第103話「戦果:色彩」
「────あれ?」
視界は、何色に染まることもなかった。
切り替わる景色。数秒程経過して、雷貴は陽光に照らされる水面を認識した。どうやら、海岸付近を走っているらしい。
地下に飛ばされる前とも、また違う場所。あれら一帯がどうなったのか、再度訪れる以外に確かめる術はなさそうだ。
つい先程まで感じていた魔力反応の高まり方からして、無事ではないのだろうが。
「おーい、雷貴くーん!」
声が聞こえたことで雷貴は足を止め、その方へと振り返る。視線の先には、地下空間で見つけることができなかった宇治朋世の姿があった。
「宇治先生……! 良かった、無事だったんですね」
魔法を解除しつつ、彼女の方へと駆け寄る。朋世には負傷が見受けられなかったため、雷貴はほっと胸を撫で下ろした。
「まあ、これでも魔法学指導教員の端くれやから。雷貴君も、大事なさそうで何よりや」
胸を張った後、朋世が視線をやや右方向へと動かす。恐らくは、雷貴の背負っているモルテに焦点を合わせたのだろう。
「モルテはん、大丈夫? もしかして、どこか怪我したん……?」
「いえ、気を失ってるだけです。負傷もそこまでじゃありません。そのうち、目を覚ますと思うんですけど……」
言いながら、雷貴はモルテの体をゆっくりと地面へ下ろす。ただ一つを除いて周辺から魔力反応が感じられなかったため、この場は安全だと判断した。
「なら良かったわ。とりあえず、四人とも無事ってわけやね」
そう返しながら、朋世が海へと視線を向ける。
その上には、光の軌跡が描き出されていた。先端でそれを生み出しているであろう人物は、軌道を修正するように旋回して三人のもとへと向かってくる。
「よ、い……しょっと!」
徐々に速度を落として停止したのは、地下にて雷貴と再会した後すぐさま別れた、藤咲クロだった。
「みんな、無事か?」
「大丈夫だよ。なんでここに飛ばされたのかはわからないけど……モルテさんも、気を失ってるだけみたい」
「そっか、良かった」
「……いや、クロさんこそ大丈夫?」
両脇には、筒状の水槽のような容器と、気絶した一人の男性が抱えられている。それらに視線を動かしつつも、雷貴の双眸は最終的にクロ本人へと落ち着いた。
その額と胸に、風穴が空いていたためだ。そこから血が流れ続けているというのに、彼は大して苦しまずに普段の調子で立っている。
「傷は闇で塞いでるから大丈夫だ。まあ、早めに治した方がいいんだろうけど」
「なら、うちに任せてえな」
そう言って、朋世が一歩前に出た。さすがに酔いは覚めたらしく、彼女の顔は血色の良いものへと戻っている。
「ほい」
朋世が手を翳すと、そこから黄緑色の光が広がった。それが雷貴、モルテ、クロの三人の体に浸透することで、傷が見る見る治癒されていく。それから一分と経たないうちに、三人の傷は完治した。
「一丁上がりや」
「おお、すげえ……」
「そこで伸びてるお方も、治した方がええ?」
「いや、大丈夫です……マフィアの親玉みたいなんで」
「けど、このままだと死んでしまわへん?」
クロの抱えている男は外傷こそないものの、口から多量の血を流していて明らかに重傷だと思われる。傷を治したい気持ちが抑えきれないのか、そんな相手を見た朋世は指先を忙しなく動かしていた。
「大丈夫だと思いますけど……なら、全快しない程度に治してもらえますか? そのへんの塩梅は、宇治先生の方がわかるでしょうし」
「了解っ」
黄緑色の輝きが、今度は男を包む。吐いた血が消えるわけではないため治癒の加減を判別できないが、雷貴にはなんとなく、男の表情が安らかなものへと変化したように思えた。
万が一に備えてか、クロは闇で縛り上げてからその身を地面に寝かせる。それからもう片方の脇に抱えていた水槽をそっと下ろし、次いで自身も座り込んだ。
「ところで、クロさん。それは……?」
