第六章
2006年から2008年6月まで個人サイトで連載していた作品を再公開しています。
時代がモロに出るネタとか入れるものではないですね。
【ゆかた】
「きっせっきーのとびらーはー、ろーじっうーらがひんーとー」
「壊れちゃった? ごめんね独りにして」
「んにゃ大丈夫、ちょっと数年後のどっかと交信しちゃっただけ」
「いや、だからそれなんて死神技?」
ややあって、再び『空き部屋』に戻った三人。更に赤みを増した夕日が、部屋の中を紅く染めあげていた。
ナツミはミキと相変わらず仲の良い冗談を交わしている。
気まずくなったヒナと一弥。先に話しかけたのは一弥だった。
「えーと……、ヒナちゃんだっけ」
「は、はい」
「白髪なんだね。眼も紅いし……死神には多いのかな?」
「え……と……」
もう、半分開き直ったとはいえ、生前は随分気にしていたことだ。
しかし、自分達が人間でないと名乗った以上、それは確かに適当な、話題という質問かもしれない。
切なげに少し俯いたヒナを見て、一弥は慌ててフォローをする。
「あ、ご、ごめん……聞かない方がよかったのかな?! 気にしないで! えっと、全然変じゃないし、可愛いし」
「か、か……」
一弥はただ純粋に、フォローとしての意味も込めて言っただけなのだが、
『男の子』に初めて『可愛い』と言われた事だけが何故か耳に引っ掛かり、ヒナは顔を赤らめた。
「さーてついに幼女に手を出し始めました一弥くん」
「え、ええ?! 別に手を出すとかそういう」
「ま、いっか。かずやんも一応ショタキャラだし、四歳ぐらいの年齢差はどうってことないよね」
「なんななななにだからそんな飛躍しないで! 確かに例えば十年経てば、僕も二十一、ヒナちゃんは十七。釣り合うけど……じゃなくって!! その前に死神さんと結婚とか出来るわけ……ああっ」
「あははは! 飛躍してるのはそっちもじゃーん! 全く……男のコが少ないとフラグ立ちまくりなんだからぁねっ」
「はーい、いい加減ラブコメ展開自重自重ぉー」
半笑いで見ていたナツミがストップをかける。
一弥もお年頃なのである。最近は小五くらいからだってそんなこと当たり前なのですよ。
というわけで、元々姦しいトリオにまた一人加わり、更に騒がしくなる。
ミキは一弥をからかい、一弥は照れ慌て。
ヒナは未だにどこか少しぽーっとしているし、ナツミは傍観的に笑いながら軌道修正をしていく。
ヒナは、この時間がもうしばらくだけ、続いてみてもいいなぁ……と思っていた。
ヒナにとって心地よい、幸せで、楽しい、平和な時間だ。
しかし、時間という定義は曖昧なようで、無情なものであるのだ。
「あ、もうこんな時間! お母さん帰って来るかも……」
空き部屋となったこの部屋にも残り続け、未だ機能していた時計は、五時四十二分を差していた。
帰宅して、住居内に見知らぬ怪しい(妖しい)少女が三人もいたら、教育的な親は卒倒するだろう。
「そういえば、家族構成は?」
ナツミが事務的に問う。ミキは知っているのかもしれないが、一弥の返事に任せたようだ。
「えっと、今、住んでるのは……。僕と、お父さん、お母さん、お婆ちゃんね。お父さんの帰りは遅いし(お盆も返上で出勤らしい)、お婆ちゃんは……あの、ちょっとボケてて、寝てるか、一階をうろうろしてるから多分大丈夫……。だから一番心配なのは、買い物に行ってるお母さんが帰ってくるかもしれな……あ、来た?!」
玄関の方角から、物音、気配がした。
そして、階段を登る足音が近付いてくる。
「ど、どうしよう……」
「……はっ!!? どっどどどうしましょうナツミさんミキさん」
一弥と、ふと我に返ったヒナが慌てふためく。
「うーん……」
「大丈夫だと思うけどなぁ……」
「な、何が大丈夫なのさ?! あ、そうだ、ごめん! とりあえず押入れに隠れて!!」
