第64話「発足」
始業式の日に、授業はない。新たなクラスでの自己紹介や教材の受け取り等を午前中で済ませ、昼過ぎには帰宅することが可能となっていた。
だが、雷貴が家に直行することはない。アルバイトに行くわけでも、非公認での自警団の活動に勤しむわけでもなかった。
彼が足を運んだのは、校内のとある一室。目の前にあるドアの上には、『家庭科準備室』の文字が記されていた。
「失礼します」
叩いたドアを、挨拶するとともに開く。雷貴の視線の先には、丸椅子に腰掛けた一人の女性の姿があった。
「お、早速来てくれたん? ありがたいわぁ」
宇治朋世。本日より鋭才学園に赴任することとなった、魔法学の指導教員だ。既に何度もこの教室を訪れているのか、緊張した様子もなく伸び伸びと過ごしていた。
「もしかしたら、他の子たちに質問攻めにされて、話す時間作れないんやないかと心配しとったんやけど……意外とみんな来ないもんやねぇ」
どうやら、雷貴が一番乗りだったらしい。軽快に話す朋世だが、苦笑いを浮かべているようにも見える。
「帰りのショートが長引いてるクラスが多いみたいですよ。うちのクラスの奴らは、まず俺の用を済ませるべきだって言ってくれたので、明日以降に来るんじゃないかと思います」
「あらそう? 友達想いな子が多いんやねぇ。感心感心……さて、世間話はこのへんにして、そろそろ本題に入るとしよか」
柔らかな笑みへと変えながら朋世は立ち上がり、雷貴の方に数歩近づいた。
「ここに来てくれたってことは、自警団の正式な設立に力を貸してくれるって考えてええんかな?」
「はい」
迷わず即答する雷貴。そんな彼を見て、朋世は顔をしかめた。
「わかってるとは思うけど、自警団の活動は大変やで? 魔法を使った戦闘が日常茶飯事になるから、怪我はもちろん、最悪、命を落とすことだって考えられる。それでも、引き受けてくれるん?」
どうやら、雷貴の身を案じているらしい。諭すように言葉を紡ぐ朋世が抱いているであろう懸念は、彼にも察せられていた。
確かに、自警団の活動は決して簡単なものばかりではない。この半年で命の危険を感じたことは一度や二度ではなかった。交戦して無傷でいられることは少なく、日々、生傷が増えている。疲労も溜まり、日常生活にも支障をきたす程だ。
辛く、苦しい。
それでも。
「俺に、できることがあるなら」
人のために。世界のために。
小さくとも、少なくとも、自分にできることがあるのなら、それをせずにはいられない。
「……なら、お言葉に甘えさせてもらうとしよか」
雷貴の覚悟が伝わったのだろう。朋世は困ったように笑いながら、机の上に伏せてあった書類を手に取って彼へと差し出した。
「ほいこれ。入部届けね。親御さんにも許可貰って判子を押したら、晴れて自警団の一員や」
ただし、と続けてから、朋世が人差し指を立てる。
「ちゃんと、ご両親とは話し合うんよ。もし反対されたなら、そのときは自警団への加入は諦めること。いい?」
「わかりました」
返事をしつつも、そうなる可能性が少ないであろうことを雷貴は理解していた。
そもそも、非公認での自警団の活動に明け暮れていると、彼は両親に告げているのだ。打ち明けたときは心配こそされたが、説得することができたため、今更反対されるとは思えなかった。
「まあ、お願いしてるうちが言うのも、おかしな話やけどな」
朋世が腕を引き戻し、その指で頬を掻く。
気の利いた言葉が思いつかず雷貴は苦笑いを返す他なかったが、ドアを叩く音が聞こえたことで、助けを求めるようにそちらへと振り返った。
「失礼します」
来訪者は、二人の少女。一人は、下に縁がついている眼鏡と茶色のボブカットが特徴的な、鋭才自警団員の一人だった。
「千歳! それに……」
千歳の背に隠れるようにして立つ少女にもまた、見覚えがある。
銀にも見える、淡い水色の髪。腰まで伸ばされた艶やかなそれが照明の輝きに照らされることで、神秘的な雰囲気を彼女に与えていた。
近くで見るのは初めてだが、間違いない。今朝紹介された、イタリアからの交換留学生に他ならなかった。
「確か、セレスティーナって言ったっけ……どうして二人が一緒に?」
「教室でもみくちゃにされてるのを、無理やり連れ出したんです。なんか、見てられなくて……」
裾を掴まれながら、千歳が答える。
想像どおり、いや、それ以上に、セレスティーナは人見知りらしい。そんな彼女を誰に言われずとも助け出した後輩の存在を、雷貴は誇らしく思った。
「で、落ち着いたところで別れようとしたんですけど、宇治先生に会いに行くと伝えたら、一緒に行きたいと言われたので、そうした次第です」
「なるほどなるほど。連れてきてくれてありがとうねぇ」
「いえ、ついでですから……あの、セレス? そろそろ放してもらえない? 動きづらくて……」
ドアを閉めようとしたらしい千歳が、そう告げる。普段より声音が少しばかり高いのは、相手を萎縮させないためだろう。
そんな気遣いが伝わったかどうかは定かではないが、セレスティーナはゆっくりと千歳の服から手を放した。ただ、緊張しているのは確かなようで、雷貴、朋世、そして床の三箇所へと、何度も何度も忙しなく視線を動かしている。
そんな彼女の顔を見つめ、雷貴は口を開いた。
「俺は、緑間、雷貴。よろしく、セレスティーナ」
穏やかな表情と、声色で。聞き取りやすいよう、ゆっくりと話しかけた。
「……よろ、しく」
しばしの沈黙の後、そんな言葉が返される。
