第五幕 『青春の地獄譚』
――あなた、誰に向かってこんなことしたのかわかってるんでしょうねぇ・・
女が怒りに満ちているのをよそに、卓は大小野柚葉に問いかける。
「おい大小野柚葉。お前は今朝、千草の優しさに溢れたハンカチを振り払ったくせに、
そいつの憎悪に染められた雑巾を受け入れるつもりか」
「お前の選んでいる選択肢は俺から見れば大大大失敗だな。お前が俺にくれたあの優しさは、
俺を侮辱するためのものだったのか?」
卓の言葉で教室内は静寂に包まれた。
彼の行動は咄嗟のものだった。しかし、その言葉一つ一つに誰もが聞き入ってしまっている。
耳から入ってくる情報に脳が反応するまで1秒とかからない。
しかし、彼女が返答を返したのは数秒後だった。
「私はあなたに優しくした覚えはない。これは私の問題なの。関わらないでくれる・・」
彼女は下を向いたまま、何一つ表情を変えないで声を発した。
口角の筋肉が微動だにしない。前髪が靡くこともない。
ただただ、日本人形のように座る彼女の姿に卓は言葉を詰まらせた・・
― ドンッ!!!!
胸に強い衝撃が走り、卓は後ろの机まで倒れこんだ。
「私の問いに答えてくれる??」
陰キャの卓でも、彼女のことを知っている。
彼女の名前は 『尾長巴』
空手で優秀な成績を残しているが、素行が悪く、日本代表を下ろされたことで有名な生徒だ。
現に卓は、男子高校生にしては少しがっちりした体系なはずなのに、吹き飛ばされている。
「気が立ったらすぐ暴力を振るうなんて、女の子がする行動じゃないよ」
卓が立ち上ろうとしたとき、彼女の蹴りが右あばらに向かって飛んでくる。
― グハッ
激痛が走る。息ができない。苦しい。辛い。
「いいから、問いに答えなさいよ」
「お前に返答する責任はない、俺は大小野柚葉に話が合ってきあts」
彼女の強烈な左回し蹴りが飛んでくる。
― うぐっ・・
「答えなさいよ」
「やめて!!巴ちゃん!!!!!!」
その声は千草だった。
「お願い巴ちゃん!それ以上彼に怪我をさせないで!!」
「宮間っち・・そういえばこいつと仲良かったよね?こいつ私の制服に弁当投げつけてきやがって
さあ。生き地獄にさせたいんだけど、いいかなぁ?」
「私が代わりに制服を拭くから!もうそれ以上彼を傷つけないで!!
彼の怪我が先生に見つかったらそれこそ退学処分だよ!!」
こんなに必死な千草初めて見た。俺を庇うために自ら不幸な選択を選ぶなんて・・
これが本当の優しさなのだろうか・・
「宮間っちの言う通りね。こいつのことは気に食わないけど
宮間っちが悲しむ顔は見たくないし、退学なんてまっぴらごめんだわ」
そういうと、 『尾長巴』 は2人の連れを率いて、教室から去っていった。
それと同時に周りにいた生徒たちも散っていく。
「卓。その怪我大丈夫?顔擦りむいてるじゃない」
千草が駆け寄ってくる。瞳には一粒の涙を浮かべている。
「なあ千草、俺の行動って正しかったのかなぁ・・
俺のこの行動って優しさだったかなぁ・・」
「卓が行ってなかったら私が行ってた・・少し強くやりすぎただけで、卓の行動は
紛れもない善意だったよ・・」
「だから、もうこんな危ないことはしないで・・誰かのためにあなたが傷つくなんて・・
誰もそんなこと望んでない!もっと自分のことを大切にして!」
彼女の言葉にぐうの音も出なかった。
彼女は俺のために傷ついた・・
でも、俺は誰かが助けてくれることを望んでいた・・
それを理解していた彼女だからこその行動だったのだろう。
俺は自分自身を呪い殺そうと考えた。
それほどまでに俺は災いの要となりえるのだと理解した。
優しさ・・それこそが相手を苦しめ、地獄へと誘う 『種悪の根源』 なのだと理解した・・
その教室に彼女の姿はなかった・・・・