第十章
2006年から2008年6月まで個人サイトで連載していた作品を再公開しています。
【覚醒ゲート】
ここは……どこだろう。
白い靄の中にいる。前にもこんな光景に遭遇した気がする。
しかし、靄は段々と晴れた。しかし、真白い風景は変わらなかった。
周りには何も無い。
なにも、ない。
やがて、遠くに、人影が見えた。
こちらに手を振っているようだ。
微妙な距離であったため、顔などよくは見えないが……。
あれは……お母様?
「……実は……」
女性の声が、思ったより近くから聞こえた。
「ヒナちゃん……、私と……宮長さんの子供だったみたいなの」
……何の話だろう。
耳を疑う。夢であれ。
しかし、いつのまにかヒナの目は見開かれており、一度見たことのあるような天井を見ていた。
「……そんな……」
「ど、道理で……凄いわけだよ」
驚愕する二人の少女。
そして、アザミによって運び込まれたヒナも寝かされた医務室で、そのまま話し始めてしまったアマヤは、後悔することになった。
「……! ヒナさん?! 起きてたの!?」
背後で、ヒナがベッドから上体を起こしていた。
その表情は哀しいほど落ち着いている。
「そうだったんですね……私がここに連れて来られたのはそんな理由があったんですね……」
至って冷静に、ヒナは言った。
二人の少女は、絶句したまま何も出来ずにいた。
「ヒナさん……? 違うの……!」
「髪の色も何も、宮長やアマヤさんを見ればなんとでも説明がつきますね」
哀しそうに、納得したようにヒナは言う。
「それはそうなんだけど……、違うの! ヒナさんがここに来たのは本当に偶然で……」
アマヤが説得するが、ヒナは顔をアマヤの方へ向け、哀れ見るような表情で言う。
「私の『おかあさま』はみんな、『違う』ばっかり言うんですね」
誰もが、押し黙った。
「さようなら、お母様。そして……お父様。……私は、出かけますね」
ヒナはアマヤと、隣のベッドにいたルルフに小さく頭を下げると、霧のように消え去った。
「ひ……? ヒナちゃあぁん!!」
アマヤは改めて我が子の名を叫び、泣き崩れた。
「じ、次元移動? ミキがやったようなのと同じだった……」
「……ヒナちゃん……」
アマヤの叫びの残響を残し、その場にいたものは暫く黙しているしかなかった。
薄暗い部屋。少しだけ広いその部屋は、オフィスのようであった。
「課長!」
モニターに向かっていた女が、後方のデスクで煙草を吹かしていた男を、やや強く呼ぶ。
「ん? なんだい、唐突に」
煙草を銜えた男が、気だるげに女の側へと歩いてくる。
「死神界で、第三階級・コトルと、第六階級・アメキが消滅しました」
「……おいおい。それ、マジで言っちゃってんの?」
男は、冗談を笑おうとする寸前の顔をした。
「私はこのモニタに映った反応を報告したまでです。何らかの不具合の可能性もあります」
女が言う。男は急いで何かの器械を耳にかけ、弄っていた。
「いや、何かがあったのは確かなようだな。通信にも出ない」
男はデスクに寄りかかり、煙草を取りフゥと溜息を吐いた。
「惜しいヤツを失くしたもんだ……アメキの能力ももっと利用出来たろうに」
男は頭を抱えた。女は続けて言う。
「最新の通信記録では、第四宮長沈黙まで計画は進んでいたようですが……」
男は顔を上げ、不思議そうな顔をする。
「ん? じゃあ、あいつらは誰がやったんだ? ボクぁてっきり、あの怪物にやられたんだとばかり思ってたんだが」
『怪物』とは、第四宮長のことを指しているようだ。
「それが……動き回っていたり、急に反応が微弱になったりして、正確に捕捉出来ませんでした」
「はァ……? 面白いコトになってんのやら、面白くないコトになってんのやら……」
男は煙草を灰皿に押し付け、部屋を出て行こうとする。
「ま、とりあえず他の奴に様子見に行かせるから、キミは検索続けといて」
「了解しました」
扉が開閉され、バタンと音がした。
一部分だけ電灯が点けられた部屋には、ただ電子音のみが響いていた。
ヒナは、自分が気を失ったのであろう場所に戻った。あの一本道の途中。
もう、夜だった。でも、そんなこと全然関係ない。
半日で驚異的に霊力を取り戻したヒナは、まさに驚異的なスピードで浮走を繰り返した。
その結果、すぐに閻魔堂の裏に着いていた。
階段を一段一段上るなんてやってられない!
