第83話「黄金姫」
氷見谷紫穂は、どこにでもいる普通の女子高生だ。少なくとも、半年程前まではそうだった。世界に魔力が広まって以降、自警団なるものに所属して戦闘を行うようになったが、それもつい最近のこと。恨まれることこそあれど、明確な殺意を向けられたり命の危機を感じたりしたことはない。
命を落とすことすらあり得る浮遊城の攻略にそんな人物が参加することは、彼女自身ふさわしくないだろうと思えていた。それでも、戦力として選ばれ、そして何より自分で『神』の不条理に立ち向かうことを決めたからには、弱音を吐いてなどいられない。
ただ、そんな覚悟を一瞬でも忘れさせる程に衝撃的な光景が、足を踏み入れたそこには広がっていた。
「部屋中、金ぴかですね……」
紫穂が抱いた感想と違わぬ言葉を口に出したのは、肩の下あたりまで伸ばした灰色の髪が特徴的な少女。愛麗大学附属高校の自警団員、灰本つかさだ。この浮遊城の攻略は、彼女と二人で行うことになっていた。
「おいくら万円かかってるんでしょう……?」
天井、壁、床。至るところが黄金の光沢を放っていて、過剰な程豪華に仕上げられている。これら全てが本物の金で構成されているのなら、億はくだらないだろう。
「さすがに魔法で出来てると思うけどね……いや、そんなことより」
気にするべきことは他にある。
二人の視線の先。数段せり上がった位置に置かれた、これまた黄金に輝く玉座の上に、一人の女性が腰掛けていた。
「おーっほっほっほ!」
目が合うや否や、高笑いを上げる女性。左手の甲を反対側の頬につけるその仕草は、王族のような気品を感じさせた。
「ようこそおいでくださいました。私の名は姫岡姫乃。『神』に選ばれし精鋭が一人でございますわ。以後、お見知り置きを」
金髪に、金のドレス。装飾品までもが同色で統一されていて、癖の強い人物であろうことが外見だけでも充分に察せられる。
「見目麗しいお嬢様方。失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしくて?」
「……氷見谷紫穂、です」
「灰本つかさ」
「紫穂さんに、つかささん。なるほど、素敵なお名前ですね。名付け親に恵まれたようで……少し羨ましくすら感じられますわ」
まるで、自分はそうではなかったかのような物言い。気になりはしたが、紫穂がわざわざ相手の事情を尋ねるようなことはなかった。
つかさも、さほど興味はないのだろう。彼女は口を閉じて、姫乃の言葉が紡がれるのを待っていた。
「そろそろ、試練を始めるといたしましょう」
姫乃が指を鳴らした直後、彼女と二人の間から黄金が伸びる。やがてそれは巨人さながらの形となり、後方に座る彼女の姿を隠してしまった。
「私の魔法、『黄金兵』。手始めにこれを打ち倒してみせてくださいまし。『神』への謀反を企てる程なのですから、これしきのことは造作もないでしょう?」
「……言ってくれるなあ」
困ったように笑いながら、紫穂は呟く。
自警団員として認められる程度には魔力の扱いに慣れているが、浮遊城の精鋭に選ばれるような相手を容易に倒せると思える程、彼女は己の実力に自信を持ってはいない。正直、頭も心も恐怖で埋め尽くされそうだった。今も、目の前にそびえ立つ魔力の塊を見ただけで足が震えている。
それでも、逃げるわけにはいかない。負けられない。七億の命を救うために。そして、『彼』との約束を守るために。
黄金の兵に隠れて挑発的な笑みを浮かべているであろう姫乃の姿を想像することで、自身の戦意を煽る。それだけで、後ろ向きな思考が僅かに払拭された。
「灰本ちゃん、いける?」
「もちろんです、氷見谷さん!」
目を合わせ、頷く二人。互いに心の準備は完了したようだった。
「そろそろ、始めますわよ!」
そんな姫乃の号令に従うかのように、巨人の腕が振り下ろされる。
受け止めようものなら圧死は免れない一撃だが、その分動きが鈍重だ。二人はそれぞれ後方に飛び退き、難なくそれを回避した。
ただ、すぐに想定外の事態に襲われることとなる。
「きゃっ……!?」
巨人の腕が床に叩きつけられた瞬間、予想以上の凄まじい揺れが発生した。
体勢を崩すことこそなかったが、次の相手の攻撃手段によっては揺れの影響で回避が間に合わなそうだ。そう考えた紫穂は相手に向けて腕を伸ばした。
「『氷弾』」
