1「名家の落ちこぼれ少女ラリサ」
少しだけ開けた場所で、眼帯をしたリーダーらしき剣士の男が、強張った表情を浮かべる少女を見下ろす。
「名門の〝ローゼンブラット家〟の娘だから今まで我慢していたが、こんだけ一緒にダンジョン攻略していて、一度も役に立たないじゃねぇか」
大きな黒い三角帽子と黒ローブを着用している水色ロングヘアの彼女は、ともすれば俯きそうになるのを堪え、男の鋭い視線を真っ直ぐに受け止めながら、黙って話を聞いている。
勇者パーティーと違い、こちらのリーダーは感情的になってはいないが、その冷淡な表情と言葉は、怒号よりも遥かに深く少女の胸を刺した。
「お前には才能が無いんだよ。これに懲りたら、冒険者を目指すのは止めて、花嫁修業でもしてろ。じゃあな」
そう告げると、リーダーの男は、他の仲間たちと共に遠ざかって行った。
「良いのかよ? こんな所に置き去りにして。あの女、モンスターに殺されちまうぞ?」
「知らねぇよ。死んだらそこまでだ。それに、かの有名な〝ローゼンブラット家〟の御令嬢だったら、御得意の氷魔法一発でモンスターなんかイチコロだろうぜ? ちゃんと使えればな」
――そんなやり取りが聞こえたのが最後だった。
魔法使いの少女――ラリサ・ローゼンブラットは、ショックを受けつつも――
「……そりゃクビになるわよね……遅過ぎたくらいよ……」
――予想出来た事だと、独り言ちる。
その脳裏を、今まで歩んできた日々が過ぎる。
※―※―※
リーダーの男が言っていたように、ラリサは、強力な氷魔法を操る事で有名な〝ローゼンブラット家〟の娘だ。
性別に関係なく〝強さで評価する〟方針の〝ローゼンブラット家〟で、末っ子のラリサは、Sランク冒険者であり最上級氷魔法を自由自在に操る父親や、既に上級氷魔法を扱える二人の兄と同じように、期待されていた。
――が。
「また失敗……。何で……?」
ラリサは、生まれてから今までの十六年間、一度も氷魔法をまともに使えたことが無かった。
――否、正確には、去年まで、〝魔法自体〟を扱う事すら出来なかったのだ。
何年経っても、小さな氷すら出せず。
それでも、偉大な父や兄たちの後姿を見て、必死に努力し続けて来た。
何かヒントは無いかと、魔導書を読み漁って――
体内の魔力の流れをもっと感じ取ろうと、訓練して――
魔力を増加させる修行を行い――
魔力を発動させるトレーニングを行い――
魔力操作の練習をして――
十五年間の間、ずっと。
努力して。努力して。努力して。
訓練を、修行を、トレーニングを、練習を。
愚直に積み重ねて。積み重ねて。積み重ねて。
そして――
「! や……やったわ!」
――漸く氷魔法を発動出来たのが、去年だった。
それは、自分自身を氷漬けにしてしまう――文字通り、氷の中に閉じ込めてしまう――という御粗末なものではあったが、何一つ生み出せなかったラリサにとっては、それすらも、涙が出る程嬉しいものだった(尚、〝解除〟する事だけは最初から出来たようで、感極まって解除するのが遅くなり、危うくそのまま死ぬ所ではあったが、彼女は、慌てて自身を覆う氷を消して、何とか生還した)。
「ここからよ! 父さんや兄さんたちみたいに、私も強くなるんだから!」
そう意気込むラリサだったが――
「また駄目だったわ……」
――その後、何度発動しても、自分自身に対してしか、氷魔法を使えなかった。
「きっと、モンスターと直接対峙すれば、出来るようになるわ!」
そう思って、冒険者ギルドに登録して、先程の冒険者パーティーに入れて貰ったのだが――
「そんな……! どうして……?」
モンスターとの戦闘でも、ただ自分を氷漬けにするだけだった。
「くっ! でも、諦めないんだから!」
唇を噛み、それでも前を向き、挑戦し続けるラリサ。
しかし――
「何で……?」
どれだけ挑んでも、ただの一度さえ、まともに攻撃出来なかった。
そして、現在に至る。
※―※―※
とうとう解雇されてしまった自分。
どれだけ覚悟をしていても、悔しいものは悔しい。
ラリサは、左手に持った、美しい水色の魔石が嵌め込まれた、茶色い魔法の杖を見下ろす。
昔、父が買ってくれたものだ。
当時、まだ三歳だった自分に。
それだけで、余程期待してくれていた事が分かる。
だが――
その期待を、裏切ってしまった。
それも、何度も。何度も。
そして――
「お前はローゼンブラット家の面汚しだ」
「この恥晒しめ」
「お前にはもう、何も期待しない」
――氷よりも冷たい目で、父親にそう告げられた。
兄たちからは、嘲笑された。
「俺たちはこんなにも優秀なのにな。あれ程無能とはな」
