第67話「昼食」
週明け。一週間の中でも特に憂鬱な午前の授業を乗り切って迎えた昼休み、雷貴は学園の中庭へと足を運んでいた。
校舎の壁際。その中央に設置された、たった一つのベンチに座る一人の少女を見つけ、歩幅を広くする。相手と目が合ったことで、彼は口を開いた。
「待たせてごめん、千歳」
「いえ、私も今来たところですから」
千歳が立ち上がり、挨拶を返す。吹き抜ける風によって揺らされる茶髪を押さえながら、彼女は微笑んだ。
「……逆のやり取りな気がするな」
「考えが前時代的ですよ。下手したら炎上ものです」
「それもそうか」
他愛ない話をしてから、どちらからともなく腰掛ける。それぞれ、手に持っていた弁当を太腿の上に置き、包みと蓋を開いた。
「いただきます」
声を重ねてから、それぞれ食べ始める。雷貴は好物の唐揚げから味わうことにした。
「そのお弁当は、お母様が?」
「……ああ。この間は持ってくるの忘れちゃったけど、いつも用意してくれるんだ」
「優しいお母様ですね」
「そうだな。感謝しないと」
自らの弁当を眺めながら、言葉を返す。
失礼なことを考えてしまうときもあるが、雷貴は決して自身の母親を軽んじているわけではない。日常での気配りや手助けに、少なからず感謝を覚えている。
ただ、それを相手に伝えられているかはわからない。恩返しも兼ねて、何か贈り物でもするべきかと考えた。
「……それで、今日はどんなご用件で声をかけてくださったんですか?」
箸の往復を何度か繰り返した後、千歳からそう尋ねられる。
この場に誘ったのは、雷貴の方だった。当然、ただ昼食の時間を共にしたいというだけでなく、明確な別の理由があって彼女の時間を拝借している。
「セレスのことで、ちょっとな」
「……彼女が、何か?」
訝しげな表情を浮かべる千歳。
自身に向けられたものなのか、あるいは話に上がったセレスへ向けられたものなのか。それを確かめるために、雷貴は言葉を続ける。
「いや、クラスの方に馴染めてるのかなって」
「……どうなんでしょう。彼女のカリキュラムは特別みたいで、魔法学の授業以外で見かけることがほとんどないので、わからないです」
「そうなのか?」
「ええ。他学年の魔法学の実習にも顔を出しているようなので、自警団の活動以外では、休み時間にたまに見かけるぐらいなんですよ」
「へえ……」
雷貴のクラスでの実習に、セレスが現れたことはない。そのため、彼女のカリキュラムについて知る機会はなかった。
「千歳は、セレスと仲良くやれてるか?」
「……多少なりとも、好ましく思ってはいます」
でも、と続けるが、それきり千歳は黙り込んでしまう。何か、躊躇っているかのように見受けられた。
「何かあったのか?」
「……悪い子では、ないと思うんです。ただ、たまにやりすぎるときがあるというか」
そこまで聞いて思い浮かんだのは、つい先日の光景。騒動の首謀者をセレスが切りつけた、あの場面だった。
「……具体的には?」
食べたばかりのものを吐き出さぬよう堪えながら、話を進める。セレスのことをもっとよく知らなければと、雷貴は考えていた。
「自分が『悪』と認識した相手に対して、容赦がないんです。それこそ、命を奪いかねない勢いで……」
千歳もまた、自身の掲げる正義を貫くために暴走することがしばしばある。ただ、彼女は法や規則のもとに律することが目的なだけで、相手を必要以上に傷つけることは良しとしていない。
だが、セレスは違う。あのとき雷貴が感じられた確かな殺意を、千歳も感じたことがあるのだろう。彼女の声は、少しばかり震えていた。
「この間、動物園での依頼でも、同じようなことがあった」
「本当ですか?」
「ああ。なんとか止められたけど……このままじゃ、いずれあいつは、本当に……」
口を噤む雷貴。その先を言葉にしたら、現実になってしまう気がしたのだ。
千歳もそれがわかったらしく、続きを促すようなことはなかった。箸を止め、どこか一点だけを見つめている。
「彼女、前に言っていたんです。『ボクの住んでいたところでは、制裁として命を奪うことなんて珍しくなかった』って」
「……どういうことだ?」
