03
「…………ナーガ……? だれが……?」
「なんだ? 記憶でも混濁しているのか?」
声が震える。頭が混乱する。聞き間違いなんかじゃなかった。リオンは俺を呼んだのだ、『ナーガ』と。
…………俺が、ナーガ? なんで?
ぺたぺたと体を触る。どこをどう触っても筋肉がない。慣れ親しんだ体じゃない。髪も長い。色はナーガと同じ黒だ。同じ色だと嬉しそうにしていたナーガの顔がちらついた。思わず髪を握りしめた。ちょっと待ってくれ本当にこれナーガの体なのか!? だとしたら、俺の体は!?!?
「俺――いや、ローグ、の、体は……?」
「……埋葬した。ひどい有様だったから」
「まい、そう……? 埋めたのか……?」
「仕方ないだろ。あのまま放置していれば他の魔物を寄せかねなかったし、何より、……魔物なんかにあの人の体を好きにさせたくなかったんだ。ああ勿論遺髪はちゃんと、少しだけど頂いたよ。戻ったら墓も建てるさ。お前が心配することなんて何もない」
言葉の端々に険がある。
埋葬された? 俺の体が? じゃあ、ナーガは? 最後のアレは? 彼女の唇が、そうだ、俺の唇に触れた。
あのギルド職員が言っていた。あいつが復活させた古代の魔術――生命なんとか――思い出せ、ナーガに聞いたろ。たしか、自分と誰かの魂を交換する、一生のうち1度しか使えない、本来ならば決して使ってはいけない禁呪に近い古代魔術だったはずだ。まさかあいつは、俺にそれを――
「あのバカ!!!」
「ちょ、おい!? 服は!?」
「俺の、埋めた遺体はどこだ! どこに埋めた!」
「そ、そんなの知ってどうするんだよ!」
駆け出そうとした腕を掴まれ視界が滲む。ああクソ、こいつホントに泣き虫だな!!! 俺だったら、こんなところで泣いたりしない! 涙なんて出てこないのに!
「だって、早く元に戻さないと! あいつは、こんなところで、死んだりなんて――!」
「落ち着け! 何言ってるのか分からない!」
「交換されたんだ! あいつに! バカだあいつ!!!」
「……交換?」
交わす言葉に腕が緩んだ。そのすきに拘束を解き走り出す。か細い足に固いダンジョンの床は痛かった。そんな繊細さにも自分との差違を感じて嫌になる。
アホだ! あいつはバカだ! なんで、なんで……ッ!!!
掘り返された地面の跡はすぐ見つかった。取りすがって細い指を地面に突き立て、腕に強化の魔術を流し込み――ゾワリと吸われた魔力に違和感を感じた。なんだ、これ!?
まるで蒸して潰した芋の中に指先を埋めるようだった。固く固められたはずの土が、あり得ない速度で掘り返される。……なんだ、この体。魔力効率が良すぎる上に、魔力量が――!? ――……丁度良い、これなら早い!!!
遮二無二土を掘り進めば、すぐに自分の体に手がかかった。追いかけてきたリオンの方を見もせずに、俺は土の中から引きずり出した俺の体に取りすがった。持ち上げて、揺さぶった。重ねた唇は土の匂いがした。
「ナーガ! ナーガ、そこにいるんだろ! 答えろ、ナーガ!!!」
「止めろ! っていうか、自分の名前連呼してなにやって――」
「だから! 交換されたって言ってんだろ! こっちに入ってるのがナーガ! 俺はローグだ!」
「…………は?」
どれだけ揺さぶっても、俺の体はすっかり冷たくて、ただの死体でしかなかった。
そこにもう、ナーガはいなかった。俺の代わりに、彼女の魂は、空へと還ったあとだった。
◇ ◇ ◇
俺の遺体は、リオンの手によって再び丁寧に埋葬された。
土にまみれた手足は、リオンが沸かした湯で丁寧に拭ってくれた。ついでに茶も淹れてくれて、熱い茶の入ったマグを渡された。……なんだか久しぶりだな、この茶。安くて栄養があるからダンジョンに潜る冒険者御用達ではあるんだが、苦いから砂糖を入れて飲むのが一般的なんだよな。俺はその飲み方が苦手で、この苦みも割と好きなんだが。
とは言え、ソロで潜ってる時にのんびり茶なんて飲んでるは暇ない。最近はすっかりご無沙汰だった。