ヒナは言われたように、慌てて押入れの戸を開け……、
布団等で塞がっているのに気づき、再び慌て、閉めた。
反対側の戸を開け、隠れられる空間を確認すると、そこに飛び込む。
ナツミとミキも仕方無さそうにそれに続き、戸を閉めた。
当たり前だが、母親は先に一弥の部屋の方を見たようで、ドアの開閉音がした。
そして、物音が聞こえたこちらの部屋の扉を開け、一弥を発見し、半分安堵、半分不審を持った。
「一弥、帰ってたの?」
「え、う、うん」
「なんで……こっちの部屋に?」
「えっと、……えー……き、気分を変えて勉強しようかと思って……」
「そう……? 夏休みの宿題はちゃんと進んでるんでしょうね……? あ、すぐ晩御飯作るから、呼んだら早く来なさい」
「はーい」
そんな会話がなされた間、暗い押入れの中。
「そういえば、お盆に登校日なんて、珍しいなぁ……?」と、ナツミは思った。
ミキは何か事情を知っていそうで、下手に訊くと藪から蛇を出しそうで怖いので、左隣のヒナに囁く。
「そ、そうなんですか?」
「え? あ、うん……」
そうだった……現代地上の事をよく知らないヒナに問い掛けたのは失敗だった。と、ナツミは暫しその疑問を気にしないことにした。
母親が去り、三人は外の様子を窺いながら、慎重に押入れから順々と出た。
一弥が力を込めて精一杯、三人に謝る。
「本当にごめんね、みんな!」
「い、いえ! お邪魔したこちらが悪いんですし!」
謙遜し合うのは、純日本人に多い特徴だ。そのやりとりをジト目で見ながら、からかうようにミキは言う。
「おうおう仲のよろしい事で。ふたりでお祭行ったら? 私はなっちゃんと行くもん」
「えー?! なんでそうなるんですか! みんなで行きましょうよぉ……」
「そうだよ、皆で行った方が……って、あ――!」
急に言葉を切った一弥に、三人は一弥の視線の先を振り返る。
開けたままになっていた部屋の扉の向こうから、老女が覗いている。
「――!!!!??」
誰もが、声の無い悲鳴をあげた。
その老女は、一弥の祖母であろう。
白髪を後ろで束ねて、普段着と思われる着物を着ていて、小柄で腰の曲がっている、典型的な『お婆ちゃん』。
しかし、典型的ではない部分はある。深い皺が多く刻まれた顔に、眼に、何かしらの威厳的な余裕、そして或いは不気味さを感じる。
「え、えっと、ばあちゃん、これは……」
一弥が滝のように汗を流しながら、必死に弁解しようとするが、祖母は意に介した様子もなく、優しく(或いは不気味に)微笑んだ。
「んー……おぉ。今日まで祭りだったねぇ……。懐かしいのぅ……、確かここに、公子の若い頃の浴衣と、キリちゃんのちっちゃい頃んと、ほんで、もう一度買ってあげた浴衣が……」
祖母はそう呟きながら、部屋の中に入ってくる。祖母の通り道を四人は自然に避け、祖母は押入れを開け、ごそごそとしている。
やがて浴衣が三着、部屋の隅に丁寧に積まれると、祖母は誰に向ける事もなく微笑みだけを残して、黙したまま、静かに去っていった。
「……ばぁ……ちゃ……」
「…………?????」
押し黙る四人。
夏の陽は高い。しかし、高温のピークは過ぎたようで、焼き付いた紅を残し、太陽は沈み行くのみ。
……静かに、静かに。不気味な沈黙が流れる。
「ロジがウラウラしててとてもゆかった!」
「ムードクラッシャーありがとう、ミキ」
徐に浴衣を一着、誇らしげに持ち上げ、高らかに叫ぶミキ。褒めツッコミのナツミ。
「今度はどこと更新したの?」
「えぇとね、トイミ」
「わかった、多分言っちゃいけないね。ストップ」
気になる者は各自調べよう。現代語では「ググれ」とも言う。
「あの……で、どうしろと……」
部屋の隅に置かれた、三着の女物の浴衣。
ヒナ達はそれを見やり、各々の心情で沈黙する。
――ここにいる女子の人数と同じだ……!
