4「ラリサの氷魔法修行」
ルドは、ラリサの疑念に対して首を振り、明確に否定しつつ、跳躍して鏡亀から飛び降りる。
「俺は吸血鬼じゃない。血を吸いたいなんて、一度も思ったこと無いからな」
ラリサも、ルドが先刻土魔法で作った階段を下りて行った。
「そうなんだ! じゃあ、何でだろうね? 不思議」
「多分、それは、俺が〝異世界転生者〟である事に関係していると思う」
「え!? ルド君って、異世界転生者だったの!?」
驚愕に目を見開くラリサ。
どうやら、〝異世界転生者〟という存在に関しては聞いた事があるが、実際に会うのは初めてらしい。
「でも、そう言われたら、ルド君が滅茶苦茶強いのも納得かも!」
ラリサは、魔法の杖を握る左手と右手で、それぞれグッと胸の前で拳を握る。
「記憶があやふやで、俺を転生させた女神から貰った才能が何だか分からないんだ。まぁ、多分この土魔法だとは思うけど。女神が何と言ったか、重要なことだった気がするけど、思い出せないんだ。けど、その内思い出すだろうと思う」
「そうなんだ……。思い出せると良いね! もしかしたら、冒険している途中で、何かが刺激になって思い出せるかも!」
「ああ、そうだな」
ルドが頷く。
それは十分に考えられる事だった。
「よし。そろそろ、ダンジョンから脱出するか」
「うん!」
並んで歩くのは恥ずかしいルドが一歩先を先導しながら、二人は、ダンジョンの出口へと歩いていった。
※―※―※
翌日から、ルドとラリサは、四日間連続で、異なる難易度のダンジョンへと潜った。
ラリサの氷魔法を上達させる為だ。
「もしかしたら、モンスターが強過ぎるのかもしれない」
そうルドが指摘して、初日は一つランクを下げて、Cランクダンジョンに潜る事にした。
その結果、出現するモンスターは、確かに弱くなった。
「『氷牢獄』!」
――が。
「また、駄目だったわ……」
――ラリサは芳しい成果を挙げる事は出来なかった。
二日目以降は、更にダンジョンの難易度を下げて、Dランク、Eランク、そしてFランクダンジョンへと向かった。
「『氷牢獄』!」
――モンスターは更に弱くなっていったが――
「……何がいけないのかしら……?」
――それでも、ラリサの魔法は、ただ己を氷塊に閉じ込めるだけだった。
※―※―※
Fランクダンジョンから、徒歩で数時間かけて、王都クローズへと戻って来た二人。
石造りの家が立ち並ぶ異世界然とした街並みの中央通りを行き交う人々の七割程は、ルドやラリサのような〝人族〟だが、残り三割は、尻尾を持ち猫や犬のような耳を有する〝獣人族〟だ(昔はドワーフやエルフもいたらしいが、二千年前に絶滅してしまった)。
と、その時――
「見て! クレア様よ!」
「あの御歳で幹部だなんて、素敵過ぎるわ!」
――二頭の白馬が牽く白い車体に黄金色の太陽が描かれた馬車が通り掛かった。
「皆さま、御機嫌よう。皆さまに、四柱の神の御加護があらんことを」
「「「「「きゃあああああ!」」」」」
車窓から優雅に手を振り、女性たちの黄色い声援を受けているのは、ルドたちと同年代であろう少女だ。
御者や馬車を先導する護衛の者と同じく太陽が刺繍された純白のローブを身に纏っている彼女は、しかし彼らと違い、フードは被っておらず、その美貌――縦ロールの桃色ロングヘアと、美の女神アフロディーテさえも嫉妬するのではないかと思われる程に整った容貌――を惜し気もなく晒していた。
二千年前、突如として人類の半数以上が一瞬で消滅したあの事件以来、恒久的な平和を目的として設立された〝光輝教〟だが、若くしてその幹部に抜擢されたのが、彼女――クレアだった。
――が、そんな事よりも、ルドたちの目下の関心事は、ラリサの修行内容に関してだった。
宿へと向かって歩きながら、ラリサが申し訳なさそうに俯く。
「ごめんね、ルド君。せっかく付き合って貰ってるのに、全然結果が出せなくて……」
「いや、気にする事はない。仲間だからな」
