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クロと黒歴史:補完篇  作者: ムツナツキ
第五章『色彩と黒歴史──壱──』
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第65話「セレス」

 週末、(らい)()は県内の動物園へと足を運んでいた。(とも)()の尽力により正式に設立された、(えい)(さい)自警団の活動を行うためだ。ただ、普段に比べて僅かに気が緩んでいた。

 今回、警察を介して学園に届いていたのは、園内の巡回を手伝ってほしいという要請。問題が発生しない限りは自由に園内を見学していいと言う依頼人の厚意に甘え、彼は堂々と動物に視線を送っていた。


「動物園に来るのなんて、小学生ぶりとかかなあ……セレスティーナは?」


 振り向き、数歩後ろをついてきていた少女に声をかける。

 今回の依頼を担当しているのは、雷貴だけではない。自警団への一時的な加入が認められたセレスティーナも一緒だった。

 他の自警団からも人員が派遣されているため、一人でも充分にこなせる依頼だが、これを機に仲を深めるべきだという()(とせ)による提案のもと、二人で活動を行うこととなっている。ちなみに、言い出した本人は別の依頼を引き受けていてこの場にはいない。


「ボクは、初めて」


 俯きながら答える彼女の顔は、黒いパーカーのフードに隠れてしまって見えなかった。

 学生が自警団の活動を行う場合の服装については、規定されていない。明確に決められているのは、団員証の携帯ぐらいだ。

 雷貴もまた、緑色の上着と黒のボトムスを着用している。制服ではやや身動きが取りづらく、非公認時代も登下校中以外は私服での活動を行っていたため、ありがたい限りだった。


「そっかそっか。どうだ? 楽しめてるか?」


「楽しむ……?」


 おかしな質問ではないはずだが、彼女は首を傾げている。視線を上げたことで、影の中にある桜色の輝きが僅かに揺れたのを、雷貴は確認できた。


「よく、わからない」


 ただ、と彼女は続ける。


「閉じ込められて、見せ物にされてる、動物たちが……可哀想とは、思う」


「可哀想、か……」


「……変?」


 自信なさげに尋ねる彼女を見て、雷貴は首を横に振った。


「この場にいる人たちからしたら、共感しづらいことかもしれないけど……セレスティーナの言いたいことも、少しわかるよ。間違ってるなんて思わないし……その価値観を正そうとも、正してほしいとも思わない」


 正答が一つとは限らない。視点が違うだけで、事実は何通りにも解釈することができる。その可能性をあえて狭めようなどと、雷貴が考えることはない。


「そのうえで、俺の考えを聞いてほしいんだけど」


 自分では思いつかなかった考えを、雷貴は彼女から得た。ならば、今度は彼から彼女に教える番だ。


「ここで飼育されてる動物のほとんどは、生まれたときからここにいる……と、思う。少なくとも、自然界で暮らしてるところを無理やり連れてこられたってわけじゃ、ないと思うんだ」


「……少し、難しい」


「ああ、ごめん。翻訳を……」


「いや、それは、大丈夫」


 スマホを取り出そうとした雷貴だが、セレスティーナに制止される。


「頑張って、聞き取る。もう少しだけ、わかりやすく、お願い」


「……了解」


 文明の利器に頼らず努力を続ける姿勢に、雷貴は胸を打たれた。彼女の意志を尊重し、ポケットに伸ばしていた手を引き戻す。


「俺が言いたいのは、本来の生息域ではないにしても、ここにいる動物たちにとって、ここは確かな居場所なんじゃないか、ってこと」


 簡潔な説明というのは、思いの外難しい。上手く伝わっているか不安になり、雷貴は一旦言葉を区切った。整理できたらしい相手の頷きを確認してから、再び口を開く。


「餌もあって、病気の心配も自然界にいるよりは少なくて、外敵に狙われる恐れもない。幸せ……って決めつけるのは傲慢かもしれないけど、動物たちは、今の在り方も悪くないと思ってるんじゃないかな」


