第73話「非推奨」
セレスティーナや大和の暴走により、山盛高校の学園祭は慌ただしく幕を閉じることになった。生徒の間では、そのことに対する不満やこれからへの不安などが続出している。
そんな現状を改善するべく、立ち上がった者が一人。
赤城風太。同校の自警団員だ。
自他共に認める事実だが、彼は弱い。先日のトーナメントで即座に敗北を喫したことが、それを証明している。
ただ、仕方のないことだろう。魔法が使えるようになっても肝心の魔力量が少なく、戦闘に役立てることができそうもないのだから。彼が魔法でできることと言えば、微風を起こすことぐらいだ。
先の二人のように膂力が優れているわけでもなく、そもそもの体格が他の男子生徒に比べて小柄であり、そのせいで喧嘩に勝ったことなど一度もない。いや、挑もうと思ったことすらなかった。代わりに、この十数年間は平穏に過ごすことができていたが、そんな人生そのものが彼の劣等感にもなっている。
だからこそ、変わりたい、変わらなければならないとも思っていた。自警団員である自分が強くなることで、この混乱を少しでも抑えられればと考えていたのだ。
ただ、一人がむしゃらに鍛えたところで、成果が出るとは思い難い。故に彼は、魔法学の指導教員である火野蒼を頼ることにした。
「火野先生」
「どうしました?」
「僕は、特訓をお願いしたはずですよね?」
「そうですね」
「なら……なんで僕たちは、ラーメン屋に来てるんですか?」
学園祭が終了してから、初めて迎えた週末。風太と蒼の二人は、山盛高校の最寄駅付近にあるラーメン屋を訪れていた。
「特訓以外にないでしょう……すみません、注文を」
厨房に面したカウンター席。隣に腰掛ける蒼は、店員から差し出された冷水を一口飲んでから答えた。彼の表情は一切の変化がなく、冗談を言っているようには感じられない。
(そう思えないから聞いてるんだけどな……)
棘のある言葉が、風太の脳内に浮かび上がる。それを彼が口に出せなかったのは、続く蒼の注文に意識を引っ張られたためだ。
「激辛地獄ラーメン、二つで」
「待って待って待って!?」
大声を出しながら、風太は勢い良く立ち上がる。そんな彼に、蒼のものを含む多くの視線が向けられた。
「トッピングが必要でしたか?」
「あ、じゃあ煮卵を……ってそうじゃなくて!」
華麗なノリツッコミが炸裂するが、誰も反応を見せる様子はない。そのことに若干の寂しさを覚えながらも、風太は話を続ける。
「ラーメンを食べるのは、まあ良しとしましょう。お腹も減ってますし、親睦を深めることにも繋がるでしょうから……でも、メニューぐらい選ばせてくださいよ! 僕、辛いの苦手なんですから!」
「残念ながら、貴方に選択肢はありません」
「なんで!?」
「うっせえぞ! 静かにしろ!」
「あ、ご、ごめんなさい……?」
騒ぎすぎたせいで、店主らしき強面の男性に一喝されてしまった。風太は自身の行いを反省しつつ、元凶である蒼に視線を送りながらゆっくりと座り直す。
「注文は先程のもので構いません。よろしくお願いします」
「あっ」
風太は訂正しようとしたが、店主が手際良く準備を始めたために言い出せなくなってしまった。
「……本当に、食べれませんよ。激辛なんて」
少量の辛味でさえ、体が受け付けないのだ。激辛料理など口にした日には、全身のありとあらゆる器官が緊急信号を発することだろう。
味を想像するだけで気が滅入り、風太は背中を丸めた。
「それを克服できないのであれば、強くなることなど夢のまた夢ですよ」
「激辛ラーメンと特訓になんの関係があるって言うんですか」
「そうですね……試行錯誤している最中ということもあり、今お伝えできることはそう多くないのですが……」
風太の方へと顔を向けてから、蒼が再び口を開く。
「赤城さん。貴方は弱いです」
「おおっと唐突な言葉の暴力……いや、自覚してますけど……それを解決したくて、お願いしたわけですし」
突然のことで驚きはしたが、不快感を覚えることはない。風太は自身の実力のなさを、しっかりと受け止められていた。
「魔力の扱いを上達させるための方法は、魔法学の授業でもいくつか教えていますが……それらに懸命に取り組んだだけではどうにもならない程、貴方の成長は絶望的です」
「……わあお」