その言葉に偽りはなかった。
前世において、一人で目標達成をしていたルドは、異世界転生した後も、勇者パーティーに入りはしたし、〝パーティーに貢献する〟という意識で戦ってはいたものの、そこでも、〝自分の目標を達成する事だけ〟を常に考えていた。
それが、ラリサとパーティーを組んでからは、〝仲間の目標達成を応援する〟という、生まれて初めての経験をしており、〝仲間って良いな〟と、勇者パーティーにいた事には感じられなかった感覚を味わう事が出来ていた。
「ありがとう! やっぱり、ルド君は優しいね!」
明るく笑うラリサに、
(俺はただ、目標達成して喜んで欲しいだけだけどな)
と、ルドは心の中で呟く。
ちなみに、現在ルドは、ラリサと同じ宿に泊まっている。
勇者パーティーに所属していた頃、報酬も貰っていたため、宿に泊まる余裕はあったが、別の宿だった。
今はラリサと一緒のパーティーを組んでいるので、同じ宿の方が共に行動する上で何かと都合が良いだろうと思って、ルドがラリサの宿の方へと移動して来たのだ(部屋は別々だが。同じ部屋にする等という選択肢は、ルドには思い浮かびもしなかった)。
ラリサの泊まっていた宿は、ルドがそれまで泊まっていた場所――平均よりも少し安い宿――に比べて、更に質素な安宿だった。
初めて魔法を発動する事が出来た去年、ラリサは冒険者パーティーを組んで、その時から、同じく王都内にある実家を出て、宿で暮らすようになった。
父親や兄たちに蔑まれるのが耐えられなかったのだろう。
そのような経緯で冒険者としての活動を始めたラリサだが、どうやら、以前組んでいたパーティーからは、冒険者ギルドから貰う謝礼の分け前を一切貰っていなかったらしい。
自分が全く役に立っていない事を分かっていたからだ。
実家が名門で裕福であるため、暫く宿に泊まる程度の金は持っていた。
が、それにも限度がある。
節約してはいたものの、毎日の宿暮らしで、限界が近付いていた。
ラリサと初めて出会ったあの日、ルドは、鏡亀の鏡部分を引き千切ったものを、三枚ほど冒険者ギルドに持ち込んでいた。
正式に依頼を受けた訳では無いので、正規の報酬は貰えなかったが、Bランクダンジョンにてモンスターを討伐した証拠という事で、多少報酬を貰えた。
更に、商業ギルドに行き、売却したことで、それだけで、暫くは宿に泊まって食事も出来るだけの報酬を得ることが出来た。
同じパーティーの仲間だからと、ルドが鏡亀の鏡売却益などを山分けしようとしたが、「ありがとう、ルド君。でも、今は遠慮しておくわ。私がちゃんと魔法を使えるようになったら、その時にお願い!」と、断られた。
尚、この四日間の間、冒険者ギルドにて、正式にCランク、Dランク、Eランク、そしてFランクダンジョンのクエスト(〝オーク四体の討伐、証拠として耳を斬って持ち帰る事〟など)を受けて、全て達成していたため、Bランク報酬に比べると少ないものの、ルドはある程度金を貰っていた。
※―※―※
Fランクダンジョンに行った、その翌日。
二人は、最も難易度の低いGランクダンジョンに潜る事にした。
(やり方を工夫した方が良いかもしれないな)
そう思ったルドは、ダンジョンに入って暫く経った後、広く開けたスペースに着くと、ラリサに提案した。
「他の氷魔法って、使えるか?」
「ごめんね、私が使える魔法は、『氷牢獄』だけなの……」
申し訳なさそうにそう答えるラリサに、ルドが、顎を触りながら思考する。
(『氷牢獄』……か)
(代々、凄腕の氷魔法の使い手が誕生する、名家と呼ばれた実家)
(その中で、十五年間、魔法を発動する事さえ出来なかった少女)
(父親と兄たちによる叱責と嘲笑)
(そこは、文字通り、まるで〝牢獄〟のようだったのかもしれない)
ただ脳裏で想像し、思い描くだけでも、胸が苦しくなる。
(それなら、『氷牢獄』の可能性を広げることが出来ないだろうか?)