空気中に氷の弾丸を三つ形成し、撃ち出す。それらは躱されることなく命中したが、黄金の体には傷一つつけることができなかった。
「岩よ!」
続けて、つかさが岩のような塊を三つ出現させ、紫穂同様に発射する。だが、それもまた相手に触れた瞬間砕け散ってしまい、相手の動きを止めることすら叶わなかった。
「駄目か……」
「まだまだ!」
諦めることなく、紫穂は氷を撃ち出し続ける。
弱点らしき箇所はないか。同じ箇所を何度も攻めれば、傷をつけられるのではないか。そんな思考を巡らせながら、何度も、何度も。
だが、一向に事態が好転することはなかった。
「氷見谷さん、次、来ます!」
つかさの言葉どおり、巨人はまたしてもその剛腕を振り下ろそうとしている。それを自身の目で見ていながらも、紫穂が回避の準備を始めることはなかった。
否。できなかったのだ。揺れが未だに収まらず、その場から動くことが困難だった。歩けなくはないだろうが、相手の攻撃範囲から脱せるとは思えない。それなら、一秒でも長く反撃を続けた方が有意義だと判断しての行動だった。
ただ、それは悪手だったらしい。結局、突破口を開けそうな手掛かりは何一つ得られないまま、彼女のもとに黄金の拳が迫っていった。
「氷見谷さん!」
そんな声が聞こえたかと思った直後、急に体が軽くなったかのような感覚が発生する。暗くなっていたはずの視界が再び輝きを取り戻したことで、紫穂は自分が今、空中にいるのだと気づいた。
「灰本、ちゃん?」
「間に合って良かった……」
空中にて、紫穂を抱きかかえながらつかさが呟く。
どうやら、彼女が助けてくれたようだ。飛行が可能になっているのは、風属性の魔法を応用してのことだろう。
先程使っていたものとは異なる属性のはずだが、他者のそれを『模倣』する魔法の使い手である彼女なら、どのような属性でも問題なく使用できるらしい。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「いえ。それより、あれに通用するかもしれない策があるので、聞いてもらえますか?」
一切の攻撃が効かないであろう相手を攻略する術。この短時間でもうそれを思いついたのかと圧倒されながらも、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思ったことで、紫穂は即座に頷いた。
「氷属性の魔法には、芯まで凍らせた対象を氷ごと破壊する、なんてものがあるって聞いたことがあります」
その情報は、紫穂も把握している。強くなるための方法や自身の可能性について蒼に尋ねた際、同じような話をされていた。
にもかかわらず、その魔法を何故使わなかったのかと問われれば、返す答えは決まりきっている。彼女は先んじてそれを伝えることにした。
「う、うん……でも、私はまだ上手く使えないんだよね。偶然、何度か使えたぐらいで……」
空中を自在に飛び回るつかさの腕の中で、力なく笑う。一つ年下の彼女は既に様々なことが可能だというのに、自分は至らない点が多すぎると紫穂は痛感させられた。
「なら、私も手伝います」
「え……?」
「本職の方々程じゃないですけど、どんな属性の魔法も、それなりに使えるよう仕上げてきてるんです。だから、さっき言った難しそうな魔法も、二人でやればもしかしたら成功するかもしれません」
それに、と呟きながらも、つかさはかぶりを振った。どうやら、続けようとした言葉は飲み込むことにしたらしい。
(……できなければ負けるだけ、か)
気づいていたからこそ、紫穂もまたそれを口に出すことはなかった。この場でつかさに伝えるべきは、もっと別の言葉だと理解していたのだ。
「わかった。やってみよう」
一年先に生まれただけとは言え、自分は先輩。不甲斐ない姿ばかり見せてはいられないと、紫穂は力強く頷いた。
「ありがとうございます。じゃあ、着地した直後に、相手を凍りつかせましょう。私、別々の属性を同時に操ることはできないので……」
「了解。いつでも大丈夫なように、準備しておくね」
「お願いします」
小声での作戦会議を終えると、つかさは巨人の脇をするりと抜けて再び相手の正面へと着地する。
そんな彼女の腕から床へと戻った紫穂は隣に立ち、相手へ向けて共に掌を突き出した。
「凍てつけ!」
二人の声が、重なる。直後、巨人の正面に氷塊が発生し、たちまちのうちにその黄金の体を全て包み込んだ。
