第105話「クロと、その叔父」
「……クロさん?」
呼びかけられたことで、クロが振り返る。ひどく狼狽しているようで、焦りや驚きといった感情が彼の顔に表れていた。
理由が気になりはしたが、それよりも先に尋ねなければならないことがある。そう考えながら、雷貴は言葉を続けることにした。
「その人は、いったい……」
「……失礼、自己紹介が済んでいなかった」
上手く返事ができないらしいクロの代わりに、男がその隣に立って自身の胸に手を当てる。
「私は『藤咲絵札』。静岡県立山盛中学校の教頭を務めていて……ここにいる、藤咲クロの叔父でもある」
(クロさんの、叔父……この人が……)
クロの家族構成について、雷貴は彼自身の口から直接聞いたことがあった。故に、叔父の存在についても認識している。写真等を拝見したことがないため、こうして顔を見るのは初めてだが。
「あらまぁ、ご丁寧にどうも」
クロとの関係性を聞いてか、はたまた肩書きを認めてか、朋世が微笑を浮かべながら一歩前へと進んだ。
「うちは宇治朋世言います。静岡県の私立高校、鋭才学園の魔法学指導教員やらせてもろてますわ。以後、お見知りおきを」
「鋭才自警団員、緑間雷貴です」
「……同じく、モルテと申します」
朋世の会釈に続き、二人も手短に自己紹介を済ませる。話をややこしくしないためか、セレスの声は聞こえてこなかった。
「どうか、そう畏まらずに。さて、本来なら、活動中の甥の様子でも尋ねたいところなのですが……」
「そないな時間はない、てな顔してはりますなぁ。いったい、何があったんどす?」
「話が早くて助かります。とは言え、恥ずかしながら、逃げることに必死で私も状況を把握しきれなかったため……少し、調べてみましょう。恐らくは、ニュースになっているはずです」
絵札が取り出したスマホ。何回かの操作の後、その画面に一つの動画が映し出された。彼を中心として、残りの四人が覗き込むように液晶を見つめる。
(これ、は……!?)
表示されている言語からして、イタリアの報道番組か何かだろう。
流されていたのは、ある場所の中継映像。海に立つ白い壁のようなものが目を引くが、雷貴は何もそれ自体に驚かされたわけではない。
「……なんて書いてあるん?」
朋世が、困ったように自身の生徒たちへ視線を向ける。どうやら、この場で母国語以外の言葉がわからないのは、クロだけではなかったらしい。
ただ、雷貴は驚きのあまり声を発することができずにいた。そんな彼の代わりに、モルテが口を開く。
「日本全域が、謎の光に包まれた、と」
それを聞いて、クロもまた言葉を失ったようだった。ということは、先程の驚きにはまた別の要因があるのだろう。そう考えられる程度には、雷貴にも余裕が戻ってきていた。
「膨大な量の魔力が出現するのを感じた私は、咄嗟に転移魔法の構築を行い、ここに……クロがいる場所に避難しました。そのため、私も向こうの状況を正確に把握できているわけではないのですが……これらの光は、魔力そのものである可能性が高いでしょう」
魔力によって構成されたであろう光の中に消えた、日本。それが、今も形を留めているかどうかは不明だ。そこで暮らす人々も、同様に。
「ちょっと、電話かけてみますわ」
震える手で、朋世がスマホを操作する。発信音が漏れていたが、いつまで経っても相手からの応答はないようだった。
「あかん、繋がらへんわ。これじゃあ、今抱えてる案件の報告もできひん」
笑うことしかできない、といった様子の朋世。予想を遥かに上回る出来事に直面し、精神的に参っているらしい。
「その案件は、すぐに方が付きそうですか?」
「いやぁ、どうでっしゃろ。けど、一国の危機……下手したら、世界の危機にもなりかねんこの状況より優先することってのも、そうそうないんと違います?」
朋世は苦笑しながらそう言った。
マフィアの残党がいる懸念。他国で大規模な戦闘を行ったことによる、関係各所への報告。セレスとモルテに関する件で、やるべきこと、考慮するべきことは山程残っているが、優先順位は明らかだ。
いつまた日本のような被害が発生するか、わからないのだから。
