7節
スウィニーが去ってからも尚、オルトが立ち上がるには数分を要した。
その頃には検査室には人っ子ひとりおらず、付近に人の気配を探る事もできず、外に出る手段すら分からずじまいだった。
しょうがなく、オルトは一人、薄暗い船内を歩いた。突き当たりのエレベーターに乗ると、それは独りでに、<ヴェルダンディ>中層部の居住区へとオルトを誘った。
<ヴェルダンディ>の無骨な廊下は、心が折れそうな程のよそよそしさを持っていた。
乗組員は皆、各々の作業に勤しんでいるのだろう。誰にも出会わないのは、今のオルトにとってはありがたい事だった。
居住区は閑散としていて、己の靴音が寂しく響く。宇宙に一人、取り残されたような錯覚。
反響する靴音が、彼の淀んだ思考を、ますます深みへと落としていくようだった。
「……」
自分は、間違えていた。
最愛の娘を、絶望の底へとたたき落としてしまった。
選ばせる事もせず、責任すら取ろうとせずに。なんて身勝手な行動だったことか。
浅はかだった。どうしようもない愚か者だった。
父親を名乗る資格なんて、あるはずもない。
そんな卑下の言葉ばかりが、脳内に次々と沸き上がってはオルトにのし掛かる。
かつての自分の選択を肯定する事は、もう彼自身にさえできなくなっていた。
記憶の中の、シエラの事が蘇る。醜い物を見るかのような歪んだ表情。怒りに喉を張り裂けさせた絶叫。蹴り飛ばされた頬が、今更のように痛みを訴えてくる。
スウィニーの言葉を聞いた後では、彼女の行為も当然だった。むしろ、何も知らずに彼女に近づいた、己の無知を恥ずかしいとさえ感じてしまう。
オルトは、娘にとって敵だ。恐らくは<カラドリオス>にとっても、シエラという大事な仲間を傷つけた不幸者と思っているに違いない。
顔向けなど、どうしてする事ができるだろう。この船の中で誰かに出会う事が、たまらなく恐ろしい事に感じられる。
オルトは大柄な自分の身体をみっともなく折りたたみ、怯えるようにして船内を彷徨う。
そこに、超常の力で幻獣に立ち向かった勇士の姿はない。
茫然自失の状態で、どこかも分からない船内を歩く。
等間隔で寝室が並ぶ居住区はやがて終わり、道は広く、壁は塗装されていない無骨な金属のものに変わった。一般人用のスペースから、<カラドリオス>の職員用の区画へと近づいているのだろうう。
その廊下も、人の姿はなく、重苦しい沈黙に満ちていた。
ただ一つ、廊下の端に開いたドアがあり、そこから白色の光が漏れている。
オルトは無意識に光の下へと足を運ぶ。
部屋の両の壁には、円筒状のカプセルがぎっしりと並べられていた。
チューブや機械が複雑に取り付けられたカプセルは、青白い色の液体で満ちている。
そのカプセルの一つの前に、巨大な人型の機械がいた。
黒光りする身体を持つ人型は、何かを待ちわびるように、彫像のように佇んでいる。
身体の節々や横並びに線を引いた頭部に、黄緑色の光が走っていた。
「……」
控えめに扉をノックする。人型は夢から覚めたように身体を揺らし、人ならざる顔をオルトに向けた。
黄緑色の光が頭部に瞬き、機械的な音声が響く。
『確認――オルト・ディケンズ様ですね』
「……ああ、そうだ」
オルトが肯定すると、人型は身体を彼に向け、恭しく一礼した。
『謝辞――先ほどの戦闘では、大変な助力を頂き、ありがとうございました。ベルの分まで、深く感謝をさせていただきます』
「その声……ということは、お前がカフカか」
『肯定――ご推察の通りです。通常時は、このデバイスを使わせて貰っています』
「妙な声とは思っていたが……驚いたな、まさか人間ですらないとは」
『紹介――私は<カラドリオオス>によって制作された、完全自立型AI。独創的な思考と柔軟な対応力を持つ、ジーニアスでクリエイティブなスーパーマシンなのです』
