5「サラマンダー戦」
後ろ足で立った火蜥蜴はルドよりもずっと巨大で、前足でルドの肩を背後からしっかりと押さえ込みつつ、左側から、ルドの首元に噛み付いた。
――と同時に、火蜥蜴が全身に纏う炎が一気にルドを覆う。
「うわあああああああ!」
「ルド君!」
(何震えてるのよ! 助けるのよ!)
震える自身の全身を叱咤し、ラリサは左手に持った杖を、ルドの背後の火蜥蜴に向ける。
「『氷牢獄』!」
凛とした声と共に、氷魔法が発動するが――
「くっ!」
――氷塊は、ラリサの右側に生み出されていた。
即座にそれを消したラリサは、再度唱える。
「『氷牢獄』!」
――が。
――今度は、ラリサの左側に氷塊が出現した。
やっと〝自分自身〟から少しずらして、左右に氷塊を生み出せるようになったばかりで、今まで一度も敵に対して発動出来た事はなく、前に向かって放てたことも無い。
「『氷牢獄』!」
「『氷牢獄』!」
「『氷牢獄』!」
諦めずに、何度も魔法を使い続けるが、前方には全く生み出せず、更に、心の動揺が影響したのか、右、右、左と、氷塊が出現する場所もランダムであり――
「うわあああああああ!」
ルドの悲鳴が響く中――
(ルド君を早く助けなきゃいけないのに! 何で!?)
(早く! 早く!! 早く!!!)
「『氷牢獄』!」
終いには、焦りからか――
「!」
――背後に氷塊を生み出してしまった。
「『氷牢獄』!」
「『氷牢獄』!」
「『氷牢獄』!」
左、背後、背後と、場所の変化に背後が加わり、しかし前方には決して発動出来ない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
残りの魔力も少なくなって、肩で息をするラリサ。
「うわあああああああ!」
火蜥蜴に噛み付かれたまま、全身を炎で焼かれ続けるルドを見詰める。
「これが……最後!」
限界が近づき、ふらつき、震える身体に鞭を打ち、必死に杖を火蜥蜴に向けたラリサが、険しい表情で――
(お願い!)
――祈りを込めて、魔法を唱える。
「『氷牢獄』!」
――だが。
「! ……ああ……」
――無情にも、氷塊はラリサの右側に出現した。
「うわあああああああ!」
(何で……? 何でよ!?)
自分をモンスターから救ってくれた命の恩人が、目の前で殺されそうになっているのだ。
それにも拘らず、魔力が無くなるまで撃ち続けた氷魔法は、敵に掠りもしなかった。
否、それどころか、前方に向かって放つ事すら出来ない。
(私は、無力だ……)
そんな自分が情けなくて、惨めで、どうしようもなく悲しくて。
ラリサの頬を涙が伝う。
(父さんや兄さんたちが言った通りだった)
(ローゼンブラット家の面汚し)
(優秀な父さんや兄さんたちと違って)
(無能で)
(期待される価値もない)
(恥晒し)
心の中が、黒くて冷たい、重い感情で満たされる。
訥々と、ラリサが言葉を紡ぐ。
「ルド君……私のために、あんなに色々してくれたのに、ごめんなさい……やっぱり私には、出来ないみたい……もう、魔力も無くなっちゃった……」
絶望感に圧し潰されそうになりながらも、ラリサは――
「でも……!」
――歯を食い縛って、最後の砦だけは守らんとし、抗う。
「ルド君だけは、助ける! 私の命に代えても!!」
ラリサは、杖を高く振り翳すと――
「やあああああああああ!!!」
――ルドと、その背後から彼に襲い掛かっている火蜥蜴に向かって、走り出した。
魔力を使い果たした魔法使いによる、無謀な特攻。
こんな自分を見たら、きっと、父も兄たちも、嘲笑うに違いない。
だが、それでも良かった。
最期くらい、誇り高く死にたかった。
火蜥蜴の頭部でも、届かなければ前足でも良い。
杖で叩いて、気を引いて、大切な仲間を助けるのだ。
ルドは強い。
今は押さえつけられた上で噛み付かれているため、動けないが、火蜥蜴から離れる事さえ出来れば、きっと土魔法で倒してくれる事だろう。
「ルド君を放せええええええええええええええええええ!!!」
きっと彼も、初めて役に立った自分の事を、褒めてくれるに違いない。
死の間際に、そんな一言が貰えれば――
――それで自分は満足――
決死の想いで駆けて来るラリサに――
――ルドは――
「〝魔法使いとして戦う事〟を諦めるな!」
「!!」
――今まで聞いた事も無い程の大きな声で、吼えた。
思わず立ち止まるラリサ。
ルドは、背後から火蜥蜴に噛み付かれ、全身を炎に包まれたまま、叫び続ける。
「出来る!」
「!?」
「ラリサなら、絶対に出来る!!」
「!」
「俺は信じてる! だから、お前も信じろ!!」
魂の叫び。
ラリサの心を強く揺さぶる咆哮。
「どれだけ家族に〝出来ない〟と言われ馬鹿にされ続けても、諦めなかったお前が! 努力し続けたお前が!! 出来ない訳ないじゃないか!!!」
「!!」
声を嗄らして、ルドが大声で叫んだ瞬間――
「ラリサ! お前は!! 出来るんだああああああああああああああああああああ!!!」
「!!!」
――ラリサは心の底から熱く燃え盛る何かが溢れてくるのを感じて――
(そうだ……!)