ふと、階下から声が聞こえた。
「あらあらお母さん、もうお夕飯ですよ。……一弥ぁー、ご飯よー!」
祖母の事を言っているようだ。そして、階上に居る息子に向かって呼ぶ声に、一弥とヒナはビクリとした。
「あ……押入れに――!」
ヒナが言いかける。
階段を登る音。僅かばかり、そちらの方が早かった。
「聞こえてるの?」
開け放たれ続けていた部屋の入り口から、母親が顔を覗かせた。
ヒナは、初めて一弥の母親の顔を見た。それは、ナツミ達も同じのはずだが。
衝撃のあまり、まじまじと母親の顔を見ながら、ヒナは固まって立ち尽くした。
「え…………う、うん……!」
同じような状態の一弥だったが、とりあえず返事をする。
「この部屋で感傷に浸るのもいいけど、呼ばれたらすぐ来なさい。全くもう……」
そうぶつぶつと小言を言いながら、母親は階段を降り去って行った。
「わ……わー! きゃー!!」
とりあえず慌て叫ぶヒナ。
「ひひひヒナなちゃんおちちつついて……! なんだろ……無視したのかな?! ああっ!」
言いながら一番落ち着いてない一弥。
「やっぱね……見えない」
ミキが落ち着きはらって言う。
それに、ナツミが説明を付け足す。
「心に余裕がない人や、そういうのを全く信じてない人には見えないように出来るんだよ……。でも最近は『みえるひと』も増えちゃったからね、駅では可視領域になってたけど。どうやらお母さんは見えないタイプみたいだね。よかった……」
「そ、そうなんですか……」
「良かっ、たぁ……」
「そう、私達霊体は感じることの出来る人もいるし出来ない人もいる。『感じさせる』、『感じさせない』ことも出来るけどね。そういえばおかーさんには前にもちょっとバッタリ出くわしたことあったし」
「それ、早くいいなさいよね……」
一様に安堵する四人。
「あ、じゃ、じゃあ……僕、ご飯食べてくるね。一応、ここにいてくれるかな?」
「は、はーい」
「うんうん。たーんと食べといでー」
「待ってるからねー」
一弥は三人の少女に見送られ、階下へ降りて行った。
ちょっとした沈黙。窓の外の空は既に暗くなりはじめていた。
「二人とも、何か食べたかった?」
「い、いえ。特に……」
「うん」
ミキは置かれていた中から、桃色の浴衣を手に取った。
「じゃ、お祭り行く?」
「おまつり……! あ、そうだ、あの……そう言えば任務って……」
ミキは一瞬険しい表情を浮かべたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「え? あぁ……、ヒナたんが気にしなくてもいいよーそんなの」
「いいんですか?」
「いいっていいって」
「楽しんじゃっていいんですか?」
「いいんですよーいいんですよ!」
「きゃっはーーぅ!!」
「あぁーもう可愛ぇのぅヒナちゃまは」
「老人口調で崇めるなっ!」
外見と経験は幼いだけあり、ヒナの珍しいはしゃぎ様。
それを見てニヤニヤするミキと、ツッコむナツミ。
着物だけはヒナの専売特許。それでも、毎回ミキは茶々を入れたりして。
一弥が部屋に戻って来たとき、三人の少女は既に浴衣に着替え、愛らしく咲き誇っていた。
【祭】
「なんですかあのふわふわしたものはー! 雲?! たこやき? 丸焼きですか?!」
今までの大人しさからは想像のつかない程に、はしゃいで回るヒナ。
それを各々の趣きで見守り、付いて行くナツミ、ミキ、一弥。
空は澄み渡る藍一色で、星達もそれぞれの輝きを放っていた。
「あ、あれが『わたあめ』なんですね! 何か回ってる!」
一弥は「友達と行く」と、母親の怪訝な視線を退け、家を出た。
追って三人も、一応、母親と祖母の目を盗んで、慎重に玄関から出た。
