第110話「沈黙の理由」
「……ここかあ」
この日、山盛高校自警団でも合同作戦についての打ち合わせは行われていた。だが、赤城風太はそれには参加せず、県内にある国立病院へと足を運んでいる。
自身の通院ではない。ここに入院している知人の、見舞いに来ていたのだ。
出入り口の自動ドアを通過してすぐの所にある受付。そこに立つ女性職員へ用件を伝えると、多少の違和感を抱かされつつも目的の病室が判明したため、エレベーターでその階へと向かった。
(喜んでもらえるかな……)
左手に握ったレジ袋へと視線を落とす。その中には、道中のコンビニで購入した見舞いの品が入っていた。好みがわからなかったため手当たり次第に買う羽目になってしまったが、後悔はない。
そんなことを考えている間に、エレベーターが停止する。そこから降りた風太は、通り過ぎる患者や看護師に会釈を返しながら廊下を進んでいった。
「……合ってる、よね」
辿り着いた病室。そのドアに貼られた名札には、風太が今日面会に来た相手のものと似た名前が記されていた。
金田『さら』。受付の職員も、彼女のことをそう呼んでいた。記憶が確かなら、彼女の名前は、『さり』だったはずだが────そんなことを考えながら、彼は軽くノックをする。
数秒程待つと、中で待機していたらしい看護師によってドアが開かれた。
「山盛高校自警団の、赤城風太です。金田さんの面会に来ました」
「お待ちしておりました、赤城さん……では、私はしばらく席を外しますので、お帰りの際には近くの職員にお声かけください」
「ええ、わかりました」
退室する看護師を見送ってから、ゆっくりとドアを閉める。
二人きりで話せるよう、風太の方から頼んでいた。他人がいる状態では、『さり』から話を聞き出すことはできないだろうと考えていたのだ。当初、病院側には渋られていたが、彼女自身の強い希望もあったらしくこうして実現している。
「やっ、さりちゃん。久しぶ、り……」
陽気に声をかけようとした風太だが、ベッドに座るさりの顔を見たことで言葉が途切れ途切れになってしまった。
彼女から、物言いたげな目を向けられていたためだ。
「ご、ごめんよぉ、さりちゃん……あれから色々あって、自由に動けなくて……」
金田さりと初めて出会ったのは、三種の神器を回収するために北海道のとある旧校舎へと足を運んだときのこと。風太はそこで『助けになる』と彼女に伝えたが、任務達成後、火野蒼が起こした事件に巻き込まれた。
それが解決した後も事情聴取を受けたり、行動制限をかけられたりしたことで、彼女と再会するのに二ヶ月近くも要してしまったのだ。
ただ、彼女はそんなことを知る由もないだろう。故に、彼は謝り倒すしかない。
「本当にごめん……ほら、お詫びも兼ねて色々と持ってきたから、どうか許して」
ベッド近くの椅子に腰掛けながら、レジ袋をさりへと渡す。好みに合うか不安だったが、中身を確認した彼女の表情が一気に明るくなったのを見て、風太は胸を撫で下ろした。
「……うん? どうかした?」
ふと、さりから何か差し出されていることに気づく。
彼女の手に握られていたのは、風太が購入したゼリーと、付属のスプーンだ。開封してほしいという意思表示かとも考えたが、彼女の付近にもう一組同じものが用意されているのを見たことで、彼は意図を察することができた。
「僕も、食べていいの?」
声の代わりに、頷きが返される。
「ありがとう」
微笑みながら受け取ると、さりと同時に開封してそれを食べ始めた。
自身の髪を思わせる色合いをした、苺のゼリー。程良い甘さが口の中に広がって、幸せな気分に浸ることができる。
「うん、美味しいね」
視線を戻すと、さりもまた満足そうな表情で何度も頷いているのがわかった。
アルバイトもしていない高校生にとっては決して安くない出費だったが、この笑顔を見れただけでも充分だろう。そんなことを考えながら、風太はしばらくの間こうして二人で食事を楽しんでいた。
「────さりちゃん」
小腹も満たせたところで、風太は今日の用件を済ませるべく動き出す。
「体調はどう?」
さりの、ゆっくりとした頷き。先程のように年相応の表情を見せることもあるが、基本的には落ち着いていることの方が多いようだ。
「そっか、良かった」
三種の神器によってかなりの無理をさせられていたようだったため、後遺症がないか風太は心配していたのだが、どうやら杞憂で済んだらしい。
「今日来たのは、君の容態を確認するためと……それから、あの日の約束を果たすためなんだ」
さりが抱えている問題の解決。時間は空いてしまったが、風太がそれを忘れたことなど一瞬たりともなかった。
「ただ、一つ気になることがあって……まずは、それを教えてほしいな」
風太はそう言うと、ポケットからスマホを取り出してさりへと手渡す。声を発せないらしい彼女と、意思疎通を図るための手段だ。
「もし答えたくないことだったら、答えなくてもいい。そう教えてくれれば、僕もしつこく聞くことはないから」
小さな手でスマホを握りながら頷いたさりの姿を見て、風太は再び口を開いた。
「君は、『さり』ちゃんだよね。でも、病室の名札には『金田さら』と書かれてた。職員の人たちもそう呼んでる……これには、何か理由があるの?」
威圧的にならないよう、声音を可能な限り高くして尋ねる。
名前の違いなど、些細なことかもしれない。ただ、さりの悩みと何か関係しているかもしれないと思えたため、聞いてみることにしたのだ。
(……駄目か?)
