第58話「クロ」
高校生というのは、何かと入り用なものだ。放課後の買い食いに、休日の外出など、多岐に渡る。交友関係が広ければ尚更だ。
ねだれば親から小遣いを貰うことはできるだろうが、雷貴はそれを良しとしない。義務教育を終えたのならば、些細な出費程度は自らの力のみで工面するべきという考えがあった。幸い、学校からの許可はすぐに下りたため、彼は入学直後からアルバイトに勤しんでいる。
今日も今日とて、月末の財布に潤いを持たせるべく、休日返上で勤務地へと赴いていた。
自宅から自転車を走らせること、十五分。大通りに面した、とあるファミレスへと辿り着く。休日だからか車がずらりと並んでいて、これから訪れるであろう忙しさをいやでも感じさせられた。
駐輪場を経由してから向かったのは正面の入り口ではなく、従業員専用の裏口だ。扉の横に取り付けられた機械へ通行証を翳し、解錠する。
扉を開くと、その少し先に用意された更衣室から出てきたであろう人物と目が合った。ひとまず建物の中へと入り、後ろ手で扉を閉めてから声をかけることにする。
「クロさん。お疲れ」
「おっ、雷貴。久しぶりだな」
藤咲クロ。最寄りの公立高校である山盛高校に通う青年で、バイト仲間の一人だ。歳は一つ上だが、雷貴より僅かに背が低いためか、その貫禄はない。
私服姿であるところを見るに、既に一仕事終え、今から帰路に就こうとしていたのだろうとわかった。
「それにしても、来るの早くないか? 雷貴のシフトまで、まだ二十分近くあるぞ?」
「普通こんなもんじゃない? クロさんがぎりぎりに来すぎなだけだよ」
「うっ……」
にやついた表情で告げると、クロがやや大袈裟な反応を返してくる。どうやら、悪意を込めた言葉ではないと伝わったらしい。
(ここまで話せるようになるの、大変だったな……)
年上相手に雷貴がここまで砕けた口調で接しているのには、理由がある。
クロは、雷貴よりも後にこのアルバイトを始めた。彼もまた、高校入学直後に動き出そうとしていたようだが、運悪く、進級までに仕事先を見つけることができなかったらしい。最終的に、同級生の紹介でここに辿り着いたとのことだった。
故に、数ヶ月程度の差でしかないものの、この職場において雷貴は確かに彼の先輩に当たる。
それを、過剰に意識しすぎていたらしい。当初、クロは雷貴にも敬語を使って礼儀正しく接していた。
ただ、年上から下手に出られるというのは、あまり気持ちのいいものではない。少なくとも、雷貴にとっては。その旨を伝え、両者の間で意見を擦り合わせた結果、このような形に落ち着いたのだった。
もっとも、そこから距離を縮めるまでに更なる苦労を要したのだが────それをして良かったと思える程に、雷貴はクロのことを好ましく思っている。
「それにしても、雷貴もまたすげえ変わり方したな」
「うん……自分ではもう見慣れちゃったけどね」
全人類の容姿に変化が生じたあの日から、一週間近くが経過していた。画面の向こうに広がる世間では未だ混乱が続いているようだが、雷貴の周辺では既に新たな日常への順応が始まっている。
「クロさんは、あまり変わってないね」
「あー、俺は眼の色だけだったからな……ほら」
顔を近づけてくるクロ。
自身の視線を、光を、ひたすらに呑み込むかのような底知れなさが、彼の真っ赤な瞳から感じられた。
「……眼の色が変わる、って、慣用句とごっちゃになるよね」
雷貴は目を逸らしながら、そんな言葉を返す。クロの瞳に引き寄せられたことで開いた不自然な間を、誤魔化そうとしたのだ。
ただ、咄嗟に口から飛び出したのは、どうにもそぐわない話題で、このままでは不審がられると感じた彼は相手の返答を待たずして次弾を発射した。
「そういえば、魔力ってのを貰ったらしいけど……クロさんは、何か変わったことあった?」
「……いや、特には」
クロの肩が、僅かに震える。ただ、急な話題転換に戸惑っただけだと判断し、雷貴は特に言及せず話を先へと進めることにした。