跳び上がり、あの、灰色の壁に三方を囲まれた広場に辿りつく。
その地面の中心の、虹色の円の中に跳び込む。
「うわあぁああああああああああああ!!」
それは、泣き叫ぶように、懇願するように。
無論、四方の隅でゲートを見張っていた男達が、咄嗟に駆け寄ってくる。
「こ、コラ、君はどこの所属だ?! 連絡は……」
「あ……覚えてるぞ、この子も確か第四宮の……!」
途端に騒がしくなる門の地。
壁の穴の向こうも、その異変に気付いたようだ。
「ミキさぁああああああん!!」
ヒナはただ叫んだ。
悪魔なんて、いなかったんだよ。自分が、いなかったことにしたから。
だから、まだまだ、これまでどおりの平穏な日々を過ごしていたかった。
それは少女の我が侭。生まれて、死んでから、ほんの数回目の、ただ小さな幸せを望むだけの我が侭。
「ダメだ……俺達には近づけねぇよ!」
ヒナは至極感情的になっており、その潜在的な霊力は暴走していた。
「管理員! 早く第四宮に連絡を……」
「もうやっている! 誰も出ないんだ!」
「何があったんだ……?!」
三方を囲む壁の穴の中と共に、門の地は慌しくなる。
警備官と、穴の中とで、騒がしいやり取りが為されていた。
「四宮がダメなら上層部だ!」
「今している所だ。……あー、第零宮・第四宮管理部だろうか。あぁ、悪いが、すぐ動ける者はいないか。
第四宮の所属と見られる死神がこれで二人、ゲートを……、……そうだ、第四宮の方にも連絡がつかない。様子を見に行ってくれ」
穴の中、即ち建物の中、暗い部屋の中で、少し年配に見える落ち着いた男が、器械を耳に付け第零宮と連絡を取っていた。
「まだなのか?! 誰か、この子を抑えられる奴はいないのか!」
気の短い見張りの男が叫ぶ。
ヒナの我が侭という暴走した霊力は、ゲートのエネルギーと相乗し、宛ら、小さな霊力の台風と化していた。
「クソッ……なんて力だ……」
「もう駄目です! 避難許可を!」
「許可する!」
穴の中から声がし、外にいた男達は囲まれてない一面の方角へ端伝いに散り、建物の表側へと回った。
同時に、壁の内側の者達も全員避難した。それは間一髪のことだっただろう。
「う……ぅうぉぁあああああああああーー!!!!」
開け……、開け……!!
ヒナは、涙を風の渦に流しながら、咆哮し、自らの武器である右腕を地面にズブリと突き刺した。
すると、虹色の光は明るくなり、まともに直視したら眼が潰れるであろう程の白い閃光となり、決して小規模ではない爆発を起こした。
夜の閻魔堂が、喧騒に包まれた。
ヒナは、白い光の中で、ただぼうっと、浮かんでいた。
不思議な感覚だった。赤子が生まれる前の間って、こんな感じがするのではないかと、ヒナは何となく思った。
やがて、光が晴れてくると、自分は見慣れぬ夜景の中に浮かんでいた。
「……は……あは……あはははは……!」
ヒナの口から、狂気的な笑いが漏れる。
この風景を見るのは初めてだったが、頭の中に情報があったからだ。
「車! バス! ビルディング! タワー! あはハハハハハハ!!」
ヒナは、都会の夜に見た全ての物を指差し、名称を叫び、確認し、笑い続けた。
不可視化などしていなかったので、地面を移動する生物達はその姿を発見し、驚き、騒然としていた。
ヒナは一頻り笑い終えると、螺子が切れた人形のように、ふらりと身体の力が抜け、地面へ落下していった。
【閻魔の審判】
目覚めると、また見慣れない天井があった。
一番最後に目覚めたときの天井に似ているかもしれない。
周りは、もう明るかった。
あぁ……そうだ、私は、死神。
そんな簡単に見つかるはずも無いのに、“友達”を追って家出した、悪い子。
私の『お義母さま』の家はもうないだろう。もう二百年も経っているはずだから。
それに、言うなれば、本当のお母様とお父様がいる、あの宮が私の家なんだ。
……なんだっけ……昨日はなんだかすごいことをした気がする。
どうなったのかな。行ってみようか。
「あら! あなた、気がついたの?!」
急に部屋のドアを開けられ、少々年のいった女性が入ってくる。
身に着けているのは……看護服? ここは病院なのだろうか。
いきなり空に現れて、道路の真ん中に落っこちて倒れている子供は、誰かの通報によって病院に運ばれる。それが常識なのだろう。
