02
目が覚めた。どうやら死ななかったらしい。頭の芯がぼんやりして、ものを考えるのが億劫だ。
妙に温かな場所だった。ダンジョン深層は大抵寒いか暑いの両極端なのだが。
周囲は暗いが、闇ではなかった。――これは、テントの中、だろうか? 割と最新式のドーム型のだ。ちょっと欲しいと思って検討して、検討だけで終わっていた。
もぞもぞと身動きすると、妙に厳重に毛布で幾重にも包まれていた。すまきか。
ずいぶんな怪我をしたはずだが、体に痛みは感じなかった。
「気がついたのか?」
布の擦れる音と共に、暗い中に一筋の灯りが零れた。テントの出入り口がまくり上げられ、向こう側が見えた。男がいた。
逆光の中男の顔ははっきりしなかったが、良く知っている声だった。懐かしい声に、少しだけ喉がひきつった。
「……リオン」
声を発して、違和感に顔をしかめた。……なんだこれは。妙に声が高いような……?
「一応、傷は治しておいた。体に違和感がないならそれで平気だろ。……話せそうなら、事情が聞きたい」
抑えた口調は、聞いたこともないような冷たい声だった。寒気がした。
え? 「なんでおっさんがこんなところにいるんだよ」とか、「勝手にくたばってんじゃねーよおっさん」とか言わないか、こいつだったら。もっとこう、熱血君みたいな感じじゃなかったか? こんな口調じゃなかったはずだが――
テントの中に入ってきた男の姿は、数年ぶりなこともあって随分と印象が変わっていた。なにより、予想よりずっと大きく見えた。
綺麗な顔は変わらない。金の髪も青い瞳も。ランクが上がったからだろうか、表情に凄みが増していた。威圧的と言えば良いのだろうか、雰囲気が怖いくらいだった。
「返事は?」
「あ、ああ……、分かった」
「はぁ。本当に分かってるのか? 内容によっては、――殺すぞ」
「えっ」
ぶ、物騒……? 声にはかなりの殺気を感じた。本当に、本気で、殺すぞと思ってるように聞こえたんだが……?
表情も怖いくらいに冷たい。こいつこんな顔出来たんだな……呆れ顔や頬を膨らませて怒ったり顔を真っ赤にして怒る顔がデフォルトかと思ってたんだが。あとはフフンって感じでちょっと格好付けて笑う顔とか。
「お前のことは知ってるぞ、ストーカー」
「ス、ストーカーって」
「オレが何も知らないとでも思ってるのか? チッ、目障りな害虫風情が」
お、オレ!? オレって何!? リオンは「僕」だろ!? 言葉使いが違うんだが!? 害虫ってひどくないか!? 舌打ちもしたぞ!? これ本当にリオンか……?
口調も憎々しげで、俺以上に無愛想なんだが……どうしたんだ、これ本当にリオンか……?
おっさんおっさん言いながら年がら年中ひっついてきたあいつはどこへ――ああでもそうか、あれからもう何年も経っているんだ。こいつも大人になったってことか……? いやしかしそれにしても……。
「リオン……? だよな……?」
「目腐ってんのか、それ以外の何に見える。お前もオレのことは知ってるんだろ」
「いや、そりゃ知ってるけど。なんか、雰囲気違くねぇか……?」
「は? ……雰囲気って言うなら、お前のが――……良いからさっさと着替えろ。お前の荷物はそこにあるから」
「あ、ああ」
それだけ言うと、彼はテントの外へと出て行った。
そうだな、そう言えば、バッサリやられてたっけ。
う、うーん、やっぱり口調が冷たすぎる気が……「さっさと着替えて出てこいよおっさん」とか「おっさんなら服着てようが着てまいが大差ねーんじゃねーの、いっそ裸で出てきたらいーんじゃねー?」とかなら言いそうだけど――そんなことを思いながら、もぞもぞと巻かれた毛布から体を抜き出し、自分の体を見下ろした。
……なんだこの腕? 細すぎ……え、ちょっと待て、なんでこんなに柔らかい?
ぺたぺたと腕を触るが筋肉がない。頑張って鍛えていた筋肉が消えている。どこいった俺の筋肉?
イヤな予感がした。
顔をぺたりと触った。髭がなかった。すでに数日ダイブしているから、無精髭が凄かったはずの頬が異様なまでになめらかだった。どうして――と思いながら頭を振れば、さらさらとした髪が胸元に落ちてきた。――髪先を追うように目を落とせば、胸が。思わず服をまくり上げた。
「なんで胸があるんだよぉ!!!」
「どうした、何があった!?」
ばさりとテントの入口がまくられて、そのまま落ちた。落ちる寸前の布の向こうには顔を真っ赤に染めたリオンが見えたような気がしたがそんなことはどうでもいい! そんなことより需要なのは!!!
「どうしようリオン! 俺の胸に胸がある!?」
「なきゃおかしいだろ!?」
「だって、これじゃまるで女だ!」
「女なんだから当たり前だろ、ナーガ!」
………………は?
今こいつ、なんつった?
……いや、そうだよ、ナーガ。ナーガだ。あの子はどこへ行った。
――気を失う直前、何があった。俺はあの子に、何をされた――!?
