第63話「来訪」
四月。春の暖かな陽射しが、雷貴の眠気を誘う。立ちながらも夢の世界へと入り込めそうな程に。
人類に魔力が与えられてから、実に半年以上が経過していた。その間、彼は学業と労働と治安維持活動という三足のわらじを履き続けていたのだから、眠くなるのも無理はないだろう。魔力絡みの騒動は収まるどころか右肩上がりに発生件数を伸ばしていたため、彼の疲労は蓄積されるばかりだ。
「……んがっ」
頭が大きく揺れたことで、急激に意識を引き戻される。幸い、体勢を崩すまでには至らなかったため、周囲にいる数人の注目を集めるだけに留まったようだった。
(集中しないと……)
今日は高等部の始業式。多くの生徒が体育館に集まり、教師陣によるたいへんありがたい言葉の数々を、右から左へと受け流す日だ。
とは言え、呑気に眠っているわけにはいかないだろう。生徒の列まで巡回に来ている教師に見つかりでもすれば、面倒なことになるのは想像に難くない。雷貴は強く瞬きをして、どうにか睡魔に抗おうとした。
「続いて、本日より着任いただく教師をご紹介します。『魔法学』の指導を担当していただく、『宇治朋世』先生です」
司会の声により、雷貴の眠気が少し緩和される。
魔法学。
魔力や魔法についての知識を深めることを目的とし、政府が試験的に導入を決定した履修科目だ。
この半年近く、政府も静観を決め込んでいたわけではない。法律の改正、および新規法案の施行。魔力関係専門の公的機関の発足。人々に対するそれらの周知。要した期間が些か長すぎるようには思えるが、必要な整備は一通り済んでいた。魔法学の履修も、その一つだ。
三ヶ月程前から発表されていたため、驚きはない。だが、とある点が雷貴は気がかりだった。その答えを得るべく、壇上に立った一人の女性へと意識を向ける。
「ご紹介に与りました、宇治朋世言います。どうぞよろしゅう」
この地域では聞き馴染みのない方言が特徴的な女性。雷貴の位置からはその表情を確認することができないが、ゆったりとした話し方から柔和な印象が感じられる。
「まずはこの場をお借りして、そもそも、魔法学の指導教員とはなんなのか、という皆さんが抱いてらっしゃるであろう当然の疑問について、お答えさせていただきます」
それこそ、雷貴の望んでいたものだった。
教鞭を執れる程に魔力の知識を有している者など、いないはずだ。どこから人材が確保されるのか、今日まで世界中で憶測が飛び交っていた。
「指導教員の数は日本国内だけでおよそ一万人。その全員が、『神』によって選ばれ、役目を果たすための知識と力を授けられてます」
数だけを聞くと多いように思えるが、魔法学が必修になった学校がどれだけあるのかを考えれば、妥当な数字だ。
納得のいく答えが提示されたものの、疑問は残る。
同様の知識を、『神』は何故全人類に与えなかったのか。『神』とは言え万能ではないということなのか、それとも、何か狙いがあるのか。睡眠不足の頭では、答えが出せそうになかった。
「今日までその情報が明かされなかったのは、魔法学の履修が決定してからも、その方針について裏で協議が重ねられてきたためでしょう。ちなみに、教員の選別基準はうちも知らされておりまへん」
堪忍なあ、と苦笑してから、朋世は続ける。
「うち自身、今までに想像したこともなかったような出来事の連続で、正直不安です。でも、教師として、大人として、皆さんを導いていけるよう精進して参ります」
深々としたお辞儀。これにて自己紹介は終了かと思われたが、降壇する様子は見られなかった。
「その第一歩として、早速ですが業務の方を始めさせていただきます」
そう言って、朋世が腕を伸ばす。直後、彼女から凄まじい魔力反応が感じられた。
いったい、何が起こるというのか。緊張と僅かな恐怖が雷貴の中に生まれたが、それらはすぐ、驚きによって上書きされることとなる。
(ここは……なんだ……!?)
