第九章
2006年から2008年6月まで個人サイトで連載していた作品を再公開します。
問題のシーン。
【報告、計画実行】
コン、コン、コン。
扉がノックされる。
「誰だ」
「アマヤです」
「……入れ」
宮長室。その暗く少し狭い部屋の中を、カーテンの隙間から漏れる薄蒼い光が仄かに照らしていた。
時刻は午前二時になろうかという所だった。
「……またしばらく、蒼い月も見納めですね」
「……あぁ」
二人はカーテン越しに窓の外を見て、沈黙を始めた。
それは会話がもたないからではなく、ただ単に言葉の要らない、そんな空気であった。
その妖しげな落ち着いた沈黙は、しばらくして、破られる。
コンコンと、場違いなノックの音がした。
「宮長、報告が御座いまして」
返事を待たずに部屋に入ってきたのは、いつもの微笑を浮かべたコトル。
「何だ? こんな時間に来るとは、余程急を要する事なのだろうな?」
ルルフは少し不機嫌そうに、試すように言った。
「ヒナさんについてです」
「ほう……? 述べてみろ」
「! 貴方……んッ?!」
アマヤは何か言いかけたが、途中で、誰かに口を塞がれたかのようにもごもごと言うだけになってしまった。
コトルがアマヤの方に手を向けて、何らかの仕草をしたのは、暗い部屋の中でルルフには見えなかった。
「『ヒナ』さんについて、私の能力で時を産まれる前まで遡り、見させて頂きました」
「モゴっ、んぐッ! ――!!」
意味を成すことが出来ない声で、アマヤはもがく。
「そこまで遡る必要性はあるまい? ……アマヤ? どうした?」
「……すると、ヒナさんは捨て子であり、なんと実の母親はアマヤさんなのです」
アマヤは一層激しく、言葉にならない抵抗を繰り返した。
「……どういう事だ?」
ルルフの頬を汗が伝う。
「もう察しはついているのでは? そう……」
ルルフは息を呑んだ。
「『ヒナ』さんは、紛れも無くあなたのお子さんですよ」
コトルは、いつもの口調でそう言った。しかし殊更にはっきりと。
ルルフの目が見開かれる。
その瞬間から、ルルフはメデューサに目を合わせてしまったかの如く、石のように固まってしまった。
「ぷハッ! コトルさん……何故それを……!」
漸く口を開くことを許されたアマヤは薄ら青くなり、震えながら言った。
「忘れたのですか? 私は……時間を遡り『見る』ことが出来るのですよ」
アマヤは、コトルの企みに気付き、いつにない強い口調で言った。
「あなた……態とこの時まで……!」
「はい。言えずにおりました。ですが、只今、報告致しました。遅くなりまして申し訳ありません」
「ふざけないで!!」
いつもと変わらぬ口調でのたまうコトル、それと対照的に一層強い口調で叫ぶアマヤ。
「巫山戯てなどいませんよ? 私はただ真実を告げたのみです。この第四宮副長、コトルとして」
「く……」
アマヤにはもう成す術が無かった。もう……遅すぎたのだ。
コトルは鋭い視線になり、ネクタイを乱暴に解き、投げた。
「そしてこれからの私は、計画を遂行するのみです。雇われの悪魔、コトルとして……ね!」
「!」
空に舞ったネクタイは、コトルが手をやるとすぐさまアマヤの首に飛び掛り、縛り掛けた。
「ぐっ……!」
「あなたにも一応、眠っていてもらいますよ」
コトルはニヤリと笑うと、宮長室から退室し、バルコニーへ出た。
満ちに満ちた蒼白い月明かりが、世界を照らしていた。
「アメキ、時間ですよ」
それは叫ぶ程ではなく、しかしよく通る大声で。
シェフ姿の男がコトルの後ろに跪き現れ、コック帽を投げ捨てた。
「例の少年を、手筈どおりに」
「……はい」
アメキは静かに了承すると、バルコニーより飛び立ち、滞空し、能力を使い始めた。
そして、バルコニーに出てきた人影を従え、第四宮女子寮の方へと向かった。
コトルはそれを見とめると、窮屈だったスーツを適度に破いた。
「さて……」
自らもバルコニーより飛び立ち、滞空する。
「どんな悪夢が待っているでしょうか……」
コトルはほくそ笑むと、アメキの後を追うように第四宮女子寮の方へ飛行した。
ルルフは、その場にへたり込んだまま、動くことも、まして能力を使うことも出来ずに居た。
嘘だと疑う事も出来ない。傍で気絶しているアマヤを気にかける余裕もなかった。
精神的な存在である霊体には、精神的衝撃に非常に弱い。
『ヒナは自分の子供である』
ルルフにはその事実が、コトルの予想以上に効果を及ぼしていた。
――私は……焦り過ぎた……。
死神界での実績を上げる為とか、飽和した死神界を変える等という父との使命感の下に、長くここにいた。
しかし……焦り過ぎた……。
まんまと悪魔に唆され、我が子を手塩に掛けて死神にしてしまうとは……!
