11節
深く穿たれた大穴からベルを背負って抜け出すのは、オルトにとっては苦も無い作業だった。産み出した槍を壁に突き刺し足場としながら、彼等はほんの数分で、元の大地へと戻ってきた。
オルトは、『楔』の祠のあった大穴の底に斃れた幻獣の姿を見た。既に金属の塊となった巨体には、彼の祖先たる過去の『楔』達の槍が突き刺さっている。
千と数百の槍を身体に突き刺した無残な姿。そこにかつて白磁の大地に鎮座していたような、今にも動き出しそうな威圧感は残っていない。
幻獣は死を持たない、永遠の生物だとされていた。しかし、金属生命体アロイに浸食された瞬間に、その不文律も食い尽くされてしまったに違いない。
コアを抜かれ、金属に変質したそれは、死骸ですらないただの物質だった。
「……本当に、素晴らしい時間だった」
沈黙した幻獣の亡骸に向けて、オルトは瞑目した。
しばしの黙祷。やがて背負われたベルが遠慮がちに彼の服を引っ張り、幻獣から背を向ける。
行くべき先は、カフカからの通信で聞いていた。オルトは大穴を抜けたのと同様の方法で槍を足場に崖を登り、ベルを背に目的の場所へと急ぐ。
報告通り、オルト達の集落がある平原に、巨大な船が鎮座していた。
間近で見上げれば、途方もない大きさだ。数十人単位の集落が、まるで谷底に落ちた小石のようだ。空を飛ぶ姿も圧巻だったが、その大きさと未知の技術には改めて驚かされる。
集落の皆は、突然現れた道の飛行船に、酷く狼狽えているようだった。そんな彼等を囲むように、恐らくあの船の乗組員だろう。防護服を着込んだ人が歩き回っている。
「何だか、物々しい雰囲気だな」
「……」
「む、ここでいいのか?」
「……」
表情を険しくするオルトの肩を、ベルが控えめに叩く。
オルトの背から降りた彼女は、彼に深々と頭を下げた。
感謝の気持ちを目一杯に表して、それからとててっと小走りで船の方へと去っていく。
「……」
不思議な少女だった。
小さな背中。きっと一五かそこらの年齢だろう。
感情の表し方を忘れてしまったような、沈んだ目。自信を喪失した薄幸な立ち振る舞い。
何より、顔の下半分を覆い尽くす、人ならざる金属の顎。全てを塵に帰す破壊の音波。
「……」
どうして、あんな痛ましい姿をしていたのだろう。
どうして、あんな少女が前線に出て、闘っていたのだろう。
その疑問は、不穏な雰囲気を纏って、オルトの胸に鉛のようにのし掛かる。
艦船の周囲には幾つもの三角テントが立ち上がり、簡易的な集合住宅のようなものを作っている。先程まで一緒にいたベルは、テントのどこかに入ってしまったのだろうか。
防護服に身を包んだ乗組員は、オルトには目もくれず、黙々と作業に勤しんでいる。急ごしらえの三角テントの中に、フォトンドライバの青い光を宿した大型の機械を、幾つも運び込んでいる。一体何が目的なのか、さっぱり掴めない。
時折彼等の視線を感じるが、それは興味本位の枠を出ない。関わりを持たないと、意識づけているような目線だった。
そこに、共にアロイと闘ったという仲間意識は見られない。
不穏な空気に、オルトの表情は益々険しくなる。
その視界の端で、白い影がふわりと踊った。
無意識にそれを追いかけ――オルトの表情が凍り付く。
「――まさか」
オルトは走り出す。風に吹かれて踊る白い髪は、テントの影に消える。
追いかけようとした足がつかえる。自分でも信じられない程に、オルトは狼狽していた。
まさか。まさか。まさか!
