第51話「光の裁き」
時は、四死生霊エンが煙を放出したあたりにまで遡る。
(一向に煙が晴れないな……)
純白の輝きを纏いながら、空中で静止するハク。
時間経過により、ある程度は視界の確保ができるようになった。だが、依然として煙は辺りに充満している。相手が絶えず煙を放出し続けているのか、あるいは、煙自体が特別な性質を持っているのかもしれない。
「フラン! 返事して、フラン!」
いずれにしても、魔法であることに変わりはないだろう。そして、このような状況に対する策は木の国で既に確立している。
魔力を吸収する魔法。属性の変換や相性といった都合もあり、自分よりもフランの方が適していると判断した。
だが、どれだけ呼びかけても返事がない。声が届かない程に離れてしまったとは考えづらいが、周囲を飛び回っても姿を確認することは叶わなかった。
(何が、どうなってるんだ……?)
煙に阻害されているためか、フランの魔力反応を辿ることすらできない。彼女との連携を、完全に遮断されてしまっていた。
「────ようこそ、煙の世界へ」
成人男性と思われる、低い声。かつて何度も耳にしたものだ。それが聞こえると同時に、ハクの背後で魔力反応が急激に高まっていく。
「貫け!」
ハクは即座に振り返り、杖から光の槍を放出した。
どこからともなく現れたエンの腹部に風穴が開くが、その肉体はまたしても煙に変質し、周囲に漂うそれと同化していく。
(どうする……?)
攻撃が効いている様子はなかった。分身を利用しているのか、それとも、攻撃を無効にする類の魔法が使えるのか。
不明な点が多すぎるが、フランの魔法が突破口となり得ることはほぼ間違いない。故に、彼女と分断されるこの状況を招いてしまったことが今更ながら悔やまれた。
「ぼけーっとしてる場合かい?」
またしても、背後から声が聞こえる。
少女とはまた違う、老婆のようなしゃがれた声。初めて聞くものだったが、その主が味方であるはずもないだろうと判断し、ハクは迷わず杖を振り抜いた。
「切り裂け!」
振り向き様に放った光の斬撃が、再び現れたエンに直撃する。相手の肉体は上下に両断されたが、先程と同様に煙へと変化してしまった。
(……フランは、大丈夫かな)
襲われた直後でありながらも、ハクはフランの安否を憂う。
彼女の実力を低く見積もっているわけではない。近接戦闘を不得手とする彼女に対し、一瞬で距離を詰められる敵は相性が悪いと思えたためだ。
魔力吸収の魔法が有効と彼女も理解できているはずだが、それでも未だ発動した様子が見られないのは、自身と同様に相手から干渉されているためだろうと考えられる。
一刻も早く合流し、彼女が魔法を発動できるだけの余裕を作り出さなくては。
「どれだけ攻撃したって無駄だよ」
今度は、少年のものと思われる声が聞こえてきた。直後、エンの姿が空中に現れ、ゆっくりと飛行を始める。まるで、微風に流されるかのように辺りを漂っていた。
「僕ちんには届かない」
「俺たち、だろ?」
「なんだっていいだろうに」
その付近に、全く同じ姿をした存在が二つ出現し、同様に浮遊する。異なる表情を浮かべているそれらに、ハクは怪訝な顔を向けた。
「……多重人格、というやつかい?」
ただの分身にしては、個々の自我があまりに確立されすぎている。なんらかの要因でエンの中に芽生えた人格を、魔法により顕現させたと考えた方が、納得できる程に。
「簡単に言えばそうだ。もっとも、『エン』という人間の中に存在する俺たちの関係性には、闇より深き事情があるが……」
「それをあんたが知る必要はないさね」
「そーそー。どーせ消えるんだし、言うだけ無駄じゃん?」
「……まあ、確かに知る必要はないか」
そう返しながら、ハクは光の球体を散らして放つ。煙の体を貫く無数の攻撃もまた、相手に効いているようには見受けられなかったが、彼は動じない。
「でも、少なくとも、消えるのは僕じゃない」
「……ならば、それを証明してみせろ」
青年の声でそう返した後、三人の『エン』がそれぞれ別方向へと逃げていく。ハクは飛行してそのうちの一つを追いつつ、指輪に魔力を込めた。
「貫け!」
杖から、水色の輝きを放出する。
属性を変換させた一撃だ。直線的な軌道だったためか簡単に躱されてしまったが、それでも得られるものはあった。
(……水属性の魔法なら、通じるのか?)
