第71話「トーナメント」
少しずつ湿度が上昇し、梅雨入りも目前に迫った六月のある日のこと。平日であるにもかかわらず、雷貴は県内にあるスポーツ公園の体育館を訪れていた。
本日開催されている、山盛高校の学園祭。そこで企画されているある出し物を手伝ってほしいと、正式に依頼されたためだ。
出し物の名称は、魔法戦闘トーナメント。どうやら、魔法学導入の成果を来賓に披露することを目的としているらしい。
参加者は、彼含め八名。ちょうど二試合目が終了したばかりで、次は彼の出番だった。アリーナの中央にて相手と向かい合う彼だが、その顔色は優れない。
(大丈夫かな、セレス……)
今回、鋭才自警団からトーナメントに参加しているのは、雷貴とセレスの二人だ。ただ、体育館に彼女の姿は未だ見えていない。第一試合を勝利したクロが捜索に乗り出しているが、彼からの連絡も入ってはいなかった。
『一回戦第三試合、緑間雷貴対奏音々』
山盛高校の魔法学指導教員による、アナウンス。刻一刻と近づく戦いに向け、集中する必要がありそうだった。
それでも、思考は巡り続ける。
何故、セレスは現れないのか。何かに巻き込まれたのか。それとも、彼女自身の意思なのか。
「おい」
雷貴の意識を引き戻したのは、目の前に立つ、奏音々と呼ばれた青年の声だった。戦いの場にふさわしくないヘッドホンが特徴的な彼は、険しい顔で雷貴を見つめている。
「戦いの前に考え事なんて、随分と余裕だな」
「……ごめん。少し、心配なことがあって」
「集中できないなら棄権しろ。不注意で大怪我されても迷惑だ」
音々が苛立つ原因は、自分にあったらしい。そう気づいた雷貴は自らの頬を思い切り叩き、強引に思考を霧散させた。
「いや、大丈夫。心配かけてごめん」
意外そうに目を丸くする音々。これ以上の言葉は不要だと判断したのか、ため息を吐いてから構えた。
『では、始め』
合図を受け、音々が右足で床を強く踏みつける。直後、腹の底に響くような重低音が雷貴の耳に襲いかかった。
(うっ、るさ……!?)
たまらず耳を押さえる。危うく、鼓膜を破られるところだった。
いや、今も尚、その脅威は続いている。このまま聞き続けていては、確実に聴力が低下するだろう。
解決法を探るべく、雷貴はこの音を発生させたと思われる音々へ視線を向ける。まず思い浮かんだのは、率直な感想だった。
「おまっ……ずるいぞ!」
悠然と佇む音々は、この騒音をものともしていないようだった。自身に影響がないように魔法を発動したと考えるのが自然なのだろうが、今の雷貴にはヘッドホンで音を断絶しているようにしか見えていない。
(このままじゃ……まずい)
心なしか、意識が遠くなっていく。
集中を乱されているが、身動きすら取れない今、どうにか魔法を発動するしか手は残されていなかった。
幸い、朋世から魔法を全力で使う許可は得ている。彼は照準を相手に合わせ、遠慮なく魔力を高めていった。
「うああああっ!」
緑色の雷が、ほとばしる。満足に集中できない状態では、狙いを定めても意味がなかったらしい。正面に立つ音々は一切の回避行動を取っていなかったが、魔法の餌食にはなっていなかった。
ただ、嬉しい誤算もある。
「音が、消えた?」
あれ程耳障りだった音が、一瞬にして消滅したのだ。とうとう鼓膜が破れてしまったのかとも考えたが、自身の呟きが耳に入ったことで、そうではないのだと実感させられる。
「お前も、雷属性だったのか」
納得したような、音々の言葉。そこから察するに、どうやら彼は雷貴と同じ属性の使い手らしい。
「周波数を瞬時に把握し、相殺するための電気を放つとは……意外とやるな」
「え? ああ……」
「……無意識か。なんにしても恐ろしいな」
音々の反応を見て、雷貴は後悔する。もう一度同じ魔法を使われても対処できるという自信が、まだ生まれていなかったためだ。
いつでも耳を保護できるよう、彼は手を添えて相手の動きを注視していたが、再び騒音に悩まされることはなかった。
「さっきの、使わないの?」
「同じこと繰り返したって芸がないだろ」
それに、と続けながら、音々は自身のヘッドホンに手を当てる。
「俺も、色々試してみたいからな」
姿が消えたと思った瞬間────音々は雷貴の眼前に再び現れ、腕を振り抜いた。その拳は、回避を許さずに顔面へと命中する。
「ぐっ……このっ!」
反撃を試みる雷貴だが、その腕は空振りに終わってしまった。そして、悔しさを覚える暇もなく次の一撃が叩き込まれる。
目で追えない程、高速な動き。雷貴は手も足も出せずに蹂躙されていたが、先程得た僅かな情報から、今の状況を理解することができていた。
(これ、クロさんが言ってたやつか……)
瞬発力の大幅な上昇。自身が宿す属性はこれ程の可能性を秘めているのかと、雷貴は痛感させられる。
同時に、経験の差がさほど開いていないであろう目の前の相手が使えるのなら、今、自分がこの場で習得することも不可能ではないだろうと思い至った。
(手足……いや、電気信号なら……脳か?)
