差し指を口元に当てる。精鋭に見せてしまったことでそこから情報が流出しないとも限らないが、最善を尽くさない理由にはならないのだろう。
「わかりました。でも、特訓って────」
窮地を救われたこともあり、雷貴はここだけの秘密にすると決めた。ただ、その特訓の内容が気になって尋ねようとしたが、彼の言葉はドアが開く音と同時に聞こえた声によって遮られてしまう。
「失礼します」
声の主は、蒼だった。だが、来訪者は彼一人だけではない。
「火野先生……それにクロさん、大和さんも!」
「よっ」
気絶しているらしい大和を蒼と二人がかりで運び込みながら、クロが気さくに返事をする。彼らは目配せをすると、寝転ぶには手狭な二人掛けのソファに、大和をもたれかからせた。
「ふぃー、重かった」
クロは埃を払うように手を叩いてから、開きっぱなしになっていたドアを閉める。それから、再び三人の方へと向き直った。
「クロ、大丈夫? 無理してない?」
風太が声を震わせながら尋ねたが、無理もないだろう。
クロの制服は赤く染まっていて、別物へと変わり果てていた。損傷もひどく、至るところから彼の地肌が見えてしまっている。
その割に何故か彼は元気そうだが、少なくとも、戦闘中は相当な無茶をしたらしいことが窺えた。
「ああ。傷は治ってるから、心配いらない。黄田も……まあ、平気だろ。二人は大丈夫だったか?」
「うん。俺たちの方は、後から助っ人が来てくれたからね」
「助っ人……?」
「……全員集合したことですし、早速本題に入りましょうか」
もしセレスが一足先に『神』のもとへ向かっているとしたら、彼女の参加をクロも遅かれ早かれ知ることになるだろう。そう考えての言葉だったが、蒼によって話を逸らされてしまった。
他に話し合うべきことがあるのは事実であり、クロが不満を覚える様子もなかったため、雷貴もまた続く言葉を待つことにする。
「さて、いよいよ『神』と接触できるようになったわけですが……藤咲さん。先程仰っていた頼みというのは、それに関することですね?」
頼み。浮遊城に向かう前の会話でそれらしき発言はなかった。恐らくは、ここに来るまでの間に二人で何か話していたのだろう。そう考えながら、雷貴はクロへと視線を向ける。
「……奴の所には、俺一人で向かわせてもらいたいんです。それも、今すぐに」
首を縦に振り難い提案だ。だが、クロの表情が真剣そのものだったため、言い分も聞かずに拒否することは雷貴にはできなかった。
「容認できませんね。いくら貴方が戦闘に慣れているとは言え、『神』相手に一人で挑むのは無謀の極みです」
「そうだよ、僕らも一緒に……」
「先生ならまだしも、二人じゃはっきり言って足手まといだ」
クロと蒼の強さがこの場にいる七人のなかで数段上にあることは、共通の認識だ。ただ、彼が問題視しているのは純粋な地力だけではないだろう。
比較的軽症、というだけで、雷貴と風太の傷も決して浅くはない。少なくとも、クロが一目見てわかる程度には。
「今すぐってのは、どうして?」
賛同こそできないが、クロの言うことにも一理ある。そう考えた雷貴は責めるわけでも過度に心配するわけでもなく、ただ疑問を解消するために尋ねた。
「試練を突破した国が、日本だって周知されちまったからな。『神』は俺たちのことまでは晒さなかったけど、他の奴らが詮索しないとは限らないだろ?」
「もしばれたら、妨害を受けるかもしれない、か……」
「実力的に先生にも戦ってほしいところだけど、先生はここで氷見谷たちの様子を見ておくべき……そうですよね」
情報工作が可能そうなのも、有事の際にこの場の全員を守れそうなのも、蒼しかいない。彼を『神』との戦いに参加させることは悪手だと、そう言いたいらしい。
「戦えるのは、俺だけ。なら、一人で行くしかない」
「勝算は、あるのですか」
「なくても、勝つしかないですよ。ここまで来たら」
「でも……」
理由を述べられても尚、風太は納得していないようだった。
いや、雷貴も同じだ。どれだけ信頼していようとも、仲間一人を死地へと向かわせることなどできない。まして、相手は『神』だ。その実力が未知数である以上、戦力は多い方がいい。
そうわかっていても、クロが抱いているであろう懸念を察せてしまったがために、口を開くことができないでいた。
足手まとい。そう言いはしたが、クロは目の前で仲間を失うことを恐れているだけなのではないか。彼の表情から、そんなことを感じられている。
「……仕方がありませんね」
「先生!?」
「ただし、準備は万全にしてもらいますよ。お二方、少し失礼します」
そう言うと、蒼は左腕を風太と雷貴の中間地点あたりに、右腕をクロの方に伸ばした。驚くような声を上げた風太のことなど、お構いなしだ。
二人から淡い輝きが左腕に吸い込まれ、蒼を中継して今度は右腕からクロの方へと流れていく。
その、直後のこと。
(あ、れ……?)
全身から、力が抜ける。今の今まで鮮明に映っていたはずの景色は、揺れ、重なって、やがて唐突に黒く塗り潰されてしまうのだった。




