第104話「憑依:色彩」
「ふっ」
モルテは自身の右眼を握り潰すと、空いた眼窩にセレスの眼球を潜り込ませ、固定する。それから衣服の袖で軽く血を拭き取ると、朋世の方へと近づいていった。
「すみません。治癒をお願いできますか?」
「あ、ああ……構へんよ」
引き攣った笑みを浮かべながらも朋世はそれに応じ、魔法を発動する。
黄緑色の光が浸透すると、溢れるようだった血涙の流れが緩やかになった。どうやら、止血が完了したらしい。再びモルテが拭き取ると、それ以上血が流れてくることはなかった。
「感謝します……さて、セレス」
『な、何……?』
治癒の魔法が効いたのか、セレスの方も落ち着きを取り戻したようだ。やけにしおらしく聞こえるのは、痛みが引いて間もないからか。
「私の肉体を、貴方に授けます。私が魂を消滅させれば、貴方は完全にこの肉体に定着できるでしょう。この間のように、解除されることもなくなるはずです」
『いや、何、言って……』
「では……」
モルテが、徐に目を閉じる。
まずい。雷貴はそう直感するも、彼女の動きが読めないために手出しできなかった。
時間の流れが、やけに遅く感じられる。それでも、彼になす術はない。
だが、このままでは、彼女は────
『駄目!』
「がはっ……!?」
セレスの声が聞こえた直後、モルテは苦しみだし、大きく咳き込んだ。それによってか、張り詰めたような空気も鳴りを潜める。
「な、何を……」
『仲間を犠牲にしてまで、生きたくない』
「し、しかし……」
『そんなことに、なるくらいなら……ボクが死ぬ!』
「いや待て待て待て待て!」
さすがに看過できなかったのか、クロが割って入った。雷貴よりは合理的な思考ができる彼だが、さすがに仲間の命を軽んじることはできないようだ。
「どうしてそうなるんだよ。二人とももっと自分の命を大事にしろって」
『でも……』
「モルテ。本当に、他に手はないのか?」
「そう言われましても……」
口を閉ざすモルテ。思考を巡らせてはいるようだが、なかなかいい案が浮かばないらしい。
やはり、何かを犠牲にしなければセレスを助けることはできないのか。当人でもない雷貴が諦めかけた、その時。モルテが、何か思い出したかのような声を上げる。
「緑間さん。確か、貴方の持つ魔導具は、雷属性の魔力以外では動かせないと仰っていましたよね?」
「は、はい」
イタリアに向かう途中で、雷貴は自身の情報をある程度モルテと共有していた。彼女が彼の魔導具について知っているのも、そのためだ。
「他の属性の魔力でも、溜めること自体は可能ですか?」
「できるはずです。制限があるのは起動時だけで、充填する魔力はどの属性でも大丈夫って実験結果が出てます」
「なるほど……念のためですが、それは今使えますか?」
「多分、大丈夫だと思います」
雷貴が、鞘から魔導具を引き抜く。彼の返答に満足したのか、モルテは僅かに微笑みながら自身の右のこめかみに手を添えた。
「セレス。今から、一時的に肉体の主導権を渡します。そうしたら、貴方の魔法を使って魔導具に自身の魂と魔力を定着させなさい。目安としては……最低でも半分以上。もし可能でも、全て注ぎ込むことのないように」
『……出鱈目言って、死ぬつもりじゃない?』
「私が信じられませんか?」
『うん』
「手厳しいですね……」
一つの肉体で、声で。二つの魂のやり取りが行われている。
モルテのときには、やや柔らかく。セレスのときには、やや暗く。雷貴は二人の言葉から、それぞれそのように感じられた。
『お前が死んだら、ボクも後を追う。だから、嘘はつくな』
「……それを聞いてしまっては、余計に、裏切ることなどできませんね」
では、とモルテの言葉が続けられる。
「あとは、頼みましたよ」
閉じられる瞼。先程とは違い、緊張が走ることはなかった。それからさほど時間が経たないうちに、再びその目が開く。
「頼まれた」
そう呟いたセレスの体が、淡い光に包まれた。彼女が腕を伸ばすと、光はそれをなぞるように移動を始め、雷貴の握る刀の柄へと流れ込んでいく。
「くっ、ううっ……」
「セレス、大丈夫か?」
「難しいだけ……雷貴は、それちゃんと握ってて」
そう返しつつも、顔を歪めるセレス。心配の色が取れない雷貴。ただ眺めているだけしかできない、クロと朋世。
そのまま、『それ』は続き────やがて、セレスの纏う光が弱まっていった。
「これで……大体、七割?」
首を傾げながら、セレスは輝きの注入を中止する。直後、その体がふらついた。
「セレス!」
「任せろ」