恐る恐る、雷貴が水槽を指差す。
水で充満したその容器の中には、一つの小ぶりな球体が浮かんでいた。何やら輝きを放っていて、一見宝石のようにも思える。
自爆装置の作動という言葉をクロが正確に聞き取れたか定かではないが、かつて廃工場を脱出したときの魔法を使っていたあたり、緊急事態が発生していたことには気づいていただろう。
そんな状況で何故、人命救助よりもそれの運搬を優先したのか、雷貴には疑問に思えていた。
「セレスだ」
「え……?」
雷貴と朋世。二人の声が重なる。
「これが、今のセレスだ」
見たことなどないはずだが、微かに感じられた魔力反応から理解できた。理解できてしまった。そこにあるのが、『彼女』の瞳だと。それ故に、雷貴は膝から崩れ落ちる。
「どうして、こんな……」
膝をついたまま近づいて水槽に触れると、その振動で中の液体と眼球が僅かに揺れた。
「魂の定着と、それによる物質、物体の操作……とか言ってたか。その魔法をセレスが使えたおかげで、その状態でもなんとか生きてるみたいだ」
「……生きてる?」
予想外の言葉を聞き、雷貴はクロへと視線を向ける。気休めでくだらない嘘をつくような人間ではないとわかっているが、にわかには信じ難い話だった。
「ああ。俺たちをここに飛ばしてくれたのも、こいつだ……なあ。声、みんなに聞かせてやれよ」
水槽に向け、クロがそう声をかける。
全員の視線が集められたためか、内部の眼球が僅かに揺れた。
『久し、ぶり……って程でも、ないかな』
「セレス!」
「セレスはん……!」
その声は、モルテの肉体から発されるものと酷似している。だが、確かに『彼女』の言葉だと感じられたことで、雷貴はその名を呼んだ。
『こんな、姿、見られたく、なかった、のにな……』
それを聞いてか、クロが目を逸らす。今更になって罪悪感が芽生えてしまったのかもしれない。
そんな彼を他所に、雷貴はセレスに向けて優しく微笑んだ。彼女の現状は決して芳しくないが、一命を取り留められていたことが嬉しく感じられていたのだ。恐らくは、朋世も同じ気持ちだろう。
「助けてくれてありがとな……どんな姿でも、お前はお前だよ。俺たちの仲間の、セレスだ」
「せやで。悔しい気持ちはあるやろうけど……セレスはんを傷つけた奴らは、うちらがいてこましたるわ」
『いや、もうそこに伸びてる……』
伸びている者は、この場に二人しかいない。ただ、件の人物にモルテが該当するわけもないため、雷貴と朋世の視線は必然的に男の方へと誘われた。
「俺も、詳しい話は聞けてないからな。そいつが目を覚ましてから、色々と聞き出してみようぜ」
「残念ですが、それは無理でしょう」
食い気味に発される、凛とした声。それが聞こえてきた方へ目を向けると、モルテが立ち上がっているのがわかった。
「モルテさん……もう、大丈夫なんですか?」
「ええ、おかげさまで」
フードの中から、口角の上昇が僅かに見える。
「……無理ってのは、どういうことだ?」
「状況からして、セレスを中心とした一件にマフィアが絡んでいたことは間違いありませんが……口を割ることはないでしょう。たとえそれが、組織の長だったとしても」
「命より大事な掟がある、みたいなことなんかねぇ?」
「平たく言えば、そういうことです」
セレスの情報を僅かにでも漏らしたのは、慢心からなのだろう。そこから察するに、詰めの甘いところがあるようだが、悪党には悪党なりの流儀があるということか。
「……だから、自爆装置が起動されたってことですか?」
先程までとは一転して、雷貴の表情が暗いものへと変化する。
地下空間にどれだけの人間が取り残されていたのかはわからないが、自爆に巻き込まれて命を落とした者は決して少なくないはずだ。
セレスに働いた非人道的な所業は絶対に許せないが、かと言って殺意までは抱かない。敵の命すらも救いたいと思ってしまう彼にとっては、あまりに酷な事実だった。