昼間に来た道を戻り、古びた立て看板の場所を逆方向に進み、祭りをやっている隣村へやって来たのだった。
賑やかな喧騒。盆踊りや花火など無いものの、夜に屋台が並ぶそれはヒナにとって憧れた光景だった。
「くれーぷ? あいす? あ、金魚掬い! あれやってみたいです!」
知らない食べ物や遊び、それらを順々に教えられながら、やがてヒナは申し出た。
「金魚すくい? わかった、じゃ、どうしようかな……」
「ミキ、自分とヒナちゃんに可視領域かけてあげれば」
「なっちゃんはそのままでいいの? よし、じゃーいくよ」
ミキは何かをしたようだが、特別な動作などなく、何の変わりも無いようにヒナには見えた。
「これで、どんな人にも、なっちゃん以外は見えるようになってるはずだよ。さ、やろっか。かずやんお金ある?」
「うん……えっと、一回百円か。はい」
「さんきゅー。さ、行こ」
「は、はい……」
未だに、自分が人に見えているのか心配だったが、ミキを信じ、金魚掬いの屋台の前に座った。
「おじさん、この子に一回ね」
「おうよ。嬢ちゃん、頑張んな! はいよ、ポイとお椀だ」
「は、はい」
見えていることを確認し、一瞬安堵した後、ヒナはポイを片手に、プールの中を泳ぎ回る金魚達をキョロキョロと凝視した。
「あぁっ……あれ動いてないから狙い……あ、あの子も可愛い……!」
「ヒナたん……結構マジになるタイプですな」
「あ、あれだ! えいっ!!」
パシャッ!
軽快な水切り音と共に……ポイの紙は切れていた。
「あぅ……」
「ざんねんだったねぇ……」
「ううぅぅぅ……もう一回……あ、でも一弥さんに迷惑かけられないし……」
若干涙目のヒナ。それを見て満悦するミキと店主。
「だねぇ……? まぁ私もお金持ってる事は持ってるけど……」
「あははは! いいよ、折角可愛らしいお嬢ちゃんが来てくれたんだ、一匹あげるよ」
「え、ほんとですか??!!」
「ほらよ、大事にしなよ!」
そう言って店主は、専用のビニール袋に、水と、小さな普通の紅い金魚を一匹入れ、袋口を紅い紐で縛ってヒナに手渡した。
「やったー!!」
「フフ……」
裏で邪にほくそ笑むミキ。やはり想定の範囲内だったようだ。
「華があると、客寄せにもなったしな」
「え……」
後ろを見れば、なるほど。
「可愛いー」と、立ち止まった女性達や、その連れの男達。マジで可愛いと思って見てたヒナと同年代の子とか、ロ(略)な人等。
「わわ……!」
急に気恥ずかしくなったヒナは、急いでミキの浴衣の袖口を引っ張り、ナツミと一弥の元へと舞い戻った。
「えへへ……貰っちゃいました」
「良かったね、ヒナちゃん」
「帰ったら金魚鉢も用意してくれると思うから、飼ってみるといいよ」
「そーだね。金魚鉢くらい、わけないんじゃない? あとエサか……。あれ、帰る時に生き物持ち帰ったことないからなぁ……どうなるんだろう……」
生界の命が、死界へ入る。それは、存在こそ変わらずとも、やはり霊となってしまうのだろうか。
「あ……そうですね……もしかして死んじゃったり……?」
「じゃ、じゃあ、とりあえず僕が飼っておいていいかな? 金魚鉢、確かあったし……」
「そうですね……お願いします!」
「うん、大事にしておくからね!」
金魚は一弥の手に渡った。
「おー気がアイマスねぇ……なっちゃんも可視領域展開してよー、二人で回ろー」
「可視領域はかけるけど……いいの?」
「だから! そんなんじゃないから! このまま皆で回ろうよ!」
「そそそそうです! その方が楽しいです!!」
「こういう所までお似合いで……」
「ミキも拗ねたりしなーい」
「か、勘違いしないでよ! べべ別に拗ねたりしてるんじゃ、ないんだからねっ……!」