……同じ死神との子なら、まだ良かっただろう。その子も死神。同じ宿命を背負い、私も遠慮なく育て上げられた。
しかし、『人間』として生まれていたのなら。
普通の人間として、育ち、幸せになって欲しかった……。
【運命】
ヒナは、悪夢に魘され飛び起きた。
「っハァッ……!! ……はァ……!」
動悸や、息も荒いが、それは段々と薄れていった。
しかしヒナのそれは、軽い方だったのかもしれない。
「ん……はぁ……、……なんで今更あんな……」
あれは……恐怖だ。
ヒナの知り得る限りで最悪の。
そういえば、ここに来てから夢など見ただろうか。そもそも死神でも夢は見るのか。
……あぁ、研修で気絶していた時に、夢は見た気がする。
それには、夢特有のよくわからないシュールなものと、……これに似たような悪夢も混じっていた覚えがある。
……これから、しばらく……もしかしたらずっと、こんな悪夢を見るのだろうか……。
そう思うと、ヒナの心は震えた。
――時計は、午前三時頃を指していた。
核閃光から間もない所為だろうか、悪夢に対する動揺を差し引いても、少し空気が熱っぽい。
ヒナは、自分の怯えに憂いながら、また頭を枕に付けた。
……何か聞こえる。これは……声?
よく知っているような、狂ったような笑い声。
同時に、少女の叫びのようなものも聞こえた。
「なに……?」
自分の知らない何かが起こっている。明らかに!
とりあえず、カーテンを開けて窓から外を見る。
ここに来て初めての夜に見た、大きな赤い、紅い月。
それが今は蒼い。しかしもうすぐ、しばらくは紅い色に戻るという。
その傍にはちゃんと、本物の月も小さく在る。
そして……『それら』が視界に入った。
「もうこんなボロい隊舎は必要ないでしょう! アメキ、その少年ごとぶつけてあげなさい!」
空に在る月は変わらない。
「アンダーコントロール……死神器、最大出力」
それは皮肉なことだった。
「三百度……アクロスザナイトメア……」
ヒナは信じられないものを見ていた。
その瞬間、ヒナの身体は、全てと共に後方へ吹き飛ばされた。
「くっ……はぁ……」
ヒナは、瓦礫の山から何とか抜け出した。
気付いた時には、空はもう薄ら明るくなっていた。
……信じたくない。己の目で見たものであれ信じたくなかった。まだ悪夢の続きであってほしかった。
しかし、体中に感じる僅かな痛みは、これが夢でないことを示していた。
ヒナが見た夜空には、三人の影が浮かんでいた。
死神器を振り翳しながらぶつかって来たのはオルタだ。明らかに最後に会った時点の様子ではない、正気ではなかった。
それを操っているように見えたのは……、そうだ、確か、食堂の……!
そして……指示を出していたんだ。
温和な微笑という仮面を外し、冷酷な嘲笑を顔に纏った、コトルが……!