「いや……半分は俺のせいだ」
そんな彼を見て何を思ったか、クロが呟く。
「そいつを倒した後、セレスを装置から取り外すのに、テキトーに操作しちまってな。上手くやれば、自爆機能を解除することもできたんだろうけど……」
地下空間に響き渡った機械音声の内容とも、矛盾はしない。クロが語ったことに嘘偽りはないのだろう。そうわかっても、誰一人として彼を責めることはなかった。
「貴方が気に病むことではありませんよ」
「モルテ……」
「褒められたことではないかもしれませんが、結果だけ見れば最善の選択だったと言えるでしょう。まごついている間に、増援を呼ばれる可能性もあったでしょうし」
クロが動かなければ、セレスの奪還をできないままマフィアの構成員たちに制圧される、という最悪の未来を掴まされる危険もあり得ただろう。全員が無事に生還できた今の状況は、悪くはないはずだ。
だが、ある単語が雷貴の逆鱗に触れた。
「……最善なわけないでしょ。人が、死んでるんですよ」
誰を責めることもできないと、理解している。それでも怒りを抑えることができず、口からこぼしてしまった。
「博愛主義を掲げることに口を出すつもりはありませんが……彼ら彼女らは、これまでに数えきれない程の命を奪っています。それも、明確な悪意をもって」
「でも、だからって死んでいいなんてこと……!」
「その命を散らすことでしか償えない咎を、あの者たちは背負っていた。のさばらせておいてはならない連中だったのですよ」
説得するつもりで話しているわけではないらしい。モルテはただ淡々と、覆ることのない事実を述べているかのようだった。
そんな彼女に雷貴は反論しようとしたが、続く言葉を受けて閉口させられることとなる。
「私も含めて」
自らの命に価値がないと、本気で思っているかのような眼差し。それを向けられたことで、言葉を紡ぐことができなくなってしまったのだ。
価値観の違い。理解できない在り方。それをまざまざと見せつけられ、雷貴は動揺してしまった。自らの理想は、所詮、理想でしかないのだと思い知らされる。
「……これからどうします?」
重い沈黙を破ったのは、クロだった。
打ちひしがれている場合ではない。彼の声でそのことを思い出すが、雷貴は切り替えることができなかった。
「え? えーっと、そうやねぇ……」
朋世は困ったように視線を泳がせている。
アジトの爆発に、変わり果てた姿で見つかったセレス。状況の整理が難しく、方針をすぐには決められないのだろう。
「……早急にやるべきは」
モルテが屈み、水槽の上に手を置く。雷貴が口を閉ざしたことで、二人の間の問答は終わったと判断したらしい。
「セレスの魂の、定着です。このままでは、衰弱して命を落とすでしょう……恐らく、あと一時間も持たないかと」
「……どうすれば、いいんですか?」
ようやく助け出せた仲間を、再び失うことになるかもしれない。その恐怖が、雷貴の精神を逆に安定させる。声を震わせながらも、彼は再びモルテに向き直った。
「簡単ですよ。からくりは理解できましたから」
モルテはそう告げながら水槽の蓋を開くと、濡れることを厭わない様子で豪快に左腕を入れ、そこに浮かんでいた眼球を掴み取る。
『いだだだだ!?』
「我慢してください。一瞬で済みます」
『いや、一瞬じゃないだだだだ!?』
直後、雷貴は────いや、恐らくは残りの二人も、息を呑んだ。
モルテがなんの躊躇いもなく、空いていた右手で自身の右眼に触れ、それを抉り取ったからだ。
「ひっ……!」
悲鳴か、それとも吐き気か。朋世は口に手を当て、必死に堪えているようだった。
残りの二人は大袈裟な反応こそしないものの、ただ呆然とモルテの動作を眺めている。奇行としか思えない彼女のそれが終わるのを、ただ待つしかなかった。




