のぞきあな
俺は、しがない営業マン雄一、28歳独身。毎日毎日、会社と自宅アパートを行ったり来たりしてるだけの退屈な日々だ。唯一の楽しみと言ったら、俺の住んでるアパートの隣の部屋の女子大生。
一度だけ玄関前であった事があるけど、軽く会釈してくれて、これがまた結構可愛くていい感じなんだよな。女優の誰に似てるか、と言われると例えるのが難しい。どっちかというと大人向けの女優に似ている。はっきり言ってマイナーすぎて伝わらないから、名前を出すのはやめておく。
身長は150ぐらいで胸は意外とデカい。メガネかけてて少し清楚な感じがたまらない。髪の毛は茶髪のショートかな? しっかり見てないからわからないけど、少し田舎くさいのがまたいい。
俺が会社の都合で転勤してきてから、一ヶ月後ぐらいに引っ越してきた。どうも男がいるみたいで、一緒に男らしき奴と部屋に入っていくのを目撃している。時々、隣の部屋から変な声がしてくるから、よろしくやってるんだろう。
生活能力の乏しい俺は、田舎の実家から時々荷物が届く。最初のうちは野菜中心で芋やキャベツやナスばかり。こんなにあっても食べきれないから、隣の女子に分けたいが、ここは俺の田舎とは違うし、知らない隣人からいきなり野菜を分けられても困るだろうと思って自分で食べたり、時々腐らせたりもしてしまった。
母親に電話した時、野菜ばかりじゃなくてたまには肉とか魚もいれてくれよ、と言ったこともあるぐらいだ。次の荷物には少しだけ冷凍された肉や魚が入っていた。勇気を出して女子大生に野菜を分けて、お知り合いになりたかったけど、気持ち悪がられるのが怖くて出来なかった。
会社の休みの日に自分の部屋を掃除していたら、なぜか今まで気づかなかったのだが、備え付けになってた箪笥をどかしたら、小さな穴が空いていた。
「なんだよ……入居前に修繕しとけよな」
今更だが、入居時にしっかり確認しておくべきだった。穴がどれぐらいのものか見てみようと顔を近づけたら、風が頬をかすめた。
「え、嘘だろ?」
隣の部屋から空気? が漏れてきてる。穴は完全に貫通していた。そんな馬鹿な。穴の表面が少しギザギザしていた。意図的な穴ではない。いや、意図的かもしれないけど、業者が作ったものではない。やり方が雑すぎる。
ためらいはあった。事実だ。決してやましい気持ちはなかった。穴が貫通している可能性が高いなら、もしかしてと思って覗いてみた。
「……ま、まじかよ」
隣の部屋が見えた。もちろん全体は見えないが。穴から見た真正面はベッドがある。それぐらいしか見えない。いけない事をしているという実感はもちろんある。
バレたら大変な事だ。犯罪者にはなりたくない。箪笥を元に戻して管理人に言うのが正しいのは分かってはいた。だが、俺は男の欲求を抑える事は出来なかった。
夜を待った。彼女が帰宅してきたようだ。俺はついに、その小さな穴から彼女の部屋を覗き見てしまった。彼女の着替えをバッチリ見てしまった。背徳感と罪悪感が同時に押し寄せてくる。だが、その下着の奥から現れ出る白い肌が俺の理性を完全に打ち砕いた。
それからというもの、俺は会社で嫌な事があったり、むしゃくしゃしている時は、その穴から覗きをしては自分に溜まっている何かを放出する日々が続いた。
もはや、日課レベルに毎日覗いていたこともある。常に細心の注意を払って覗きをしていたが、いつ見つかるか分からないし、いつもハラハラドキドキしていた。それがまた、なんとも言えない緊張感を生み、俺は覗きの虜になっていった。
そんな毎日が繰り返され、三ヶ月ほど経過した。その間にも何回か隣の女子大生は男を連れ込んでよろしくやっていた。もちろん俺はそれを鑑賞していたわけだが。
穴から見えるのが何故かベッドだったのが幸いして、俺はリアルアダルトビデオを見せられている状態だった。見せられている、はおかしいな。見ているのは自分の意思だ。
「あ、今日も男連れ込んでる」
この娘は、イメージでは清楚だったのだが、やっていることは全然清楚からかけ離れている。毎回連れてくる男が違うのだ。特定の彼氏はいないのか……と思うぐらい、毎回違う。いわゆる、ビッチさんなのだろうか。恋多き乙女と言っておけば聞こえがいいが。連れてきては、まるで猿のまぐわいのように節操なく、いとなみが繰り広げられるのだ。
(あー、いいなあ、俺も混ぜてくれないかな……)
なんて口に出せないから、心の中だけで言っておく。そうこう考えているうちに、男が立ち上がってキッチンの方へ。トイレかなー、なんて思っていた。少しすると彼女も裸のまま(なんか着ろよ!) キッチンの方へ向かう。しばらくしたら彼女が戻ってきた。そして彼女はこっちを見た。
(うわっ、目が合った?)