「ツンデレテンプレート乙」
「ちぇー。じゃ、回りますかー」
「おー!」
相変わらずの賑やかな談笑。それを交えながら、四人は出店を見て回った。
射撃。輪投げ。お好み焼き。チョコバナナ。
沢山のものを見て、それだけでヒナは心が満たされていくのを感じていた。
「一通り回ったねー。ヒナたん、欲しいものないの?」
神社の階段の前でUターンし(「あたし達も一応神なんだけどなぁ……」)、元の場所に戻ってくる頃、ミキが言った。
「えーと……あ、りんご飴……あれ食べたいですね」
ヒナはりんご飴の屋台を見つけ、指差す。
「わかった。あたし買ってくるね……あ、ヒナちゃんも一緒に行く?」
「はい!」
「あ、僕達すぐそこにいるからねー!」
「うーん」
ナツミは返事をし、人の少ない、りんご飴の屋台の列に並んだ。ヒナもその後ろについた。
その間、和也達の前に……人影が現れていた。
「おっ、カズヤじゃねーか! またヒキコモるのかと思ったら」
「ん、しかも彼女連れ? そんな子……よくいたもんだねー」
『一弥』の単語を含んだ、不穏な声が聞こえた。
ヒナはこっそりと、後ろを窺い見た。
一弥のクラスメートだろうか。少年二人が一弥達に話しかけていた。
『ごめん、ヒナちゃん……ちょっと遠くに離れててくれるかな?』
不意に、ミキの声が頭の中に響いた。
『え? これは? もしかして……てれぱしー?』
『うん……そんな感じ。……オーケー、ヒナちゃんに不可視領域張ったから。率直に言うよ』
悪い予感がした。胸が軽く動悸している。
『逃げて』
ヒナは走り出した。とにかく、遠くへ。
「はい、ヒナちゃん……あれ?」
ナツミは二つ、りんご飴を両手に持ち、振り向いたが、ヒナがいなかった。
そしてその奥、ミキ達の所に、招かれざる同伴者がいる事に気付いた。
「ほら、からあげ! あれ一緒に食おうぜ! な!」
「一弥、僕達友達だよね? お金貸してくれるかな……?」
ナツミは、念の為、自分を不可視領域へと切り替えた。
「はぁ、はぁ、はあ、っく、はぁ……」
慌てていた為か、浮走も使わず、息を切らして走るヒナ。しかし、その歩幅、
……そして、見えないようになっているだけなので、人混みを避けながら……、のスピードでは、大して進んでいなかった。
ようやく浮走の事を思い出し、少し落ち着こうと立ち止まった時、
自分の右側に、青い、ただただ青いだけの……屋台と呼んでいいものか……そんな屋台のようなものがある事に気付いた。
「はーい、そこのお兄さん、ひとり? 寂しくない? お代はいらないから寄ってかない? あ、ちょっ……待ってよぉ……」
その入り口と思しき前に居たのは、和服姿の女性だった。年は……成人前に見える。
「あら? お嬢ちゃん、一人? 危ないわよ、こんな所で……」
「……?! 私が、見えるんですか……?」
「あれ? 自分が『見えないモノ』だと思ってるんだ?」
ヒナはしまった、と思った。また余計な面倒になりかねない。
「じゃあ……悪魔、とか、信じるタイプ?」
「……はい……そうですね」
ヒナは観念し、正直に即答していく事にした。
「単刀直入に訊くよ。お嬢ちゃんは、ナニ?」
女性は、真面目な表情になり、問いかけた。
「えぇと……死神、です」
言った。
言ってしまった。
後戻りは出来ない。
「そっかあ! 死神かぁー! 道理で……噂には聞いてるよ。女の子ばっかり集めて死神作ってる所があるって。キミもそこの?」
「えっと、多分」
女性は、ケタケタと笑いながら、話を続けた。
「なるほどね……。おっと、申し遅れましたね。ワタシは……まぁ、悪魔に分類されるのかな。そんな感じよ」
悪魔……やっぱり、いたんだ……?