 言いながら、雷貴は周囲を見回した。

 様々な動物たちが、機嫌の良さそうな鳴き声を上げ、思い思いに過ごしている。不満を抱いていたり、哀しみに暮れていたりといった様子は見受けられなかった。

 それは、セレスティーナの目にも映っているはずだ。だがそれでも、彼女は納得できていないらしい。


「……そこに、自由がなくても?」


「どうだろうな。まあ、動物の声が聞けるわけでもないから、結局は俺たちがどう解釈するか次第なんだけど」


 人間同士でさえ、互いの胸中を察せないことは珍しくないのだ。動物の感情を完全に読み取ることなど、不可能に近いだろう。


「とりあえず今は、俺たちなりに楽しんでみないか? 俺たちがここの動物たちにできることって、それくらいしかないと思うし」


 考えに考えたのなら、一度、その思考から離れてみるという選択も悪くない。寄り道をして、刺激を受け、更なる別の価値観を知って、それから再び同じ疑問に向き合ったとき、新たな気づきを得ることができるかもしれないのだから。


「……わかった」


 フードを深く被り直したことで、見えかけていた彼女の表情が再び闇の中へと隠れてしまう。ただ、落ち着いた声色であることから、気分を害したわけではないのだろうと感じられた。


「セレスティーナは、どこ見てみたいとかあるか?」


「任せる」


「そっか。じゃあどうしようかな……」


 視線を方々に動かし、彼女の興味が引かれそうな場所を探す。そんな雷貴の服の裾が、後ろから軽く引っ張られた。


「……何かあったか?」


 行きたい場所を思いついたのだろうか。それならば大歓迎だと思いながら雷貴は振り向いたが、セレスティーナからかけられた言葉は意外なものだった。


「セレスで、いい」


「え?」


「千歳も、そう呼んでるから。それで、いい」


 セレス。彼女の名前の省略形らしく、初めて会ったときから千歳もそう呼んでいた。それを知っていて尚、雷貴がそう呼ばなかったのは、まだそこまでの仲になれていないのではないかという心配があったためだ。


「わかったよ、セレス」


 断る理由などない。雷貴は気恥ずかしさを覚えることもなく、その名を口に出す。少々不自然な略称にも思えたが、彼はイタリア語について造詣が深いわけではないため、言及しないことにした。

 気を取り直して、セレスが楽しめるような場所を探すべく歩き出す。人集りの中では彼女が疲れてしまうだろうと思い、なるべく、人が少なく落ち着いた雰囲気の場所を探していた。

 それから十分程経過して辿り着いたのは。


「触れ合い、コーナー?」


 野外に設置された木製の柵の中で、元気良く駆け回る数多くの小動物。それらの動きに困惑するかのように、セレスは呟いた。


「どうして、ここに……?」


「どうしてってこともないけど……楽しそうだったから?」


 セレスからの問いかけに、雷貴は疑問形で返す。尚も翻弄されているらしいセレスを横目で見ながら、ハリネズミを抱きかかえた係員の女性に声をかけた。慣れた様子の係員から説明を受けた後、彼女に撫でられていたハリネズミを掌で出迎える。


「かっわいいなあ……ほら、セレスも触らせてもらいなよ」


「え、で、でも……」


「いいから、ほら」


 恐る恐るといった様子で、セレスは掌を差し出した。雷貴が指を重ねるようにすると、ハリネズミは彼女のそれへと渡り歩いていく。


「わわっ、わわっ……」


 慌てているが、落としたり乱雑に扱ったりする様子はない。セレスは緊張しながらも、小さな命を優しく包み込んでいた。


「頭の方から、尻尾の方に。一定の方向で撫でるといいらしい」


「こ、こう……?」


 ぎこちない手つきで、ゆっくりと撫でていく。それが心地良かったのか、ハリネズミは満足そうに高い鳴き声を上げた。


(……楽しめてる、のかな)


 撫でる度に、セレスの動きは柔らかくなっていく。フードの中に見えた彼女の表情もまた、同様に。

 ひとまず、感想を聞いてみよう。そう思い、雷貴が彼女に声をかけようとした、その瞬間────どこからか悲鳴が聞こえた。


「……なんだ?」


 動物の鳴き声とともに聞こえてきた、人の悲鳴。

 この場が、絶叫マシンで有名な遊園地であれば、さほど気にはならなかっただろう。

 だが、ここは至って普通の動物園だ。普段見ることのできない動物に対してどれだけ興奮したとしても、ここまでの叫びを上げることはない。しかも、悲鳴は一度だけでなく、何度も同じ方向から聞こえてきている。

 緊急事態だ。そう判断した二人は顔を見合わせると、係員にハリネズミを預け、悲鳴が聞こえた方へ向かって駆け出した。

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