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9.修験道とは 舞茸の発見

 二人は祠をあとにし、さらに高みを目指した。

 修験者たちが利用するらしい登山道――行者道に入った。

 周囲は杉の大木がそびえ立っていた。真上には朝九時の白い光が満ちているはずなのに、それも樹冠にさえぎられ、異様に暗い。森閑たる空気が張りつめている。

 行者道には最近も誰かが足を踏み入れたらしく、足跡が印されてあった。男のサイズだ。それも複数。


「なにを好き好んで、山伏たちは全国から修行に来てるわけ? 何日も風呂に入らず、念仏ばかり唱えて、クタクタになるまで歩きづんめ(、、、)じゃん。陸上の練習よりか、ハードすぎるロードワークだよ。ひょっとして真性マゾなの?」と、治彦が前を歩く祖父に聞いた。


「おれもそのへんは専門外だから、詳しくは知らんが」と、ふり返りながら言った。「俗世間から身を切り離し、あえて深い山へこもる。厳しい修行を行うのが修験道だ。つまり修行することで、悟りの境地、あるいは超自然的な『験力げんりき』を得る道という言葉から生まれたんだな」




 現代でも修験者・山伏による信仰は続けられている。

 むしろ最近では道楽でやりはじめる一般人も増えてきた。料金さえ払えば、誰もが一日修行体験に参加することができる。先達せんだつ(入山修行の際、先頭に立って道案内をし、作法を指導したりする長老格の山伏)に従って、行動をともにすれば、多少なりとも危険は少なくなるので、初心者でも挑戦が可能だ。


 この情報過多とストレス社会から距離をおく。

 パソコンやスマートフォンも禁じ、大自然と向き合うことで命の洗濯をしたうえ、魂を磨くことが、とくに現代人にとっては目の醒める思いができるのかもしれない。のめり込む人も少なくないようだ。


 古来より、日本人にとって、山には神々が宿ると信じ、山の神をあがめてきた山岳信仰、および自然崇拝に端を発した民族信仰を持っていた。

 というのも、日本の国土が山地と丘陵地きゅうりょうちを合わせると七十二パーセントを超え、そのうち六十六パーセントが森林に覆われ(国土面積は日本政府が領有権を主張する領域)、四季折々に移ろう大自然と信仰が結びついたのはお国柄といえよう。


 山そのものをご神体として拝むことに始まり(そのような山を『霊山』と呼んだ)、山中、すなわちご神体のなかにこもって修行することにより、呪術的な験力を獲得することを望んだのである。

 修験道はふしぎな混成宗教だ。古くは仏教となじみ、神道・儒教・道教・陰陽道をも取り込み、日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩が強い信仰が育まれた。

 

 ちなみに修験者と同義である山伏とは、山岳修行によって宗教的な能力を身につけるべく、『山に伏す』ことからこう呼ばれた。特定の霊場寺社に拠点を持ちながら、各地の霊山を渡り歩いて修行する『旅の宗教者』でもあった。


 山伏は修行によって自らの能力を高めるだけでなく、庶民信仰とも大きく関わった。

 中世においては、各地で熊野信仰をはじめ、霊山信仰が盛んであり、教義信仰を広めるとともに、霊山へ導くのも山伏たちの役目だった。


 また彼らは、祈祷きとうなど呪術的能力を活かして、庶民の生活に溶け込んでいた。近世の阿波あわの場合、どの村にも山伏が暮らしており、日常生活に密着した存在だったという。




 そのうち、杉の森が途切れ、ブナの巨木がならぶ原生林に入った。

 祖父とその孫は、慎重に歩いた。すでに茸探索のために意識を研ぎ澄ましている。

 ひときわ目立つミズナラの巨木を見つけた丁次は道からはずれ、近づいていった。


 その根もとで丁次はしゃがみこんだ。

 ミズナラはブナ科の落葉高木である。葉はギザギザの鋸刃のこばを思わせる形をしていた。樹皮が黒褐色を帯び、縦に不規則な裂け目がある。果実はドングリとなり、栗鼠りすや熊などのえさとなることで知られている。


「見ろ、ハル坊。当たりだ(、、、、)。ここに舞茸まいたけが生えておる。一株だけだが、幸先さいさきいいぞ」と、巨木の裏にまわりこんだ丁次が手招きした。


 治彦もしゃがんだ。ミズナラの根もとに、立派な傘をモクモクと咲かせ、楕円形の株になった舞茸が育っていた。傘の黒い黒舞茸は、なかでも最上級だ。まるで真夏の積乱雲か、見ようにってはスズメバチの巣にも似ていた。

「じいちゃん、いきなり黒舞茸ゲットかよ。すげえ!」


 舞茸はブナの森で茸の王様と言われる所以ゆえんである。 

 いまでこそ、市場を占める舞茸の大半は、一九九〇年代から菌床きんしょう栽培方法が確立したおかげで、安価な人工栽培品が広く流通した。


 とはいえシコシコとした食感や風味は、天然ものにはかなわない。その天然ものの希少性は、松茸に匹敵するか、それ以上に珍重されることから、『幻の茸』と異名を冠されるほどである。


「舞茸も茸狩り師が狙う茸のひとつだ。舞茸は『見つけた』とは言わず、『当たった』と表現するほどだ。こいつが生えるミズナラは、一〇〇本に一本ほどの確率と言われておる。当たれば舞い踊って喜ぶことから、『舞茸』と名付けられたとか」と、丁次は言い、両手で根もとから採った。


「この調子でいけば、秘密の猟場に行かなくったって、ふつうにかご一杯になるんじゃ?」

「いまのはまぐれだ。こんな偶然は、そう何度も続かん」と、丁次はあっさり言い、収穫したものを自身の背負いかごに収めた。「おれたちが狙うべきは、あくまで松茸だ。長田家だけが知る猟場では、狂い咲きしたかのように松茸だけが生えておる。むろん、多少の当たり外れはあるがな。こんなのは余興にすぎん。よし、ハル坊。これからは寄り道せず進むぞ」

 そう言って、丁次は行者道に戻り、奥へ歩きはじめた。治彦の足どりも軽かった。

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