動き出した頭で、自分の身体をよく見ると……何だかよく解らない、パジャマの着物版みたいな服を着せられていた。
回りを見ると、台の上のカゴの中に、自分が着ていた着物が入れられていた。
「ちょっと待っててね。今、先生を……」
「待ってください」
病室を出て行こうとした看護婦を、ヒナは引き留める。
「これ……ボロボロでも、大切なものなんです。返してくれますよね?」
ヒナはベッドから立ち上がり、自分の身に着けていたものに触れて言った。
……これは死の直前までヒナが着ていたものだ。やはり育ての親に対する執着はまだ捨てきれなかった。
「ええ、それはもちろんだけど……あなた、大丈夫なの?」
「大丈夫です。こんな所のお世話にならなくても平気です」
看護婦は、ヒナの、見かけに似つかない言葉遣いと、尋常でない回復力に、恐怖を覚えた。
「だ、駄目ですよ。とりあえず、ここで待っててね」
看護婦は病室を出てドアを閉め、こっそり外側から鍵をかけ、人を呼びに行った。
「…………」
ヒナは、着せられていた服を脱ぎ捨て、元の服に着替えた。
それから、試しに、目を瞑り、強く念じてみた。閻魔堂付近の風景を。
駄目だ、もっと強く……。強く……!
右腕が疼き、一瞬だけ光った。
――看護婦が医者や何人かを連れて戻ってくると、謎の少女の姿はなく、脱ぎ捨てられた入院着だけが残されていたという。
この事は後にその病院の小さな都市伝説となるのだが、それはまた別の話。
ヒナが目を開けると、そこには念じたとおりの風景が広がっていた。見回すと、建物が見える。
くるくると周りを見渡す。
ちゃんと道もあったし、閻魔堂、そしてそこへ続く階段、崖もあった。
……あはは、すごい! 私はもうこんなことも出来るんだ。
近くに見えた、少し高い丘の上に跳躍する。
そこからは、裏側から閻魔堂がよく見えた。
あの広場は、そこで何か爆発があったように、瓦礫が散乱していた。
……まぁ、あの原因は自分なのだろうが。
十数人ほどの人影が、そこで修復作業をしていたり、表側のほうへ繋がっているのだろう道を忙しなく行き来したりしている。
閻魔堂そのものの建物と見られる屋根は健在で、被害があったのはあの地面と、周りを囲う壁(と、その中の部屋)の一部だけのようだった。
その規模に、ヒナは安心感と罪悪感を同時に感じた。勢いに任せてしまったとは言え。
「……やあやあ。犯人は犯行後、現場に戻る……か」
ヒナはびくりとして横を向いた。
そこには、黒い喪服のような着物を着た人物がいた。
頭に被っている帽子に付いているものなのかは解らないが、角が二本生えていた。
「また、灯台下暗しとも。死神界のほうへ行った者達のご足労なこと」
そして……、その声は男声とも女声ともつかぬ不思議な音だった。
よくその顔を見ようとすると、瞬きをする度に、男性なのか、女性なのか、違って見えた。
男性なら渋くて威厳在る身体。女性なら綺麗で艶めかしい美人。どちらに見えても多くの者を魅了するだろう。
しかしこれはどういうことなのか。幻術の類だろうか。
と、実際こんな風に、既にヒナも魅了されていた。
「ヒナ、で、よろしかったかな」
「……はい」
沈黙してもそれは肯定になるだろう。ヒナは素直に返答した。
それに、眼前の不思議な人物にも少なからず興味があった。
「失礼」
彼……あるいは彼女に、ヒナは両肩を掴まれ、正面を向かされる。
そして、彼……いや、この時は彼女だった。彼女はヒナの両眼を、双眸で見つめる。
その眼差しは至って真面目であった。
何かをされるのではないかという恐怖は肩を掴まれた一瞬だけにしか無く、ヒナは不思議な感覚に陥った。
それはどれほどの時間だったろう。実際は数秒ほどだったのだが、ヒナには時間の感覚が覚束なかった。
「……ほう……生前がこれでは裁く事も出来ぬわ。同情の余地すらある。死神界もやりおるな」
彼女はヒナを解放すると、眼を細めて言った。
ヒナは力が抜けたように、しかし何事もなかったかのように芝生に座り込んだ。彼あるいは彼女も、隣に座り、同じ方向を眺める。
今の言葉はどういう意味だったのだろう。言葉の通り、何かの能力で生前を見られたのだろうか?