「まぁ、なんで死神サンがここにいるのかはどうでもいいけど……この店は女の子じゃー意味がないのさ。さ、とっとと散った散った」
「はい……」
あの女性が本当に悪魔の類だったのかは定かではないが、その可能性は高いだろう。自分の部隊の事情を知っていた。
やはり、何かが起きているんだろうか……言い知れぬ小さな不安と恐怖が、精神を淡く支配する。
ともかく、ヒナは集中力を高め、浮走ってその場を去った。
やがて、神社の階段が見えてきた。その頃になって、なぜ、こちらの方へ逃げてしまったのだろうと思った。
結果的に、行き止まりだ。別に神社に近付いた所で、何かあるわけでもないだろうが、やはり安心したい。
そして、再度、皆とどうやって合流すればいいのだろう……。
途方に暮れたヒナは、道の脇に寄って、辺りを見回した。
階段脇の並木の向こうに、丘が見えた。丁度、屋台の通りを見渡せるようになっている。
ヒナはその場所をじっくりと見据え……跳躍した。
「いたた……」
やはり、少し着地に失敗した。しかし今度は尻からだったし、芝生も柔らかかったので良かったが。
「誰?!」
着地時の、ガサッという音に反応したのだろう。茂みの向こうから声が聞こえた。
聞き覚えがある。声がした方へ行ってみる。
宵闇に映える紫色の髪。
それは確か。
「アザミ……さん?」
【かえりみち】
ヒナとアザミは、芝生の丘に座り、眼下の賑やかな明かりを見渡していた。
ヒナにとって気まずい沈黙。さっきから少し話しかけているのだが、返答はない。
「あの……」
「その浴衣」
初めて返答があった。
「え?」
「ゆ、か、た!」
ヒナが聞き返すと、アザミは大声で言い返した。
「これ……ですか?」
「……それ、アタシのなんだけど」
「え……」
そういえば……やはり、あの部屋は生前のアザミの部屋で、一弥の姉だったのだ。
「あ……えーと……そうなんですか……すみません、勝手に着ちゃって……」
「……ま、別にどうでもいいんだけどね。生きてた頃のモノなんて」
「……いえ、よくないです! お返しします。着替えてください」
ヒナは恥を覚悟で、浴衣を脱ごうとした。
「アンタね……バッカじゃないの? 今更そんなサイズのもの着られるわけないでしょ」
「あ……」
ヒナは何故か少し必死になってしまっていたが、アザミに軽く切り返され、恥ずかしげに顔を伏せた。
「……ふぷぷ。おっかし。アンタみたいなのが死神界のホープなんてね」
ヒナは、初めてアザミの笑顔を見た。
実際その時が、死神になって以来、初めてアザミが笑いと言う感情を持ったのだったと云う……。
「アンタにあげるよそんなモン。浴衣なんて……祭りなんて、十も過ぎたらもう来ないのにさ……」
「そうなんですか?」
どうも話が食い違う、と、アザミは思った。
「……アンタ、生まれいつよ?」
「えーと……江戸時代です」
「そ、そうなんだ……これまた事情があるみたいね……」
というか本来なら物凄い年の差じゃん、とアザミは思った。それはナツミやミキ達も同じだが。
「アザミさん、もっとお話しませんか? もっとアザミさんの事も知りたいです」
「…………うん、いいよ」
――――
「でさぁ……その名前の所為で……」
「切悲さん……良い名前じゃないですか」
「そう? アンタの方がよっぽどいい名前だと思うけどな」
「『ヒナ』ですか? 『アザミ』さんもいいですけど……。
ただ……『家族』からもらった大切な名前を、蔑ろにしちゃいけないと思うんです……」
「……ふーん……そっか。ちっこい割には立派なココロ持ってんじゃないの」
「ちっこいは余計ですっ」
「アハハハっ!」
アザミは笑った。今度こそ、盛大に。
「なんだろーね……アタシとしたことがさぁ……? アンタの事気に入っちゃったみたいだよ。