オルトの声に、カフカは胸に手を当てて応える。感情の交じらない機械音声ながら、仕草や言葉選びに、何となく自慢じみたものを感じられる。
思わずオルトはカフカの身体を観察するも、金属の身体にはどこにも隙間がなく、間違っても人がかぶり物をしているような作りではない。
「今の機械は、君のように動いたり話したりできるのか?」
『否定――誰にでも……失礼、どれにでもできる事ではありません。私は<カラドリオス>の優れた技術と豊富な資産により、数世代先のメカニズムを取り入れて開発されております。私の性能は、全てに於いて他の機械よりも数段上をいっております。処理速度、対応能力――特に、耐水性を』
「耐水性?」
カフカは『肯定』と呟くと、ことさら大袈裟に胸を張り、自分の胸に手を当てた。
『冗談――この耐水性こそが、私のウェットに富んだ会話を実現しているのです』
「……」
『……』
いたたまれない沈黙。カフカが打って変わったぎこちなさで姿勢を戻す。
『反省――面白くありませんでしたでしょうか? やはり『そこはウィットだろ』というツッコミを初対面の方に求めるのはまずかったようです』
「面白いというか、何というか……何か話す前に『冗談』と前置きするのは、必要なのか?」
『弁明――必要な措置なのです。何せ私は既存の、与えられた命令をこなすただの機械とは違いますので』
カフカは両手を広げ、肩を竦める仕草を見せる。
『冗談――これから巫山戯ると前置きしなければ、『とうとうバグった』と思われ、スクラップにされてしまいます』
「……」
『……』
「……」
『謝辞――今後の会話の参考にさせていただきます。貴重な意見をありがとうございます』
「……役に立てたなら何よりだよ」
今まで対応したことのない相手とのやりとりにしどろもどろになるオルト。
肩を落とす仕草まで人間そっくりで、技術力を無駄な方向に振っているとしか思えない。
「それでお前は、こんな所で何を? そもそもここはどこだ?」
「回答――ここは治療室です。フォトンエネルギーを蓄えた培養液によって、細胞の回復を促します。軽傷や体調不良のための人的診療室も別にあります。ここは主に重傷者の介抱や、難病の侵攻抑制の為に用いられます」
そう言って、カフカは頭部をカプセルの一つに向けた。
現在使われているカプセルは一つだけ。青白く発色する液体の中には、幼い少女が浮かんでいる。
長い栗色の髪が、培養液の中で重力を忘れたようにふわふわと踊っている。
ベルは今、培養液の中で安らかな眠りに就いていた。金属で覆われていた口元は、今は酸素供給用のマスクで覆われている。時折インナーを着た胸が膨らみ、培養液内部に気泡が吐き出されている。
「彼女は、大丈夫なのか?」
『肯定――あなたのお陰で、全く無事です。ただ、ベルの武装は負担が大きいのです。出動後は、こうしてしばらく休ませる必要があります』
「そうか……大変なんだな」
『肯定――それでも彼女は、今日も頑張ってくれました。ですから私は、できる限り側にいてあげたいのです』
機械音声ながら、カフカの言葉は、確かな温かみを感じさせた。オルトが在処を失ってしまった、まるで父のような温かさを。
その温かさから目を背けるように、オルトは治療カプセルに目を向けた。
口元を酸素マスクで覆われたベル。喉に開いた空洞は、痛ましい傷としてオルトに映る。
「彼女の武器も、アロイによる物なのか」
『肯定――モチーフとなっているのは、とある惑星の原生生物、セイレーンと呼ばれる海洋種族です。セイレーンの声には、分子を振動させて劣化させる効果があるのですが、アロイはそれを無類の音響兵器として変質させました。ベルはそのアロイと適合したのです』
「……喉を、食い潰されたのか」