視線を逸らされてしまったが、無視されなかっただけでも良しとしようと思いながら、雷貴は千歳の方を向いた。
「ところで、千歳も自警団について話しに?」
「も、ってことは、やっぱり緑間先輩もその件で来たんですね」
「ああ。新しい自警団に合流することにしたよ。千歳はどうする?」
「当然、私もそのつもりですよ。正式な活動を行えるなら、それに越したことはありませんから」
予想どおりの言葉が、彼女の口から語られる。
「ほんまに助かるわぁ。ありがとうねぇ、千歳はん」
「いえ。私がやりたくてやってることですから」
謙遜などではなく、千歳は心からそう思っているのだろう。それなりに長い付き合いである雷貴には、それがわかった。
「さて、これで早くも二人集まったわけだけど……もう一人いないと、部として発足できないんよねぇ……」
部活動を新規で立ち上げるには、最低でも三名の部員が必要だ。自警団が部活動扱いとなる以上、その条件を満たさなければ活動は行えない。
「当てはあるんですか?」
雷貴の問いを受け、朋世は困ったように小さく唸った。
「今朝魔力を確認した感じ、自警団の戦力になりそうな子は他に数人いたんやけど……その子らが首を縦に振ってくれるかまでは、わからんなぁ」
「その数人に断られたら、すぐには活動できなそうですね……」
自衛できる程度の戦闘能力を有していなければ、自警団員として活動することは難しい。戦闘向きの魔法を使えない生徒でも、鍛錬を積めば二人と同じ域に達することができるだろうが、どれだけの期間を要することになるかわからない。千歳が言いたいのは、そういうことだろう。
発足する前から、早くも雲行きが怪しくなっていた。妙案が浮かぶこともなく、皆同じように黙り込んでしまう。
「あ、あの」
静寂を破ったのは、弱々しい一声。それの主であるセレスティーナのもとに、視線が集中する。彼女は驚きから体を震わせ、左右に視線を動かしながらも、再び口を開いた。
「ボ、ボクも、それ、入りたい……」
「……自警団って、魔力絡みの事件や事故を、公的機関の代わりに解決するための組織よ? 本当に、それに入りたいの?」
自警団について勘違いしているのかもしれない。千歳はそう考えたらしく彼女に尋ねたが、口の開閉を繰り返すばかりの相手を見たことで謝罪を述べる。それからスマホを取り出し、操作した後に再び同じ言葉を口に出した。
画面を見て頷くと、セレスティーナにもそれを向ける。直後、スピーカーから機械的な音声が流れた。
日本語ではなく、外国の言語だ。恐らく、アプリか何かを使ってイタリア語へ翻訳したのだろう。聞き取れたわけではなかったが、雷貴が状況からそう推測することは難しくなかった。
「う、うん……」
「……どうするんですか?」
頷きを確認した後、雷貴は朋世へと視線を動かす。本人がどれだけ望んでいても、顧問である彼女の許可が降りなければ加入は不可能だからだ。
「セレスティーナはんの使える魔法は、うちも把握してる。戦力としては申し分ないんやけど……ちと問題があってね」
「問題?」
「自警団は、実質的に警察の代替組織。籍がイタリアにあるセレスティーナはんが日本のそれに所属するのは、外交上よろしくないんよ」
「ああ……」
納得から、雷貴はそんな声を漏らした。
例えば、セレスティーナが自警団の活動で何かしら失敗したとする。そのとき、『日本へ不利益を与えるための意図的な行為だ』と邪推する輩が現れないとは限らない。
そんな意見があるとわかれば、彼女が籍を置く高校の教師陣もいい顔はしないはずだ。抱いた不満は、更に上の存在、政府関係者にまで広がる恐れがある。場合によっては、新たな国際問題が生じかねない。
そういった危険が考えられる以上、朋世も二つ返事で了承するわけにはいかなかったのだろう。
「貴方、どうして自警団に入りたいの?」
「……悪い奴、倒したい」
今度は、翻訳を使わずとも会話が行えた。ゆっくり、かつ短ければ、彼女は日本語でも聞き取ることができるらしい。
「一つ、質問してもええかな」
人助けのためではなく、悪を滅するため。開口一番にそう返した少女を見て何を思ったか、朋世はいつになく真面目な表情で話しかけた。
「戦いとか、争いとか……そういうのが好きなん?」
声を出す代わりに、セレスティーナが首を横に振る。どうやら、暴力を正当化するために自警団へ加入したいわけではないらしい。
「……そっか」
信じることにしたのだろう。制服の裾をこれでもかと引っ張って小刻みに震えている少女を安心させるためか、朋世は穏やかな笑みを浮かべた。それから腕を伸ばし、親指を立てる。
「よし、うちに任せてぇな。なんとか上に掛け合ってみるから!」
「大丈夫なんですか? そんな安請け合いして」
一教師が解決できるような問題だと思えず、雷貴は疑問をぶつけた。反対するつもりはないが、過度に期待させるのは気が進まなかったのだ。
「生徒のお願いを叶えるのも、教師の役目やからね。まあ、難しいとは思うけど、できるだけやってみるわ」
「ありがとうございます……良かったわね、セレス」
「うん……あり、がとう」
千歳に続いて、頭が下げられる。雷貴の瞳が次に捉えた彼女の表情は、僅かに柔らかくなっていた。
これ以上の口出しは野暮かと思い、彼もこの件を朋世に任せようと決める。後輩の希望が叶えられますようにと願いながら、先程渡された入部届けを鞄の中へとしまうのだった。




