第80話「己が信じる正義」
「失礼します」
雷貴はノックもせずにドアを開き、家庭科準備室へと駆け込む。その視線の先で、この教室の主と呼んでも過言ではない女性、宇治朋世がいつもどおりの微笑を浮かべていたが、彼の後ろから現れたもう一人の姿を見たためか、その眉を八の字へと変化させた。
「ありゃ、千歳はんも来てもうたん?」
「……偶然、一緒にいるタイミングで連絡が来たので」
口調こそ丁寧だが、千歳は訝しむような表情を浮かべている。危うく除け者にされるところだったのだから、その反応も当然と言えるが。
「やっぱ、『内密で』って付け加えておいた方が良かったんかなあ……ま、今更言ってもしゃあないか」
対する朋世は、機嫌を損ねた様子もなく呟いていた。少なからず、千歳への申し訳なさがあるのかもしれない。
「他の団員がいないのも、先生が呼んでないからってことですか?」
「せやで。本当は、雷貴君だけにこっそり、試練のことについて色々と教えるつもりやったけど……一緒に来てしもたなら、千歳はんにも話すとしよか」
「いいんですか?」
「うん。まあ、身内に知られる分には構へんから。あ、でも、他の子らには秘密な?」
雷貴からの問いかけに対し、自身の口元に人差し指を当てて答えつつ、着席する朋世。彼女から椅子に座るよう手振りで促されたため、二人もそれに従って腰を下ろす。
「じゃ、早速話を始めるとしよか。神様が課した試練に対して、お国は準備を万全に整えてから挑むって方針を発表したんやけど、知っとるかな」
「はい。タクシーで千歳と向かう途中に、スマホで動画を見ました」
料亭と学園の位置関係上、タクシーが最も移動に適していた。道中の時間を無駄にしないよう、ネットの海に潜っていたことで色々と情報を得られている。
「うん。まあ、単刀直入に言うとね、それ、嘘なんよ」
「嘘?」
意味がわからず、復唱する雷貴。続く朋世の言葉を聞いて、彼は目を見開くこととなる。
「『試練の邪魔をしなければ、お前たちを犠牲にすることはない』。色んな国のお偉いさん方に対して、神様はそう仰られたそうな」
先程の朋世の言葉が真実なら、政府は今回の試練に挑戦する気がないということだ。
確かに、車内で視聴した会見からは胡散臭さを感じられていたが、まさか本当に虚言が並べられているとは雷貴は思っていなかった。
「動いとるように見えるけど、あくまでふり。多分、ぎりぎりまで引っ張ってから、失敗しましたって発表するつもりなんでない?」
「その情報は、いったいどこから……」
そう尋ねたのは、千歳だ。この場に居合わせることは想定されていなかったようだが、お構いなしといった様子で口を開いていた。
「うちが直接調べたわけじゃあないんやけど、出所は信頼できる。ただ……どこで誰が聞いとるかわからへんから、個人名を出すのは勘弁してな」
「こんな話をしてる時点で、今更な気もしますけどね」
「確かに」
些か辛辣すぎる千歳のツッコミが炸裂するが、朋世はそれでも笑顔を崩さない。
そんな彼女を見て、これが大人の余裕というものなのだろうかと思いつつ、雷貴は話を先へ進めることにする。
「それが本当なら、どうにかしないと」
「……やっぱり、雷貴君はそう言うんやね」
「え?」
妙に遠回しな言葉。雷貴は間の抜けた声を出したが、彼の抱いた疑問がすぐに解消されることはなかった。
「雷貴君。念のため、伝えておきたいことがあるんやけど」
そう告げた直後、朋世の表情は真剣なものへと変化する。そこに、いつもの柔和な印象は感じられなかった。
「神様がやろうとしてる儀式。その犠牲は『これから先の世界において、生を享受するに値しないと判断した者』って言ってたやろ?」
「確か、そうですね……」
「それはつまり、大なり小なり罪を犯した人たちとか、生に執着するどころか死を望んでいる人たちとかが優先して選ばれてるってことなんよ」