ヒナは、漸く立てるようになり、辺りを見渡す。
新鮮な数日を過ごした第四宮女子寮は、跡形も無く瓦礫の山と化していた。
隣の第四宮本宮は埃を被っているだけなのが、逆に痛々しい。
……そうだ、他の皆は? ナツミさんは? ミキさんは?
ヒナは改めて、慌てて辺りを見回した。
上の方に、第四宮と女子寮を繋いでいた、壊れた渡り廊下がある。
そこから少女は飛び立ち、この荒れた地面に着地した。
「ミキさん!」
「おはよう……ヒナちゃん……。あー、なんか凄いことになってる」
ミキは他人事のように言った。
「あーあ……もう、昨日さんざん泣きつくしたはずなのになぁ……」
泣いていたらしく、まだミキの目は赤く、涙ぐんでいた。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか?! っていうかあっちにいたんですか? あの、それより建物が! なんで……」
ヒナは混乱しながら、また辺りをくるくると見回した。
「……!」
瓦礫の中に埋もれている人の姿らしきものを発見する。
急いで近付き、ヒナの出せる力の範疇で、上に積もった瓦礫を取り除く。
そこに蹲っていたのはオルタだった。
「オルタさん?! 大丈夫ですか!?」
……返事は無かった。
ヒナには知りえぬことだったが、死神器等を使うのには霊力を消費する。
それを操られ限界にまでされ、その体中に纏ったエネルギーごと建物にぶつけられたのだ。
死神とはいえ、彼がボロボロになっているのは仕方のない事だった。
「オルタさん! オルタさん!!」
それでもなお呼び続けるヒナ。断ったとはいえ、自分を愛してくれた人の一人へ向けて。
あぁ、助けて。アマヤさん……宮長……。
「無駄ですよ。しばらくは気付かないでしょう」
男の声がした。割と聞きなれた、柔らかく、けれど今はどこか棘のある声に、ヒナは振り返った。
悪魔が、滞空していた。
耳などはやや長く尖り、銀髪は僅かに逆立ち。ネクタイは無く、スーツを動き易いようにか、少し破っていた。
微笑を浮かべてはいたが、鋭く歪んだ細い目など、最早それは悪意溢れる表情以外の何物でもなく。
しかしその人物は間違いなく……コトルだった。
「コトルさん……? これは……なんのつもりですか」
ヒナは静かに言う。
「何のつもり? さて……私が行ったどの事象について言っているのでしょう?」
いつものような口調でのたまうコトル。
「ふざけないでください! ミキさんに何をしたんですか! そしてこの第四宮は……!」
ヒナは激昂して問い糺す。ヒナがここまで怒るのは、初めての事かもしれなかった。
「何をした……? 皆さんには、夢の代わりに、『メモリ』を見て頂いただけですが。ただし、改悪した……悪夢として、ね。あぁ、あと、そろそろこの隊舎も古くなったものですから、ついでに解体してしまいましたね」
コトルの嫌味めいた言い方に、ヒナはコトルの印象を漸く、心から改めることにした。
あぁ、やっぱりこの人……こいつは、信用してはいけなかったんだ。
もう、こいつは、ただの、悪魔、敵だ。
「コトさん……いや、コトル……!」
瓦礫から自力で這い出したのか、いつの間にか横には、ふらつきながらもナツミの姿があった。
それに気付き、一時ヒナの怒気は消え、ナツミに駆け寄る。
「ナツミさん! 大丈夫ですか?!」
「あはは……まぁ、ね……」
ナツミは力なく笑った。
そして、ミキの姿を見とめると、安心したように呼びかけた。
「ミキ! 大丈夫だった?!」
ヒナが振り返ると、ミキはまだ涙ぐみながら目を伏せ、ナツミに語りかけるように言った。
「……あのね……もう、駄目みたい。ずっと悩んでたけど……やっぱりダメ」
どういう事……?