「本当そうだね、兄さん。兄妹なのに、こんなにも違うなんてね。俺、アイツの兄妹なのが恥ずかしいよ」
「実はアイツだけ、どっかから拾って来てたりしてな」
「アハハハハ! 確かに、そうでもなきゃ説明つかないよね!」
陰口と言うには大き過ぎる話し声は、廊下を歩いていたラリサの足を止め、その心を切り裂いた。
辛い記憶を振り払うかのように、ラリサは頭を振る。
「でも……それでも……! 諦めないわ……!」
どこまでも愚直にそう呟く彼女の瞳からは、まだ光は失われていなかった。
それは、名家の娘としての矜持であり、このまま終わってなるものかという、悔しさを糧にした不屈の闘志だった。
称賛に値する、強靭な精神力だ。
――が、差し当たっての――とても大きな問題は、直ぐそこに迫っていた。
それは――
「「「「「ゴオオオオオオ」」」」」
「!」
――モンスターに殺されずに、このダンジョン内から脱出出来るかどうか、というものだ。
背中の〝鏡〟が印象的な巨大な亀形モンスター――鏡亀の群れが、前方からやって来るのが見える(尚、〝鏡〟は、〝立派で美しい姿見〟としての機能を雌にアピールするためのものであり、魔法を跳ね返す能力は無い。雌に至っては、アピール〝される側〟なので、〝鏡〟を持ってすらいない)。
巨大ではあるが、亀だけあって、動きはそれ程速くない――が、群れでの行動を基本とするため、ダンジョン内のように狭い場所では、物量で圧し潰されてしまう。
「逃げないと!」
――即座に後方へと退却しようとするラリサだったが――
「「「「「ゴオオオオオオ」」」」」
「そんな!?」
――広場の反対側にある通路の方からも、鏡亀の集団が現れた。
動きが俊敏でないが故に、連係して狩りを行っているのであろうか。
密集して押し寄せるモンスターの軍勢に、〝逃げられない〟と、戦う覚悟を決める。
(お願い……!)
祈るように突き出した杖を、最初に発見した方のモンスターたち――の先頭の鏡亀へと向けて――
「『氷牢獄』!」
――魔力を練って発動させたその魔法により、目標にした鏡亀は、氷の牢獄に閉じ込められるはずだった。
――だが。
「!」
――やはり、魔法を上手く扱う事が出来ず、自分が氷の檻に閉じ込められてしまう。
「……どうして……ダメなの……?」
――自らを閉じ込めていた氷塊を消したラリサは、力なく項垂れた。
「「「「「ゴオオオオオオ」」」」」
そして――
「私……ここで死ぬんだ……」
消え入りそうな声で、呟く。
前後からモンスターの大群が、刻一刻と迫り来る。
(こんな所で……)
(惨めに……)
(誰にも知られず、たった一人で……)
絶望感が胸に溢れるが――
「嫌だ!」
――首を振り、頑なに〝死〟を、〝絶望〟を拒否する。
(このまま死ぬのは、絶対にイヤ!)
(私はまだ、何も成し遂げていない!)
(父さんや兄さんたちを見返すんだ!)
(〝すごい〟って言わせてみせるんだ!)
「だから、諦めない! 『氷牢獄』!」
再度放たれた氷魔法は――
「くっ!」
――やはり、自身を氷で覆うのみで――
「まだまだ! 『氷牢獄』!」
――氷を消滅させたラリサが、自らを奮い立たせて、何度魔法を発動しても――
「何で!? 何でよ!」
――無情にも、失敗が繰り返されるのみで――
気付けば――
「ヒッ!」
――目の前に迫った鏡亀が――
「イ……イヤ! 来ないで……!」
――更に歩を進めて――
(お願い!)
(誰か!)
(誰か、助けて!)
――至近距離で見ると思った以上に大きく、ラリサの身長と同じ程度の体高を誇る、先頭の鏡亀が、ラリサの頭上に向けて首を伸ばすと――
「いやああああああああああああ!」
――大口を開けて、一気に振り下ろした。
悲鳴を上げ、目を瞑って蹲るラリサ。
その後、当然予想された〝衝撃〟と〝激痛〟は――
何故か、数秒経っても――
「………………?」
――訪れなかった。
ラリサが、恐る恐る、瞑っていた目を見開くと――
「!?」
――眼前の鏡亀の頭部が、天井から猛スピードで伸びて来た〝岩の柱〟によって、地面に叩き付けられ、潰されていた。
更にその背後を見ると――
「嘘……」
――あれだけいた鏡亀が全て、天井から急襲して来た岩柱によって、頭部を叩き潰されて、絶命していた。
と、その時。
背後から、戦場には不釣り合いな、緊張感の全く無い声が聞こえて――
「あ~あ。コイツも駄目だ。やっぱり映らないか~」
振り向くと、そこには――
「まぁ、しょうがないな」
「!?」
――後方から迫っていた群れを全滅させ、先頭で息絶えた鏡亀の甲羅の上に立ち、その〝鏡〟を見詰める黒髪少年の姿があった。