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振り昇る雨〜【嘘から出た真】の考察〜

作者: tomo

貴方も考えてみてください。本当の常識とはなんでしょうか?

雨はそらから降ってくる。これは科学的根拠を知らないにせよ、幼児ですら知っているであろう揺るがない事実だ。

でも、もし……地上から天へ【振り昇る雨】が地球上に存在することが一度たりともあるのなら、世界はどうなってしまうのだろうか。俺はこの哲学じみた問いにかれこれ10年弱悩んでいる。ライフワークになりそうなぐらいには……

ここであえて言っておくが、俺は『雨が蒸発して雲に戻る』ことを比喩的に言っているわけではない。

愚直に【振り昇る雨】があるのなら、ということだ。

……まぁ、あり得ないだろう。

なんせ重力というものがこの地球を牛耳っているのだから、上から来たものは受け止めでもしない限りは必ず落ちる運命にあるのだ。何もそれ自体に反抗する気はさらさらない。

でも、こうとも思うのだ。

俺の身分を簡潔に言い表すなら学生なのだが、【学校】という場所は矛盾にあふれていると今でも思う。

矛盾というとそれこそ変になりそうだが、言い直すと

常識(=習ったこと)の前提がコロコロ変わっていくということ。

小学校では5-8は出来ないと習ったはずが、中学に上がると-3という明確な答えが出ている。

出来ないと確定されていた物が出来てしまっているのである。

これは何も数学に限ったことじゃない。例を挙げるのは割愛するが、国語でも、英語でもこういうことはざらにある。

それまで正しいと信じてきた事象が突如としてズレてきて、『こっちが正解』と何食わぬ顔で改めるのだ。

俺は昔から理解はしていても頭の隅で釈然としなかった。真っ赤な嘘を教えられているような感覚になるのである。『そんなら端から合ってるのを教えてくれ』と。

テストでもあの解法であっていたはずなのに、そう叩き込まれたはずなのに、「○○ではこう習ったろうけど〜」となるのはどうも合点がいかなかった。

しかし、教師達も教え子を誑かそうとしているわけもないだろうし、今更そんなことを掘り返していてもキリがないのでやめにするが、結から言うと、矛盾が横行しているのなら自然の摂理というものも何世紀後には覆されていてもおかしくはないのではないかと思うようになっていたのである。

正しいと思って暗示をかけられたとていずれそれが暴かれるのならば、初めから【正しいこと】なんてなかったのではないか……なんて思えてきて物悲しくなるのだ。

仮にも、初めから嘘しかないのなら。【世界】は不明なことを正しいと仮定しまくって何を正解にすべきだったか忘れてしまったことになる。

俺が提示する世界への答えは……

A.Nobuddy knows

これだけ。

【わかったつもり】は良くないとは言われるがこういう観点から『学ぶ』ということを見てみるとより高度な解答を得る為には一時的にでもつもりでいなければならないのかもしれない。

答えを探し求める以上、新しい【正解】は少し経てば跡形もなく【嘘】になる。だからこそ、偉大な学者でさえ、真の正解を【誰も知らない】のだと思う。

この現象は社会で普通に蔓延っている気もする、

例えば身近な例で新しい科学的発見があったとか、

昔の不適切な若者言葉が今では日常的に凡用され、ついにはお上の方が『こちらも正しい使い方』だと改めるなど、考えてみれば、今まで【間違い】だったものが正解に成り上がることなんて日常茶飯事なんじゃないか?

ここまで推考してみて気がついた。

【嘘から出た真】という表現があるが、それは口走った虚言が本当になる、という意味でなく、文字通り【真実は嘘から造られる】という俺の奇々怪界な主張を体現した言葉という気がしてきた。

嘘は薄汚い愚者が言うものというマイナスイメージがつきまとうこともあれば、エイプリルフール・【嘘も方便】と割と寛容な風習もある。それはこの結論を皆頭のどこがで会得し、理解しているからじゃないだろうか。

これなら5-8の件も誰も執拗に何故か聞かないのも頷ける。

しかし、これが真の嘘の意味であるのなら一概に嘘を吐くのが愚とは言えそうにない。母親に叩き込まれた道徳も少なからず嘘が混じっていることになる。

所詮、嘘からしか真が生まれないのなら、転じて、人間は多少の嘘がなければ生きていけないのなら、潔白がないのなら、万人が思い描く理想の善人はそれこそ偶像崇拝にしかならない。やはり、何処を廻っても行き着く先は嘘なのかもしれない。

……なんてことを考え始めてしまうと、なんで生きてるんだろう?と虚しい問いがまた出で来てしまう。

この問いに長年向き合っていると、高校生の身体で精神だけが中年になってしまいそう、いや、もうなっていると思う。

だからせめて、この嘘の輪廻の中でも幻想的で美しく、そして数十年後に本当に発見されていそうな【振り昇る雨】をこの目に焼き付けることを夢に見ながら今日は眠るとしよう。何故なら“まだ”嘘のこの雨も、

夢の中なら鮮明に肌で感じることができるから。でも、夢で見るより、実現するのを待った方が幾分かは早いのかもしれない。


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