無作為ではない、ということなのだろう。明確でこそないだろうが、何かしらの条件があることは間違いない。
「もっとわかりやすく言うなら、雷貴君の身の回りでその対象になる人はほとんどいないだろうってこと……ただ一人を除いて、な」
その一人が誰なのか、雷貴は名前を挙げられずともわかった。恐らくは、千歳も同様だろうと推測できる。
そのためか、誰も、その人物について言及しようとはしなかった。
「それでも雷貴君は、試練を止めたいと、そう思ってくれる? 自分の命を懸けることになったとしても、その想いを変えずにいられる自信はある?」
朋世の言葉を受け、雷貴は今一度考えてみることにする。
犯罪者を処分できるなら。絶望する人々に最後の救済を与えられるのなら。そんな考えを持つ者は、決して少なくないのだろう。もしかしたら、世間一般からすれば自分の考えは間違っているのかもしれないとさえ思えてきた。
考えれば考える程、何が本当に正しいことなのか、わからなくなる。それでも、少なくとも自分の中では、『神』の言い分が正しいとは思えなかった。
「はい」
ただ一言、そう返す。あえて語らなかった理由について深く尋ねられることもなく、しばしの間、沈黙が続いた。
「……敵わんなぁ」
困ったように笑いながら、朋世が静寂を破る。そしてすぐ、表情を引き締め直した。
「緑間雷貴君。貴方に、極秘任務を与えます」
極秘任務。その響きを耳にしたことで、雷貴は思わず唾を飲む。
「明日、浮遊城の攻略が秘密裏に行われます。その作戦に、雷貴君も参加してください」
「わかりました。具体的には────」
「わ、私も行きます!」
雷貴は詳細を聞こうとしたが、千歳の声によって阻まれた。
今回の騒動を彼女が黙って見ていられるはずがないことは、容易に察せられる。ただ、そんな彼女への朋世の返答もまた、彼には予想できていた。
「残念やけど、千歳はんはお留守番や」
「ど、どうしてですか? 数は多い方がいいでしょう?」
立ち上がって抗議する千歳。彼女にもこの展開は予想できたはずだが、余裕がないのか声を震わせている。
「精鋭とやらが誰なのか、うちにもわからんけど……多分、魔法学指導教員の上澄みか、それ以上の実力者が待ち構えとると思う。戦闘に特化した魔法を使えない人間がどれだけ向かったところで、まとめて一掃されるのがオチや。うちも含めて、な」
朋世が使うのは、治癒の魔法だ。戦闘において役立つようにも思えるが、魔法学の指導教員である彼女が言うのであれば、作戦に参加したところで勝率を上げることはできないというのは事実なのだろう。
千歳についても、同様に。
「なら、せめて他の団員を……」
「あの子らはあの子らで経験不足や。下手したら他の人員の足を引っ張りかねん。それに、今回の作戦を指揮する人が雷貴君しか指名しとらんから、うちが了承しても意味ないと思うで」
「そんな……」
返す言葉がなくなったためか、千歳は黙り込んでしまう。ただ、未だ納得できていないような表情を浮かべていた。
「心配するなよ。代表として必ず、『神』とやらをとっちめてくるからさ」
「……わかり、ました」
消え入るような声。明らかに元気を失った様子で俯く千歳を横目に、雷貴は再び口を開く。
「それで、俺は明日どこに向かえばいいんです?」
「それは……ここや」
朋世は机の上に置いてあった紙とペンを手に取り、何やら書き始めた。数秒後、その内容が雷貴へと晒される。
(山盛高校か……)
手書きで示したのは、情報の流出を防ぐためだろう。データで残すよりは、いくらか安全だ。もっとも、この教室が盗聴でもされていた場合、何をしたところで全て手遅れなのだが。
「一応、合同で研修をするって名目になっとるから、出入りは問題なくできるはず。あとは、現場の指示に従ってもらえればええよ」
「わかりました」
雷貴が頷くと、朋世は即座に紙を破いた。その場で処分するのは憚られたのか、ごみでしかないそれをポケットへと忍ばせる。
