第66話「価値観」
「これは……!」
悲鳴の発生源へと辿り着いた雷貴は、目を丸くする。
本来、檻の中に閉じ込められていなければならない多種多様な動物が、解き放たれて園内を駆け回っていたためだ。
「まさか、脱走したのか……?」
「いや、少し、変」
先程セレスが考えていたとおりに自由を求めていたのかと思ったが、続く彼女の言葉を聞いたことで、雷貴も現状を正確に把握することができた。
「動物から、魔力反応がしてる……」
雷貴の言葉に、セレスが頷く。
あの日、『神』から魔力が与えられたのは、人間だけだ。魔力関連の研究が始まってから日は浅いが、『人間以外の生命体には魔力が宿っていない』という結果が発表されている。朋世の授業でも習ったことがあるため、その認識は間違いないだろう。
それでも、今、目の前にいる動物たちから感じられる魔力反応は、確かなものだ。それが示す事実は、ただ一つ。
「誰かが、魔法で動物を操ってるってことか」
そのような魔法があるのか定かではないが、不可能だとも思い難い。セレスも同じ考えに至ったのか、否定することはなかった。
「犯人を見つけ出して捕まえれば、解決すると思うけど……」
「その前に、動物たち、止めなきゃ」
そう言って、セレスが駆け出す。
来園客の避難は、未だ完了していない。悲鳴を上げながら方々に散っているが、襲われないよう当てもなく逃げているといった様子だ。
そんな人々を、動物たちが容赦なく追い回している。目に見える範囲では負傷者は確認できないが、このままでは甚大な被害が出かねない。犯人の捜索に加え、動物の鎮静化にも並行して取り組む必要があった。
「気をつけろよ、セレス!」
「問題ない」
付近で唸り声を上げていた、一匹のライオン。セレスはその正面に立って、相手の視線を引きつけた。直後、目にも止まらぬ速さで相手の左方に回り込むと、がら空きの胴体へと掌底打ちを繰り出す。
たったそれだけで、百獣の王はその場に倒れた。
「……やるなあ」
目の前の光景に圧倒され、雷貴は引き攣った笑みを浮かべる。セレスが戦闘に慣れていることは事前に知っていたが、ここまでとは思いもしなかったのだ。
「俺も動かないと」
次に向かったセレスの後ろ姿を視界から外し、雷貴も動物のもとへと走り出す。
狙いは、子連れの母親とおぼしき女性を追い回す、一匹のシマウマ。両者が接触するまでに辿り着くことは困難だが、魔法を使えば止めることが可能だ。彼は人差し指を伸ばし、その先端に緑色の輝きを集中させていく。
(強すぎず、弱すぎず……)
動物たちもまた、被害者だ。過度に傷つけるわけにはいかない。やや強めの静電気を意識しながら、雷貴はシマウマに向けて雷を放った。
(どうだ……?)
魔法は無事に命中し、白黒の体を緑色の雷が包み込む。威力を調節したためか、すぐにそれは消えてしまったが、シマウマの動きを止めることには成功したようだった。
ただ、気絶させることができたわけではない。雷貴はすかさず前方へと回り込み、女性の追跡を阻みながら相手の様子を見守る。
(……襲っては、こないな)
シマウマはやけに大人しくなっていた。痛みのあまり動けないというわけでも、失神してしまったというわけでもなさそうで、ただただその場に立ち尽くしている。
人々の安全を優先するのであれば、完全に無力化させるべきだろう。だが、セレスのように狙って気絶させることは難しいため、周囲の人々がある程度距離を取れたと確認してから、彼は別の動物に対処するべく動き出した。
(次は……)
他の自警団も続々と集まり、事態の収束を目指して戦っている。その甲斐あってか、暴走する動物は見る見るうちに数を減らしていた。
これならば、じきに────そう油断した時のこと。
「雷貴! 上!」
どこからか、セレスの声が聞こえる。言われるままに見上げると、空高くを飛行している一羽の鳥が視認できた。
(あれは、梟か……?)
そんなことを考えている間に、梟は急降下を始める。
軌道上にいるのは、別の自警団の青年。雷貴と同じく、交戦を終え、次の動物を相手取るべく走っている最中のようだった。
(まずい……!)
