第52話「言伝」
「まだ、戦えるかい?」
再会の感動に浸る暇はない。壁に衝突したエンへと視線を戻しながら、ハクはフランにそう尋ねた。
「うん、なんとか……」
立ち上がり、弓を構え直すフラン。状況を把握しきれていないはずだが、彼女が何か尋ねることはなかった。まだ決着は付いていないと、理解していたためだろう。
(……まだ、倒れないか)
視線の先で起き上がるのは、全身が焼け焦げていることで容姿の判別すら難しくなった少女────四死生霊エンと思われる、彼女だった。
その右腕は、ハクの魔法によって切断されたまま。実体化している瞬間の欠損は、煙で再構築できないのかもしれない。
明らかな重傷を負っているというのにもかかわらず、対照的にその魔力は膨れ上がっている。満足に動けるとは思えないが、相手が意識を保っている以上、油断することはできなかった。
「ど、どうして貴方が、ここに……み、みんなは……?」
動揺を隠せない様子のエンが、二人の方へと近づく。煙の世界からハクが帰還したこの状況を、まだ受け入れられていないようだった。
「僕にも、よくわかっていないけど……少なくとも、君の言う『みんな』とやらは、無事じゃないだろうね」
「そ、そんな……」
驚きからか、エンが足を止める。その後、胸を押さえながらあちこちへと視線を飛ばした。
「う、嘘ですよね? み、皆さん、返事してください……! わ、私を、一人にしないでください!」
荒い呼吸のなか紡がれた言葉が、空間に反響する。それに応える者は、誰一人としていなかった。
エンが探しているのは、先程ハクが交戦していた煙の分身だろう。姿を見せないあたり、三次元魔法陣による光を受けたことで完全に消滅したのかと彼は考えた。だが、相手の視線がとある一点に固定されたことで、改めざるを得なくなる。
「な、なんだ……お、驚かせないで、くださいよ……わ、私、てっきり……」
何も見えず、聞こえない。
エンの視線は、虚空へと向けられている。それでも、求めているものが彼女の瞳には映っているようだった。
気でも触れたのか。それとも、本当に『そこ』にいるのか。ハクは警戒を強めながら相手の動きに注視していたが、事態は思わぬ方向へ転がることとなる。
「い、痛い!? 痛い痛い痛い……!」
誰も危害を加えていないというのに、エンが突然苦しみ始めたのだ。まるで寒がるときのように、自身の体を抱いて震えている。
「や、やめてください! ど、どうしてこんなこと、す、するんですか……? わ、私たち、仲間じゃ、ないですか……ず、ずっと一緒にいるって、い、言っていたじゃ、ないですか……!」
「な、なんなの、これ……?」
「わからない、けど……」
突如錯乱した相手に、戸惑いを隠せない二人。
ただ一つわかるのは、エンの魔力反応が急激に強くなっているということ。故に、相手が次にどのような行動を取るかは想像に難くなかった。
「や、やめ……やめてええええ!」
エンの体から、炎が噴出する。直後、彼女を中心として爆発が発生した。
ハクは咄嗟に光の壁を半球状に展開し、フランと自分の身を守る。凄まじい衝撃と轟音が壁越しにも伝わってくるが、幸い、彼の魔法が打ち破られることはなかった。
やがて静寂が舞い戻り、土煙も晴れていく。その先では、尚も一人の少女が立ち尽くしていた。
「あ、あは……そ、そういうことだったんですね……な、『仲間』なんて……さ、最初から、いなかった……」
虚ろな目で呟くエン。彼女の心情を表すかのように、その魔力反応は急速に弱まっていた。
「そ、そして、私も……」
火傷により黒ずんだ彼女の体が、崩れ落ちていく。どうやら、ついに限界を迎えたようだった。
最早不要と判断し、ハクは光の壁を消滅させる。
「き、消える間際だというのに……ひ、独りぼっちに、なっちゃいました……」
