第113話「恐怖」
空が赤く染まろうと、謎の化物が出没しようと、人やその他の動物が凶暴化しようと、黄田大和が足を止めることはない。自警団員としての責任感や使命感など、あるはずもなかった。
強敵と戦いたい。それが唯一にして絶対の行動指針だった。
今も、変わりないはずだ。
「……ここだな」
長い道のりの果てに辿り着いたのは、県外のとある中学校だった。
見覚えはない。記憶が正しければ、過去に訪れたことは一度もないだろう。
異常事態であるというのに、周辺からは人の気配が一切感じられない。謎の化物すら、出現していないようだった。漂う静寂は、人によっては不気味さすら感じられる程だ。だが、そのような感情を持ち合わせていない大和は臆することなく校門へと歩を進める。
「なんだ、これは」
校門の向こう側に広がる景色。それが、僅かに歪んで見えた。手を伸ばしてみるが、その動きは途中で堰き止められてしまう。まるで、見えない壁でも存在しているかのようだ。
「邪魔くせえなあっ!」
魔法、あるいは魔力そのものによって構築されているのだろう。そう考えた大和は全力で殴りつけてみたが、破壊することは叶わなかった。
何度繰り返しても、変化は見られない。このままでは埒が明かないため、仕方なく他の抜け道を探そうとした、その時。
「大和さん」
聞きたくなかった声が、聞こえてきた。ただ、気づかないふりをすることは自尊心が許さなかったため、大和は眉間に皺を寄せながらその方へと振り返る。
灰色の髪。紫色の瞳。黄田大和の彼女を自称する少女、灰本つかさの姿がそこにはあった。
「灰本、どうしてお前が────」
「ごめんなさい!」
つかさの謝罪が、大和の言葉に被せられる。髪が地面につきそうな程、彼女は深く頭を下げていた。
「……なんの真似だ?」
「あのときのこと、謝りたくて」
頭を上げるつかさだが、その視線は尚も俯き気味だ。例の件について、よほど負い目を感じているのだろう。
ただ、大和が彼女の気持ちを受け取ることはない。
「何言ってるかわかんねえな」
「嘘!」
声を張り上げるつかさ。怒りか悲しみか、その肩はひどく震えているようだった。
「大和さん、ここ最近私のこと避けてるじゃない。それは、あのときのことが理由なんでしょ?」
「しつけえな、だから知らねえって……」
「大和さん!」
つかさが目を合わせ、一歩前へと踏み出す。
ただそれだけのこと。別段、気にする程のことではなかったはずだ。だが、大和は彼女の動きを見て思わず後ずさりしてしまう。
「……は?」
理解が追いつかず、大和は自身の手へと視線を向けた。
震えている。自らの意思で鎮めることができない。こんなことは、生まれて初めてだった。
それが、答えだ。
黄田大和は、灰本つかさを恐れている。その事実を、彼は認識させられてしまった。最早、言い訳することはできない。
「……うああああっ!」
不甲斐ない拳を握りしめ、見えない壁に叩きつける。咆哮しながら、何度も、何度も。
本当に恐怖がないのなら。つかさに敗北したことを微塵も気にしていないのなら。この場へ向かっている途中に、彼女と連絡を取るべきだったのだ。彼女をより強くできるだけの相手と、引き合わせられる可能性が高かったのだから。
だが、大和はそうしなかった。できなかった。顔を合わせることすら避けたいと考えていたのだ。彼女の存在を、恐れていたが故に。
(くそっ、くそっ、くそがあっ!)