◇ ◇ ◇
ローグがナーガと知り合ったのは3年ほど前だった。
初めて見かけたのは探索に潜る直前のダンジョンの入口ですれ違った時だ。年かさのチームに1人だけ子供が加わっていたから、多分親がチームメイトなのだろうと推測した。他人にはあまり興味の無いローグの耳にも聞こえてくる程には、将来を期待された子供だった。
明確に出会ったのは数日後だ。場所はダンジョンの深層で、彼女は傷だらけで魔物に追われていた。助けてと手を伸ばされて、思わずその手を取っていた。悪癖が発動した。
その後、彼女の仲間の遺品を回収し、地上へ戻った。残されたものはほとんどなかった。大半が食われた後だった。
気丈に振る舞っては居たが、目の前で肉親が食われたのだ、2度と探索に戻ることはないだろうと思った。だから、知り合いの孤児院に放り込んだ。気まぐれに時折寄っては、影からこっそり様子を見ていた。初めは目に光もなく先行きを案じていたが、次第に院にも馴染み笑顔が見られる様になって、後のことは院長に任せた。
出会いから1年ほどが過ぎた頃から、付きまとわれるようになった。パーティは組んでいないのに、どこへ行っても行く先々に現れるのだ。初めは地上だけだった。弁当を作ったといって持って来たり、刺繍したタオルを渡されたりした。全て断った。そんなことをする必要はないと。
やがて付きまといが悪化した。ダンジョンの中にまでついてくるようになったのだ。極力関わらないように努めていたが、それでも彼女が視界の中で魔物に襲われれば、悪癖が発動した。
助けた後、彼女の首根っこを引っつかんで地上に戻り、ダンジョンの入口から外に放り投げた。戦えないなら来るな、と怒鳴りつけた。もっと命を大切にしろ、と。それから半年ほどなりを潜めていたのが、1年前から正式に探索者として復帰した。本格的な付きまといのスタートだった。離れていた僅かの期間で魔術師としての腕も上げ、これは元から続けていたものだったらしいが、研究も成果を上げてギルドでも高く評価されるようになっていった。
以後、冗談抜きで、どこへ行くにも付いてきた。来るなと怒ればこっそり後を付けてくる。探索者としての腕を上げ、戦いも1人でこなせるようになっていた上、きちんと成果も上げてランクも上げてきやがった。ちなみに現時点ですでにランク順位は抜かされている。あちらはB級上位、ローグはB級下位だった。
15になったと言われたのはほんの数日前、このダンジョン探索の直前だった。成人したから、パートナーにして欲しい、と。それを「断る」といなして、単独でダイブした。……単純に言えば、逃げた。真っ直ぐに交わした真剣な眼差しが恐ろしかった。
ローグには厄介な悪癖がある。目の前で魔物に襲われる他人を捨て置けない、というものだ。
この悪癖のせいで、これまでたくさんの厄介事に見舞われてきた。
別に善意で『助ける』んじゃない。見てしまったが最後、見捨てられない、捨て置けないのだ。どうしたって体が勝手に動いてしまう。故に、悪癖。
おかげで勘違いされたヤツに他のヤツも助けろと乞われたのを断って恨まれたり、見返りを求めないことで便利に使えると思われて粘着されたり、まぁ色々経験してきた。プライドの高いヤツからなどは、やられていたのではないと怒りを買って、逆に襲いかかられもした。
どうしようもなくなる度に、拠点も移した。もうそんなことを何度か繰り返している。
ローグは孤児だ。魔物に襲われ全滅した村の生き残りだった。
それ自体はよくあることだ。逃げたローグだけが生き延びて、他の村人は全滅したのだ。その頃の記憶は曖昧で、ただただ魔物が恐ろしかったことばかりが脳裏に残り、どうして生き延びたのかさえ詳しくは覚えていなかった。その村がどこにあったのかさえ分からない。
幸か不幸か、時間をかけてたどり着いた先の街で孤児院に収容され、その後、孤児院から探索者の男たちに買われていった。
仕事は辛かったが、取りあえず飢えることはなくなった。12歳までは下働きとして男達の家で働いた。だが、体が大きく育ったこともあり、12歳になった頃、荷物持ちとして男達と共にダンジョンに潜らされた。
そこで、このやっかいな癖が発覚した。
発動した癖のせいで探索はめちゃくちゃになり、男達は怒り狂い、ローグを家から追い出した。
以来ずっと1人だ。男達の拠点は都であった為、そこからは少し離れたダンジョン街へ移り、ソロで潜った。時折出てしまう癖にウンザリしながらも、ゆっくりと力を蓄え、探索者としてダンジョンに潜り魔物を屠った。ローグにはそれしか出来なかった。
学もなく、経験もない。誇れることは体の大きさと丈夫さと腕っ節だけ。ダンジョンがなければ傭兵か、裏町の用心棒かが精々だった。
ナーガは違う。
学がある。親を失ったとは言え、能力の高い才能ある魔術師はいつだって求められる戦力だ。ギルドからも周囲からも注目される有望株で、将来を期待されている。実際彼女に加わって欲しいと思っているパーティはそれなりにあるらしく、たまに「彼女を解放してあげてくれ」と絡まれることもあった。解放もなにも、別に束縛なんて微塵もしてない。
関わる気はなかった。
だってあいつは、俺が悪癖に巻き込んでしまっただけの被害者だ。