エンが膝をついてから悲しそうに呟くが、その瞳から涙は流れていない。
「そ、そうだ……は、白髪の貴方に……こ、言伝を、預かっているんでした……」
「……言伝?」
油断を誘い、刺し違えようとしているとも考えられる。
とは言え、耳を貸さないわけにはいかない。ハクは警戒を続けながら、エンの方へと近づいた。
「『クロとハク。どちらかがもう一方を殺めることでのみ、記憶の欠落は解消される』」
「……どういう意味だ?」
「こ、言葉どおり、ですよ……お、お二人の記憶を、取り戻せる方法は、他に、ありません……」
四死生霊が、クロだけでなく自身の記憶喪失についても知っている可能性は、既に考慮済みだ。故に、気にするべきは他にある。
何故、二人の記憶に互いの生死が関わるのか。その方法しかないと断言できる理由は何か。新たな疑問が次々と浮かんだが、それを解消することは叶わなそうだった。
「……お、お別れ、ですね」
肉体の崩壊が、加速する。エンの顔は、既に半分程喪失してしまっていた。じきに口も消え、話すことすらできなくなるだろう。
「み、皆さん……さ、さようなら……」
そして、その時が訪れる。
エンがいた位置には、衣服も、骨も、何も残ることはなかった。全て幻だったかのように感じられるが、二人の負った傷が、そうではないのだと強く訴えている。
「終わった、のかな……」
「……そのようだね」
エンの魔力反応は完全に消失した。彼女の他に、刺客が現れることもなさそうだ。ひとまず、勝利を喜んでも大丈夫だろう。
だが、素直にそうすることは憚られた。
「ハク、さっき言われたこと……」
「するわけない。できるわけないよ、そんなこと」
食い気味に、ハクは答える。
こちらの戦力を削ぐために考えた、四死生霊の罠なのだと、そう思うしかなかった。仲間を手にかける未来など、想像したくもなかったためだ。
「それより、傷は大丈夫かい?」
「うん、なんとかね。ハクの方は?」
「僕も、平気────」
強がろうとしたハク。直後、彼は咳き込んでしまい、その勢いで吐血した。咄嗟に手で口元を押さえたが、指の隙間から次々と赤い雫が垂れていく。
「ハク!?」
ハクが膝をついたことで、フランもまた姿勢を低くした。そんな彼女を安心させるべく、彼は言葉を紡ごうとするが、口が上手く動かせない。
(無茶、しすぎたな……)
煙の世界から脱出したとは言え、体に回っているであろう毒を対処できたわけではなかった。気合いだけで誤魔化し続けるという無理が、ここに来て祟ってしまったようだ。
立ち上がろうとしても、体に力が入らない。外傷はほとんどないはずだが、激痛に襲われていた。
煙の効能か、単に疲労のせいか、一度の呼吸で取り込める空気が次第に減っていく。彼の意識は、今にも途絶えてしまいそうだった。
(……これ、は)
どこからか広がった黄色の輝きが、ハクの体を包み込む。
フランの方へと視線を向けたことで、彼女が何かしらの魔法を行使しているのだと理解できた。
「治癒の魔法だよ。覚えたてだから、上手くできないけど……少しは、楽になると思う」
光の浸透によってか、症状が徐々に治まっていく。やがて、薄れていた意識も鮮明になり、なんとか立ち上がることができる程度には回復した。
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして」
微笑み合う二人。
この短時間でフランの傷も完治したらしく、彼女の全身に広がっていた火傷痕はきれいさっぱり消えていた。
「さて、一息つきたいところだけど……先に進もうか」
消耗した体力や魔力が戻ったわけではない。だが、事は一刻を争うため、ハクは先へ進もうとした。
「……ハク、フラン!」
