ストラディバリウス・ドラゴネッティ
2021年7月21日。音大の一年生、西条睦月は、コンクールのため最終調整をしていた。
使うのは、世に名高きヴァイオリンの名器、ストラディバリウスだ。睦月の使うストラディバリウスには、【ドラゴネッティ】という愛称がついている。
この6年間、毎日10時間はこいつを弾きこんできた。言うことを聞かないじゃじゃ馬のような楽器だったが、最近になってようやくのその真価を発揮させられるようになったと自負している。
そう。
ヴァイオリンの醍醐味はそこにある。「練習すればしただけ成果が出る」わけ(・・)で(・)は(・)ない(・・)とろに魅力があるのだ。
マゾ向けの楽器だと言われることもあるが、それで結構。
学校の勉強は、「努力した分だけちゃんと成果が返ってくる」。
これほどつまらないものはない。
いくら努力しても応えてくれず、ある時ふと、輝かしい音色を気まぐれのように出してくれる。
それこそがヴァイオリンの魅力であり、俺の愛器【ストラディバリウス・ドラゴネッティ】の魅力なのだ。
そしてヴァイオリン曲には、いくら上達しても絶対に究めることはできないであろう奥深さがある。
さらなる感動、さらなる陶酔、さらなる感涙のための、飽くなき探求がそこにはある。
だから俺はヴァイオリンを弾き続けるのだ。
そんなことを考えながら、コンクール本番で弾く曲、ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲作品77』の練習を続ける。重音(二つ以上の弦を同時に弾いて出す音)の響きの処理には気を付けなければ。もちろん音程にも。まぁ、音程に関しては、音階練習を血反吐吐くほどやった時期があるので、今さら不安に思うことはないが。
4時間ほど弾いて、午後の練習を終えた睦月は、尊敬するヴァイオリニスト、アルチュール=グリュミオーの演奏を聴く。ちょっとした息抜きだ。
それにしても、自分もいつかこんな演奏ができるようになりたいものだ。いや、できるようになる。なぜなら俺にとって、名だたる巨匠たちに連なることは夢ではなく、確定した未来の現実だからだ。
現に、俺の祖父と曾祖父は、芸術分野で多大なる功績を上げた者に贈られる勲章、紫綬褒章を受章している。俺の父親はヴァイオリニストではない。となると、必然的に紫綬褒章受章の系譜に連なるのは俺ということになる。
もはやこれは運命といって差し支えないだろう。
「お前となら、必ず受章できる気がするんだ!」
睦月は思わずヴァイオリンに語りかけてしまった。普段はそんなことはしないのだが。どうやら気持ちが高ぶり過ぎたらしい。今日はもう休もう。