全身、特に脳への魔力供給を意識する。放出されることなく蓄積する魔力は、熱となって自身の存在を雷貴の肉体に主張していた。
(……行くぞ)
成功しているかどうかは、実際に動いて確かめるしかない。意を決して、雷貴は相手のもとへと飛び込んだ。
瞬間、彼の体が緑色の輝きを帯びる。それは彼の動きに沿って、空間上へ軌跡を描き出した。
(届け!)
期待どおり、雷貴の拳が音々に到達する。さすがに有効打にはなり得なかったが、相手と同じ土俵に立つことができたのは確からしく、互角の肉弾戦を繰り広げられるようになっていた。
(よし、行ける……!)
勝機は充分にある。油断さえしなければ、いずれ来るであろう相手の隙を突いて勝利することができるはずだ。
そう考えた矢先。
「ぐあっ……!?」
全身の筋肉が攣ったかのような痛みに襲われる。それにより集中が途切れ、魔法も解除されてしまった。
そんな状態でも、相手が待ってくれることはない。がら空きの腹部に、容赦なく拳が打ち込まれる。
「ぐ、ああっ……!」
その場に蹲る雷貴。二種類の痛みにより、まともに身動きが取れなかった。
隙だらけのはずだが、音々が追撃する様子はない。彼はゆっくりと雷貴の方に近づき、見下ろしながら口を開いた。
「一般的な雷属性の魔法は移動速度を上昇させるだけで、肉体そのものを強化できるわけじゃない。勝手もわからない状態で使えば、全身が悲鳴を上げるのは当然だ」
(なる、ほど、ねえ……)
立ち上がろうとした雷貴だったが、咳き込んでしまい、それによって力が抜けて再び床へと引き戻される。未だ決着が付いていないのは相手が配慮してくれているだけとわかってはいるものの、諦めることはできず、その意を示すように力強い眼光を音々に向けた。
「なんで、それをわざわざ、俺に?」
「相手だが、敵じゃない。お互いを高め合える機会なんだから、情報を共有するのは当然だろ」
「……それも、そうだな」
短く笑ってから、今度こそ立ち上がる。膝が震えていたがなんとか踏ん張り、正面に立つ音々へと向き直った。
「まだやるのか?」
「意外と、限界じゃないみたいだから」
魔力は残っている。かなり負担がかかっているが、体も動かせないことはない。
まだ、諦めるには早いだろう。雷貴は強がるように笑みを浮かべる。
「なら、遠慮はしない」
動き出した音々に合わせ、雷貴も再び魔法で移動速度を上昇させた。肉体の負担を軽くできるよう、先程より出力を調整して。
(さすがに、少し厳しいか……)
無理のない速度では、音々に遅れを取ってしまう。圧倒されこそしないが、攻めに回ることは困難だった。相手の攻撃を捌きながら、突破口を見出すべく思考を巡らせる。
(せめて、相手の魔法を解除できればいいんだけど……)
回避の直後、雷貴は雷を放ったが、音々が纏った黒い閃光によって弾かれてしまった。
音を相殺したときのようにはいかないらしい。可能だとしても、そう簡単に行えることではなさそうだった。
(何かないのか、何か……)
ただの攻撃も、移動速度の上昇も、勝機に繋がるとは思えない。何か他に手はなかったかと、自身の記憶を遡る。
(あ……)
思い起こされたのは、自分が初めて魔法を使った日。他者から受けた電撃がきっかけで自身の魔力を知覚した、あのときのことだった。
あの日、受けた電撃を弾いたのではなく、纏っていた。それを自身の雷と混ぜ合わせて、千歳の敵を倒すことに成功したのだ。
(もし、俺が相手の電撃もある程度操れるんだとしたら……)
それを確かめるためには、自身の雷は邪魔だった。彼は緑色の輝きを消滅させ、相手の攻撃を甘んじて受ける。
「なんのつもりだ?」
「まあ、見てなよ……」
魔法なしで相手の動きに対応できるはずもなく、拳や蹴りが次々と雷貴の肉体に沈んでいった。攻防はアリーナの中心部で続いているため、場外負けになる可能性が少ないことは救いか。
(……よし。来てる)
雷貴の体の表面を、黒い雷が走っていく。
先程、音々が放出したものと同色の輝きだ。微弱だが確実に、相手の電撃を纏えているらしい。
「何を狙っているか知らないが、いつまで持つかな」
打撃とともに、音々から挑発的な言葉が放たれる。勝利に近づく程、限界も着々と雷貴へ迫っていた。
相手の体は特別筋肉質というわけではないが、その割に一撃一撃が重い。恐らく、属性が同じというだけで、使える魔法はまた異なり、そのうちの一つに肉体強化があるのだろう。予想以上に追い詰められている現状が、それを物語っている。
(まだ心許ないけど、やるしかない!)
あまり、時間は残されていない。音々から伝わる黒色の雷に、雷貴は全神経を集中させた。
一度制御下に置いたとは言え、相手の魔力なのだから元に戻ろうとする性質があってもおかしくはない。そこに、電気が元々有している『互いを引き寄せる力』が合わされば、どうなるか。
導き出されたのは、随分と都合のいい答えだ。だが、最早これに賭けるしかない。相手の隙を窺い────やがて、彼は動いた。