出入り口へと歩きそうとした矢先、後方から声をかけられたことで、二人は足を止める。
振り向いた先には、離脱していたはずの仲間の姿があった。
「クロ、それにフィーマも!」
「二人とも、無事で良かった」
思っていたよりも早く、四人が再集結する。メアがいないため、揃い踏みというわけではないが。
「もう倒したのか?」
「二人で戦ったからね」
「なんだ、フラン一人じゃやれなかったのかよ」
「ち、違うし! 相手が先に進ませてくれなかったんだよ!」
フランが頬を膨らませる横で、ハクは一人思考を巡らせる。
行く手を阻んだ四死生霊のうち、ヒョウは一対一を受け入れたが、他二人はそうではなかった。儀式の邪魔をされないために、一人でも多く足止めをする方が得策、ということなのだろう。
「メアさんが心配だけど……進むしかないね」
ハクの言葉に、全員が頷いた。戻る手段が全くないわけではないが、戻るわけにはいかない。四死生霊を倒さなければ、冥王復活を止められないのだから。
「行こう」
四人は出入り口を通過し、次の部屋へと続く階段を上る。全員疲労が蓄積しているのか、これといった会話もせず、更に出入り口を抜けた。
「ここは……」
四人を出迎えた部屋。そこはあまりに無機質で、なんの装飾も施されていない。次へと進む出入り口も、階段も、どこにも存在しなかった。
「どこから現れるかわからない。気をつけよう」
四死生霊の姿すら、そこにはない。それでも気を緩めることなく、四人は周囲の警戒に徹した。
「……! なんだ!?」
依然、その空間には何もない。だが、今までにない程、闇属性の魔力が一点に集中しているのをハクは感じ取った。彼だけでなく、他の三人も同じような反応を見せている。
「下に、魔力が集まってる……」
今の状況を説明するように、ハクは声を上げた。この階より下で、魔力が集まるような場所は一つしかない。
「まさか……メア!」
何かに気づいた様子のクロ。直後、彼は隠し扉でも探すかのように壁や床を叩き始めた。
「クロ、落ち着いて!」
「でも……!」
「僕に任せて」
ハクはそう言って、一枚の紙切れを取り出す。そこには、魔法陣が描かれていた。
「それは……転移魔法陣?」
「うん。本当はアイアに戻るためのものだけど、書き換えればメアさんの所まで転移できるはずだよ」
フランの転移魔法に頼らなかったのは、これ以上彼女に負担をかけたくなかったためだ。
彼女はかなり魔力を消耗している。最悪の事態に備えるなら、戦闘要員として数えるために少しでも魔力を温存させなければならなかった。
「そんなことして帰れるのか?」
「大丈夫。一枚あれば、四人全員転移できるよ。一人一枚配られたのは、さっきみたいに離れ離れになったときのためだからね」
ハクはそう返しながら紙を床に広げ、魔力を集めた指先でその上をなぞり始める。
「魔力反応があったのが、ちょうど真下だから……座標の代わりに、現在地からのおおよその距離を……」
指の動きによって、魔法陣がその形を徐々に変えていった。ハクは己の思考を独り言に変換させながら、同じ作業を繰り返す。
「……できた!」
十秒とかからず、作業を終えた。ハクは立ち上がり、書き換えた魔法陣を見せつける。
「よし、行こう!」
「任せて」
三人がハクの近くに集まると、彼は紙に魔力を込めた。魔法陣から光が広がり、四人を包み込む。
辿り着いたのは、見覚えのある円形の部屋。段階的に盛り上がった中央部には、二人の人物の姿が見えた。
「メア!」
先程はなかった十字架が窪みに刺さっていて、気絶しているらしい青年が鎖でそれに縛りつけられている。普段装着している兜が外れているため、ハクは判別することができなかったが、クロの言葉を受けて、そこにいるのがメアだと認識できた。
(あれは……誰だ?)