青年に声をかけるよりも早く、梟へと雷を放出する。進行方向に広がったそれを回避するためか、相手は軌道を修正して空へと舞い戻った。
そして、その眼光が雷貴へ向けられる。
「来いよ」
その言葉に応じるかのように、梟は再び急降下して雷貴を狙った。
彼は逃げることなく、相手を待ち構える。それにより、両者の距離が瞬く間に詰められていった。
(……ここだ!)
正面から飛来していた梟に、再び雷を放つ。
それが命中したことで、相手は大きく姿勢を崩した。ただ、推進力がすぐに消えるはずもなく、そのまま雷貴のもとへ向かい続ける。
彼は回避せずに、その身を受け止めた。
「ぐっ、くうっ……!」
爪が、嘴が、体に突き刺さる。こうなることは理解していたが、梟が地面に衝突する可能性があった以上、避けるわけにはいかなかった。
「雷貴!」
負傷する瞬間を目撃していたらしく、セレスが雷貴のもとへ駆け寄る。顔こそ見えないが、彼女の声からは焦りや動揺が感じられた。
「大丈夫……?」
「ああ、なんとかな」
彼女を安心させるべく、雷貴は笑顔を浮かべる。
幸い、傷は深くない。穏やかになったらしい梟を地に下ろしてから立ち上がり、歩き出そうとした。
そんな彼の肩が、セレスによって掴まれる。
「待って」
「どうかしたか?」
「あとは、ボクがやる。雷貴は休んでて」
「大丈夫だって。それに、そうも言ってられないだろ」
動物の暴走自体はほとんど解決していたが、首謀者を未だ見つけられていない。このままではいつまた同じ魔法が使われるかわからないため、一刻も早く身柄を拘束する必要がある。故に、休んでなどいられなかった。
「でも……」
「いやー、泣かせるじゃねえか、ガキ共」
雷貴のものでも、セレスのものでもない声。それが横方向から聞こえたことで、二人は咄嗟に振り向いた。
「動物を傷つけないよう自分が傷ついたガキと、それを心配するガキ。これが青春ってやつか」
そこにいたのは、一人の老人だ。ひどく薄汚れた身なりをしていて、心なしか悪臭まで漂ってくる。手には酒類と思われる缶が握られていて、この事態など気にも留めていないと言わんばかりにその中身を口内へと流し込んでいた。
「誰ですか、あなた……?」
「誰、か……誰だったかな。この歳になると、物忘れがひどくてなあ。いや、酒のせいかもしれねえなあ」
「とぼけるな」
セレスが一歩前へと踏み出し、雷貴を庇うように位置取る。
「お前だろ。犯人」
彼女がそう結論づけた理由に、雷貴も気がついていた。
老人から感じられる魔力と、暴走していた動物たちに宿っていたそれが、酷似していたためだ。自警団の活動を通して、彼は魔力反応の判別がある程度可能になっていた。
恐らく、今回の騒動を引き起こしたのはこの老人なのだろう。そうわかってはいるのだが、確証を得られたわけではないため、警戒しながら相手の自白を待つしかなかった。
「犯人? 犯人ねえ……」
「答えろ!」
激昂するセレス。それの何がおかしかったのか、老人は唾を飛ばして盛大に笑い始めた。
「そう怒るな。血圧が上がっちまうぜ? 血圧が上がると、いいこたぁねえんだ。酒を控えるように言われるし……それから、なんだったか……へへっ、忘れちまった」
そう言って、老人が再び缶を傾ける。だが、液体の流れはすぐに雫の落下へと変化し、やがて完全に消滅してしまった。
「……まあ、なんだ。おめーの予想どおり、これは俺の仕業だ」
未練がましく缶の中を覗き込みながら、老人がようやく自白する。中身が空になったとわかっているにもかかわらず、手に持ったそれを投げ捨てる様子はなかった。
「どうして、こんなことを?」
今にも飛び出すのではないかという様子のセレスだったが、意外にも冷静に話を続けている。問いかけは、相手に情状酌量の余地があるのかを確かめるためか。
「俺ぁな、動物園が嫌いなんだよ……動物園を見ると、行きたくても行けなかった貧乏なガキの頃を思い出すからな」
「……そうか」
セレスが、フードを深く被り直す。彼女の魔力反応は急激に強まっていて、はち切れんばかりだった。
「俺からも一ついいか?」
それを知ってか知らずか、老人が不敵な笑みを浮かべたまま手に持った缶を回す。
「俺が、動物たちを操ってた犯人だって、そうわかったんなら、どうしてすぐに動かなかったんだ?」
もう片方の腕を二人に向けて伸ばしてから、老人は続けた。
「俺ぁ、動物を操れるんだぜ? 人様が無理だって、どうして思ったんだよ」
老人の掌から、薄紫の光が広がる。
(しまった────)
雷貴がそう思った瞬間には、二人の身は輝きに包まれていた。抵抗する間もなく、光が浸透していく。
自分たちも、老人の手駒となってしまうのか。そんな思考がよぎったが、雷貴の脳内はすぐに違和感で満たされることとなる。
(……何も、起こらない?)