俯くさり。肯定も否定も、示してはいない。
何か秘密があるのは確かなようだが、それを明かしてはもらえないか。風太がそう諦めかけた時、彼女の指がスマホの画面をなぞった。
何が語られるのか。自分で尋ねておきながらも、彼は緊張を覚えずにはいられない。
数分程経過してから晒された画面には、心の準備など無駄だったと思わされる程に衝撃的な事実が打ち込まれていた。
『金田さら、は、私の、双子のお姉ちゃんの名前』
『お母さんのお仕事を継ぐために、いっぱい頑張ってた』
『でも、三年前、事故で死んじゃった』
『私は、その代わり』
さりが作り出した、たった四つの文章。それが、膨大な量の情報となって風太の脳内に流し込まれる。
(死んだお姉ちゃんの、代わり……?)
嘘であってほしい。そう願ってしまう程に、風太はさりという少女の置かれた境遇を理解できていた。
「……それは、君自身が望んだことかい?」
再び、さりが俯く。今度は、いつまで経っても返事を打ち込む様子が見られない。
その反応が答えだと、風太には思えていた。そして、恐らくはこれこそが彼女の抱えていた悩みなのだろうとも。
ここから先は、下手な言葉をかけるわけにはいかない。どのように接するのが正しいか、彼は足りない頭を使って必死に思考を巡らせる。
そんな時、病室のドアがノックされた。
「失礼するわ」
返事をするよりも早く、ドアが開かれる。
入室してきたのは、スーツで身を包んだ一人の女性だった。その顔立ちは、さりとどこか似通っているように思える。
それは、風太の気のせいではなかったらしい。
「貴方が赤城風太さんね……私は金田。その子の母です。娘を助けてくださって、ありがとうございます」
「い、いえ。当然のことをしたまでですから……」
三十センチ近い身長差に気圧されながらも、風太は立ち上がってそんな言葉を返した。
「面会中に申し訳ないのですが、少々、娘と話す時間をいただいてもよろしいですか? 手短に済ませますので」
「……ええ、大丈夫です」
先程のさりの話。あれが本当ならば、この母親も間違いなく関係しているはずだ。
思うところはあるが、家族の会話を邪魔するわけにはいかない。ひとまず、風太は二人の様子を見守ることにした。
「『さら』、久しぶりね。体調はどうなの?」
母親が相手だというのに、さりの反応は変わらない。言葉を返すこともなければ体の動きで示すこともせず、それどころか目を合わせようとすらしていなかった。
「やっぱり、何も答えてはくれないのね……まあ、『外』でちゃんとしてくれるのなら、私は構わないけど」
慣れているのか、さりの態度を受けても金田母が表情を歪めることはない。彼女もまた、娘から視線を逸らしつつ言葉を続けた。
「体に異常がないこと、医師から聞いているわ。すぐにでも退院して、元の生活に戻りなさい。話はそれだけよ」
言うだけ言って、金田母は足早にこの場を去ろうとする。そんな彼女を、風太が黙って見過ごすはずはなかった。
「ちょっと待ってください」
怪訝そうな表情を浮かべて振り返る彼女に対し、風太は続ける。
「親なのに、子供の名前もちゃんと呼べないんですか?」
「……何が言いたいんです?」
「この子は、さりちゃんです。『さら』じゃない」
その発言を受けてか、目を見開く金田母。ただ、動揺を見せたのは一瞬限りで、深いため息を吐くとすぐに先程までの冷淡な表情へと戻してみせた。
「……余計なことを伝えてくれたものね」
さりへと視線が送られるが、やはり互いのそれがぶつかり合うことはない。二人の間にある溝は、出会ったばかりの風太では想像もつかない程に深いものらしい。
「どこからどこまで聞いたのかはわかりませんが、口外しないでもらえますか? 色々と、面倒なことになりますから」
「その点は安心してください。誰にも明かすつもりはありません……その代わり、貴方に言いたいことがあります」
