第78話「種火」
「赤城さん。特訓の方は順調でしょうか」
机の上に両肘をつき、組んだ手で口元を隠すようにしながら尋ねる、青髪の男。山盛高校に配属された魔法学の指導教員、火野蒼だ。
「おかげさまで、辛い物を食べても辛いと感じなくなりましたよ。美味しいとも思えないですけど」
向かい合うようにして立っているのは、同校に通う三年生、赤城風太。
比較的温厚な性格の彼が皮肉を交えて返したのは、休日であるにもかかわらず理科準備室に呼び出されたから、というわけではない。目の前に座る男のせいで、苦手な激辛料理を何度も食すことになったためだ。
「なるほど。それは上々ですね」
「何言ってんのこの人」
「心の声が漏れていますよ」
故意ではなかったが、風太の表情は崩れない。多少の粗相や失礼な態度が問題ないと思える程に、彼の蒼への印象は悪くなっていた。
「……本当に特訓になるんですか? もっともらしい理由をつけていじめてるようにしか思えないんですけど」
「心外ですね。必要な指導を行っているまでですよ……まあ、貴方にそう思われてしまうのも、無理はないのでしょうが」
蒼の表情に、変化は一切見られない。抑揚のない話し方も相まって、本心でない言葉を吐いているように感じられる。
ただ、彼の感情を表現する能力が乏しいだけだと、それなりに時間を共にしてきた風太にはわかるため、その点について責めるつもりにはなれなかった。
「ですが、ご安心ください。無駄に思えた特訓も、ようやく終了しますので……少々、失礼しますよ」
蒼が立ち上がり、風太の方へと近づく。ゆっくりと腕を伸ばすと、赤い髪越しに彼の額を掴んだ。
「何を……」
「今から、耐え難い程の苦痛が貴方を襲います。これもまた必要なことですので、ご理解ください」
「ちょっと、待っ……」
直後、風太の言葉は途切れる。
額が、燃えるような熱さに襲われたためだ。その熱は瞬く間に全身へと伝播し、火の海に放られたかのような錯覚を彼に与えた。
そう、錯覚だ。確かに熱に襲われているはずだが、彼の体は焼き焦がされてはいない。それでも、冷静に客観視することなどできず、彼は蒼の腕を掴んでもがくようにしながら叫び続ける。
呼吸すらままならなくなり、あと少しで意識を手放すことになるだろうと思ったその瞬間────なんの前触れもなく、彼は解放された。
「はあっ、はあっ……」
風太は頭を押さえ、背中を丸める。熱は一瞬で消滅したものの、それによって感じた恐怖は尚も彼の中に残っていた。
「……第一段階突破、といったところでしょうか。気分はいかがです?」
「最っ悪、ですよ……」
「まあ、そうでしょうね」
睨みつけるような視線をものともせず、素っ気ない言葉を返す蒼。さすがの風太も愚痴を並べたくなったが、相手より先に口を開くことは叶わなかった。
「さて、休んでいる暇はありません。その不快感が残っているうちに、次へと移りましょう」
「次……?」
「瞑想を行い、全身に流れる魔力へと意識を集中させてください」
「……わかりました」
今は抑え、全てが終わったらこれまでの恨み辛みをまとめてぶつけてやろう。そんなことを企みながら、風太は蒼の言葉に従うことにした。
神経を研ぎ澄まし、体内に流れる魔力へと意識を向ける。
微弱だが、確かに存在するもの。そんな、自分自身の魔力以外に、もう一つ、今までになかったはずのものが感じられた。
「今、何が感じられますか?」
「元々感じられてたものとは、別の……熱みたいなものが、流れてるような気がします」
先程の熱が残存しているだけかもしれない。ただ、それにしてはやけに流動的で、自身の体内を絶えず駆け巡っているように感じられていた。
「第二段階も突破、ですか……では、少し場所を変えるとしましょうか」
蒼が指を鳴らす。次の瞬間、景色は白く染め上げられ、二人以外の何も存在しない世界が広がった。
「これは……?」
「先の場所は手狭なので、亜空間を魔法で作り出しました。本来、私の属性では不可能な事象ですが……魔法学の指導教員には、このような魔法も『神』から与えられているのですよ」
「へえ……」
「すみません、話が脱線しましたね。次は魔法を使うような要領で、その熱を外へと押し出してください」
「……やってみます」