バクバクという胸の鼓動が、耳の奥でうるさく響く。
息が荒い。前に踏み出す足が覚束ない。
自分の身体が自分のものに感じられない。幻獣との戦闘ですら、何とも無かったのに。
足をよろめかせながら、角を曲がるその先にテントはなく、巨大船の格納庫が開き、沢山の乗組員が忙しなく動き回っている。物々しい銃を手に武装した者も見受けられる。
そこに向かって歩く少女の、白い髪が踊る。
ジャケットを肩から羽織った、年端もいかない少女の姿。
オルトの時間は完全に凍り付いた。
酷く重たい呼吸。言葉にならない感情が脳内を溢れるほど埋め尽くしている。
十年ぶりだ。だが、間違えるはずがない。
「……シエラ?」
そうしてオルトは、二度と呼ぶことはなかった筈の名前を告げた。
少女の歩みが、ぴたりと止まる。一つ結びに結われた白髪が、ふわりと揺れた。
背中は、否定をしない。名前を呼ぶ度に、熱い感情が胸を満たし、瞳を潤ませる。
「っ……二度と……会う事はないと思っていた。遠く離れたお前の事を、いつも考えていた」
震える手を胸に置き、オルトは告げる。
「一度たりとも、お前を忘れたことはない……俺だ、オルトだ……オルト・ディケンズ。十年前に離ればなれになった……っお前の父親だ!」
人違いである筈がない。感覚ではない、もっと深い魂の部分が、感動に打ち震えていた。
涙で滲む視界の中、少女がゆっくりとこちらに振り返る。
同じ色の髪。同じ色の目。
亡き妻の面影を感じさせる、唇を引き結んだ固い表情。凜とした佇まい。
肩から羽織っていたジャケットが、ゆっくりと落ちる。
そこに、あるべきはずの両腕がなかった。
肩口から先は、あのアロイと同様の、銀色の金属によって覆われている。
衝撃に、オルトは再び打ちのめされた。見開かれた両目が、眼前の娘の痛ましい姿を、信じることができない。
「シエラ……?」
愕然としたオルトが、恐る恐る近づいてくる。
その様子に、シエラは静かに口を開いた。
「そうね……二度と、会うことはないと思ってた」
鉛のように重たく、冷たい声だった。
「どうしたんだ、その腕……奴らに何かされたのか? 一体――」
オルトの震える手が、シエラの肩に触れようとする。
次の瞬間、繰り出された回し蹴りが、オルトの横っ面を打ち抜いた。
激しい衝撃が頬を貫き、オルトの巨体が吹き飛ばされる。
運搬中だった装置の一つに激突し、盛大な音を立てて大地に倒れ込む。
頭が引っこ抜ける程の、渾身の一撃。焼け付くような頬を押さえ、愕然と目を見開く。
煉獄のような昏い憎しみが、彼を真っ向から見下ろしていた。
「もしも会うことがあったなら……その時は絶対にブチのめすと心に決めていた!」
十年来に出会った娘は、汚物を見るような目で、そう吐き捨てた。
殺意と呼ぶに相応しい、冷たすぎる敵意。薄暗い瞳には、それ以外の感情を見つける事ができない。そんなどす黒い感情を剥き出しにして、シエラは歯噛みする。
「父親……父親……? はは、ははは……よくもまあ、恥ずかしげもなく言えたモノね」
「シエラ……?」
「ッそれ以上、私の名前を口にするな!」
ふぅ、ふぅと、抑えきれない怒気がシエラの胸を激しく上下させる。唇はわなわなと震え、その奥で割れんばかりに締められた歯がキリキリと音を上げる。
もしナイフがあったならば、少女に腕があったならば。刃は間違いなくオルトの胸に突き立てられていただろう。それほどの憎しみがオルトにぶつけられる。
「忘れた事なんて、一度もなかった。何度も呪った。時間を巻き戻して、殺してやりたいと思った! 夢の中でアンタの声を聞く度に、鼓膜を突き破って死にたいとすら思った!」
「シエラ……」
「名前を! 呼ぶなぁぁぁ!」
両腕を失った少女は、溢れ出る感情の全てを投げつけた。怒号にビリビリと肌が震える。
憎しみ、哀しみ、絶望、悲哀、悲嘆――それらが混じり合ったどす黒い敵意が、何も分からないオルトに降り注ぐ。
「頭の中で何回アンタを殺したか教えてあげようか!? 二度と会いたくなかった! アンタの顔なんて思い出したくもなかった! それが、どうして……!」
タガが外れた感情が、涙になって溢れる。憎しみに膝がガクガクと震えていた。今すぐ飛びかかりたいのを、必死に押さえているようにも見えた。
苦しげに喘いだシエラは、真っ赤に燃える顔に涙を滲ませたまま、オルトに背を向けた。
「……消えて。二度と、私の前に現れないで」
そう吐き捨てて、シエラは巨大艦へと去って行く。
小さくなっていく背中に、オルトはようやく正気を取り戻した。ようよう立ち上がり、彼女の背中に手を伸ばす。
「待て……待ってくれ! シエラ! どうして――」
シエラは振り返らない。もう二度と見たくないと、両腕を無くした細い背中が語っていた。
その姿が、突如割り込んだ影に遮られて見えなくなる。
防護服姿の戦闘員が構えた小銃が、真っ直ぐオルトに向けられる。統率の取れた彼等の動きは、これ以上シエラに近づけさせないという明らかな意思が見えた。
「この……」
「抵抗するな。両手を上に上げて、その場で跪け」
曇った、しかし凜然と耳を抜ける力ある声。
並んだ部隊の中央に立っていたフルフェイスマスクの人物が、歩み出てそう告げる。
「今、別の場所で、同じ銃がこの星の住民達にも向けられている。私の号令一つで、彼等は死ぬぞ。君の無謀な振る舞いが、この星の文明全てを滅ぼすと思え」
「っ……」
「繰り返す。無駄な抵抗をするな。両手を上に上げて、その場で跪け」
有無を言わせない命令。
ただひたすらに事務的な言葉は、先ほど闘ったアロイより、よほど無機質で、機械的に聞こえた。
小銃を構える隊列の隙間から、少女の後ろ姿が見える。
少女は結局、こちらを一度も振り返らずに、白髪を棚引かせて艦の中へと姿を消した。
「従う限り、悪いようには扱わない――協力願おうか、異星人」