どれだけ経っても、雷貴の思考が塗り潰されることはなかった。彼は未だ明確に自我を持っている。老人のことも、敵として認識できていた。
ならば、セレスはどうだろうか。浮かんだ当然の疑問を解消するべく彼は声をかけようとしたが、それよりも早く彼女が動き出したことでその答えを思い知らされた。
「え……」
放られた空き缶が宙を舞い、地に落ち、音を立て、転がっていく。そんな一連の流れが、雷貴にはやけにゆっくりと感じられた。
脳による処理が、遅れていたのだ。
眼前で撒き散らされた、鮮血によって。
「次で仕留める」
そう呟いたセレスの手には、先程まではなかったはずの大鎌が握られていた。
彼女の魔法によって出現したものだ。その情報自体は事前に知っていたため、特に驚くようなことではない。
問題は、彼女がその鋭利な武器で相手を切りつけたこと。
一切の躊躇がなかった。相手が咄嗟に一歩退かなければ、その肉体は分断されていたことだろう。そう思える程に、彼女からは明確な殺意が感じられた。
それは尚も健在で、怯えきった様子の老人に向けられている。言葉どおり、次の一振りでその命の灯火は消えるはずだ。
「セレス!」
そうなる前に。彼女がそうしてしまう前に。動揺から反応が遅れはしたものの、雷貴はどうにか声を振り絞ることができた。
「やめろ、セレス!」
「……どうして?」
セレスは振り向きもせず、刃の先端を相手の首筋に当てながら尋ねる。
「どうして、って……」
「こいつは、悪い奴。なら、殺さなきゃ」
「……もしそうだとしても、お前がそれをする必要は、ないだろ」
善悪で区別するのなら、この老人は間違いなく後者だ。だが、殺すべきかどうかは、自分にもセレスにも判断できることではないだろう。
咄嗟に浮かんだそんな考えを言葉にしたが、それは雷貴の本心ではなかった。彼女を止める一番の理由ではなかった、と言った方が正しいか。
人が死ぬ瞬間を────仲間が誰かを殺める瞬間を、彼は見たくなかった。
「捕まえて、警察に引き渡す。それだけでいい!」
走り出し、セレスを老人から無理やり引き離せばいいはずだ。だが、負傷のせいか、それとも芽生えた恐怖のせいか、雷貴は足を動かすことができなかった。
「セレス!」
声を上げることしかできない。ただ、己の不甲斐なさを恥じながらも、今、自身にできることをやめようとは思わなかった。
「……雷貴も、そうなんだね」
そう返した後、セレスは大鎌を消滅させる。それから、素早く相手の背後に回って手刀を浴びせた。
気絶させられたことで、老人の体が倒れる。赤が、地面に広がっていく。
「ボク、帰る。あと、よろしく」
呆然としていた雷貴の思考を引き戻したのは、セレスのそんな言葉だった。直後、彼女は返事も待たずにどこかへと去っていく。
追いかけたい気持ちはあったが、重傷の老人を放置するわけにもいかない。自警団としての責務を果たすべく、雷貴は体の震えを堪えて後始末に取り掛かるのだった。