「……ごもっともですね。でしたら、鋭才自警団の皆さんは、この国の警察組織……もしくは、自警団か、魔力の研究機関に接触していただけますか。日本への無闇な接近をしないよう、お伝えください」
「構いまへんが……藤咲先生は、どうなさるつもりどす?」
「日本周辺へと転移し、現象の調査と、生存者の捜索に当たります」
「いや、そうは言うても藤咲先生、自警団所属やないでしょう?」
「非常事態です。止むを得ません。動ける者が、できることをする……そうしなければ、助かる命も助けられないでしょう」
「せやけど……」
納得いかない様子で、朋世が食い下がろうとする。絵札の姿は、高い理想を抱いた一般人が背伸びをしているようにしか映っていないのだろう。
雷貴もまた、彼女と同じ気持ちだ。そして恐らくは、モルテとセレスも。だが、ただ一人、絵札に賛同する者がいた。
「なら、俺も行きますよ」
「藤咲はん……」
「俺が付き添えば、問題ないですよね」
クロが一緒だったところで、一般人が危険に身を投じようとしているという構図は変わらない。それを理解していないのか、彼は自信ありげに言葉を並べた。
「……わかりました」
朋世が自身の額に手を当ててからため息を吐く。考えは変わっていないようだが、これ以上止めても無駄だと判断したらしい。
「けど、二人とも無理はせんように。何かあれば、すぐに避難すること。約束できますか?」
「もちろん」
「ええ。お気遣いありがとうございます」
「……じゃ、うちらは行こか。今日も元気にお仕事お仕事っと!」
そう言って振り返り、伸びをしながら歩き出す朋世の背中を、雷貴とモルテはじっと見つめていた。
「先生、そちらではありませんよ」
「ずこーっ!? は、早く言ってぇやモルテはん! あぁ、恥ずかしい……」
大袈裟な反応を見せた後、朋世が火照った顔を扇ぐ。そんな彼女を他所にモルテは振り返り、フードを脱いでからクロに一礼した。
美しい、淡い水色の髪が、潮風に靡く。
「忘れるところでしたが……今回の件、大変お世話になりました」
「俺からも、ありがとうございます」
珍しい、雷貴からクロへの敬語。それを受けてか、クロは照れ臭そうに鼻を擦っていた。本人は平静を装えているつもりのようだが。
「気にすんなよ。まだ、終わったわけじゃなさそうだしな」
そう返されるとモルテはフードを被り直し、転がっていたマフィアの男を肩に担いでから再度クロの方に視線を向ける。
「では、また。どうかご無事で」
「またね、クロさん」
「ああ。お前らも、気をつけろよ」
振り返る二人。
一人除け者にされかけていた朋世に近づき、モルテが反対の肩に担ぐと────二人は凄まじい速度で街の方へと走り出した。
雷貴は、雷属性の魔法で。モルテは、持ち前の筋力で、だろう。
「わわ、わわわわっ!?」
朋世が、慌てふためくような声を上げる。人の体では直接達することができないような速度での移動に、驚いているらしい。
「口を閉じてください。舌を噛みますよ」
モルテは朋世の口がその両手で押さえられたことを確認すると、今度は隣を並走する雷貴へと視線を向けた。
「よろしかったのですか?」
「何がです?」
「藤咲クロさんのことです。心配なのでは?」
フードの奥から覗く、二色の眼。隠し事はできないかと、雷貴はため息を吐いてからモルテの問いに答えることにした。
「そりゃ、心配ですよ。できることなら、一緒に行きたかったです。でも、俺たちが任されたことも、同じくらい重要なこと……でしょ?」
絵札から聞いた現状を正確に他国へと伝えれば、事態の解決に向けて協力を仰ぐこともできるはずだ。それがクロの助けに繋がるだろうと、雷貴は考えていた。
「それに……」
「それに?」
自分では、クロを直接助けることはできない。彼の秘密を打ち明けてもらえるような存在には、未だ至れていない。絵札が現れた直後の驚きについて彼の口から語られなかったことで、そう思えてしまっていた。
「……いや、なんでもないです。さっ、急ぎましょう。クロさんたちの身に何かある前に、俺たちも到着しないと」
その悩みを伝えたところで、どうにもならない。いつか辿り着くその日まで、胸に抱き続けなければならないことだ。そう考えながら、雷貴は今の自分にできることを果たすべく、街へと駆けていくのだった。