「娘が世話になっておったかな」
その人物は当たり障りのない話題を探していたのだろう、不意にそう問いかけた。
「……誰のことでしょう」
「ん……おぉ、所属が違うたか」
ヒナが率直に言うと、その人物は気がついたように言った。
そして、間がもたなくなると、その人物は漸く自己紹介をする気になったらしい。
「……申し遅れたな。吾は萬森永雅。唯一、閻魔などという役職をしておるよ」
閻魔……? 想像以上の立場を名乗られた。ここは閻魔堂らしいが、その長とは。
……昔、お義母さまに聞かせてもらった話では、
自分が死んだとき、天国と地獄、どちらに行かせられるかを決める怖い人物で、嘘を吐くと舌を引っこ抜かれる、とか……。
まぁ、今の精神で考えれば、そこまで端的なものではないだろうとは思う。
しかし、そんな唯一の役職をしているからには、何か絶大な力があるのだろう。
自分の力など、とても敵わないかもしれない。
……いや、自惚れるのはやめよう。敵わない。
大体、この人物は見掛けからして違っているから。
「全く……、無茶な事をしてくれたものよ」
本題に入られてしまった。心神喪失状態だったとはいえ、やはりあれはやりすぎだった。
「私を……どうするんですか」
ヒナは恐怖しながらも、諦観したように訊いた。
「別にどうもせん。吾は魂を裁くのみ。灸は据えたい所じゃが……汝の能力は未知数。噛み付かれたら敵わん。好きにするがよい」
その言葉に、ヒナはホッとしたような、ばつの悪いような、複雑な心境になった。
「流石にこれ以上の事をやらかさねば、そなたを懲らしめようとする者もそうそう現れんじゃろう。現れたところで、それは相手の実力も見計れぬ程度の者じゃろうしな」
閻魔は、男女両方に聞こえる声で饒舌に喋った。
「見たところ、そなたより強く、そなたを倒そうという者が現れたのなら、そやつは余程の暇人じゃ」
……ということらしい。信用していいのだろうか。
「斯様な理由にて、吾も仕事に戻らねばならん。漸く魂が送られて来るようになったらしい。折角の休憩に、若者と駄弁れるものをのう……」
永雅は残念そうに立ち上がり、着物の汚れを払うと、溜息を吐いた。
「それではな。あまり迷惑をかけるでないぞ」
そんな言葉を残して、扇子を口元に携えながら、『閻魔様』は閻魔堂へ戻っていった。
閻魔と自称する者との遭遇。そして閻魔は自分に『自由』という判決を下した。
いっそ、自分を消滅させてくれた方が楽だったろうか。
自由という名に基づく自己責任。
知識だけ埋め込まれ、それ以外は全く幼いヒナに、それが課せられるのは早すぎた。
……私の存在とは一体なんなのだろう?
物心ついたときには、父親はいなくて、母親がいて、母親の知り合いに見えた女に殺された。
そして、こんな訳のわからない世界に連れて来られて、色々と身をもって学ばされた挙句、自分はこっちの世界の子供だったなんて。
……あんまりすぎる。これから私はどうしたらいいのだろう?
何故、第四宮を飛び出した?