「だよねえ。色々と騒ぎが起こってるみたいだけど、この辺りは至って平和だし。あまり実感は湧かないなあ」
世界規模で見れば、魔力が原因と思われる事件は頻発している。公的機関の介入が、追いつかない程に。だが、なんの偶然か、雷貴の周辺ではこれといった事故や事件は発生していなかった。
「実際に魔力が使えれば、話は別なんだけど」
雷貴は自身の体から、魔力らしきものを知覚できていない。瞑想をしたり、漫画の登場人物が行うような奇妙な構えを取ってみたりもしたが、それらの努力は一切実を結んでいなかった。
「それもそうだよな……ところで、雷貴は魔力についてどう思う?」
「うーん……」
あまりに抽象的な問いかけだったため、雷貴は思わず唸ってしまう。しばらく考えてみて辿り着いたのは、つい先日も抱いた想いだった。
「悪用されてるって情報が多いから、不安に感じることもあるけど」
言葉が続くと思っていなかったのだろう。雷貴が『けど』と口を動かした瞬間、クロは目を丸くした。
「俺にもその力が使えるなら、世界をより良くするために何かできたらなって、そう思うよ」
「……そっか」
クロの微笑み。場を和ますためのそれでないとはわかったが、真意を読み取ることは雷貴にはできなかった。
その答えを尋ねる代わりに同じ問いをぶつけようとしたが、相手が動き出したのを見て断念する。
「そろそろ帰るよ。仕事前に長々と話して悪かった」
すれ違いざま、雷貴の肩に手を置いてからクロがそう告げた。その横顔は、妙に満足げに見える。
「ううん。こっちこそ、せっかくの仕事終わりに引き止めちゃってごめんね」
背中で言葉を受け止めたクロが、扉に近づいて手をかけた。そのまますぐに帰宅すると思われたが、彼は雷貴の名を呼んでから振り向く。
「電話でも、なんだったらただの大声でもいい。もし何か困ったことがあったら、いつでも呼んでくれ」
何故、クロが突然そんなことを言い出したのか、雷貴にはわからない。
ただ。
「絶対に助ける。たかだか一年早く生まれただけの、先輩として」
その赤い輝きには、確かな力強さが宿っていて。不器用で頼りない『後輩』の姿など、どこにもなくて。浮かんだ疑問が、やけに些末なことのように思える。
「頼りにしてます、先輩」
雷貴の言葉に頷くと、クロは店の外へと去っていった。扉の開閉によって外の喧騒が一瞬だけ入り込むが、すぐに霧散する。直後、扉の鍵が自動で施錠された。
「……そろそろ、準備するか」
隣接する厨房の慌ただしさに意識を引き戻される雷貴。視線を時計に向けると、思いの外、針が進んでいると確認できた。鍵付きのロッカーにスマホと財布をしまってから、更衣室へと進んでいく。
(ここ、狭いんだよな……もう少しどうにかならなかったのかな……)
ただでさえ狭い空間に、靴箱や上着掛けが強引に詰め込まれているため、窮屈に感じられていた。足を踏み入れた後、来る度に生まれる不満を隠すかのようにカーテンを閉める。
考え事などする暇はないのだが、とある疑問が浮かんだことで、雷貴は一瞬、着替えの動作を停止した。
(なんかクロさん、少し雰囲気変わった……?)
何か、心に大きな傷を負っているような。それにより、常に苦しみ、悲しみ、悩んでいるかのような、そんな印象を今までは受けていた。
今日もそれは同じだったが、何かが違う。
まるで、クロの傷が、悩みが、まるっきり別のものに変わったかのような。それでいて、変わらず苦しみを覚えているような、そんな状態に感じられた。
彼に会うのは二週間ぶりだ。『神』の干渉による容姿の変化もあるため、そう思うのも自然なことかもしれない。
ただ、それとは別の理由があるように思えてならなかった。考えても、すぐに答えが思いつきそうにはなかったが。
(……俺も、頼ってもらえるようにならないとな)
後輩兼、先輩として。クロの友人として。彼の悩みを受け止められるようになりたいと思いながら、着替えを済ませた雷貴はカーテンを開くのだった。




