第70話「凹凸」
黄田大和、二十歳。幼少期から傷害事件を繰り返し、度々、少年院へと送還されていた。荒いどころでは済まないその気性は高校入学と同時に沈静化したと思われていたが、十八の時、暴力団関係者と問題を起こしたことで再び捕らえられる。反省が認められ、自由の身となったのはつい半年前のことだ。
カップ酒を傾けながら夜の住宅街を歩くのもまた、抑えきれない闘争心を解消するための行動だった。
夜な夜な徘徊していれば、因縁をつけてくる相手の一人や二人、現れてもおかしくはない。それらに対して正当防衛という形で暴れることができればと、子供じみたことを考えていたのだ。
実際、最初の数日は思惑どおりになっていた。だが、容赦なく返り討ちにするその姿はすぐさま噂になってしまったらしく、ここしばらくは誰とも接触できない日々が続いている。街の中心部ならともかく、このように閑静な住宅街では人とすれ違うことすら稀だ。
(ったく、どいつもこいつもつまんねえなあ……)
内心で毒づきながら、カップ酒を目線の高さまで持ち上げる。ちびちび飲んでいたそれも、気づけばあと二口程しか残っていなかった。
酒を切らして手持ち無沙汰となる前に帰るべきか。そう思って踵を返した彼は、ある人物と目が合った。
「……誰だ」
電信柱に潜み、そこから覗き込むようにして立っている、一人の少女。捕捉されたことに気づいたのか、彼女は体を震わせてからおずおずと通りの中央へ移動した。
「あはは……まさか、ばれちゃうなんて……」
尾行に自信ありげな物言いだ。大和も振り向くまで察知できなかったため、その類の適性が高いことは確かなのだろう。
「やっぱり私たちは、運命の赤い糸で結ばれてるんですね……!」
「あ?」
瞼を閉じ、紅潮した頬に手を当てる彼女の姿を見た大和は、一瞬、思考を停止させられた。
どすの利いた声が口から漏れていたはずだが、少女は怯える様子を見せることなく続ける。
「もしかして、忘れちゃいましたか? 私たちが初めて出会った日のこと」
「記憶にゃねえな」
「なら思い出させてあげます!」
少女は食い気味に答えると、数歩近づき、背伸びをして大和の顔に自身のそれを近づけた。
見開かれた紫の瞳が、彼を射抜く。
「そう、それは三日前のこと……」
さぞ衝撃的な出会いが語られるのだろうと思い込んでいたが、大和のそんな予想はすぐに外れることとなった。
「この近くの丁字路で、私たちはぶつかったんです!」
「……それだけか?」
「はい!」
満面の笑み。少女の脳内を埋め尽くした花畑が、表情にまで現れたかのようだった。
「そもそも、お前は誰なんだよ。少なくとも、名乗られた覚えはねえぞ」
どおりで、これ程までに癖が強い彼女のことを思い出せないはずだと納得しながら、大和は尋ねる。
「ご、ごめんなさい! 自己紹介がまだでした」
少女は慌てて頭を下げた。その忙しない動きによって、灰色の髪がふわりと揺れる。
「愛麗大学附属高校二年、灰本つかさです……あなたの名前も、聞いていいですか?」
「黄田大和。一応、山盛高校の三年だ」
つかさと名乗った少女は目を丸くしながら、大和の顔と、彼の手にある酒を交互に見ていた。
相手が抱いているであろう疑問は至極当然に思えたが、自分から明かす義理もないだろうと考えた彼は、追及される前に話を進めることにする。
「で、結局なんの用だ?」
「そ、それはですね……」
つかさは両の人差し指を突き合わせ、俯いてしまった。時折、視線を大和の方に向けながらも、顔を赤くするばかりでなかなか返事をしない。
煮え切らないその様子に彼の苛立ちは急激に加速していったが、彼が限界を迎える前に、彼女は再び口を開いた。
「わ、私と、お付き合いしていただきたいんです!」
「断る」
「ええっ!?」
予想外の言葉ではあったが、異性からの告白で動揺する程、大和の精神は貧弱ではない。それ故の即答だった。
「ど、どうしてですか? わ、私じゃ駄目ですか!?」
「ガキにゃ興味ねえんだ。さっさと帰んな」
しっしっ、と手で払う仕草をする。それから、酒を一口含み、口全体に行き届かせてから飲み込んだ。
「そ、そこをなんとかお願いします! 絶対に損はさせないので! 一週間お試しとかでもいいですから!」
「……なら、俺に勝てたら考えてやるよ」
「勝つ……?」
「ああ。殴り合いの喧嘩だ。もし魔法が使えるなら、お前にも勝機はあると思うぜ? まあ、無理にとは言わねえが」
不敵な笑みを浮かべる大和だが、本当に戦うつもりなどない。いくら粗暴とは言え、手合わせする前から明らかに格下であるとわかる相手を、一方的に痛めつけるような趣味は持ち合わせていなかった。
この条件を設ければ、つかさも大人しく引き下がるだろう。そう考えての発言だった。
「やります」
「……本気で言ってんのか?」
最後の一口を飲もうとしていたが、その手を止める。
決まりきった答えを聞き間違える程に酔っていたか。大和は自身の耳と脳を疑った。
「勝てばいいんですよね?」
そう確認しながら、つかさが穏やかな笑みを浮かべる。まるで、本当に充分な勝機があるかのようだ。
「私、こう見えて結構強いんですよ」