なんか……妹が出来たみたいでさ……ずっと欲しかったんだけどね」
「まじげすか」
「うん。今なら……祭りを見て回ってもいい気もする。アンタ達と一緒なら……」
「てゅわっ! はいよっ」
「わぁ!」
突然、現れたナツミ。恐らく、空間跳躍で来たのだろう。
「いやーもう探したよー。不可視領域探知なんて高等技、失敗率高いし……変な屋台も引っかかったし……」
「アンタ……それにこれ……」
そして、ナツミが狙いを定めて落としたものは、アザミの手の中にすっぽりと収まっていた。
「ヒナちゃんが着てる薊模様のがあなたの小さい頃の。私が着てる紫陽花模様のがお母さんの若い頃の。
で、ミキがちょっと丈詰めて着てた朝顔模様のが、お祖母さんがあなたの為に新しく買ったものらしいよ。多分……死ぬ間際に」
「……ばあちゃん…………」
紫地に水色の朝顔模様が鏤められた浴衣を抱き締める。
「あの、ミキさんは?」
「汚れると悪いから、ってね。元の服に着替えた」
「いや、あ、それもありましたけど、そうじゃなくて……」
「あぁ……あたしもちょっと、見ない事にした。ヒナちゃんも心配だったし……」
ナツミは少し哀しげな表情で少し俯いた。
「えっと、あの、合流は……」
「またあの部屋で、って事になってる。あ、アザミさんの前で悪いけど」
「別にいいよ、もう……」
「……そうなんだ? ……あたしが言うのもなんだけど、アザミさんさぁ……丸くなったよね」
「!!? そんな、ワケ……!!」
「これってやっぱりヒナちゃんのお蔭かな? ありがとうね。ヒナちゃん……。
さて、アザミさん……。改めまして……、あたし達の……友達に、なりませんか?」
「あ……」
アザミは一瞬、切ない表情をしたが、すぐに、泣き笑いに近い……微笑みで、返事を返した。
「……うん……」
ナツミとヒナは、顔を見合わせ、微笑みあった。
「あ、忘れてた。はいコレ、りんご飴、ヒナちゃん……あ、アザミさんどう? あげるよ」
「え、悪いわよ……アンタの分でしょ?」
「いや、特に決めないで一応二つ買ったものだし……。ヒナちゃんが食べたいって言うから」
「べ、別にいいよ……」
「まぁまぁそう言わず。どーもいつのまにか仲良くなっちゃってるみたいじゃないですか。ヒナちゃんと一緒に食べなよ~」
「うぅ……」
実は、りんご飴は好物だったアザミ。手渡されたりんご飴の棒を手に取り、舐め始める。
「はぁ……」
黙々と眼下を眺めながらりんご飴を舐め続ける二人を見ながら、ナツミが溜息をつく。
「な、なんですか? ほ、欲しかったですか?!」
「いやね……こんな光景……ミキが見たら卒倒するんだろうな……って」
「え?」
「なんでもないっ」
ナツミは突き放した。自分らしくないと思ったのだろうか。
それを聞いていたアザミは、何らかの思案をしていたようで、やがて思い出したようだった。
「……あぁ……『あいつら』がやってたような……逆パターン、ってわけか……」
「はい?」
今度はナツミも訊き返したが。
「そっか……そうなんだ……。ま、この部隊の特性上仕方ないのかもね」
「まぁ……ね」
ナツミは顔を赤らめ返し、やがてアザミも頬を染め笑った。
やがて二つのりんご飴は仲良くただの棒切れとなっていた。
「なんの話なんですかいったいー!!」
「まーだアンタには早いわよっ」
「教えてあげたいけどまだダメー!」
林檎のように頬を染め笑い合う三人。
「もう、先に帰ろっかな。ミキだっけ? あの娘にも、謝らなきゃいけないし」
「お祭りはいいんですかー?!」
「また来年あるし、いいよ! ただ、これ……一回着てみたいな。ちょっとあっちで着替えて来るから。覗いちゃダメねっ!!」
「あはは、解放の瞬間だー!!」
「わーいわーい?!!」
いつのまにかハイテンションと化した三人。
少しして、茂みから出てきたアザミ。