淡い緑色の輝きが、瞬く間に辺り一面へと広がった。他の生徒や教員の姿は消え、雷貴一人だけが変わらずこの場に立っている。
全員、どこへ────いや、隔離されたのはむしろ自分の方かもしれないと思い直した瞬間、視線の先に白い光が出現した。
光は人の輪郭を作り出し、やがて弾けるようにして消滅する。その中から、今度は一人の女性が現れた。
「全体での挨拶は済ませとるけど、念のため。初めまして、緑間雷貴君」
登壇していたはずの、宇治朋世だ。彼女は柔らかな笑みを浮かべているが、雷貴の心を落ち着かせるには至らない。
「なんですか? これ……」
「ここは雷貴君の精神世界や。個別に話がしたくて、魔法でちょちょいとお邪魔させてもろたってわけ」
人差し指をくるくると回しながら楽しげに話す朋世を横目に、雷貴は圧倒されながらも思考を巡らせる。
初対面だというのに名前を知っているのは、名簿で予め確認していたためだろうと推測できる。また、『神』に選ばれた存在だというのならば、このような芸当を行うのも容易かと納得がいった。
もう一つ、気になることと言えば。
「どうして、俺と……?」
思い当たる節があるとすれば、非公認の組織、鋭才自警団として活動していることぐらいだ。それについて咎められるのかと思ったが、その予想は外れることとなる。
「ああ、別に雷貴君に限った話じゃあらへんよ? 体育館にいる全員、同じ状態にしとるから」
「……一人一人と話すだけなら、こんな大掛かりなことしなくてもいいんじゃないですか? 俺と話してる間、他は待ちぼうけでしょうし」
「と、思うやん?」
いたずらが上手くいったときの子供のような、そんな表情を朋世が浮かべた。
「今、うちは他の人の精神世界でも、同時に話してるんよ。並列思考、って言って伝わる?」
「それも、魔法ですか?」
「ご名答……さて、そろそろ本題に入らせてもらいましょか」
手を叩いて、朋世が仕切り直す。
「自分がどんな魔力を宿していて、どんな魔法が使えるのか。特有の注意点は何か。それを一人一人に伝えるために、この時間を設けたんやけど……」
揺らめくような輝きをぐるりと見回してから、朋世は最終的に雷貴へと視線を戻した。
「どうやら、雷貴君は既に魔法を使えるみたいやね」
「わかるんですか?」
「うん。魔力を知覚して日常的に使ってる人とそうでない人の差異って、結構大きいんよ」
そんなことまでわかるとは、さすが魔法学の指導教員といったところか。少なくとも、その差異とやらを雷貴は知覚できていなかった。
「それとは別に、鋭才自警団の噂を前々から聞いとったから知ってた、ってのもあるんやけどね」
「あ、あはは……」
頬を引き攣らせながらも、雷貴は誤魔化すように笑みを浮かべてみせる。人助けのためとは言え、認可が下りていない行動を取っていたことに対して、彼自身、若干の後ろめたさを感じていた。
「もしかしたら自覚してるかもしれんけど、形式上、雷貴君にも諸注意を伝えさせてもらうわ」
彼の心情を知ってか知らずか、朋世は依然として鋭才自警団について追及する様子を見せない。
自分からその話題を掘り返すこともなく、雷貴は続く言葉を待った。
「まずは全員に共通することから。魔力を瞬間的に、あるいは多量に消費しないこと。倦怠感をはじめとする不調に襲われるから、気ぃつけるんよ」
「わかりました」
その状況には、既に陥ったことがある。先にそれを経験していた千歳から再三に渡る注意を受けていたにもかかわらず、面白半分で実行してしまったのだ。以降、無茶は二度としないと心に決めている。
「次に、雷貴君が特別気をつけることやね。その前に少し説明しておくと、魔力には属性ってのがあって、それによって使える魔法も変わってくるんやけど……雷貴君の場合は、雷属性の魔力を宿しとる」
雷属性があるのであれば、水や火といった属性も存在するのだろうか。縄を作り出す千歳の魔力は、いったいどのような分類になるのか。疑問は絶えず浮かんでくるが、口に出しはしない。
「注意点は、その雷属性に関すること。まあ、言うまでもないことやろうけど……くれぐれも、人に向けて使わないように。他の属性と比べて、危険性が段違いやからね」
雷貴の心臓が跳ね上がる。その動揺が表情に出ていたのか、朋世は目を細めて物言いたげな視線を送っていた。
「……それと、雷属性の魔力は電子機器にも影響を与えることがあるから、使う場所とか使い方にも充分注意するんよ。例を挙げるなら、肌身離さず持ち歩いてるだろうスマホとかが壊れる危険性大やね」
「なるほど……気をつけるようにします」
自警団の活動では常にスマホを持ち歩いていて、その状態で魔法を発動する機会も多かったが、幸いなことに影響は表れていない。