彼女にも間合いというものがあるのか、背を向けて数歩、大和から距離を取る。それから、手を後ろで組んで再び彼の方へ振り返った。
「私の愛、受け止めてくださいね」
つかさが小首を傾げる。だが、その仕草から可愛らしさは微塵も感じられなかった。
彼女が、強者の風格を有していたためだ。そしてそれは、大和の中にあった僅かな自制心を簡単に打ち砕いた。
「……上等だ」
最後の一口を、飲み干す。そして、彼も口角を吊り上げた。
「身の程ってもんを思い知らせてやるよマセガキ!」
合図の代わりに投げつけた、空き瓶。つかさの顔面に向かっていったそれは、彼女が両腕を伸ばした瞬間、甲高い音を立てて砕け散った。
それだけに留まらず、彼女の掌から突風が発生し、破片が次々と大和へ襲いかかる。奇襲を仕掛けたつもりが、完全に裏目に出てしまった。
「ちっ」
右へ大きく回避し、そのまま相手の左方へと回り込む。本来の身体能力では到達できない速度の動きだが、再び魔法を使われるまでに距離を詰めることはできなかった。
つかさの指先から、青白い閃光が走る。大和がそう気づいた時には、彼の肉体は同色の輝きによって包まれていた。
「ん……?」
どうやら、電気や雷といったものが放出されたらしい。気を失う程の痛みはなかったが、体が痺れたことで動きを封じられてしまった。
「これで、終わり!」
つかさの掌から、今度は炎が放出される。回避が間に合わず、大和の視界は赤く染められた。
灼熱が、身を焦がす。痛みと共に、麻痺を上書きしていく。
肉体を強化する類の魔法を使えると言っても、全く傷つかなくなるわけではない。その炎は、確かに彼の身を蝕んでいる。だが、彼の表情が苦痛で歪むことはなかった。
「まだ、始まったばかりだろうがよ!」
一歩。たったの一歩で、炎の中から脱出し、相手との距離を詰め直す。そして、その速度を乗せた拳で、つかさの整った顔面を捉えようとした。
それは彼女の掌によって弾かれたが、自身の間合いから逃さぬよう攻撃を畳み掛ける。魔法を発動する余裕すら相手にはなかったのか、大和の攻勢が崩されることはなく、このまま行けば彼の勝利は確実かと思われた。
(……なんだ?)
突如、違和感を覚える。全力で殴打を繰り返しているのに、時折、脱力してしまうかのような感覚。
痛みも疲労も残っているが、戦闘に支障をきたす程ではない。考えられるとすれば、相手からの干渉だろう。ただ、それを妨害するにはやはり攻撃を続けるしかないため、大和は思考を放棄して拳を打ち込み続ける。
「……来た」
つかさの呟き。直後、彼女は拳を握りしめ、大和が繰り出していたそれへと突き合わせた。
枝のように細い彼女の体。それに対し、筋肉の塊と言っても過言ではない程に鍛え上げられた大和の体。力比べでどちらに軍配が上がるかなど、考えるまでもない。
血迷ったか。訝しみながらも、彼は手加減することなく腕を振り抜こうとした。
そして、驚愕する。
両者の力が、拮抗していたためだ。ただの偶然ではないらしく、続く攻撃も同様に受け止められている。更には、僅かな隙を狙って反撃も試みているようだった。
「……かははっ」
状況を大まかに理解したことで、大和は思わず声を漏らす。
「そうか……お前、俺の魔法をコピーしたな?」
その問いかけに答える程の余裕はないらしく、数秒程、肉のぶつかり合う音だけが響いていた。
つかさの使える魔法が他者のそれを模倣する類のものであれば、全てに納得がいく。
風、雷、炎、肉体強化。それら全て、属性が異なる魔法だ。そして、『神』から与えられた属性は、一人一つ。本来なら、先程のような芸当は行えないはずなのだ。
何事にも例外はあるだろうと思い、深く考えはしなかったが、真実を知った今、大和は相手に強く興味を引かれていた。
「いいじゃねえか、お前……もっと、やり合おうぜ!」
感情の昂りが、大和の動きを加速させる。
初めこそつかさも対応できていたが、徐々に彼の拳が彼女の身を捉えていき、それに連れて動きは鈍くなっていった。
「らああああっ!」
腹部への、強烈な一撃。一切減衰することなく到達したそれは、つかさの体を遥か遠くまで吹き飛ばした。
痛みに悶える様子すらない。恐らくは、気絶してしまったのだろう。
「はあっ、はあっ……」
息を切らす大和。
勝利したものの、かなりの接戦だった。攻防の最中、脱力感が断続的に襲ってきていて、幾度となく隙が生じそうになっていたのだ。どうにか、相手にそれを突かれることなく立ち回れたが、疲労は凄まじい。魔法の使い勝手が未だよくわかっていないこともあってか、先程までの俊敏な動きが嘘のように、体が重く感じられていた。
それでも、彼は一歩一歩、前へと進んでいく。その瞳が捉えているのは、仰向けになって倒れているつかさの姿だった。
「……灰本、とか言ったか」
時間をかけて辿り着いた彼女の付近に屈み、その顔を見つめる。
「気が変わった。付き合ってやるよ」
届いていないであろうことは明らかだったが、声に出さずにはいられない。それ程までに、彼女との出会いは大和にとって衝撃的だった。
「その代わり、お前も俺に付き合え」
つかさの魔法があれば、しばらくは退屈しない。いい玩具を見つけたと言わんばかりに、大和は不気味な笑みを浮かべていた。