同級生と比べても、魔力方面における風太の成長はゆるやかだ。平坦と言ってもいいだろう。彼自身、授業を通して薄々気がついていたことだが、実際に言語化されると途端に不安が大きくなる。
「故に、裏技、邪法、荒療治────推奨されないような方法を提供することでしか、貴方の要望に応えることはできないのですよ」
「言いたいことはわかりましたけど……結局、なんで激辛ラーメンを食べなきゃならないんですか?」
「貴方には新しく、あるものを習得していただこうと考えています。それに備え、体を慣らしておくことが目的です」
「あるもの?」
「ええ……さて、完成したようですよ」
話の途中だが、店主から件の料理を提供されたことで中断させられた。
「うわあ……」
どろりとした赤い液体。湯気と共に立ち昇る、鼻を刺すような強い香り。味覚以外から得られる情報の全てが、『それ』の凶悪性をこれでもかと主張していた。
「いただきます」
思わず声を漏らした風太を他所に、蒼が食前の挨拶を済ませる。それから、いつの間にか持っていた割り箸で、スープに浸された黄金の麺を引き上げた。
そして、躊躇うことなく啜っていく。本来であれば食欲を増進させる音のはずだが、今回に限っては正反対の効果がもたらされた。
「か、辛くないんですか……?」
「そんなことはありませんが、許容範囲内です」
目もくれず食べ進める蒼。どれだけ経っても、その表情が崩れることはなかった。
まさか、この毒々しい見た目程辛くはないのだろうか────そんな希望を抱きながら、風太も割り箸を用意する。
「い、いただきます」
恐る恐る麺を掴み、そして、覚悟を決めて豪快にそれを啜った。
「ぶるふぉっ!?」
一口分を含んだ瞬間、噴き出してしまう。まるで時を戻されたかのように、麺は風太の口から器へと帰還した。
「か、辛っ、げほごほっ、おえっ……!?」
あまりの刺激に水を欲するが、咳き込んでしまってそれどころではない。その痛みと辛さが相乗効果を生み出し、風太の喉は一瞬で限界を迎えさせられた。
「行儀が悪いですよ。赤城さん」
「せ、先生、これ本当にちゃんと食べてるんですか? 魔法で亜空間に飛ばしたりしてませんか?」
「……してませんよ」
「なんですか今の間!」
「他の方の迷惑になるので、お静かに」
「誰のせいだと……」
意図せずして言葉が消えていく。最早、喋ることすら苦しくなっていた。
「早く食べないと、麺が伸びますよ」
「ううっ……」
出された食事は、残さず食べること。風太にとって神よりも偉大で恐ろしい、母親の教えだ。
たとえ苦手なものであったとしても、一度相対してしまった以上、退くことはできない。
(グッバイ味覚……そして胃腸の安寧……)
この世とのお別れだけはしませんように。そう願いながら、器一杯に広がる地獄との戦いを始めた。
「────ご、ごち、そう、さまでした」
そう言えたのは、食べ始めてから何分後のことだっただろうか。食事中の記憶がほとんどない風太には、未だ口内に広がっている辛味を感じ取ることしかできない。
「お疲れ様でした」
蒼による、労いの言葉。同じものを食していたとは思えない程、彼からは余裕が感じられた。
「も、もうしばらく、ラーメンは勘弁してほしいです……」
「それについては同感ですね。色々な意味で……さて、会計は既に済ませましたので、次に行きましょうか」
「あ、ありがとうございます……次?」
立ち上がって歩き出した蒼に続き、店を後にする。
ようやく特訓らしいことを始めるのだろうか。本調子ではないが、先程の苦行に比べればどんな無理難題も容易に感じられそうだ。そんな甘い考えが浮かんだ直後、風太は絶望の底へと叩き落とされることになる。
「食後の運動がてら、歩いて次の店に向かいます……ご安心ください。今度はカレーです」
「え?」
「赤城さんは少食なようですが、先程の料理はさほど量が多くはなかったので、一時間もすれば胃袋に余裕が出るでしょう」
予想外の展開に、風太は足を止めた。
数歩進んでからそのことに気づいたらしく、蒼が振り返る。やはりと言うべきか、彼の表情に変化はない。
「どうかしましたか?」
「も、もう勘弁してください……!」
掠れた声で懇願する風太。
この日以降、泣きながら激辛料理の制覇を目指す少年がいるとの噂が広がることになるのだが、その正体が誰なのかは言うまでもない。