それは自分の本当の両親を知ったパニックと、一人でも家族同然の“友達”を失いたくない。
そうだった筈だ。
でも、生半可な精神が邪魔をして、今更第四宮に帰ることも出来ない。今までどおりの生活なんて無理だろう。
……私は……、地上に行ってみよう。
混乱からとは言え、私はもう巣立ってしまったのだから。
一人で、地上でやっていってみよう。
これでも、私は死神なんだから。
出来るだけ迷惑はかけたくないけど、少なくとも地上に怖いものなんかない。
何か……新しい発見があるかもしれない。いや、きっと発見ばかりだろう。
ミキさんを見つけられなくてもいい。
願わくは……どんなに小さくてもいいから、幸せを見つけられんことを。
ヒナは、そう正の思考で考え、その結論に至った。
そうなったのは、閻魔に会ったからか、心の整理がついたからなのか。
それは誰にも解らない事だったが、ヒナは、新たな心向きで、再び地上へと旅立った。
【崩壊】
「ルルフ。お前が何を仕出かしたかは……優秀なお前のことだ、己でよく判っていると思う」
第四宮女子寮一部屋くらいの広さの部屋。内装は全く違っていたが。
中央奥の机に座る男を前に、ルルフは跪いていた。
「悪意ある忍び込んだ悪魔に気付けず、それも他の内通者が仕組んだという事実は、こちら側の責任だろうが……」
男は一瞬不甲斐無い表情をしたが、直ぐに威厳溢れる顔に戻った。
「結果として、お前が成してきた賭けはこの死神界に損害を与えてしまった。……直に処分が決まる。ここに居てもらおう」
年配の男、死神界の長は、そう言い放ち、ルルフを閉め出した。
第零宮員に拘束されながら廊下を歩き、ルルフは第四宮管理部のゾーンに放り込まれた。
その扉は外側から鍵もかけられ、実質、体のいい牢獄だった。
「ルルフさん!」
駆け寄るアマヤ。
部屋には男女数名の宮員(第四宮管理部員)がおり、大半がそちらを見ていた。
「もう、大丈夫ですか……?」
「あぁ……心配をかけてすまない」
ルルフとアマヤ以外の宮員は、ただ気まずそうな顔をして沈黙を守り、重苦しい空気を作り出していた。
「ザウエル様は、何を……」
「心証は芳しく無いな……後に処分が決まるそうだ」
ルルフが諦観したように言うと、アマヤは取り乱した。
「酷い……そんな、そうだ、私が悪いんです! もう少し早くこの事をあなたに伝えられていれば!」
「やめろ……過ぎてしまったことだ」
……誰もが沈黙を守っていた中、一人の女性が、ぼそりとこう言った。
「皮肉な運命のいたずら、ですね……」
眼鏡をかけたその女性はアマヤの嘆き溢れる視線に刺され、「し、失礼ながら!」と付け足した。
「ああ、そうだ。運命の女神の悪戯だ。査察など、受け入れねば良かったか」
ルルフは冗談めいて言ったが、誰も笑う者はいない。
改めて立ち上がり、皆の方を向き、半分ほども威厳を失ったルルフは言った。
「さて……沈みかけとは言え、これまで我々が乗ってきた船だ。途中下船される前に、荷物を整理しようではないか」
その例えに、宮員たちは、はてという顔をする者と、意味が解った者とに分かれた。
「ヒジリ君、第四宮の……そう、ヒナがこちらに着いてからの情報をまとめ、読み上げてくれないか。私が正気に戻るのは少々遅すぎた……」
「は、はい!」
ヒジリと呼ばれた、先程の女性は、デスクの文書を整理したり、モニタに向かって装置を弄ったりしながら、準備をした。
「ええ、コホン」
ヒジリは軽く咳払いをして、報告を始めた。
「死神界歴三二七一年八月一二日、目標『ヒナ』の魂魄を授恵室に転送成功。ここで宮長自ら『案内人』となり、ヒナを死神界に招きました」
「思えば……その時から何かおかしかった。その時の記憶がはっきりしない。気付いたら私は自室に戻っていた」
「……参考としてですが……、食堂のコックとして潜伏していた悪魔が、他者を意のままに操る能力を、持っていました」
さっきのようなアマヤの視線が恐ろしく、ヒジリは小動物のように恐る恐る補足したが、当の本人は蹲って顔を伏せていた。
「軽い実験のつもりだったのか……? 私を操れれば最も首尾良く進んだのだろうが、私は完全には操られなかった、と」
「そう、なるでしょうね……」
ヒジリはアマヤの方へ目配せしたが、アマヤは顔を伏せたまま微動だにしていなかった。
更に報告は続く。
