古びた赤べこ
その昔、ある小さな村の端に、小屋のような一軒家が立っていた。そこでは一人の女性と生後半年ほどの赤子が二人で暮らしていた。女性の夫は、赤子が生まれた数週間後に突然倒れて、そのまま亡くなってしまったという。そんな状況の中で、女性は女手一つで何とか赤子を育てていた。
ある晩の事だ。暗闇に包まれた家の中、女性がやっとの思いで赤子を布団に寝かしつけると、疲れの所為か、女性はそのまま木の床の上で眠ってしまった。
程なくして、硬い木の板による背中の痛みで少し意識が戻った女性は、赤子が眠っている布団に一緒に入ろうと、寝ぼけ眼で掛け布団を手探った。
そして、目的の布団に手を掛けた――その時だった。
女性はその布団に違和感を感じてしまう。
「……いない?」
そこには、眠っているはずの我が子がいなかったのだ。
女性はハッと意識が完全に戻ったのを感じたと同時に、激しい不安と焦燥感に襲われた。
「……どこっ、どこなのっ!?」
明かりのない暗闇の中で、女性は必死に床中を這い回る。
何度も何度も赤子の名前を呼ぶ。
されど、返ってくるのは静寂ばかり。だんだんと目が暗闇に馴れてきたが、それでも我が子の姿だけは捉える事はできなかった。
そう、我が子の姿だけは、だ。
玄関の入り口の方で、何やら蠢く物体があった。
先日寝返りを打てるようになったのだ。もしかしたら、とんでもない寝返りをして玄関に落ちてしまったのかもしれない。
耳を澄ませば、小さく鳴き声のような音も聞こえる。
黒に染まった世界の中、女性は希望のようなものを感じながら、床を這うようにしてそれに近づいく。
そして、よく目を凝らしてジッと見つめた。
だがそこに居たのは、ギィー、ギィー、っと床が軋むような音を立てて、ゆっくりと首を動かす〈赤べこ〉だった。
赤べこは首をゆっくり、ゆっくりと上下に動かしては、無機質な目を合わせてくる。
時折合うのではなく、何度も何度も目線が合ってしまう。
まるでこちらを目で捉え続けるかのように。
その不気味な有り様に耐えられなくなった女性は、声にならない声を発すると、誰もいない布団の中に逃げるようにして包まった。
そして、ギィー、ギィー、っという音が反復する中、女性はただひたすらに夜が明けるのを待った。
女性が再び意識を取り戻すと、木枠の窓からは光が差し込んでいた。
背中が痛い。そう感じて体を起こすと、自分の居場所は床の上だったことがわかった。
いつの間にか布団から落ちてしまったのだろうか。そんな疑問を抱いた瞬間、また別の疑問が女性の頭に浮かんだ。
――そうだ、私の子は?
女性は慌てて隣の布団を確認する。
するとそこには、こちらに背中を向けてスースーと寝息を立てている我が子がいた。
女性はほうっと安堵の息を吐くと、どうやら夜中の出来事は夢だったらしいことを理解した。
ようやく寝返りを打てるようになった我が子が、ゆっくりとこちらに寝返りを打つ。女性もまた心穏やかに我が子を眺めた。
だがその瞬間、女性の穏やかな心は一瞬にして崩されてしまった。
赤子の小さな右手には、どこから手に入れたのだろうか、古びた赤べこが握られていたのだった。
その日、村では正体不明の疫病が流行り始めていた。疫病は止まるところを知らず、忽ち村全体を支配し、多数の死者を出したという。
しかし、あの女性とその赤子だけは、謎の疫病に罹らなかったとか。
お読みいただきありがとうございました。
初めてショートショートを書いてみたのですが、いかがだったでしょうか?
短い文章でオチを考えるのって難しいですね。敢えてオチのない終わり方も考えたのですが、最初の内はまず王道パターンに倣うべきだなと思って、こんなオチにしました。
ショートショートを毎日書いている方って、本当にすごい……。
それでは次回もまたよろしくお願いします(→ω←)