『肯定――気道の一部に、声帯、食道にかけて。今のベルは、発声器官と、飲食のための機能を有しておりません』
心なしか沈んだ声音で、カフカは説明する。
アロイを武器として展開するには、大なり小なり自らの身体を捧げなければいけないという。つまりは<カラドリオス>の戦力になるということは、今までの不自由ない生き方に別れを告げるのと同義なのだ。
オルトは思わず、拳を握りしめた。穏やかに眠るベルを見ていると、痛ましさに胸が裂けそうになる。
「どうして、彼女は戦闘員に? こんな幼い少女が、どうして戦わなければいけないんだ」
『制止――申し訳ありませんが、その質問はベルのプライベートに干渉します。彼女もきっと、聞いて欲しくはないでしょう』
「……そう、か。すまない」
『補足――成長途中の方が適合率が高いという、合理的な理由はもちろんあります。しかし、やはり戦闘員となった者は、少なからず事情を抱えています。深追いは推奨できません』
カフカの端的な説明に、返す言葉もない。
当たり前だろう、誰が好きこのんで、己の喉を潰せるだろう。両腕を捨てられるだろう。
及びも付かない、想像すら許されない不幸が、彼女等の身に降りかかっているのだ。
知る由もない。関わる必要も無い。
当然、踏み込む権利など、ありはしない。
「……」
『推察――シエラ様との事で、思い悩んでいるのですか?』
カフカの頭部がこちらを向いた。
「聞いているのか。俺とシエラが、親子であることを」
『否定――ですが、互いに背中を預ける身として、それぞれの境遇を知っています。後は貴方の身体的特徴と、彼女の反応を見れば、推測は容易です』
カフカは、ベルの眠るカプセルを見上げた。
この心を持つ機械は、シエラの境遇も、彼女が抱えている思いも知っていた。頭部に黄緑色の線が揺れて、言葉が続く。
『弁明――<カラドリオス>は、繁栄と安寧をもたらす事を命題とする組織。宇宙のあらゆる種族、シエラ様やベルのような傷ついた人々も、当然その枠に含まれます……少なくとも彼女たちは、ここで十分に満ち足りた生活を送っています』
「ああ、分かっている……それは、凄く良いことなんだろう」
先ほどオルトが通ってきた味気ない居住区でさえ、オルトの暮らす狭い小屋よりも遙かに優れている。カフカの言う最新鋭の技術と資金力とは、誇張ではないのだろう。
満足のいく生活があり、例え危険であろうとも、共に戦う仲間がいる。
だがそれは、オルトが望んでいた幸せとは、かけ離れたものだった。
「自分でも、よく分からないんだ……俺はシエラに、可能性をあげたかったんだ。何にでもなれる、どこにだって行けるという自由を」
イル=グゥは閉ざされた星だ。その束縛から、シエラだけでも解き放ってあげたかった。
「例え、胸がちぎれる程の悲しい別れとしても……それが、父としてできる最高の事だと、信じていた」
その気持ちに嘘はない。オルトは本当に、シエラを愛していた。
だが、彼は間違えた。運命を握って微笑んだのは悪魔で、シエラは想像を絶する地獄に叩き落とされた。良かれと思ってとった行動が、娘の事を一途に思った優しさが、最大の不幸となって彼女にのし掛かったのだ。
「万に一つ……奇跡のような可能性で、また再会できた時は……シエラはきっと、笑ってくれるだろうと思っていた。なのにこれは何だ」
幸せになった自分自身を、誇ってくれると思っていた。
例え寂しかったと怒られても、後にはきっと「ありがとう」という言葉が続くだろうと思っていた。
そんな素晴らしい夢が、無邪気な理想が、突きつけられた現実にたたき壊される。
瞳にこみ上げる熱ささえ、憎たらしい。悲しいと感じる事さえ恨めしい。
悔しいという感情に、何様のつもりだという自己否定が重なる。