俺は慌てて(でも音は立てないように)、壁から離れた。バレたか? バレたのか? 頭から冷や汗がだくだくと流れ落ちる。汗ってこんなに冷たかったっけ? と思うぐらいの冷たい汗。髪の毛はブザマにもべっとりしている。
おそるおそる穴から向こうを見た。既に誰もいなかった。少ししたら、隣の部屋の玄関ドアが開いた。(やばい、やばい、チャイム鳴ったらどうしよう……居留守使うか? 居留守使うしかないよな)なんて考えていたが、そのまま足音は遠くなっていく。
俺はホッとして、座り込んだ。それからも何事も無かったので、ウトウトしていると、突然ドアチャイムが鳴った。
(ぐわー! やばいっ!)
「宅配でーす」
(え、宅配かよ、ビビらせんな)
そう言えばこの物件は全てテレビドアホンが付いていた。画面を見ると、生気の抜けた、くたびれたおっさんが立っていた。運送業者だ、見たことある。
俺はとりあえず無視してジッとしていた。ただの宅配なのに出れなかった。意識しすぎだ! 落ち着け俺! と言い聞かせたものの、そのまま荷物はいつものように、ドア下に置かれて数時間放置した。
すっかり忘れていた荷物を見にいくと、箱の上のガムテープが少し剥がれていた。雑な配達員だなと憤りを感じたが、これが初めてでは無かった。
一度運送会社にクレーム入れてやったが、その後もたびたびこうなるし、呆れてきて最近は気にしないようにしていた。荷物を運び入れると、そのまま俺は風呂に入った。
風呂に入ると、向こう側から何か音がした。この風呂の向こう……逆側は多分、隣の部屋の風呂場だ。構造的に間違いない。ガンッとか、ゴンッとか音がする。
嫌な予感がした。まさか、隣のあの娘が彼氏? みたいな男に乱暴されているのかもしれないと感じた。考えすぎかも、とも思ったが、俺は風呂から出ると、部屋に戻りあの穴から隣の部屋を覗き込んだ。
「あれ、真っ暗だ。何も見えない」
もしかして、穴があることに気付かれて穴を塞がれたのかもしれない。となると、ああ、まずい、やっぱりさっき穴がある事に気づいたんだ。気付いたから穴を塞いだんだ。ということは、彼女は俺が覗いていた事に気付いている。
(まずい、まずい、まずい!)
その時、チャイムが鳴る。テレビドアホンになっているから、外の様子を恐る恐る見てみた。
(け、け、警察? 警察だ……!)
俺の心臓は高鳴る。ついにこの時が来てしまったのか。俺は覗き魔としてお縄になるのか! 嫌だッ! 嫌だけど、嫌だけど、……どうしよう。
とりあえず、得意の居留守をかましてしまった。しかし、相手は警察官、もう俺は袋の鼠。色々なものが脳裏に浮かぶ。悲しむ親の顔、職場を追われる俺、俺の事を「いやー、真面目に働くいい従業員だったので、全然そんなことする様な奴にはみえませんでした」 みたいな、インタビューを受けている、目の部分にモザイクをつけられて、声が変えられている同僚。
もうだめだ。詰んだ。俺の人生はここまでだ……。と諦めたその時、警察官はあっけなく帰って行った。
(は、はあ?)