(〝牢獄〟を――〝殻を破る〟ために)
「じゃあ、『氷牢獄』の形を変えられないか?」
「形?」
「ああ。今は、丸形に近い氷塊だが、木箱みたいに、四角く出来るか?」
「分かった! やってみるね!」
その後、何度か試行錯誤すると――
「出来た!」
――自分自身に発動してしまうという点は同じだったが、氷塊の形を四角に変える事が出来た。
「よし。じゃあ、次に、形は丸形で良いから、氷塊を発動する〝場所〟を、ラリサから少しずつ〝ずらせる〟か?」
「ずらす……うん、やってみるわ!」
こちらは、先程に比べると、かなり苦労したが――
「出来たわ!」
暫く繰り返すと、氷塊を発動する〝場所〟が、左側にずれていって―
――最終的には――
「すごい!」
――ラリサに全く触れることなく、彼女の左側のスペースに、完全に独立した形で、氷塊を出現させる事が出来た。
「敵を閉じ込めるとか、そのまま倒すとかは出来ないけど、例えば、これを自分の目の前に出現させられれば、敵の攻撃から防御する事も出来る」
ルドの解説に、明るい声を上げる。
「すごい! ちゃんと〝役立つ魔法〟を使えたのは、初めてよ!」
頷いたルドは、「『鑑定』」と、ラリサに対して手を翳すと――
「今見てみたが、お前の才能開花までの期間が――あと〝二年〟になった」
「え!? 本当!? すごい! 一気に一年間も短くなっちゃった!」
ラリサの顔が、パッと明るく輝く。
「本当にありがとう、ルド君!」
「ああ、このままトレーニングを積み重ねていって、敵に対する攻撃としても使えるようになろう」
「うん!」
※―※―※
その翌日。
「わぁ~! 向こうの方に、本当に見えるね! すごい! こんな近道、知らなかったわ!」
王都から徒歩で数時間歩いた岩場。
少し小高くなった場所から望むと、ゴツゴツとした無数の岩が続いた向こうの方に、洞穴――Aランクダンジョンの入口が見える。
これまで、Gランクダンジョンまで難易度を下げていったのだが、ルドは、「心機一転して、Aランクダンジョンに挑もう」という話を昨日ラリサにした。
「え?」と、一瞬戸惑いを見せた彼女だったが、Bランクダンジョンのモンスターたちを遠隔の土魔法で一切近寄らせずに全滅させてみせたルドの強さが本物である事は疑いようが無いので、「うん、分かったわ!」と、笑顔で答えたが――
「でも、馬車で数時間掛かるわよね? 馬車だけ借りる? それとも、御者も雇う? ただ、正直、ちょっと今は、私……お金に余裕が無くて……」
心底申し訳無さそうな様子のラリサに、「心配するな」と、ルドが告げた。
「Aランクダンジョンへの近道を知っているんだ。それを使えば、ここから歩いて数時間で着く」
※―※―※
そうして、現在に至るのだが――
「Aランクダンジョンだし、気合い入れなきゃね!」
「……ああ……」
杖を強く握り、やる気に満ち溢れた表情で、岩を一つまた一つと乗り越えていくラリサ。
「それにしても、Aランクダンジョンへの近道だから、その途中に出るモンスターもすごく強いんじゃないかって思ったけど、そんな事も無くて良かったわ! まぁ、私は、まだ一度も攻撃を当てられていなくて、全部ルド君に頼りっぱなしなんだけど……」
「気にするな」
道中出てくるモンスターは、ゴブリンやスライムなど、低級モンスターばかりで、つい先刻からは、オーク(豚の半獣人のモンスター)、ミノタウロス(牛の半獣人のモンスター)、ハーピー(顔から胸までは人間の女だが、それ以外、つまり下半身は鳥で、尾があり、腕の代わりに翼が生えている)などの中級モンスターも出没するようになって来たが、何れにせよ、全てルドが土魔法一発で排除していった(ダンジョン内だけでなく、ダンジョン外でも、土(や岩や砂など)がある場所ならば、地面を両側から高速で隆起させて相手を圧し潰す、などの魔法が使える)。
そんなルドだったが、実は――
(怪しんではいないようだ。上手く行ったようだな……)
――Aランクダンジョンへの近道など、知らなかった。
ルドが行ったのは――
(これだけの距離でも、ちゃんと動かせて良かった)
――ダンジョンそのものを移動させる事だった。