相手からは、闇と火、二つの属性の魔力が感じられている。前者の弱点となり得る光属性の攻撃は通用しなかったが、水属性の攻撃ならどうかと試したのが、先の一撃だった。
躱されたということは、相手を負傷させられる可能性があるということ。ハクは指輪に込める魔力を増やし、再び杖の照準を相手に合わせた。
「撃ち抜け!」
水色に輝く光の球体を六つ、不規則な軌道で放出する。相手に回避されないよう繰り出した魔法だ。
そんなハクの目論見どおり、全ての光が命中する。だが、相手は苦しむ様子を見せず、欠損箇所を瞬く間に煙で再構築した。
「何……?」
「言っただろう、届かないと」
嘲るかのように、相手の口角が上がる。苛立ちを覚えながらも、ハクはその後を追い続けた。
(どうしてさっきは躱されたんだ……? 属性の弱点をただ突けばいいというわけじゃないのか……?)
無駄な希望を持たせるという悪趣味な考えでも持っていない限り、先程の回避行動には明確な理由があるのだろうと考えられる。
一定の条件さえ満たせば、相手を負傷させられるはずだ。その詳細を知るには、攻撃を仕掛け続けながら相手の反応を観察していくしかない。理不尽にも思える状況だが、ハクは愚痴も漏らさずに思考を巡らせていた。
「『シューティング=レイ』!」
水色に輝く光の球体を、今度は空間全体に放出する。水属性の魔法による同時攻撃を試すためだ。
現在追跡している個体と他二つは離れた位置にあるが、視認できない程ではない。自身の魔法と相手の位置関係を正確に把握し、その時を待つ。
(────今だ!)
刹那のずれもなく、三人の『エン』を光が貫いた。
やはりと言うべきか、相手の負傷は見受けられない。だが、ハクは構わず球体の放出を続ける。
「ぐっ……!?」
数秒が経過したあたりで、事態は動いた。
光の球体が直撃しても、相手の体が煙に変化しなかったのだ。更に、被弾した直後、相手は苦しむ様子を見せている。煙への変化はすぐに再開されてしまったが、痛みは尚も続いているようだった。
(同時である必要はない、か……)
相手を負傷させることに成功したのは、他二つの個体に命中していない瞬間だ。つまり、条件は別にあるということ。
その後も攻撃を続けていると、同様の反応が何回も見られた。経過時間が関係しているのかとも考えたが、相手が一度負傷してから次に同じ状況へと至るまでの秒数はまちまちで、そこに条件が設けられているとは思い難い。
(あと考えられるとすれば、相手の技量不足とかかな……)
制御が難しい魔法を使っているのだとすれば、不規則に隙が発生しても不思議はないだろう。その予想を確かめる術はないが、いずれにせよ、ハクの取れる行動は変わらない。
より速く、多くの攻撃を当てるべく、彼は魔力を高めようとしたが、集中の糸は突然切れてしまった。
「がはっ……!?」
咳き込み、その勢いで吐血する。特別、相手から攻撃を受けたわけではなかったが、原因は明白だった。
煙だ。充満しているそれが、体に悪影響を及ぼしているのだろうと考えられる。吸い込むべきではないとわかっていたが、口元を覆う程度ではどうにもならないと判断し、対策は講じていなかった。
「げほっ、ごほっ……!」
咳が止まらない。集中が切れたためか、あるいは遅効性の毒だったためか、ハクの体は急激に不調へと陥った。
「だから言っただろう。無駄だと」
青年の声が聞こえる。だが、視界が霞むせいで相手の姿を確認することはできなかった。
咳のせいで、上手く呼吸ができない。手足は痺れ、今にも杖を放り捨ててしまいそうだった。そんな状況でも飛行と攻撃を続けるが、その努力の結果がどうなったかさえわからない。
「この煙の世界で、一人寂しく散るがいい」
曖昧になる思考のなか、相手のその言葉がやけに引っかかった。ハクはなんとか意識を保ち、相手がいるであろう方向を見つめる。
「……まるで、フランは、ここにはいないみたいな、言い草だね」
「あれー、言ってなかったっけ?」
ハクの問いかけに返事をしたのは、少年の声だ。
「ここは、君がさっきまでいた場所とは別の空間だよ」
「別の、空間……?」
「そーそー。僕ちんたちの魔法で作り出した、特別な空間ってわけ。君の仲間は、元の場所で一人、僕ちんたちの宿主と戦ってるよ」
その言葉を受け、ようやく納得がいった。
フランの魔力反応を感じられないのも、姿が見えないのも、そもそもこの場に彼女がいないためなのだと。
「余計なこと言うんじゃないよ」
「えー、別にいいじゃん。知られて困ることでもないでしょ」
「わざわざ教えてやることもないだろうに」
小競り合いを始める相手。恐らくは、自分たちの勝利を確信しているのだろう。その様子を見ても、ハクが腹を立てることはなかった。