すすると舌が苦みで痺れる。そうそう、こいつの淹れる茶、特に苦いんだよな。……懐かしい味だ。
「ありがと。美味い」
「……あっそ。……取りあえず、事情話してくんない?」
促されて、探索の経緯を話した。
単独での深層での魔物討伐依頼を受けたこと。その探索にナーガが付いてきていたこと。気がついていて、彼女を無視して強引に進んだことと、途中で見かけた別の探索者に悪癖が発動したこと。その後、その探索者にも付きまとわれ、何度か若干誘導めいたことをされたこと。しばらくそうして魔物を討伐していたら、ナーガが飛び出してきて目の前の魔物を倒し、呪いを掛けられたこと。彼女の呪いを受けて動きが阻害されていたところでナーガが新たな魔物に襲われ、術の反動で動けなかった彼女を庇い、魔物を倒したこと。そして、その時に致命傷を負ったこと。
なお最初に悪癖が発動した探索者はナーガが謎のブチ切れで飛び出してきたあたりで逃げ出した。
「つまり自業自得か。巻き込まれすぎだろおっさん」
「巻き込まれ? 巻き込み過ぎって自覚はあるが……」
だからあんまり発動しないように、大規模な人気ダンジョンには潜らないようにしてるし、ソロで探索してるし、人の多い時間帯も避けるようにしてるんだけどな。
……ナーガには、本当に申し訳ないことをした。取り返しがつかない。
「悪いのはそいつだ。おっさんじゃねーよ」
「そんなことない」
「ある。あと、腹減ってねーか、おっさん。飯作るけど食う?」
「食う!」
「……ま、腹減って飯食えんなら平気か」
いやほら、食えるときに食っとかないとな、探索者は。
それにリオンの飯、何だかんだ言って美味いから好きなんだよ。久しぶりに食うな。
渡されたのは雑炊だった。さりげなく菜が多い。……肉がない。
……でも、やっぱ美味いな。
「相変わらず美味そーに食うな」
「ん? 何か言ったか?」
「別に何も。それより、これからどうすんだよ、おっさん」
「……どうもこうも、別に変わんねぇよ。ダンジョン潜って魔物を倒す。探索者だしな」
ローグとして生きることは出来ないだろうが、そこは幸い、ナーガも探索者だ。同業だしなんとかなるだろ。
そもそも、貯金もない。探索者以外の職も就ける気もしない。
「それはそうかもしれないけど……その顔と体で?」
「元に戻れないんだからそうなるな」
「止めた方が良いと思う。ソロは危ない」
「別に危なくねぇだろ? こいつ強いぞ」
「自覚ある!? 今の自分が美少女だって! 探索者界隈、なんだかんだ言って男社会だからな!? 襲われるぞ!?」
「返り討ちにすりゃよくねぇ?」
「限度があんだよ!」
リオンから力説された。これまでナーガがそういう目にあってこなかったのは、どうやらローグの存在があったから、らしい。つきまといとは言え、常にローグの姿が近くにあったが故に、手を出してくる阿呆も湧いていなかったのだそうだ。
悪癖のこともあって、ローグはそれなりに有名だかららしい。
「と言うわけだから、今後は僕と組むこと」
「は? なんで?」
「なんでって、害虫よけになるからだよ。おっさんだって、自分が傷物になるのは嫌だろ?」
「追い払うから平気だ。それに俺には、悪癖が――」
「あのさ、分かってる? 僕、A級探索者。AとBの間に壁があるのは知ってるだろ。つまり、あんたより、僕のが圧倒的に強いの。あんたの悪癖ごとき、別にどーってことないから」
ふん、と鼻で笑って見せるリオンが微妙にムカつく。
正論ではあると、思う。男と違って、女はそういうのも傷になるしな、色々と。
「でも」
「むしろ悪癖の件も含めて、僕が一緒の方がその体の安全度、色んな意味で確実に上がるから。おっさんだって、その子の体、傷つけたいわけじゃねーだろ」
「……それは、……そうだが」
「なら決まり! さっさと食って、一旦休んでから上に戻るよ。ほらほら、早く食べる!」
「ま、待て、急かすな! ちょっと味わうくらいさせろ!」