ヒナの頭に悪い予感が過った。そして嫌な予感というものは、大抵当たる……。
「……そっか……」
ナツミは落ち着いたように微笑んで言った。
「ごめんね、なっちゃん……さよなら」
「ミキさん!!」
ミキは第四宮の敷地から駆け出した。
嘘……。嫌だ……もう誰も、私のもとから離れないで……。
追いかけようとしたヒナの腕を、ナツミが掴み、引き留める。
「ナツミさん! ミキさんを!」
ナツミなら何とかしてくれる。
そう思っていた。
「……いいんだよ……、あたしは解ってるから。ミキ……、絶対、自分の場所を見つけてよね」
もうかなり小さくなってしまったミキへ、語りかけるように呟く。
その目には涙が浮かんでいたが、やはりナツミは微笑んでいた。
第四宮からの道を駆けて行くミキを、ナツミはただ見送っていた。
「…………」
ヒナは、絶句するしかなかった。
ナツミなら、ミキを引き止めてくれると思っていた。
この二人は、そこまで互いを分かり合っていたんだ。
初日から自分に親しくしてくれた二人。自分が接したのは短い間だったとはいえ、ヒナは何となく哀しかった。
……しかし、ミキがあんな風になってしまった直接的な原因は、やはりコトル達が見せた悪夢にあるのだろうとは思った。
キャハッハハッハハ! グェアッハハハッハッハハハァ!!
どこか近くで、狂気じみた笑い声が響く。
それは、今まで聞いたどんなものよりも強く、狂おしく、そして、どこか哀しげだった。
一部始終を高見から見物していたコトルが、嫌らしく微笑みながら語り始めた。
「アメキの力で内部抗争でも起こせれば手っ取り早かったんですがね……。流石……、宮を新たに造って貰えるくらいだ、あなた達ホーリータナトスは容易く操れませんでしたよ」
ヒナは、静かにコトルの方へ向き直る。
「その代わり、宮長サンやこの坊やには働いて貰いましたけれどねぇ……利用のし甲斐がありましたよ!」
ハッハッと高らかに笑う。
言葉遣いはそれほど変わっていないはずだが、今のコトルの一言一句は須く醜悪に聞こえた。
ヒナの心に一閃、怒りの火種が点った。
「ちょっと隊舎を吹き飛ばしてお掃除が必要になりましたけどね、内ゲバを起こさせるより早い。ある者は動けなくなり、ある者は去り、ある者は笑い続けるのみ……何が面白いのやら……。おっと、今のここの状況が、ですか。愉快なことこの上ない……クックッ」
ヒナの心中の火種に、青い炎が灯った。
瞳孔は狭まり、表情は引き締まる。
ただ何の言葉も発さず、怒りの形相を浮かべていた。
そして、右腕を中心として、ヒナの身体の周りには途轍もない規模の霊力が集まっていた。
オーラなどと形容すればわかりやすいだろうか。
その神々しくも禍々しい気配に、コトルは気付き、ヒナの方を向いた。
「ん……怒っているのですか? まぁ当然でしょうね」
言葉では平静を装っていたが、コトルの心中には焦りが生まれていた。
確かに、この娘は、計画のために宮長を唆し連れて来た。
しかし……それは……宮長、マウケニー・ルルフという死神の血を半分引く魂魄という事ではないか。
そして……実際に、その能力は宮長に勝らぬとも劣らない凄まじいものと推測された。……されたはずだった!
なのに何故……もう少し早めに手を打たなかった!?
それは臨機応変が利かない、少々高飛車で自信過剰な悪魔族の、致命的な欠点だった。
「コトルさん……私は――」
ヒナは、ただ淡々とそう言う。これまでに無いほどの冷酷な表情で。
「あなたを絶対に許しません」
ヒナは、右腕を掲げて、低空飛行しているコトルに勢いのままに飛び掛った。
コトルは不意を衝かれ、咄嗟にその攻撃をかわしたが、それは紙一重の差であった。
速い……?!
くッ、あの部屋で一度見た。この右腕は正しく……鬼神の腕……!
……嗚呼、なんという誤算!