十字架の隣に立つ、黄緑色の髪の男。少なくとも、ハクには面識がなかった。
「メアから離れろ!」
ただ、これが男の仕業によるものだということは誰の目から見ても明らかだ。故に、クロはメアを救出するべく飛びかかったのだろう。
だが。
「ぐああっ!?」
見えない壁に阻まれるようにしてクロの体が弾かれ、床を転がる。接近することすら許されなかった。
「無駄だよ。儀式は既に完了した」
儀式。男は確かにそう言った。
「失礼、自己紹介がまだだったね。オイラはフウ。斬死を司りし四死生霊が一人。そして……」
そう続け、フウと名乗った男は自身の首元に右手を近づける。
「さようなら」
次の瞬間、フウの掌から刃状の風が放たれ、発動者自身の首を斬り落とした。何故か血が噴き出ることはなく、頭と体がそれぞれ地に落ちた後、闇へと変化して床に溶けていく。
その瞬間、凄まじい魔力の流れが発生した。行き先はメア。天井から、壁から、床から。今までに感じたことのない程の魔力が、彼の元へと流れ込んでいく。
「メア!」
クロが立ち上がり、名を呼んだ。だが、その声は届かない。闇はあっという間にメアの体と十字架を覆い尽くしてしまった。そしてそれは、球体の形に圧縮される。
そのときだった。
「え……」
言葉を失ったかのようなクロ。彼がそうなった原因を、ハクは即座に理解することができた。
メアの魔力が、消えたのだ。
依然として、闇属性の魔力は一点に集中し続けているが、つい先程まで感じられていたはずの彼自身の魔力が、突然消滅してしまった。
覆い隠されて感じ取れなくなった、というわけではない。完全に、消滅していた。
「ぐっ……くっ……!」
メアの死。それを間近で感じ取ったためか、クロは膝から崩れ落ちてしまった。
声を漏らしながら、体を震わせている。
怒り。悲しみ。絶望。後悔。それらの感情が、彼の中で激しく渦巻いているのだろう。
(クロ……)
今、負の感情に呑み込まれれば、クロは戻れなくなる。それが理解できていながらも、ハクは声をかけることができなかった。
どのような言葉も、意味がない。彼が自分自身で乗り越えるのを待つしかできないと、わかってしまったためだ。
「……だああああっ!」
クロが、思い切り床に頭突きをする。
負の感情を振り払おうとしているのか、あるいは既に────いや、そんなはずはないと、浮かんだ考えを即座に否定しながら、ハクは固唾を飲んで見守った。
「……! これ、は」
クロの震えが、止まる。彼の身に、なんらかの変化が起こったようだった。
「メア……」
クロは呟きながら立ち上がり、拳を握りしめる。依然、視線は下を向いていて、その表情は決して明るいとは言えない。それでも、心が闇に呑まれたようには見えなかった。
「クロ……」
「大丈夫だ」
振り向いたクロの瞳からは、覚悟を決めたかのような力強さが感じられる。それを受けて、ハクも意識を前方へと向けた。
まだ、やるべきことがあるからだ。
闇の球体は、もぞもぞと動いていた。少し経つと、その中央に切れ込みが入る。それが開いたかと思えば、裂け目の縁が人間の唇のようなものに変化し、球体の内側から歯が生えた。そしてその奥で、真っ赤な瞳が輝いている。
生理的に受け付けないとは、このようなものを見て言うのだろう。奇妙な生命体を前に、四人の士気はあからさまに下がっていた。
「気持ち悪い……」
「こいつが、冥王……?」
「……多分、不完全なんだろう。まるで覇気が感じられない」
「なら、今のうちにぶっ殺してやりましょ」
「……そうだね」
四人は陣形を整え、それぞれの武器を構える。フランの前に他の三人が立つ形だ。
相手は未だ、戦意を見せていない。だが、このまま静観を続けるわけにもいかなかった。
世界を救うため。仲間の仇を討つため。全てを乗り越え、自身の記憶を取り戻すため。ハクは仲間と共に、全身全霊で最後の戦いに臨もうとしていた。