まだ、諦める必要はない。その状況で相手が油断しているのは、彼にとって好都合だった。
「『理想は光り輝いて』」
詠唱を始めながら、光の分身を三体放出する。それらが飛行した軌道上に光が定着したことを確認してから、ハクは続けた。
「『悪を滅する希望とならん』」
「今更何したって無駄でしょー」
相手の言葉など意にも介さず、ハクは魔力を高めていく。煙による症状が進行して体に激痛が走るが、決して集中は乱さない。
「『夢すら現に引き寄せて』」
魔力を高め、空間全体に光の軌道を張り巡らせる。それらの輝きは、ハクの覚悟に呼応するかのように強まっていった。
「『聖なる力に全てを溶かせ』」
「……違う、これは!」
青年の人格が何か気づいたようだが、もう遅い。
既に魔法陣の構築は完了した。あとは、詠唱を終えるのみ。ハクは杖を両手で握りしめ、最後の一言を呟いた。
「『エクレールジュディッジオ』」
直後、眩い光が視界を奪う。
三次元魔法陣を利用した、広範囲攻撃。その衝撃と轟音は発動者自身すら巻き込む程だったが、覚悟のうえだ。
狙いは当然、この亜空間を脱出してフランのもとへと帰還すること。それを可能にするであろう手段を、ハクは二つ思いついていた。
一つは、亜空間そのものの破壊。
魔法で作り出された空間であるなら、膨大な量の魔力を放出することで破壊し、元の場所へ戻れるかもしれないと考えた。
もう一つは、三人の『エン』を倒すこと。
亜空間が展開されてから、相手はハクに対して干渉していない。いや、恐らくは、難しいが故にできていないのだろう。彼から相手に干渉できる瞬間が、限られているように。
それでも相手がこの場に留まり続けているのには、理由があるはずだ。
例えば、この亜空間を保つために三つの人格が留まり続けなければならず、それら全てが打ち倒されたときに亜空間は崩壊を迎える────そんな制約が課されていても、おかしくはないだろう。
確証などないが、尻込みする暇も余裕もない。二つの手段を効率良く試すため、ハクは空間全体に攻撃を仕掛けたのだった。
(……少し、厳しいな)
裂傷の増加が、感覚だけでわかる。滾る血液が流れ出していることで、傷口が燃えるように熱せられた。
相手から直接、妨害や反撃を受けているわけではない。だが、煙を吸引したことによる症状が悪化しているなか高度な魔法を行使し続けるのは、彼が思っている以上に困難なことだった。
(でも、諦め、られない……!)
魔力の波によって、肉体が押し潰されそうになるのを。集中を乱したことで、魔法が消滅しそうになるのを。激痛によって、意識が奪われそうになるのを。ハクはただ、その一心で堪え続けた。
そして、ついに。
(……きた、か?)
魔力の流れが、不自然に乱れる。あと少しで、見えない壁を押し破ることができそうな、そんな兆候に感じられた。
相手が講じた、たちの悪い罠でないようにと願いながら、ハクは更に魔力を込める。
『お前たちがどれだけ抗おうと、無駄なことだ……!』
轟音のなか、青年による言葉を正確に聞き取れたのは、それがハクの脳内に直接響いていたためだ。恐らくは、自らの口で直接語りかけることができず、念話を用いることにしたのだろう。
『来る破滅を、逃れることなど、できはしない……! 全ては、闇に呑まれ、無に帰すこととなる……!』
その声からは、先程までの余裕を感じられない。ハクの魔法が有効に作用している、何よりの証拠だ。
魔力の流れも、より不規則に変化している。
あと、一押し。
「無駄じゃないさ」
そう返した直後、ハクの視界が急速に開ける。光も煙も、三人の『エン』すらも同時に消滅し、赤土の敷き詰められた空間が再び彼を出迎えた。
前方に存在するのは、苦悶の表情を浮かべているフランと、そんな彼女の首を締め上げているエンの後ろ姿。それらを見て、彼は己のやるべきことを即座に理解し、動揺もしないまま魔法を構築した。
上方から光の刃を降らし、相手の腕を切断する。そして、彼の存在に気づいたらしい相手が振り返るよりも速く、その頭部目掛けて杖を振り抜いた。
「互いの諦めない心が、こうして再び僕らを引き寄せた」
左方へと吹き飛んでいくエンを横目に、ハクは仲間のもとへ歩み寄る。
尻餅をついて咳き込むフランの体には、至る箇所に火傷の痕が見受けられた。疲弊も凄まじく、一命を取り留めてこそいるものの、単独での継戦は困難なように思える。
「だから、無駄じゃない……そうだろう? フラン」
一人になっても諦めることなく戦い続け、尚も戦意を喪失していない様子のフラン。そんな彼女の希望となれるよう、ハクは残存する痛みを堪えながら微笑んだ。