「すまんなぁ。こんな重たい役目を背負わせてしもて……」
「いえ。自分の意思で決めたことですし」
「その優しさが逆に辛いわ……せや、釣り合っとる自信はあらへんけど、今度、雷貴君のお願いなんでも一つ聞いたるからね!」
「そんなこと言っていいんですか?」
「大丈夫大丈夫!」
だから、と朋世は続けた。
「無事に、帰ってくるんよ」
「……もちろんですよ」
命を懸けるが、捨ててはいけない。当然のことを、雷貴は朋世の言葉で再認識させられた。
「じゃあ、そろそろ解散。今日は早く休んで、明日に備えてな」
「はい。じゃあ、また」
雷貴は席を立ち、千歳と共に教室を後にする。夏季休業で誰もいない廊下には、二人の足音がよく響いた。
「千歳。明日、勝手に来ちゃ駄目だからな?」
「わかってますよ」
後ろを歩く千歳の元気を取り戻すために冗談めかして告げたが、反応は芳しくない。どうしたものかと悩み始めた直後、上着の裾を引っ張られたことで雷貴はその足を止めた。
「先輩」
「……千歳?」
すぐに解放され、雷貴は振り返る。向かい合う千歳は俯き続けていて、表情を確認することができなかった。
「私、どうしたらいいんでしょうか」
尚も、千歳の声は震えている。
催促することなく、雷貴は彼女の言葉を待った。
「『神』に抗うべきだと、私も思います。でも、緑間先輩だけに行かせるっていうのは、何か、こう、違う気がして」
試練に挑む者が他にもいることは、先程の話で既にわかっている。千歳が言いたいのは、自分がその場へ行けないことについてだろう。
「先程の話を聞いて、私では足手まといになるというのは理解したつもりです。でも……それでも、嫌なんです」
ようやく、彼女が顔を上げる。その瞳は潤んでいて、今にも涙がこぼれ落ちそうな程だった。
「止める資格なんかないって、止めちゃ駄目だって、わかってるのに……それでも、先輩に、向かってほしくないって思っちゃうんです……!」
恐らく、その言葉を伝えることは、彼女にとって正しくなかったのだろう。それでも、吐き出さずにはいられなかった。
彼女と同じ目線に立って考えれば、容易にわかることだ。大切な仲間が、今まで以上に危険な場所へ赴こうとしているのだから、引き止めたくならない方がおかしいと言える。
ただ、雷貴も、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「心配かけて、ごめんな」
千歳の頭にそっと手を置き、撫でる。
「大丈夫。さっきも言ったろ? 無事に帰ってくるって」
「でも……」
「不安が残るなら、それを紛らわせるためと思って、一つ、俺の頼みを聞いてくれないかな」
そう言って手を引き戻してから、雷貴は続けた。
「そう長くはないと思うけど……俺がいない間も、自警団としての活動を続けてほしい。多分、今回の作戦に参加する人は、みんなどこかしらの自警団員だ。ってことは、ただでさえ深刻な人手不足が、明日はより一層酷くなるだろ?」
浮遊城が出現したことによる混乱に乗じて、騒動を起こす者が急増しないとも限らない。それらの対応は、試練と同じく重要だ。
「俺たちが安心して戦えるように、千歳たちにも、それぞれの場所で、できることをやってほしいんだけど……駄目か?」
それを聞いて千歳は数秒程固まっていたが、突然眼鏡を外し、常備しているらしいハンカチで涙を拭った後に笑みを浮かべた。
「……そんな風に言われたら、断れませんね」
眼鏡をかけ直し、胸を張る少女。それは、鋭才学園が誇る優秀な自警団員の姿に他ならなかった。
「任せてください。この七五三千歳、先輩が不在中の平和を、見事保ってみせます」
「頼んだぞ、千歳」
「はい。緑間先輩も、どうかお気をつけて」
激励の言葉を送り合う二人。別れにはまだ早いことを思い出したために、どちらからともなく笑い出し、穏やかな雰囲気のまま帰路に就くのだった。