計画を実行するため、アメキにルルフを操らせ、この死神界に迎えた。
そして、ルルフがヒナと十分に接し、ヒナを十分な死神に育てさせる時間も必要だった。
それに、この規模で悪夢を見せるには、満蒼月の霊力が必要だった……。
初めから穴だらけの計画だったのではないか! 第一宮の連中め……。
コトルには、そんな今更な後悔をする時間しかなかった。
焦りに、もう少し上空に移動すれば有利になるという考えも忘れ。
……仮にそうした所で、少しだけ『残り時間』が増えるだけだったのだろうが。
天才は、それ故に失敗に弱く、恐れる。
今まで、全ての計画を完璧にこなしてきたコトルは、今のヒナというイレギュラーな存在に素早く対処出来なかった。
「生意気な……! 出来立ての死神風情が!」
そして、相手の攻撃の威力も計らず、コトルは応戦を選んだ。
最後まで、高貴にも、愚かにも、悪魔はプライドを手放さなかった。
コトルは両手を突き出し、その掌から魔力の弾を放った。
それは何発も連射された。コトルの魔力は曲りなりにも強大であり、数発も命中すれば今のヒナでも耐えられなかっただろう。
しかし、ヒナは素早く、冷静に、その合間を縫い、コトルとの距離を縮める。
――カズ曰く、ヒナの死神技の名は、切り裂き魔の名に由来するという、『ジャック』。『ジャック・ザ・リッパー』。
右腕に鬼神の力を宿し、全てを切り裂く。
その力に、短い間に築いた平穏。そしてそれをすぐさま崩壊させられた怒りの念を付加する。
裏切り。別れ。愛を無下に踏み潰した悪魔への憎しみ。
そして。
その右腕が、コトルの胸を貫いた。
「うがああああああぁああアアッ!!??」
馬鹿な……これでも高等な悪魔である私が……こんな成り立ての死神に負けるだと……?
しかもコンナ、雌ガキに……!?
畜生!! チックショオ!!
私ハ……必ズ仕事ヲ……!
トリアエズ……悪魔界ヘ……ア、くマ……クァ、ェハ……――!
断末魔の叫びをあげ、コトルは消滅した。
仮想空間での時の様に、身体は貫かれた穴の断面から霧状に霧散していき、やがて服までも。
そして、コトルが存在していた場所の後方に着地したヒナは、間髪入れず、もう一人の男、悪魔へと視線を向けた。
「ひッ……!!」
終始無表情だった彼だが。
自分より遥かに強力な力を持っていた筈のコトルを、易々と破った少女。
その狂気の瞳には、ただ恐怖し、逃げ出す他なかった。
「ひ、ギャアァアアアアアアアアア!!」
しかし、そんな些細な抵抗にもヒナはすぐに追い付き、右手のその爪で背後からぞんざいに切り裂いた。
アメキは、コトルと同じように消滅していく。
それは、ほんの僅かな間の出来事だった。
――少女達は見ていた。その光景を。
「すごい……」
ナツミは、ヒナを怖いと思う事もなく、ただ純粋に観ていて、そう思った。
「スゴイ、ね……」
「……アザミさん……」
横には、いつの間にか自分と同じく煤だらけのアザミが立っていて。
「……あーあ、久々にヤな夢見ちゃったよ。でもね」
悪魔たちが消滅していく。
「もう、なんかスッとした」
「おはようございます。宮長さんが動けないので、あなたたちに……」
次々と姿を現す少女達も、これで終わりのようだった。
「あ、ゼラ……さん?」
「……よくそんな暢気にいられるもんだね。今までどうしてたの?」
アザミの嫌味を無視し、少女は言った。
「改めてご挨拶します。天界外務省・死神界査察官、そして運命の女神、ゼナと申します。あなた方を騙していたことをお詫びします」
驚愕する二人。
「天界……?!」
「……運命の……!」
運命の女神。