(他の誰も信じてくれなくても!)
(ルド君が信じてくれてるんだ!)
(私だって、自分の事を信じなきゃ!)
(……ううん、違う……そうじゃない……)
(……本当は、ずっと信じて来てた!)
(だから、これからも信じるんだ!)
「私も、私の事を信じる! 出来るって!! 私なら絶対に出来るって、信じるわ!!!」
ラリサは、力強く杖を握り直し、火蜥蜴に向けて翳す。
とうに枯渇したはずの魔力が、身体の底から湧き上がって来る。
「ルド君! 今助けるわ!」
毅然とそう言い放ったラリサは――
――静かに目を閉じて――
(出来る! 出来る!! 出来る!!!)
――開けると――
「『氷牢獄』!!!」
――氷魔法を発動した。
――一瞬で大気を凍てつかせるそれは――
――炎に対して――
――その存在を許さず――
「ガアアアアアアアア!」
「! やったわ!」
――火蜥蜴を氷の牢獄に閉じ込めた。
――が。
「きゃあああああ! ルド君!」
――勢い余って、ルドも一緒に氷の中に閉じ込めてしまったようだ。
「『抽出』! ごめんね、ルド君!」
慌ててラリサは、ルドのみを氷塊から出して救出した。
「大丈夫、ルド君?」
駆け寄って来るラリサに、ルドは頷いた。
「ああ、大丈夫だ」
「良かった!」
ホッと胸を撫で下ろすラリサ。
「それよりも、とうとう成功したな、氷魔法。おめでとう」
「ありがとう! ルド君のお陰だよ!」
「いや、お前自身の力だ」
「ううん、絶対にルド君のお陰! 本当にありがとう!」
今まで、〝他者から礼を言われる事〟が殆ど無かったルドは、満面の笑みを浮かべながら礼を言うラリサに、ポリポリと頬を掻きつつ、「どういたしまして」と、ぎこちなく返した。
「それにしても、本当に大丈夫、ルド君? 火蜥蜴にずっと噛み付かれていたし、全身を炎で焼かれていたのに……」
「ああ、その事か」
何故か服すら焼けていないルドだが、普通に考えれば、怪我の一つや二つしていて可笑しくは無いだろう。
心配するラリサに対して、ルドは何気無く答えた。
「大丈夫だ。俺には、〝硬化〟能力があるからな」
「…………え?」
「全身を硬化する力で、俺はそれを極限まで窮めている。だから、俺が敵の攻撃でダメージを負う事はない。物理的な攻撃のみならず、炎や氷といった魔法攻撃、またはそれに準ずる攻撃も同様だ。それにしても、服まで硬化出来るだなんて、土魔法は本当に便利だな」
呆然としながら、ラリサは問いを重ねる。
「……もしかして、さっき、火蜥蜴に襲われていたのは……?」
「ああ、わざとだ」
「!」
事も無げに首肯するルドに、ラリサが瞠目する。
「お前の能力を開花させる為に、わざと襲われたんだ。この場所に火蜥蜴がよく出没する事は、事前に感知魔法で調べてあったからな」
「……意図してこの場所に来たっていう事? じゃあ、最初から……?」
「ああ、最初からだ」
俯いて、震えるラリサに――
「でも、良かっただろ? 結果的に、お前も能力を開花出来た訳だし。まぁ、Aランクダンジョンに行くってのは嘘だけどな。でも、お前の能力開花に比べたら、その位の嘘は別に大した問題じゃ――」
――計画通りに事が進み、上機嫌で語り続けるルドの――
「ふざけないで!」
「!?」
――頬を、ラリサが引っ叩いた。