ただ、朋世に注意喚起されてしまっては対策を講じるしかないだろう。現代社会においてスマホの故障は致命傷となりかねないため、雷貴は素直に頷く。
「とまあ、こんな感じ。何か質問があれば、と言いたいところなんやけど……あまり長引かせるのも良くないから、そろそろお暇させてもらいますわ」
一礼する朋世。顔を上げた後、彼女の体は透けていった。
「それじゃあ、また後程」
微笑んだ朋世が消滅した瞬間、緑の世界も急激に元の色を取り戻していく。
全員が同時に精神世界から帰還したらしく、皆同様に周囲を見回していた。未だ、状況を飲み込めていないのだろう。
「はい、以上で完了です。皆さん、お疲れ様でした」
壇上に立つ朋世だけが、悠然と振る舞っている。知識を与えられたとは言え、魔力と関わるようになって日が浅いのは彼女とて同じなはずだ。それでも余裕が崩れないのは、元々、人より動じにくい性格をしているということなのだろうか。
「最後に一点。法整備により、定められた条件下であれば、自警団も政府の認可を受けて活動することができるようになりました。これを受け、鋭才学園においても正式に自警団を設立します。部活動扱いとなりますので、顧問はうちが引き受けさせていただきます」
警察をはじめとする公的機関だけでは人員不足であると、この半年近くで政府も痛感したのだろう。自警団の活動が高校、大学、企業に対して認められるようになったのは、記憶に新しい。
ただ、それらに属さない一個人の勝手な行動は、尚も認められていない。当然と言えば当然か。
「非公認での自警団活動を行っている生徒がいるという報告は、うちの方でも耳にしてますが……口うるさく言うつもりはありまへん。その方々のおかげで、騒動による被害が抑えられていたのは事実ですし」
時間がなかったというのもあるだろうが、先程、自身の活動について責め立てなかったのはそんな思いがあったためかと雷貴は納得する。
朋世の言葉に、嘘はないだろう。知り合ったばかりだが、彼女の人間性に裏があるようには思えなかった。
「ですので、その方々にも正式な自警団へ合流していただきたいと考えてます。もちろん、未経験の方も大歓迎ですので、興味がありましたらうちまでご一報いただければと思います。加入できるかどうかは、適性を確認したうえで決めさせてもらいますが……」
まるで、倍率の高いアルバイトのようだ。ただ、興味本位で参加して継続できる程、自警団の活動が容易ではないことを、雷貴は身をもって知っている。
「長々と話してしまい、すみませんでした。これにて、うちの自己紹介および初仕事を終わらせていただきます。うちの席は家庭科準備室にあるので、何かあればお立ち寄りください。では、改めて、これからよろしくお願い致します」
体育館内はしばし騒々しくなっていたが、朋世の降壇を機に司会から注意がなされたことで、再びの静寂が舞い戻った。
そして、それを破るのもまた、司会の役割。その口から始業式の閉幕が語られるのを、雷貴は今か今かと待っていた。
「続いて、交換留学生の紹介です」
まだ続くのかと肩を落としたが、その落胆はすぐ、件の交換留学への関心に上書きされる。
鋭才学園では毎年、他国────イタリアとの交流が行われていた。そのため、特に珍しく感じることはないはずなのだが、今回に限っては違う。
与えられた魔力や使える魔法は、国によって異なるのか。それを調べることが、今回の交換留学における最大の目的らしい。同様の研究は専門の機関でも行われているようだが、学生の目線だからこそわかることもあるという期待をされているのかもしれない。
気がかりなのは、例年とは異なる時期に行われているということ。新しい日常が始まろうとしているときに試みるようなことではないだろう。何かしら明確な理由があるはずだが、上の考えというものはわからない。
思考の渦によって騒々しくなっていた雷貴の脳内で最終的に残ったのは、留学生はどのような人物なのだろうかという疑問だけだった。
「では、セレスティーナさん。挨拶をお願いします」
セレスティーナ。司会にそう呼ばれた長髪の少女が登壇し、マイクに顔を近づける。
「『セレスティーナ=モルテ=エッフィーメロ』、です……よろ、しく」
それだけ言って、彼女は逃げるように去っていった。異国の地で好奇の眼差しが自身に集中すれば、無理もないだろう。
(確か、千歳と同じ学年だっけか……)
二人が同じクラスにならなかったとしても、自分よりは交流する機会があるはずだ。お節介が過ぎるかもしれないが、慣れない環境で苦労するであろうセレスティーナの手助けを千歳に頼んでみようと考えながら、雷貴は待ちに待った締めの挨拶に耳を傾けるのだった。