まだ、終わったかどうかはわからない。魔導具を握る雷貴の代わりに、クロがセレスの体を受け止めた。
「セレス、大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫です。それと、私はモルテですよ」
気絶していたようだが、すぐに意識を取り戻したらしい。モルテはクロの肩を借りながら身を起こすと、セレスの魔力が充填された魔導具へと視線を向けた。
「セレス、起きなさい」
モルテが呼びかけるが、返事はない。
「セレス」
「あ、もしかしたら……みんな、ちょっと離れてて」
三人に指示を出す雷貴。成功していてくれと願いながら、彼は紫色の雷を顕現させた。
「すっげえな、こりゃ……」
多量の魔力を充填したためか、かつてない程に凄まじい勢いの雷が、地上で出現している。雷貴が制御することでそれは徐々に収縮していき、やがて普通の刀と同程度の長さに落ち着いた。
暴走する危険がないことを確認してか、合図を出すよりも先に三人が再び彼の方へと戻ってくる。
『……成功した』
それは、紛れもなくセレスの声だった。どうやら、魔導具から発されたものらしい。
『もう、戻していいよ。コツは掴んだ』
「了解」
雷貴は刀身を徐々に短くし、やがて完全に消滅させる。魔導具の扱いにも、随分と慣れてきていた。
「聞きそびれてたけど、どういう原理なんだ、今のは……」
驚きを隠せない様子で、クロがモルテに尋ねる。安心こそしたものの、雷貴も現状を把握しきれていないため、共に彼女の方へと視線を向けた。
「生物の体に、二つ以上の覚醒した魂を混在させることはできませんが……非生物であれば、そもそも元の魂が存在しませんからね。魂の競合なく、定着させることができるのです」
「だけど、それならなんでわざわざ魔導具を選んだんですか? 服とか、キーホルダーとか、他のものでも良かったんじゃ……」
「あ、それならうち、わかるかもしれへん」
微笑みながら、朋世が控えめに挙手する。集まる視線に動じることなく、彼女は言葉を続けた。
「魔導具以外の非生物が含有できる魔力量ってのが、大して多くないからと違う? 話を聞くに、込めた魔力の量次第で、定着する魂の量も変わってくるんやろ?」
「よくご存知で」
「いやぁ、褒めたってなんも出えへんよ?」
手で顔を扇ぎながら、朋世が上機嫌にそう返す。やはり、魔法学指導教員の肩書きは伊達ではないらしい。
「その魔導具に充填した魔力を一気に使い切るようなことさえなければ、セレスの魂を常に定着させていられます」
「もし、使い切ったら……?」
その答えに薄々気がついていながらも、雷貴は尋ねた。
「魔法の副次的作用による生命維持ができなくなり、今度こそ、セレスは死ぬでしょうね」
それと、とモルテは続ける。
「当然ですが、肉体ありきで魔法を行使しているため、この右眼……もしくは、私の身に何かあれば、そのときにもセレスは消えます」
「……それ、生きてる判定なのか?」
至極当然の疑問が、クロからぶつけられた。
普通の人間は、眼球だけで生きることなどできない。魔法の存在込みで考えても、それを可能にできる者は限られるだろう。
「セレスの魔法を利用し、眼球に残っている魂と私の命を接続することで実現できています。そこに倒れている男も、機械を用いて同様の現象を引き起こしていたのでしょう」
未だ目を覚まさない男に、四人の視線が向けられた。
「さて、これでセレスの安全は確保できました。次は────」
二人とも命を落とさずに済んだというのに、モルテは大袈裟に喜ぶこともなく話を進めようとする。
雷貴含め、残りの三人は心ここにあらずといった様子だったが、呆けている時間がないとわかっていたためか、各々気を引き締め直しているようだった。
「クロ!」
「のわっ!?」
突然名前を呼ばれたことで、クロが声を上げる。その背後には、いつの間にか見知らぬ男性が立っていた。先程縛り上げられていた存在とは、また別の人物だ。
まさか、新手か。そう考えて雷貴は警戒するが、直後に、その必要はなかったと知ることになる。
「おじさん!?」
どうやら、クロの知り合いらしい。あるいは、『叔父』か。驚いているあたり、何故この場にいるのかは彼にもわかっていないようだ。
「まずいことになった」
「まずいって、何が?」
おじさんと呼ばれたその男性は、険しい顔でクロの両肩を掴んでいる。
余程の事態が起こっているのだろう。それくらいは雷貴にも理解できたため、口を挟まずに耳を傾ける。ただ、あまりに小さな声で言葉を続けられたため、聞き取ることはできなかった。