細かいことを気にしている場合ではない。風太は今一度、自身の魔力へと意識を集中させた。
横を向き、右腕を伸ばす。魔法を発動するときのように、掌へ熱を移動させようと試みた。だが、いつまで経っても、そこからは何も出現しない。
「補助が必要そうですね」
蒼が風太の背後に回り、左肩と、伸ばされた右腕を掴む。
「『熱』を知覚しやすいようにします。先程までではありませんが、再び苦痛に襲われると思いますので、耐えてください」
その言葉どおり、蒼から再び熱を流し込まれた。それによってか、風太の内に存在する熱が主張を強める。流れを明確に感じ取れるようになり、今度こそ、自らの意思で熱を移動させられた。
そしてその結果、彼の掌から、赤く揺らめく炎が出現する。
「……無事、成功です」
「え、これって……あっ」
予想外の出来事を目にして気を抜いてしまったためか、それはすぐに消滅した。風太は動揺しつつも、説明を求めるべく蒼の方へと向き直る。
「今のは……?」
「赤城さんの中に、火属性の魔力を定着させました。もちろん、元々宿っていた風属性の魔力も健在です」
「でも確か、魔力の属性って、変えられないんじゃ……」
それは、魔法学の授業で覚えた知識。
基本的に、魔力の属性は一人につき一つだ。『神』が無作為に割り振ったそれを変えることはできず、自身の理想と現実の差異に嘆く者が多かった。
そのはずだと思いながら、風太は続く言葉を待つ。
「ええ。ですから、追加したのです」
「追加?」
「赤城さんは魔力量が少ない。それは、新たな魔力を得るための余白が存在するということ……そのように拡大解釈することで、どうにか成功させることができました」
納得できるような、できないような答え。ただ、元の属性ではまず起こせない現象を自ら発生させてしまった以上、自身が新たな属性の魔力を得たことは認めざるを得なかった。
「赤城さんの要望に応える形とは言え、今回の試みは人体実験となんら変わりありません。極秘で行う必要があり、私の宿す魔力以外を用意することはできず……火属性への耐性を習得していただくため、過酷な特訓をせざるを得ませんでした。無理を強いたこと、ここに謝罪します」
「い、いや、そんな……僕の方こそすみませんでした。失礼な態度を取って……」
今まで散々、蒼に迷惑をかけられていたように思えていたが、それらがこの結果を生み出すためとわかってしまっては、怒ることなどできない。相手に頭を下げられたところで、逆に申し訳なく思えてしまう。
「……これで、強くなれたんですか?」
「いえ。ようやく下地が整ったというところでしょう。特訓の本番はここからです」
それを聞いても、風太が肩を落とすことはなかった。激辛料理や先程の熱は確かに苦しかったが、それらを乗り越えただけで強くなれると考えられる程、彼の思考は楽観的ではないのだ。
「貴方がしなければならないことは二つ。火属性の魔力を自在に操れるようにすること。そして、異なる二つの属性を同時に制御できるようにすること」
それがどれ程難しいことなのか、風太にはわからない。ただ、容易なことではないのだろうと、理由もなくそう感じられた。
「二つ以上の属性の魔力を宿す者は、極僅か……日本においては、片手で数えられる程度しか存在しないでしょう。そして、同時に行使できる者は更に限られてきます。故に、それが可能になれば、少なからず戦闘面で役立てられるはずです」
風、火、そしてそれらの併用。戦いの幅は間違いなく広がるはずだ。また、これは一度限りだが、複数の属性を操れるわけがないという思い込みを利用した不意打ちも行えるようになる。蒼が言いたいのは、そういうことだろう。
「今一度問いましょうか。一番の難所を乗り越えたとは言え、まだ険しい道は続きます。その先へと進む覚悟は、できていますか?」
現状は、蒼の補助があってようやく炎を出現させられる程度だ。そこから戦闘で使用可能な練度に達するまで、血の滲むような努力が必要になることは想像に難くない。
だが。
「今更引き返せませんよ」
諦めることは、できなかった。友の隣に胸を張って並ぶため、できることがあるのならば、挑まずにはいられない。
「いい返事です……では、始めましょうか」
「よろしくお願いします」
真っ白な空間で向かい合う二人。彼らの特訓は、まだ始まったばかりだった。