情けない自分への怒りを、先に進めないことへの憤りで上書きするかのように、攻撃を続ける。幸か不幸か、見えない壁が即座に破壊されることはなかった。
ただ、状況に変化がなければいずれは飽きてしまうというものだ。他に何か、苛立ちを誤魔化せそうなものはないかと視線を動かしたことで、大和はようやくあることに気づく。
「……なんだ、お前らも来てたのか」
いつの間にか、新たな来訪者が三人。
緑間雷貴、赤城風太、そして、藤咲クロだ。最早お馴染みの組み合わせと言える。
「ああ。闇属性の魔力を感じてな」
クロの返答を受けて初めて、大和は闇属性の魔力が辺りに充満していると気づいた。自身の嗅覚が察知したのが、それなのだろうということにも。
「んなこたぁどうでもいい。それより、どうやったらこの先に進める」
「……先に進めたとして、どうすんだよ」
「戦うに決まってんだろ」
大和の即答。ただ、それを予想できていたのか、怪訝そうなクロの表情が変化することはなかった。
「……一応聞くけど、二人ともどうやってここまで来たんだ?」
「足」
「魔法です」
「ええ……」
大和、つかさの順で回答する。
信じられないとでも言うかのように、クロは頬を引き攣らせていた。その反応からして、彼を含めた三人は別の手段でこの場所に辿り着いたのだろうと推測できる。
「……魔力の消費、えげつねえんじゃね? それで戦えんのかよ」
「問題ねえよ」
元々、意識的に魔法を使っているわけではない。魔力があろうとなかろうと自身の戦いに影響はないと、大和は本気でそう思っていた。
「お前は良くても、灰本は……」
「私なら大丈夫です。そんなに魔力を消耗してないみたいなので」
「いや、そんなわけ……」
言葉を途切れさせるクロ。恐らくは、つかさから感じられる魔力が特別少ないわけではないことに気づいたのだろう。
「いったい、どういう……」
思考を巡らせるかのようにクロが自身の顎に手を当てた、その時。
「こりゃまた大勢引き連れて来たね」
学校の敷地内から、声が聞こえた。
つい先程までは、誰もいなかったはずの場所。そこには、桃色の髪を風に靡かせる一人の少女が立っていた。
(なんだ、こいつは……?)
その顔に見覚えはない。それでも大和が興味を引かれたのは、その少女の放つ雰囲気が強者のものであると察せられたためだ。
遠目に見てもわかる程度には、彼女の体つきは戦闘向きではない。だが、その内に秘めている力は計り知れないだろう。
恐らくは、クロと同等の実力を有している。そう理解した大和は口角を上げ────ふと、違和感を覚えた。
(相変わらず、弱え奴には興味がねえ……それに、今も強え奴を求めてる……それは、間違いなく俺の本心のはずだ)
何故、つかさに怯えているのか。実際に戦って負けたからか。そう考えたものの、納得はできなかった。
大和の敗北は、あの一度だけではないのだ。学園祭での戦いにて、火野蒼にも黒星をつけられている。それも、圧倒的な実力差で。
日本を、いや、世界を滅ぼすことすら可能な力を有していたとわかった今、彼を恐れていてもおかしくはないはずだ。だが実際には、拳を交えることができなくて残念だという気持ちしかない。
自身に勝ち得る存在であるクロに対しても、目の前に立つ謎の少女に対しても、やはり恐怖は抱いていなかった。
ならば、何故。その答えを得られるだけの猶予は、ない。
「お前……あのときの!」
「名前で呼んでほしいなぁ。あ、もしかして忘れちゃった? もう、仕方ないなぁ」
少女は横方向にくるりと一回転してから、上半身を大和たちの方に傾け、上目遣いをするような体勢でウインクを飛ばし、右眼の横にピースサインを添える。
「冥王様の側近が一人、可愛い担当の、桃原メイコですっ!」
「なんでお前が……」
「あ、またまたかわいこちゃん発見! ねえねえ、アタシたちの仲間にならない?」
どうやら、二人は知り合いらしい。ただ、メイコと名乗った少女はクロの言葉など意にも介さない様子で、あまつさえ勧誘に励み始めた。距離があるため視線だけではわかりづらいが、恐らくはつかさに対して声をかけているのだろう。
「って言っても、断られるのがオチだしねぇ……」
右腕を天に伸ばすメイコ。
何かが起こる。そう察したらしいクロが彼女のもとへ走り出そうとしていたが、少しばかり遅かった。
「五名様、個別でご案内っと」
メイコが、指を鳴らす。
たったそれだけで、周囲の景色は一瞬で切り替わった。