だが、動きを封じるだけでは駄目だ。芯まで凍りつかせなければ、件の魔法は使えない。相手がなんらかの動きを見せる前に決着を付けるべく、紫穂はより魔力を込めていく。
「……合図する。ゼロのタイミングで、一緒に唱えて」
「わかりました」
魔法を使ううえで最も重要なのは、想像力。授業でも、自警団の活動でも、蒼がよく口に出している言葉だ。
想像するだけで万事解決する程、この世の中は簡単に作られてはいない。ただ、少なくとも魔力方面においては、それがないと始まらないらしい。
「三、二、一……」
望む未来を引き寄せるべく、脳内にそれをできるだけ鮮明に描き出す。何を考えているのかわかりづらい指導者の教えを、今は信じることにした。
「砕けろ!」
再び、重なる声。
直後、氷塊に亀裂が発生する。それはゆっくりと、だが確実に広がっていき、やがて全体にまで行き渡った。
そして、詠唱どおりに砕け散る。巨人を凍りつかせたまま、その黄金の体を破壊してみせた。
「やりましたね、氷見谷さん!」
「うん……でも」
手放しで喜ぶことはできない。まだ、相手の魔法を一つ突破することができただけなのだから。
姫乃本人は今も悠然と玉座に腰掛けたまま。そこから更に同じ魔法を何度も繰り返されれば、先に魔力が尽きるのは二人の方だ。
「私の魔法を打ち破ったというのに、そのような顔をなさらないでくださいまし。心配せずとも、再び『黄金兵』を出すことなどありませんわ」
心を読んだかのような発言。立ち上がって歩き出しながらも、姫乃は続ける。
「一度破壊された魔法は、その戦いにおいて使用不可能となる……それが、貴方がたを試すにあたって私が『神』から課せられた縛りなのですから」
「……手を抜いてる、ってことですか?」
「勝ち目のない戦いにならぬよう配慮している、と受け取っていただきたいのですが……有り体に言ってしまえば、そうなりますわね」
多少の苛立ちを覚えたものの、紫穂は言葉を返すことができなかった。縛りがあると聞いても尚、自分たちの勝ち目は薄いと感じていたためだ。それ程までに、相手との力量差は大きかった。
「さて、『黄金兵』が突破されてしまったことですし、私自らお相手させていただくとしましょうか」
一歩、また一歩と近づく姫乃。その魔力反応が、次第に強まっていく。下手に動けば返り討ちにされかねないと判断した紫穂は、相手の出方を窺うことにした。
「『黄金麗装』、『黄金剣』」
姫乃が黄金の鎧を身に纏い、同色の剣をその手に握る。美しい姫のような外見は、一瞬にして厳かな騎士のそれへと変化した。
「ごめんあそばせ」
いつでも動けるよう、身構えていたはずだ。だが、自身の真横からそんな声が聞こえてくるまで、紫穂は相手の姿が消えたことに気づけなかった。
(まずい……!)
二人の間に現れた姫乃から、回転斬りの要領で黄金の刃が振るわれる。
相手に向き直った紫穂は氷で剣を形成し、防御の構えを取ろうとしたが────互いの得物が触れ合う寸前に飛び退き、相手の間合いから脱出した。
黄金兵を傷つけられなかったことから、自身の魔法では相手のそれを受け止めきれないと判断したのだ。
「あら、勘がいいこと」
つかさも同様に回避していたため、相手の攻撃は空振りに終わる。ただ、二人は互いに反対方向へと回避したため、分断される形になってしまった。
「『黄金盾』」
仲間との距離を詰めるべく動き出した紫穂の進行方向上に、突如として黄金の盾が現れる。当然、彼女は方向転換を試みたが、盾の方から迫られたことで間に合わず、衝突してしまった。
「うあっ……!?」
右半身に、痛みが走る。直前に身を捻ったおかげで頭を直接強打することはなかったが、それでも衝撃は凄まじく、脳が揺さぶられて危うく意識を失いかけた。
盾は尚も動き続け、紫穂を押し出す形でつかさと姫乃の立つ位置から離れていく。城の内壁が近づいても、その速度が落ちる気配はない。このままでは、今度こそ押し潰されてしまうだろう。
「凍、て、つ……け!」
尚も曖昧な意識のなか、紫穂は瞬間的に魔力を放出することで、移動中だった盾を凍りつかせることに成功する。どうにか、黄金一色に似つかわしくない血溜まりを作らずに済んだ。
「砕けろ」
息を整える暇もなく唱え、氷ごと盾を破壊する。今までは上手く使うことができなかったが、黄金兵を倒した際にコツを掴めたらしい。
