第106話「偏愛」
およそ、自然界に存在するとは思えない姿形の生命体。その屍の山が、暗闇の世界に積み上げられていた。それを作り出した張本人である黄田大和は、頂上にて雄叫びを上げている。
ここはどこなのか。自身が屠ったこの生物たちは、どのようにして生み出されたのか。わからないことばかりだが、彼がそれを気にすることはない。ひどく曖昧になった記憶すら、どうでもよく感じられている。
戦いたい。心の底から湧き上がるその衝動に、彼は身を委ねていた。
「足りねえよ……」
拳から伝わる衝撃が、聞こえる呻き声が、相手の返り血が、彼を刺激する。普段と何一つ変わらない感覚のはずだが、彼が満たされることはなかった。
戦いの果てに求めるのは、勝利だ。ただ、それを重ねることができてしまえば、心踊るはずの肉体のぶつかり合いすら、決まりきった結果に繋がるだけの過程へと成り下がる。
「こんな奴らじゃ、満たされねえ……」
満ち足りているが故の飢餓。潤っているが故の渇き。戦えば戦う程、勝利すればする程、それらは強く彼の心身に訴えかけてきた。
「……そこかああっ!」
突如、彼は丘を崩して飛び立つ。強者の匂いを感じ取ったためだ。
向かう先には、いつの間にか出現していた扉と、そこから足を踏み入れたらしい来訪者の姿があった。
黒髪赤眼の青年。大和も所属する山盛高校自警団の一人、藤咲クロだ。その実力は『神』をも打ち破る程で、常人には推し量ることすら困難だろう。
そんな相手との戦いなら、きっと。大和は期待を込めて拳を振るった。
「相変わらずの戦闘馬鹿だな……」
直線的故に、躱しやすかったのだろう。クロは身を捻るだけで大和の軌道上から逸れると、即座に拳を引いた。
「黄田ぁ!」
大和の右脇腹に、クロの拳が容赦なく叩き込まれる。
二人の体格差は一目瞭然だが、それが幻のように思えてくる程、重い一撃。たまらず、大和も体を反らすこととなったが。
「こんなもんじゃ……ねえだろおっ!」
大和は巨体を引き起こし、しならせるようにして再びその剛腕を振るった。間一髪で回避されるものの、続けて何度も攻撃を仕掛けていく。
さすがのクロも、執拗に迫る筋肉の塊の前には下手に動けないようで、しばらくは回避に専念していた。
だが、まだ諦めたわけではないらしい。
「『バクロ』!」
大和の蹴りを屈んで躱した直後、クロが全身から闇を放出することで爆発を発生させた。それからすぐ、魔力を集中させた両の掌を彼の方へと突き出す。
「『ホウゲキ』!」
そこから放出された膨大な量の闇により、大和の身は瞬く間に呑み込まれた。
気を抜けば全身が押し潰されそうになる程、凶悪な一撃。謎の生命体との戦いでは味わうことのできなかった感覚が、彼を高揚させる。
それでも、まだ、足りない。
「なあっ!」
ただの突進だけで、闇を突破する。直後、魔法の反動を利用して広げられていたらしい距離を、大和はたった一度の跳躍で詰め直した。
「もっとだあっ!」
「がっ……!?」
互いの額が、激突する。両者同じ衝撃に襲われているはずだが、クロだけがその痛みに苦しめられているようだった。
その隙を逃さぬよう大和は攻め続けるものの、なかなか追撃を命中させることができない。
(そうだ。こんなもんで終わってくれるなよ)
これこそ、自らの求めていたものだ。少なくとも今この空間においては、目の前に立つこの男しか、自身の心を埋められる存在はいない。そう確信した大和は、口角を吊り上げながら拳を振るっていく。
「『コクロウ』!」
クロから放出された闇が、大和の体に絡む。
拘束したつもりなのだろう。だが、そのような搦め手は彼には効かない。彼は持ち前の筋力により、一瞬で闇を引きちぎった。
その一瞬が、必要だったらしい。
「闇、噴、射!」
扉の方に体を向けたクロが両腕を後ろに伸ばし、その掌から闇を放出して高速で移動を始める。まさかと思った大和は、再び自身を呑み込んだ闇の流れに抗って彼を追いかけるが、気づくのが僅かに遅かった。
扉の前へと舞い戻ったクロが、すかさず空間を脱出する。大和は再び、この暗闇の中で一人きりになってしまった。
「おい! 待ちやがれ! 俺と、俺と戦ええっ!」
何度も扉を殴りながら、その向こうにいるはずのクロへと叫ぶ。ただ、自ら開けようとはしなかった。
否。その選択肢が、そもそも頭に浮かんでいなかった。故に、彼は子供のように喚き続けることしかできない。
「舐めやがって……!」
空間全体から魔力の高まりが感じられたことで、振り返る。クロとの戦闘中には姿を見せていなかった謎の生命体が、大量に発生していた。