助かったのは間違いないが、少し拍子抜けした俺は、またもやブザマにもヘナヘナとその場に座り込んだ。しばらく茫然と時を過ごし、ふと思い出した。
(お隣さんっ! )
俺は急いで壁に近づき、穴を覗こうとした。いや、でも、穴は塞がれているし、いつしか風呂場から聞こえていた音も止まっていた。でも、となりの可愛いくて、少しアレな女子大生が気になりすぎて、無駄と分かりながらも、穴を覗き込んだ。
「やっぱり、真っ暗だ。何も見えない」
穴から見えるのは真っ黒な景色。縁が少し白い気がした、気のせいか。俺は自分が思いの外、がっかりしている事に複雑な気持ちになった。
穴をジッと見ていると、やはり穴が何かおかしい。穴は暗い。いや、黒い? 黒……え、白い、黒に白縁がついている。黒い玉が遠くなり、白縁が大きくなっていく。
(あ、いかん、これは……)
「目だ」
俺が覗いていた穴の向こうに見えていたのは、「目」だった。
「おにーいさん」
「えっ」
壁の向こうから声がした。覗き穴から見えたのは、あの可憐な女子大生だった。女子大生はニヤニヤしながら座ってこちらを見ているようだが、上半身しか見えない。
俺は覗き穴に張り付いてしまったのかと思うぐらい、その覗き穴から見える女子大生の姿を凝視していた。女子大生は嬉しそうに何かを膝の上に抱えているようだが、よく見えない。
「いいものぉ、みせてあげるよぉ、こーれっ」
俺の視界に何か黒くて丸くて、赤いものがうつった。瞳孔がひらいた目玉は上を向いていて、口は開いたまま。髪の毛を鷲掴みされてブラブラ揺れていた。それは、先ほどまで、彼女と一緒にいた男の一部だった。
「く、クビっ、首ィィ!」
俺はあまりのショックにひっくり返って、ローテーブルの端で頭をしたたかにうちつけた。女子大生はゲラゲラ笑っている。
「おにいさん、わたしのことぉ、すきでしょ?」
俺は全速力で玄関に向かう。逃げなければ、逃げなければ殺される、そう思った。ドアを荒々しく開けて外に出ると、真正面に裾部分が血だらけの白シャツと血のついたピンクのスウェットパンツを履いた女子大生が立っていた。
「あ、あが、あがが」
「そんなにけっそうかえて、にげないでよぉ」
俺は動けなかかった。純粋な恐怖心で、足が動かない。下の階に行こうにも階段は彼女の部屋の向こう側。俺の後はコンクリートの壁。角部屋を選んだ事をこの時ほど後悔したことは無い。
「はいりなよぉ、きたかったでしょ?」
俺は抵抗できなかった。頭が真っ白、どうしていいか分からない。ただ、言われるがまま彼女の部屋に入る。夢にまで見た、彼女の部屋。時々繰り広げられる肉欲のライブ。
その現場に足を踏み入れたのに、俺の胸は違う意味で高鳴って、足もガクガク震えている。介護される老人みたいに、可愛い女子大生に手を引かれて、そのままお風呂場へ……。
「う、う、うわあああぁっ」
予想はできていた。できていたけれども、あまりの凄惨な状況に思わず悲鳴を上げてしまった。
「おにーさん、いがいとびびりっすねぇ」
女子大生は俺の手を取ると、俺にノコギリを渡してきた。俺はイヤイヤと顔を振るのが精一杯で、もう、目の前も、涙なのか汗なのか分からないけど、滲んでいてよく見えない。何か赤いものとか、黒いものとか、よく分からないモノが浴槽の中に乱雑に入っている。
「すいませんでした、すいませんでした!もう覗きません、許してください、誰にも言わないので命だけは助けてください」
「おにーさん、テンパりすぎだってぇ。いつも、ひとりでやっててたいへんだったからぁ、てつだってほしいだけだよぉ」
俺は自分が何を言ってるのかも分からないままノコギリを握りしめる。涙が止まらないし、震えも止まらない。いきなり異世界にでも転生したのか、と思うぐらい訳が分からない。彼女はニコニコしながら話しかけてきた。
「いつも、つくるのたいへんだったんだよぉ?」
「え、な、何が……ですか?」
「えー? おにーさんにいつもあげてたじゃん」
「な、何か、いただきました、か?」
「ひどーいよぉ、えーん。おにくだよぉ」
お肉。お肉って何。俺は完全に思考停止してしまった。
「おにーさんがぁ、おかーさんにぃ、おにく、おくってほしいよぉって、いってたからぁ」
(ごめんなさい、ごめんなさい、あなたのカラダで何回も何回も抜いてごめんなさい)
「きいてるぅ? いつもぉ、おにく、はいってないのぉ。おかーさん、やさいかさかなだけでぇ」
俺の背筋に大量の汗が流れ落ちる。頭の中でバラバラだったピースが、一つにしたくないのに、組み上がっていく。それって、まさか。
「食べちゃった……」
「そうなのぉ? やっぱりおいしいよねぇ。うらら、がんばったかいがあったよぉ」
そうなんだね、うららちゃん。アレは、俺の母さんが送ったものじゃなかったんだ。そう言えば、いつも……そうか、そうだったのか。じゃあ、俺は、おれは……。
「わたしねぇ、おにーさんのことがぁ、ずっと、ずーっと、すきでしたぁ」
お読みいただきありがとうございます。