実戦での成長が、強く実感できる。ただ、それを喜んでいる時間も、精神的余裕もない。
急いで、つかさと合流しなければ。そう考え足を動かそうとした、その瞬間、大きな揺れに襲われたことで紫穂は膝をついた。
「な、何……?」
床が、不規則にせり上がっていたのだ。黄金兵が現れたときとは異なり、部屋の至る箇所が隆起している。まるで、新たな壁の形成を試みているかのようだった。
「急が、ないと……!」
今ならまだ、二人のもとへ直線的に向かうことができる。そうわかってはいたが、盾との衝突による痛みが残る体では、この大きな揺れのなか走ることはできなかった。
やがて、床から伸びた黄金が天井へと達し、二人の姿を完全に隠してしまう。
「灰本ちゃん!」
壁は分厚く、声を張り上げても返事がなされることはなかった。反響し、ゆっくりと消えていく自らの声が、芽生えた焦りを加速させていく。
「どうしたら……」
紫穂は呟きながら周囲を見回した。
完全に隔離されたわけではなく、道が残されている。あえてこのような造りにしたということは、二人のもとへ辿り着く経路も必ずあるはずだ。そう考えて歩き出したが、すぐにその足を止める。
「……ただ走り回るだけじゃ、駄目だよね」
相手の想定どおりに動いたところで、得られる結果は相手の望むものにしかならない。
ただでさえ、姫乃は格上なのだ。奇想天外な一手を打たない限り、彼女に勝利することはできないだろう。
ならば、どうするべきか。答えは、一つしかない。
(壁を突っ切って行きたい、けど……)
ただ魔法を放っても破壊できないことは、既に確認済みだ。紫穂が可能ななかで相手の黄金に通用するのは、氷ごと破壊する魔法のみ。
それを行うには迷宮をまとめて凍りつかせる必要があるが、魔力量からして困難だ。仮にできたとしても、つかさを巻き込む危険があるため実行には移せない。
せめて、もう少し小回りが利く魔法であれば────そこまで考えたことで、妙案が思い浮かぶ。
(凍りつかせた瞬間に、その箇所だけを破壊できれば……)
凍結と破壊を高速で繰り返すことで、壁を貫通させることができるのではないか。
ただの憶測だ。確証などない。だが、試してみる価値はある。紫穂は氷で槍を形成した後、精神を研ぎ澄まし、体内に流れる魔力へと意識を向けた。
深呼吸。熱を吐き出し、代わりに、冷えた空気を取り込んで全身へと行き渡らせる。
敗北が迫っていることへの焦りを。燃えるような正義感を。滾る闘志を。今だけは忘れ、いっそ冷徹なまでに心を鎮めていく。
それから、一度、瞬き。たったそれだけで、彼女の顔から感情が消失した。
直後、彼女は氷の槍を強く握りしめ、先端に魔力を集中させる。その余波で周辺が凍りつきそうな程に、今の彼女は凄まじい冷気を纏っていた。
「『ユキゼツナ』」
詠唱と同時に、氷の槍で壁を突く。
槍から這うようにして氷が広がり、そしてすぐに砕け散っていった。何度も何度も、それが高速で繰り返され、水色の飛沫を上げながら黄金を破壊していく。
甲高い音は誰に邪魔されることもなく響き続けていたが────やがて、唐突に消滅した。
紫穂の氷が、黄金を見事貫いたためだ。
「……これじゃ、駄目だ」
狙いどおりの結果を引き寄せることができたはずだが、紫穂の表情に一切の変化はない。
より少ない労力で、より速く。それが可能な自信が、今の彼女にはあった。
そう、思い込む必要があったのだ。
穴を潜り抜けた彼女は、休憩も挟まずに次なる壁へ槍を突き刺す。自信過剰でないことを証明するかのように、先程よりも速く貫いてみせた。
それでも、彼女なりの及第点には程遠い。
「もっと、上手くやれる」
新たな壁の前に立った紫穂は、慣れた手つきで槍を突き刺す。三回目はまた格段に速くなっていて、破壊する直前の凍結箇所がほとんど視認できない程にまで達していた。
未だ納得のいく出来ではなかったが、ひとまず、己との勝負は終了することとなる。
穴を潜った先で、つかさと姫乃が交戦していたためだ。
「氷見谷さん!」
「ごめんね、待たせて」
一人で懸命に戦っていたであろう後輩へ微笑みを向けた後、紫穂は彼女と挟み込むような位置に立って相手へと視線を送った。
「ここからが、勝負ですよ」
握る氷の形状を槍から剣へと変化させ、構え直す。倒すべき敵を見つめる紫穂の表情は、既に先程のそれへと戻っていた。