「同、八月一三日、宮長自らの指導の下、ヒナの死神研修が開始されました。恐らく宮長は、前副宮長が見せるメモリの内容を細かには知らなかったのでしょうが。『ヒナ』は、早くも能力の頭角を現しました」
あぁ、そうだ。私は焦り過ぎていたのだ……。と、ルルフは何度も繰り返していた。
「その直後、そのメモリを持った前副宮長の胸の内を、第四宮管理人は偶然にも読み取ってしまい、推測の結果、確信的な答えを持ちましたが、『その日』まで言い出せずにいた。そうですね?」
アマヤは沈黙で肯定した。
「同、八月一四日。目標を含む、第四宮にいた三人のホーリータナトスは、『ヒナ』の実地研修も名目に入れ、地上へ行かせました。
『ヒナ』と接触のなかった『イミ』『ワウ』の二人には、代理指導・観察員として後を追わせました。
同日、第四宮は死神界査察長官……運命の三女神の一人、ゼナ様の査察を受けます」
報告は続く。
「同、八月一五日。ゼナ様はホーリータナトスに交じり、査察を続けます。
約一名に精神波形の大きな乱れが見られましたが……これは省きます。
最終研修。第参宮の少年オルタらの能力を借り、宮長指導の下、『ヒナ』は死神として完成しました。
夜、前副宮長は、宮長の精神波形を壊乱し、管理人を眠らせました」
ルルフからは溜息、アマヤからは嗚咽が漏れる。
「……同、八月一六日。蒼い月は核閃光を反射し、地界のモノにとって最大のエネルギーとなる光を放ちました。
その一瞬の隙を逃さず、悪魔達はその膨大な力で、第四宮に就寝していたホーリータナトス全員に、絶望的な悪夢を見せました。
ホーリータナトスの精神波形被害内訳、大破約二名。中・小破四名。
前日にも精神に乱れがあった『ミキ』の波形が大破し、第四宮より逃走。
光っていた適当なゲートに急に飛び込み、地上のどこかへ移動してしまったそうです。
そして、悪魔二人を驚異的な霊力で消滅させた『ヒナ』は、それを追いますが、第四宮に運び戻されます。
同日、夜。『ヒナ』の精神波形に大きな乱れ。またも第四宮より逃走。
ここからは閻魔堂職員の情報となります……、無意識のことか、ゲートに死神技の能力を暴走して使用、ゲートの能力……即ち、
単体で次元移動まで可能な能力を手に入れたと考えられます」
ルルフは驚愕したように相槌を打ったが、その瞳に光は無かった。
「閻魔堂より連絡あり。すぐ後に、非常警告が出され、上層部にまで及びました。
……翌日、レーダーが短時間、目標を探知しました。場所は閻魔堂付近。その後、少なくとも地界のレーダーには探知されていません。
…………その後の経緯は不明。『ヒナ』から『観測者』が去ってしまった時点で、これまでの『ヒナ』のメモリは記録停止されましたからね」
ヒジリは深く息を吸い、吐く。
「捕らえきれた情報の、大まかな報告は以上です。これでよろしいでしょうか」
「あぁ……。……さて……――」
ルルフがどうしたものかと考えようとすると、間を計ったかのように、ガチャンと、荒々しく部屋の扉が開けられた。
護衛を二名従えた、第零宮員と思われる男がいた。
「先程、第三裁判室にて第四宮に関する処分が決定された。これは死神界王の正式な許可による文書である。確認を」
男は文書の表を突き出し、印を確認させた。
「処分を読み上げる。……マウケニー・ルルフ、同じくアマヤ。
上記の者から、ホーリータナトスに関する一切の権限を剥奪する。
今後他の死神に必要以上の干渉をしないこと。審議が終わるまで、第四本宮に住む事を許可する。
他の第四宮管理部員は、ここでこれまでどおり勤務し、各位に伝令が下るまで待機すること」
一語一文が発せられる毎に、沈痛な空気は高まっていった。
「現時点で保護されているホーリータナトスは全員、一時的に第三宮に移籍。
後に指導者が決められ、ホーリータナトス全員には別個として小隊を組んでもらう。……以上」
男は文書の内容を告げ終わると、文書を近くのデスクに置き、無愛想に、再び無慈悲に扉を閉めて去って行った。
室内には、重い沈黙に、アマヤの嗚咽のみが響いていた。
現存する第四宮員・第四宮管理部員はルルフ、アマヤを除き、八名。ホーリータナトス、四名。
死神界第四宮は、事実上、壊滅した。
……崩壊。
それは新たな創造の始まり。
どうか、全ての心あるものたちに、小さな幸せが訪れんことを。
本編終了です。この後に短めのエピローグがあります。