現世で……天界側から見て、死神や悪魔が凶兆の象徴とされるなら、死神達にとって、女神とは、凶兆だったのかもしれない。
「運命の女神って……アンタ、ただ傍観してたのかよ!? 何とか出来なかったの!?」
「私に、運命を操る力は少ししかありません。この運命を知った時には遅すぎました。それに……崩壊も運命というものです。発展に犠牲は避けられません」
アザミの憤怒に、事務的に答えるゼナ。言い返すことは出来なかった。
「……残念でしたね。私の名前はゼラ(Zella)ではなく、ゼナ(Xenna)。
私を運命の輪に加え、繋げても、聖地<嘗て魔女が支配したアナスタシア>へは辿り着けない……」
ゼラ……いや、ゼナは、少なくともヒナには意味の解らない事を言っていたが、もうそんな事はどうでもよかった。
ヒナの意識は釈然としていなかった。だから、ゼナがすうと消えても解らない。
ただ、その足は……いつか三人で歩いたあの道を……閻魔堂、ゲートへと、向かっていた。
【追走、逃走】
ワタシは全てを知っている。
この子の全てを知っている。
生まれたときから、死んだ時まで。
追加サービスで、化けて死後までも。
でも、それももうお終い。
あの子は自分の道を歩み始めた。
ワタシは帰る。また、一つの存在を、記録に加える為に。
黄色い鳥が、浮走し続ける少女の傍から離れる。
それは白い鳥に姿を変え、空へと羽ばたいて行き、消えた。
「ミキさん……待って……!」
もう、誰も私を裏切らないで。
しかしその身勝手な気持ちが叶うなど、到底無理な話だった。
慣れない死神技を極限まで使用した身体で浮走を続けたヒナは、やがて道の途中で、倒れた。
死神界、第四宮。
表から見れば、何の変わりも無いように思えたが、裏に隣接する居住区、女子寮は、跡形も無く瓦礫の山と化していた。
その跡地には、二人の少女が、ただ呆然と立っていた。
「サバト……」
「ンぅ?」
ナツミが呟くように呼ぶと、傍らに黒猫のような姿をしたものが現れた。
「あんたも確か悪魔だったよね?」
「オイオイ、俺をあんな物騒なノと一緒にすんな。俺達ァただのしがない門番よ」
「冗談だよ」
場を和ませるつもりだったのだろうが、その場には微妙な空気が流れただけだった。
「はぁ……で、どうしよう」
アザミが疲れ果てたように言う。
「……とりあえず、第四宮の皆で合流しないと。この分だと宮長も動けない状態にさせられたみたいだし」
「だね。こっちの方には誰もいないかな?」
「あ、待って、あそこに誰かいる!」
ナツミ達は、ヒナが瓦礫を掘り返した場所まで来た。
「オータ君……」
「死んでる……?」
「まさか。死界でまた死んだりしたら、消滅してるよ。コトルみたいに」
「あー、まぁ。そっか」
二人が黙ると、ただ砂の混じった風の音が響くばかりだった。
「多分、悪夢を見せる能力を使われたんだね」
「ちょっと気に食わない奴だったけど、同情するよ……」
「だから死んだみたいに言わないで」
「ごめんごめん」
「とりあえず、医務室に運ばないと。二人で持てるかな?」
「あ、えーと、私にお任せください」
サバトと同じように、アザミの傍から小さな妖精のようなものが現れた。
「あ、アザミさんの使い魔?」
「はい。サキノと申します。私は微力ながら、超能力が得意ですから……」
「あー、そういえばアンタ、そうだったね」
アザミは余り興味のなかったように言う。
サキノが両手を倒れているオルタに向けると、その身体は誰かに抱えられているように浮かび上がった。
「念動力です。人ひとり低空に浮かべて移動するだけなら全然大丈夫ですよ」