以前、ラリサと様々なダンジョンに潜っていた際の、ある日の帰り道に、ダンジョンの出口から出た瞬間に、(あれ? もしかして、このダンジョン……〝全体〟を動かせるんじゃないか?)と思って、帰路を歩みつつ、斜め後ろを一瞥して、(動け!)と手を翳すと、ダンジョンそのものが横にズレたのだ。
という訳で、〝地続き〟であるが故に土魔法で〝感知〟して、場所を正確に把握した上で、遠くにあったAランクダンジョンを、近場まで移動させたのだ。
何故わざわざこんな回りくどい事をしたかと言うと、それは――
(そろそろだな……見えた。アレだ)
――この岩場にラリサを連れて来るためだ。
「ここで一旦休憩にしよう」
「うん、賛成! あとちょっとで、いよいよAランクダンジョンだもんね!」
ルドが提案した場所は、少し高台になっている、開けた場所だった。
尚且つ、何故かそこの岩は、全て平らになっており、石畳のようになっている。
おまけに、腰掛けるのに適した大きさの岩が二つ、中央に並んでいる。
まるで誰かが事前に舗装したか、或いは、土魔法で形を揃えたような、人為的な何かを感じざるを得ないが――
(ちょっとやり過ぎたか……)
ルドが一瞬後悔し掛けるが――
「わぁ! 丁度良い感じに岩があるわ! 椅子みたい!」
――無邪気なラリサは、特に疑問に思う事無く、にこにこと微笑みながら、岩に腰掛けた。
「ああ、そうだな」
ふぅ、と安堵の溜息を漏らしながら、ルドもその隣に座る。
「それじゃあ、昼食にしよ! じゃじゃ~ん! って、今日もサンドイッチだけどね」
戦闘で役に立っていないからと、ラリサは毎回昼食を作って持って来てくれていた。
革袋から取り出された綺麗な布を開くと、中から美味そうなサンドイッチが姿を見せる。
ラリサのサンドイッチは絶品で、御世辞でも何でもなく、ルドにとって冒険の楽しみの一つとなっていた。
「いただきます」
受け取ったサンドイッチを、ルドは早速頬張る。
内側にバターが塗られた柔らかいパンと、濃厚なソースで味付けされほんのりとワインが香るローストビーフ、それにシャキシャキとして新鮮なレタスと薄切りしたジューシーなトマトが、口の中で絶妙なハーモニーを奏でる。
どうやら、毎日ダンジョンから帰った後、中央通りの露店で材料を買って、二人が泊まっている宿屋の一階にある食堂の料理人に無理を言って、翌日の早朝に調理場を貸して貰い、自前のナイフで調理しているようだ。
「あ、それと、これも! 『氷牢獄』!」
「もう完全に慣れたな」
「うん、ルド君のおかげ!」
ラリサが座ったまま杖を翳し、ルドとは逆側――自身の右側に、氷塊を出現させる。
もう、氷の檻に自身が囚われる事はない。
飲み水に関しては、ラリサと出会った直後に〝土魔法で無から陶器を作り出せる〟事に気付いたルドが、その場で陶器のコップを作って、ラリサが自身に掛けてしまう〝氷魔法〟の角をルドが殴って部分的に破壊しつつ、欠片をコップに入れておくと、食事が終わるころには、溶けて水になっており、飲める、という事を繰り返して来たのだが、ラリサが、自分がいる場所とは違う場所に氷塊を生み出せるようになったことで、ルドも気兼ねなく殴れるようになった(ちなみに、少しでもラリサの能力が役立っていると感じて欲しかったために、ルドが提案した事だった。尚、ラリサが氷塊を消しても、それ以前に破壊されて分離された欠片に関しては、消えない)。
「ご馳走様。美味かった」
「えへへ。良かった!」
(さて、と)
食事を終えたルドが、土魔法で作ったコップを消して、何気無く右方向へと歩いて行く。
傍から見ると、Aランクダンジョンに入る前に周囲を警戒している、と言った様子に見えるかもしれないが――
(よしよし。こっちだ。そのまま来い)
予め土魔法を用いて地面を変形させて、身体を拘束して動けなくさせていた、とある者たちの内、一体だけ、その縛めを解除して、しかし三方向を壁で塞いで、進める場所を制限して、誘導して――
「よし、そろそろ行くか」
「うん!」
広場の端でラリサの方を振り返ったルドに、ラリサも立ち上がって笑顔で応じた――
――直後――
「ガアアアアアアアア!」
「うわあああああああ!」
「きゃあああああああ!」
――突如背後から現れた〝全身を炎に包まれた巨大な蜥蜴形モンスター――火蜥蜴〟によって、ルドは首元を噛み付かれていた。