紫色の地に紫の髪が同化し、水色の朝顔模様が美しく映えている。
「へぇ……」
「はー……」
「は、恥ずかしいからあんまりじろじろ見ないでよねっ!」
アザミは頬を染め恥ずかしそうに大声を出した。
「あ、そういえばさっきの話は結局……」
「さ、さぁ、『アタシの』部屋にご招待するよ! 行こっ!」
「ヒナちゃーん、おいてっちゃうよ!」
「だーかーらー! ちょ、待ってくださいよー!!」
アザミが先陣を切り、木の上を連続跳躍して行く。それにナツミが続き、ヒナもいつのまにか、何とかついて行けている。
アザミはあの家への方角をしっかりと解っているようだ。
人知れず、三人の影は、隣村へ向け、跳び進んでいた。
「ふそう、およびくうかんちょうやくのうりょく、おおはばにじょうしょう」
「キャっハハハハ」
……もう二つ、影はそれを追っていた。
やがて、昼間に覚えた家の前へと降り立つ。
領域はナツミにより通常の形態に戻されていた。
ヒナは先程の事を教えてもらえず拗ねていたので、二人より先に走って玄関を開けた。
……それが油断だった。
「おンやまぁ、お帰り。ほんに、こんな鄙びた村によう来るもんやわ……」
祖母が、玄関前の廊下に、いた。
「――――!!!!」
「ぼ、ぼぼぼけてるって言ってたから……! いや、見えるのかな?!」
言葉を無くし、激しく驚くヒナと、慌てふためくナツミ。
……目線は合っていたので、やはりどうやら祖母には見えているようだ。
「ちょっと、アタシの家だったんだから先に入らないでよね!」
やがて、後ろから入ってきた人物を見つめ、祖母は仏を目にしたように表情を変えた。
「おぉ……キリちゃん……キリちゃんやねっか……!」
「あ……、ばあ、ちゃん……! アタシが……見えるの?!」
「おぉおぉ。見えるよ……見えるともさ……」
感動の対面、というものだろうか。片方は今や死神という、奇妙な形ではあるが。
「ん……あたし達、お邪魔みたいだね。こっちなんか気にしてないみたいだし、先に部屋に行っちゃおっか」
「はい……そうですね」
急な階段を登り、『アザミの』部屋へ入った二人。
少し意外にも、先客が出迎えた。
「一弥さん……!」
「あはは、おかえり。先に帰ってて、って言われて……」
「そうなんだ……」
少し不安げに俯く、一弥とナツミ。
「じゃあ、まぁ無事に合流できました、という事で……あとはミキ待ちかな……」
僅かな沈黙。そして、新たに部屋に部屋に入ってくる人影。
「あ、……おねえちゃん……!?」
「……久し振り、カズヤ」
一弥は驚き、目を擦り、見開いた。
「やっぱ最後はカズヤかぁ……母さんには見えないみたいだからね。顔だけ見てきた。相変わらず……うん、アレだったよ」
軽く笑いながら言う。
「アタシの部屋……ちゃんと入り口から入ったのは久し振りかも。ふふ……カズヤ、元気にしてた?」
「う、うん……! でも、どうして……」
「えーと……説明役は、あたしかな」
「お願いします」
ナツミは一弥に得意の要約説明をした。
『キリヒ』は『アザミ』と名前を変えて死神になったこと。心を閉ざしていたが、先程、ヒナが異常なほどの速さで心を開いたこと。
「お姉ちゃんも……死神になってたんだ……! しかも、この人達と一緒に……!」
涙を腕で拭いながら、一弥は言った。
「わかってるよ……今夜、ミキがした事は、対症療法でしかない。あんたもさ……負けんじゃないよ。姉ちゃんみたいにならないで」
久し振りの姉弟の会話の最後に、アザミは言った。
「アタシ達はもう、帰るからね……また……!」
「うん、お姉ちゃん、また会おうね!!」
開け放たれたままの窓から、麦藁帽子を被った死神が、部屋に入ってきた。
「さ、帰りますか」
勇気を貰った少年は、その隣の部屋に移り、金魚鉢の中で慌しく泳ぎ回る小さな命を、眺め続けていた。