「ありがとう。えーと、あと……昨日、ここに残ってたホーリータナトス……、イミちゃんとワウちゃんか」
「あー」
「探すまでも無いね。笑い声でわかるよ」
耳を澄ますと、風の音に交じって、確かにそれは聞こえた。
どこか哀しそうに狂い笑い続ける声が。
「えっと……大丈夫? 立てる?」
二人が座り込んでいる場所に辿り着く。イミは力なく首を振った。
「だよね……動けない?」
「わたしもわうもうごけない。でも、だいじょうぶだから……かまわないで」
イミは、小さな掠れた声でそう言った。
「うん……わかった」
イミは頭の良い子だ。それは異常なまでに。
だから、ナツミ達はその言葉を信じ、第四宮本宮へ向かった。
アマヤはカーテンの隙間から差し込む光に照らされ、目を覚ました。
首に巻き付いていたネクタイは消えていた。
「私……は……」
気絶する前の経緯を思い出し、ハッとする。
「っ、ルルフさん! ルルフさん!!」
横にへたり込んでいたルルフに必死で呼びかけ、揺す振ってみるが、光のない目のまま動かない。
駄目だ。自分にはどうする事も出来ないんだ、結局……。
他の皆はどうなったんだろう。コトルは。
とりあえず、様子を見ようと、ふらつく足取りで部屋から出た。
二階の廊下を、二人の人影がこちらに駆けて来る。
「御無事でしたか、アマヤ様!」
「朝になっても命令が無いので、誠に勝手ながらアマヤ様の部屋に入らせて頂きました。しかしお姿がないので心配で……」
二人の女性はアマヤの『部下』のようだった。
「ん、えぇ、私は大丈夫よ。それよりも……他の皆は無事なの?」
「無事、とは……やはりあの男が?」
「命令も無く部屋を出る事がなかったものですから、何とも……」
二人は不甲斐無さそうに俯く。
「そう……。二人とも、中に入って」
アマヤは自分の後方、宮長室に二人を招き入れる。
「失礼します……これは……?!」
「宮長……? 酷い……あの悪魔め……!」
二人は宮長の変わり果てた姿に衝撃を受け、その犯人と思われるモノに憎しみを抱いた。
「だめよ、落ち着いて……二人とも。とりあえずルルフさんをベッドに運んでくれるかしら? あ……私のベッドは使ってるか……」
「……? いえ、アマヤ様のベッドでしたら誰もいませんでしたが」
「え?」
アマヤは不思議に思った。確か昨夜少女を自分のベッドに寝かせて、来たはずなのだが。
二人が入る前に起きて出て行ったのだと思うことにした。
「そうなの? うん、ならお願い。……ルルフさん……いつもベッドとか使わないから……」
「畏まりました」
「では」
二人は双子のようによく似ていて、同じような動作で動いた。
ルルフを丁寧に抱え、アマヤの部屋へ向かって行った。
「ふう……そうだ、あの子たちは……」
アマヤは小走りで、女子寮へ繋がる渡り廊下の部屋に向かった。
「なん……なの……、これは……」
渡り廊下は途中で壊されたように途切れていた。そして、もっと驚愕したのは、そこから見える外の光景。
女子寮の建物が、無い。
ガーデニングしていたお気に入りの中庭も含めて、そこは瓦礫の山と化していた。
「……あぁ……、なんてことなの……!」
アマヤは嘆き崩れた。最悪の結末を想定してしまったからだ。
きっと皆、ルルフと同じような状態か、もしくは……消滅させられたのでは。
しかし、そんなアマヤに希望ともいえる声が聞こえた。
「誰かぁー!!」
「いませんかー!」
エントランスホールからだった。
二階廊下の手摺に駆け寄る。いるのは、ナツミ、アザミ、浮かべられて移動してる第参宮の子……。
よかった……無事でいてくれて!