今の時代、殺人が許容されることなど、ほとんどない。止むに止まれぬ事情があったとしても、刑罰を受けることがほとんどだ。
「それ以上は答えてくれませんでしたが……彼女は本当に、『悪』への情けは無用だと考えているようです。法すら度外視して動ける程に」
セレスを理解するためには、やはり彼女のことをよく知るしかない。だが、直接尋ねたところで納得のいく返事を貰える可能性は低そうだった。
ならば、取れる行動は一つ。
「なあ、千歳。セレスについて調べることってできないかな」
セレスの出生や経歴。それを辿れば、彼女の価値観の由来を理解できるのではないかと考えたのだ。
「……難しいでしょうね。海外の、それも個人に関する情報を得るのは、なかなか骨が折れそうです」
「そうだよな……んぐっ!?」
嘆息した雷貴の口に、何かが侵入する。
どうやら、千歳の箸によって運ばれたもののようだ。柔らかい食感が、口の中に広がる。
甘く、優しい味だった。
「まあでも、やってみるとしましょうか。私も、セレスに一線を越えさせたくはないですからね。彼女を止めるための手掛かりを得る、という目的で、頑張ってみます」
「……ありがとう、千歳」
「いえ、私がやりたくてやるだけですから」
微笑みながら、千歳がそう答える。緊張や恐怖は、彼女の心身から既に抜けているようだった。
「とりあえず、宇治先生を頼ってみることにします。進展があれば都度連絡するので、緑間先輩は今までどおりに動いてもらえませんか?」
「何か手伝わなくていいのか?」
「セレスに気取られるわけにはいきませんからね。しばらくは私一人で情報収集に当たります」
「……無茶はするなよ」
「ええ、もちろんです」
千歳の身が心配ではあったが、彼女の言い分がもっともだということも理解できていたため、雷貴は一言告げるしかできない。せめて、前回の反省を活かしてもらえればと、そう願った。
「……話は変わりますが、近々、山盛高校の学園祭があるのはご存知ですか?」
「あれ、もうそんな時期だったか?」
山盛高校。バイト仲間の藤咲クロが通う公立高校だ。
その学園祭が開催されるのは、確か六月頃。近いと言う程近くもないはずだが────そんなことを考えながら、雷貴は千歳の言葉を待つ。
「宇治先生が言うには、山盛高校の自警団がなんらかの催しをするらしいのですが……人員不足を解消するために、各自警団へ協力要請が出されたそうです」
「へえ。何するんだろうな」
「まだ企画段階にあるとのことですが……実習のような、魔法を用いての模擬戦闘になるんじゃないでしょうか」
「戦いか……」
呟きながら、雷貴は表情を強張らせた。
特別、戦いが苦手というわけではない。自警団の活動で交戦することは珍しくないため、戦闘経験が実習のみであろう同級生と違い、場慣れしている自覚があった。
それでも、自惚れまではいかない。
「俺ももっと、強くならないとな」
「私からすれば、充分強いと思いますけどね。使える魔法にも恵まれてますし」
「いや、全然だよ。っていうか、人に向けて使うなって言われてるせいで、まともに鍛えられてないんだ。より弱い電気を使う練習ぐらいしか、今はできてない」
魔法学の実習でも、自警団の活動でも、全力で魔法を発動できたことはなかった。自主的な特訓に励もうと考えたこともあるが、場所や時間を確保できず、実現には至っていない。故に、雷貴は未だ自身の限界を知らなかった。
「このままじゃ駄目だ。きっと、俺よりも強い奴は少なくないだろうし」
脳裏に浮かぶは、体格に見合わぬ大鎌を持った少女の後ろ姿。万が一のとき、彼女を止められる程の実力が欲しい。そう考えていた。
「なら、それも宇治先生に掛け合ってみましょうか。もしかしたら、いい特訓相手を見繕ってくれるかもしれませんし」
「そうだな」
今後の方針が決まったことで、僅かにだが心が軽くなる。ふと時計に目をやると、思っていた以上に時間が経過していることに気づいた。
教室まで戻ることや午後の準備を考えれば、あまり猶予はない。まだ半分以上残っている弁当を片付けるべく、雷貴は口数を減らして咀嚼に没頭するのだった。