「……なんでしょう」
相手の表情には僅かに怒気が滲んでいるようにも思えたが、その程度では風太は止まれない。
さりが届けないのなら。あるいは、さりでは届かないのなら。自分が代わりに伝えなくてはと、そんな使命感に駆られていた。
「望んでいない彼女に、偽りの人生を歩ませるだけじゃ飽き足らず、入院する娘を心配する素ぶりすら見せないなんて……貴方、それでも母親なんですか」
「……言葉足らずというのは、つくづく損ばかりね。一応、心配はしていたつもりなのだけど。まあ、こればかりは私に非があることを受け入れるべきかしら」
ただ、と金田母は続ける。
「前半部分に対しては訂正させてもらいます。その子は、自ら望んで新たな人生を歩むことになったのですから」
「とても、そうは見えませんけど」
「今は、そうでしょうね。ですが、少なくとも一度は、その子自身の意思で決断した。その子は自らの言葉の責任を取っているだけですよ」
「……だからと言って、さりちゃんを縛りつけていい理由にはならない」
詳細な経緯こそわからないが、自身の跡を継がせるために『さり』を『さら』として扱っているのは間違いないだろう。
本人が一度了承していたことだとしても、容認し難い行いだ。今のさりが苦しんでいるのなら、尚更。
絶対に、許すわけにはいかない。
「母親なら、もっと、子供に寄り添うべきなんじゃないですか!」
「親だから子供を全肯定しなければならない、なんてことはありません。むしろその逆。子供のことを思えばこそ、その意に反してでもより良い結果を得られる道へと進ませるのが、親としての務めというもの」
「そういう話じゃ……」
「それと、議論に親子という関係性を持ち出すのなら、私からも一つ言わせていただきます」
金田母が、今日初めて眉をひそめる。
「家族の問題に、部外者の貴方が口を出さないでちょうだい。はっきり言って、不愉快だわ」
自身の行動は、誰に頼まれたわけでもない。本人から明言されていない以上、さりの悩みはもっと別なものである可能性すらあるのだ。痛いところを突かれ、風太は言葉を返すことができなくなってしまった。
「言い返す気概もないのね。その身を危険に晒してまで平和のために動く自警団員とやらも、所詮は子供ということかしら」
「……だったら」
そこまで言われて、黙っているわけにはいかない。大した反論を考えられてはいなかったが、言葉が口をついて出てきたため、風太は勢いに任せて続けることにした。
「僕も、さりちゃんの家族になります!」
風太の力強い宣言が、病室に響き渡る。この場の全員、一言一句聞き漏らすことはなかったはずだが、理解するまでに時間を要していたのか数秒程の沈黙が流れることとなった。
「……何を言い出すかと思えば、白昼堂々犯罪宣言とは。次の返答次第では、警察に通報させてもらうわよ」
「あ、いや、今のはそういう意味じゃなくて……その、家族同然に思って、頼ってもらえるような存在になるっていう決意表明みたいな……」
先程の言葉だけでは明らかに不足していたことを、風太は今更ながらに理解する。こんな間抜けな形で警察のお世話になることは避けたかったため、どうにか弁明を試みることにした。
そんな彼を見て何を思ったか、さりがベッドから下り、その細い二本の足で自立する。そして、小走りで彼のもとへと駆け寄り、勢いそのままに抱きついた。
「さ、さりちゃん?」
身長差がそこまで開いていないと言えど、実年齢を考えれば犯罪臭の漂う絵面だ。風太はさりから離れようとするが、強く掴まれていたために逃れることができなかった。
このままでは、本当に通報されかねない。人肌の温もりを感じているというのに、彼は血の気が引くような感覚に襲われていた。
「……類が呼ぶのは、友だけじゃないようね」
金田母の、意味深な呟き。彼女はスマホを取り出そうともせずに振り返った。