しかし、それと同時に、姿が見えない子への不安もあった。
「ナツミさん、アザミさん!」
「アマヤさん!」
お互いを発見すると、アマヤは階段を駆け下りた。最後の一段で躓き、みすぼらしくも転倒する。
「わ、大丈夫ですか?」
「あはは……大丈夫です。……それよりも、女子寮は? そちらはどうなったのですか?」
「説明が要りますよね……こっちでも何があったのか、教えてください」
「じゃあ……皆、医務室に。そこで話しましょう」
一同は、二階の医務室へと向かった。
「そんな……ことが……」
アマヤは、終始泣き崩れていた。
横に待従している二人の部下は、哀しげな顔で俯いたまま、微動だにしなかった。
ナツミとアザミの後ろに並んだベッドに、オルタと、運ばれてきたルルフが寝かされている。
「しかし……宮長がこんなになるなんて……」
アザミが、未だに信じられないというような表情でルルフの方を見る。
「一体どんな精神攻撃を……」
「ん……それは……、……後で話すかも……」
アマヤは、複雑な表情で考え込んだ。
「イミさんとワウさんは裏、ミキさんは『放っておいてあげてください』……今、ヒナさんは?!」
「あ」
「しまった……あんまりスッキリ悪魔ら倒したから心配してなかったなぁ……」
酷い言われようだが、非常識な世界で更に非日常な事があったのだ。
少々致命的だが、些細な忘れ事だった。
「確か、ミキを追ってったような……」
「あ、アタシ見に行って来る!」
「お願いします!」
ナツミが情報を述べると、すぐさまアザミが名乗りを挙げ、アマヤは懇願した。
医務室、本宮を飛び出し、バルコニーから空中へ舞う。
アザミの死神技は、自由に飛行できる能力。
「あ……!」
アザミが一本道を辿って飛んでいると、すぐに倒れているヒナを発見した。
その側に降り立つと、しゃがみ込んでヒナの無事を確認した。
「ヒナ……」
アザミは切なそうな、複雑な表情をした後、サキノの念動力を付加したヒナを抱えて、来た方向を戻った。
「はぁ……」
見知らぬ空間の中、ミキは何かをついにやらかしてしまったような溜息をついた。
「あーあ、やっちゃった」
無断でゲートから適当に次元移動したので、リレーションポイントなど無視している。
そこは、かなり広い部屋だった。
ピアノ、ドラム、ギターやベースが複数……どこかの学校の音楽室か、軽音部室だろうか。
……何となく、ピアノの前に座ってみる。
生前、学校で、よく弾いていたことを思い出す。
才能があるとか、先生に言われていたが、ただ楽しかったから、弾いていた。
父の帰りが遅いから、毎日のように放課後に。
――現世から死神になるまでの間に、不思議と覚えていた曲を弾いてみる。
「……これ、ガウスの詩なんだよね」
「…………」
傍にいるはずの存在に語りかける。その存在は沈黙で答えた。
――海辺をイメージして、綺麗に紡がれるピアノの音。
合わせて、詩も小さく口ずさんでいた。
……部屋の外から、何やら小さな話し声がする。
ここは本当は誰もいないはずの部屋で、そこから音がする事に驚いているのだろうか。
「だ、誰?!」
ついに部屋のドアを開けて、少女が飛び込んで来た。
遅れて、少年も。
少年少女と言っても、年は……アザミより少し上、大人になる前といったところだろうか。
「あー、ごめんなさい。驚かすつもりは無かったんだけど……さながら怪談だよね? アハハハ」
もう開き直ったように、馴れ馴れしく言うミキ。
しかし少女はすぐに驚きを捨て、何やら考えるように唸り始めた。
「……や、ちょっと待って……あんた、今の……もっかい弾いてみてくれる? エチュードでもなんでもいいから」
「ええ? なんで……」
追い出されると思っていたのに、逆にアンコールを要求されたので、ミキは困惑した。
「お願いっ」
「まぁ……、いいですけど……」
なぜか手を合わせて必死にお願いされるので、ミキは仕方なく、白黒の鍵盤を前にした。
初めて、少ないながらもギャラリーを携えて演奏する。
それでも、ミキは臆すことなく自由に奏でた。解き放たれた自分の旋律を。
「……イイよね?」
「うん……これ凄いよ」
少女は少年に同意を求め、言い放った。
「採用!!」
「…………え?」
一人の少女の物語は、再びその幕を開けた。