今すぐ過去に戻って、十年前の自分を殺してやりたい。自分自身が憎くてしょうがない。
「父親失格だ。俺は最悪の人間だ……シエラにも、カインにも、会わせる顔がない……俺は、娘に、何ということを……っ!」
悲しくて、虚しくて、悔しくて。オルトは震える声で涙を流し、嘆く。
『……』
告解を、カフカは静かに聞いていた。時折頭部の黄緑色の光が波打つように動く。
内蔵された高性能なインターフェースが、彼の言葉を租借し、感情を読み取る。
『陳謝――申し訳ありませんが、貴方の行いは、私にも肯定できない。統計的にもです。あらゆる生物において、親とはぐれた子が生き残る確率は非常に低い……貴方は彼女に、とても酷い事をしました』
打ちひしがれるオルトに向けて、黄緑色の光を波打たせる。
『反論――ですが、貴方とシエラ様は、再び出会いました。それは先程の生存の可能性よりも遥かに低い確率の――人間的に言えば、奇跡と呼んで差支えのないものでしょう』
もしシエラが<カラドリオス>と出会わなければ、再会する事はなかった。
シエラが戦う事を選ばなければ、ゴミに塗れてとっくに死んで居たことだろう。
アロイがこの星の幻獣に目を留めなければ、オルトは自分の失敗に気付くことさえなかった。
そんな幾つもの選択肢の果てに、十年という歳月を経て、親子は再会したのだ。
望まない出会いかもしれない。オルトにも、シエラにとっても最悪の出来事かもしれない。
それでも、二人は巡り合った。オルトは自分が過ちを犯した事を知った。
過ちを犯した事に、十年たってやっと気が付けたのだ。
『定義――貴方は、向き合う機会を貰ったのではありませんか?』
オルトが顔を上げる。カフカは機械の顔を持ち上げ、カプセルに眠るベルを見ていた。
少女を見つめる機械の大男。どこか哀愁のようなものを漂わせて、カフカは続ける。
何の感情も感じさせない、機械音声。金属の頭。
それなのにこの物体は、この瞬間、誰よりもオルトの心を案じていた。
『索引――稼働経験から、私はそれを『償い』と呼ぶ事を知っています.やり直しはできません。ですが再び挑戦する事はできるのではないでしょうか』
「……償い、か」
呟きと一緒に、オルトは自らの腕を見下ろす。
償えるなら、そうしたい。娘を愛しているのだ。心から申し訳ないと思うのだ。
でもどうすればいい? 失ったものは戻らないのに。時間は遡れないのに。
幻獣と戦うために鍛え抜いた……それしかしてこなかったこの腕で、何ができるというのだろう。
「……」
いや、違う。
何でもするのだ。シエラのために出来ることを、償うために出来ることを、何でも。
例え力ばかりの不器用な腕だろうとも、前に突き出せば何かを掴めるだろう。
十年を経てやっと、それができる機会を授かったのだ。
オルトは拳を握り締める。苛んでいた無力感は、どこかに消えていた。
自嘲気味に笑いが零れる。そこに毒気はもうない。
「はは、まさか機械に慰められる時が来るとはな。人生で初めての経験だよ……カフカ?」
期待した返答が返ってこず、オルトは振り返る。
カフカは巨体から力を抜き、どこか明後日の方を向いていた。
頭部の黄緑色の光が、慌ただしく揺れている。
『希望――ご静粛にお願いします』
打って変わって感情を欠いた、まさしく機械らしい声で言い、カフカは黄緑色の光を揺らす。
『情報取得、処理開始――パターン解析――』
機械的に情報を走らせる。不気味な静寂が医務室に満ちる。
オルトの背筋を伝う嫌な感覚は、すぐに確信へと変る。
『精密測定――陽性、陽性、陽性――ああ、Damn it……!』
機械仕掛けの乱暴なスラングと同時に、<ヴェルダンディ>艦内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。