「気が変わったわ。これから先、貴方は好きなように生きなさい。成人するまでの生活費はこちらで負担するから、心配は不要よ。でもその代わり、二度と家の敷居を跨ぐことは許さないわ」
そう言って、金田母は再びドアへと近づいていく。ドアノブに手をかけるところで動きを止めたが、彼女が振り向くことはなかった。
「最後に一つ。既に貴方は『金田さら』よ。どれだけ否定しようとも、それはもう事実としてこの世界に刻まれてしまっているわ。それだけは、ゆめゆめ忘れないようにしなさい」
ドアを開く。そこでようやく、彼女は顔だけを僅かにさりの方へと向けた。
「せいぜい、後悔を重ねないように生きるのね」
そう言い残して、金田母が姿を消す。ひとりでに閉じるドアを見ながら、風太は状況の整理へと取り掛かった。
彼女の心変わりは、間違いなくさりの行動によるものだろう。出会って日が浅いはずの男子高校生に抱きつく娘の姿を見て、どのように感じたのかは定かではないが、それ以外に理由は考えられない。
(これで……良かったのかな)
さりが望まぬ道を歩き続けることは避けられた。だが、その代わりに二人を引き裂く結果となってしまっている。
他に、良い解決策があったのではないか。少なくとも、現状が最善であるとは風太には思えなかった。
ただ、いつまでも思考に耽ってはいられない。まずは、目の前の問題を解決しなければ。
「とりあえず……さりちゃんさえ良ければだけど、僕の家に来るかい? 女の子一人増えても問題ないぐらいには、広い所だからさ」
生活費の心配がないとは言え、家に帰れなければ衣食住を確保することは困難だろう。それを手っ取り早く解決するには、風太の家に居候させるのが一番だ。
幸い、さりは素直に頷いてくれた。肝心の家主に許可を取っていないが、話せばわかってもらえるはずだと彼は楽観的に考える。
「決まりだね……じゃあ、僕もそろそろ帰るよ。色々と、準備しなきゃならないから。詳しい話は、また今度」
あまり話せていないが、仕方がない。さりの身をベッドに戻してから、風太はドアの方へと進んでいった。
「またね、さりちゃん」
小さく手を振る彼女に、風太もまた同じように返す。ドアが閉まりきるまで、彼はそれを続けていた。
「さて、帰るか────」
「赤城さん」
「うわっ!?」
死角から声をかけられたことで驚きを隠せず、風太は飛び上がる。振り向いた先には、先程去ったはずの金田母の姿があった。
「……どうしたんです?」
「少し、お伝えしたいことがありまして」
そう告げる彼女の雰囲気は、つい先程までとは異なるように感じられる。その理由を探るため、風太は話を聞いてみることにした。
「先程の、貴方への抱擁……あの子があそこまで明確に意思表示をするのは久しぶりです」
「は、はあ……」
間の抜けた相槌を打つ風太。あまり、掘り返されたくはない話なのだ。さりの親が相手であれば、余計に。
「きっと、今まで出会った誰よりも……そして私よりも、貴方に、懐いているということなのでしょう」
その言葉の直後、彼女は頭を下げた。
「娘を、よろしくお願いします」
誠意を表すかのように、深々と。何秒も、同じ姿勢を続ける。
そこに、冷酷非道な人物の姿はない。あるのは、愛娘を思いやる、一人の母親の姿だった。
「……では、私はこれで」
返事を待たずに、彼女は今度こそ去っていく。娘が信頼した相手ならば、問題はないと判断したのだろうか。そんな考えが、風太の頭をよぎる。
「悪い人じゃない、のかな……?」
もしかしたら、二人の仲を修復することが可能かもしれない。時間はかかるだろうが、自分がその一助となってみせよう。そんな新たな決意を胸に、風太は歩き出す。
「あっ、看護師さん呼ぶの忘れてた……すみませーん!」
頼りない彼が一人の少女を救えるようになるまでの道のりは、まだまだ長い。