どうやら、またしても不毛な殺戮に浸るしかないらしい。怒りと絶望を共に抱えながら、それらを雄叫びへと変換して再び向かっていく。
殴って、蹴って、裂いて、潰して、砕いて、貫いて、叩きつけて、噛みちぎって。飽きのこないよう、様々な方法で命の灯火を消していった。
それでもやはり、満たされない。甘美な一時を過ごしてしまった分、現状がより空虚なものに感じられた。
「もっと、もっと強い奴を寄越せええ!」
血の雨に降られながら、叫ぶ。そんな狂気的な祈りが届いたのか、クロが去った後も消滅せずに残っていた扉が、再び開いた。
「……戻ってきたか、藤咲クロ!」
扉の開閉音を聞きつけたことで、獣のような眼差しをそちらへと向ける。クロとの再戦を期待した大和だが、彼の前に現れたのは予想外の人物だった。
(あいつは……)
灰色の髪に、紫の瞳。『彼女』として傍に置き、大和が自身の戦闘への欲を満たすために育てていた少女、灰本つかさの姿が、そこにはあった。
「……なんで」
呟くつかさ。大きく見開かれたその眼は確かに大和へと向けられているが、どこか虚ろなもののようにも感じられた。
「なんでなの……?」
つかさが一歩踏み出す。直後、その足下から波紋が広がり、それに従って空間が一気に白く染め上げられた。
「なんで、大和さんは私を見てくれないの……?」
また一歩、大和の方へと近づく。波紋は止まず、至る所に転がっていた死骸の数々を消滅させていった。
「私は、こんなにも大和さんのことばかり考えてるのに……」
つかさの実力は、クロに劣るだろう。だが、自身にかすり傷一つ与えることのできない相手よりは遥かにマシだ。発されるただならぬ雰囲気からそう考え、大和は彼女の方へと向かっていった。
「何言ってっかわかんねえよ、マセガキ!」
一度標的に定めれば、性別など関係ない。相手の整った顔面を、大和は躊躇なく殴りつけた。
だが、つかさは倒れない。いや、そもそも衝撃が伝わってすらいないようだった。
「そっか。忘れちゃったんだね……いや、初めから届いてなかったのかな」
埃を払うような、脱力した仕草で大和の剛腕が弾かれる。続けて反対側の腕を振るおうとした彼だが、直後、つかさを中心とした衝撃波のようなものが発生したことで、勢い良く後方へと吹き飛ばされた。
「なら、もう一度教えてあげる。私の、愛を」
「上等だ。身の程ってもんを思い知らせてやるよ」
着地の後、そう強気に返した大和。だが、違和感を覚えたことで彼は眉をひそめた。
足を前に動かすことが、できなかったのだ。全身の毛は逆立ち、震えも止まらない。このようなことは、生まれて初めてだった。
(怯えてるだと……? この、俺が……?)
そんなはずはない。そう証明するように、大和はなんとか駆け出してつかさとの距離を自分から詰めようとした。だが、またしてもその動きを硬直させられることとなる。
「くそがああっ!」
そう叫ぶ大和は、片足の爪先だけが地面に触れた状態だった。自らの意思で留めるには、やや困難な体勢だ。
少なくともこの現象は、つかさによって引き起こされたものだろうと理解できている。ただ、どれ程力を込めても指先一つ動かすことすら叶わず、彼の心には怒りと同時に別の何かが蓄積されていった。
「そうだよ。大和さん」
空間そのものに掴まれたかのような大和とは対照的に、軽快な足取りでつかさが距離を詰めてくる。彼女は笑みを浮かべているが、その瞳からは感情を読み取ることができない。
「そうやって、ずーっとずーっと、私のことだけを見ててくれればいいの」
つかさの柔らかな手によって、大和の頬が撫でられる。人肌の温もりなど微塵も感じられず、全身が凍りつくかのような錯覚に襲われた。
「じゃあ、ご褒美あげるね」
大和の背中に、腕が回される。二人の隙間は完全に消滅し、互いの鼓動がよく聞こえるようになった。
一方は、逃げ惑う鼠のように忙しなく。もう一方は、まるで不気味なまでにゆっくりと。それぞれ命を刻んでいた。
「ぎゅうううう」
言葉とともに、強く抱きしめられる。直後、大和の全身に激痛が走った。
つかさの腕力に耐えきれなかったわけではない。また、これまでに彼女が習得した魔法によるものでもなさそうだった。
これも、今までに感じたことのない何かだ。そこまで辿り着いたところで、彼は思考を放棄した。
意識が遠のいていく。世界が再び暗闇へと堕ちていくなか、彼の心に芽生えた一つの感情が、今の今まで内側で荒ぶっていたはずのその他全てを霧散させてしまった。




