8.「わかってる。山言葉」
林道に入ると、舗装は途切れた。深い轍でえぐれた悪路を進んだ。
さながら羊腸のように曲がりくねっている。治彦は舌を噛みそうになったので、おしゃべりは控えた。
軽トラを運転する丁次のハンドルさばき、ブレーキング、アクセルワークはたしかなもので、免許書返納はまだまだ先のようにも思えた。
ひときわ狭い道を慎重に進んでいく。
右手は山の斜面で、ところどころ崩落の痕があった。幸い、道に害はない。
左は崖っぷち。ガードレールすら設置されていない。助手席の治彦は眼下をのぞいた。はるか下に川が流れていた。まかりまちがって転落すれば即死はまぬがれまい。
「おまえといっしょに山へ行くたび、なんども言っておろう。いまさら言うまでもないが――山に入ったら、山言葉を使うのだぞ。忘れるな」と、丁次が前をにらんだまま言った。
「わかってる。山言葉」
「とくに獣の名は厳禁だ。もし里の言葉のまんま使ってみろ。秘密の猟場へは行かず、ただちに引き返さなければならん」
「了解」
ひとたび山に入れば、山の神を敬い、礼儀をわきまえ、日常生活の穢れをはらったうえで、猟場に失礼のないようマタギ言葉を使った。このマタギ言葉こそ山言葉である。
かつて山地を生活の舞台とする人(猟師や林業など)のあいだには、平地で稲作農耕に従事する人々とは異なった空間認識が形成されていた。そうした山地の空間認識のひとつとしてヤマとサトがある。
山地に居住し、そこで生活を営むということは、山という自然の空間のなかに人の空間を作ることである。人の力が及ぶ空間がサトであり、人々はそこを生活の拠点とした。しかしながら一歩でもサトを離れると、そこは人の力が及ばない自然の支配する空間となる。
人々はそうした空間をヤマと呼んだ。このようなヤマとサトの空間認識は、現在の山地住人のあいだにも共通した考え方として広く知れ渡っている。人智の及ばないヤマで働くということは、つねに緊張を強いられたわけである。それゆえ、山仕事にたずさわる人々のあいだで、おのずと山言葉という概念が生じた歴史があるのだ。
なかでも、もっとも忌み嫌われたのは『猿』という単語だった。『猿』は『去る』につながるとされ、人の死を連想させるので使うのを禁じた忌み言葉だった。
では山中において、『猿』をなんと表現するかというと、全国的には『山の若い衆』や『エテ』、『山の叔父』と置き換えられるケースが多かった。
四国では『キムラ』、または『キムラサン』、越後地方では『ホオタク』と言い換えられ、信州では『ムコウヤマ』、那須地方では『オンツァマ』と呼んだ。
やがて林道の右に、大きく張り出した退避スペースが見えてきた。
丁次はそこへトラックを寄せた。エンジンを切り、車外へおりた。
二人とも荷台の背負いかごを身につけた。祖父は腰に鉈を帯びた。
「準備はいいか、ハル坊。ついて来い。六人行者岳はこの先にある」
「なんだか緊張してきた」
林道から石段を登ること一〇分。石段が途切れる直前のかたわらに小さな祠が佇んでいた。
こじんまりとした木製の造りで、切妻屋根をいただき、古びた紙垂をたらしている。
「ここには山の神を祀ってある。まずはごあいさつをするぞ」
丁次はいったん背中からかごをおろした。
出発まぎわ、冷蔵庫から持ち出してきた新聞紙に包まれたものを解きはじめた。
なかから現れたのは、まるごと魚一匹だった。あごがしゃくれてユーモアたっぷりの顔をし、岩みたいにゴツゴツした魚だ。色まで岩とそっくりの保護色。ぬるぬるしたそれを祠の前に供えた。
「なんで魚を?」
「これは海で獲れたオコゼだ。山の神は見た目が醜女とされておる。それを敬い、慰め、喜んでいただくには、それ以上の不細工な魚を捧げることだと言われておる。山での農作物をのぞいた自然の恵みは、山の神の所有物だ。だからこそ丁重に祀り、松茸を山の神からいただくという考えだ。粗末にしたり、山言葉を使わず失礼なことをしてみろ。猟をする者に獲物を授けなくなったり、場合によっては天気を荒れさせ、冬山では雪崩を招くとも信じられているのだ。――ここでも眠れる獅子は、そっとしておくにかぎるってわけだな」
「怖え」
「山の神はやきもち焼きで、おまけに赤不浄を忌むことから、女が山に入ることを嫌った。ましてや六人行者岳は修験者に気に入られた修行地。禁欲をする者たちにとっても、女があがってくると気が散って修行の妨げとなった。だから、ここには女人禁制がいまも残っておる」
丁次は持ち物のなかからロウソクを出し、ロウソク立てに立て、火をつけた。手を合わせたので、治彦もそれにならった。
「こうやって灯明をあげ、いまから山に入るにあたり、身の安全と豊作を祈るのだ」
「ふーん。こんなので豊作になれたら世話ないけどね」
サトにとって、平野を潤し、実り豊かな食物を作るには、水は必須である。その供給源こそ山であり、その分水嶺に水分神が祀られるようになる。
それはなにも、サトだけではない。漁師が海に出て、漁場を見つけるには『山あて』の測量法が基準となった。海上で漁場の位置や、船のそれを定めるにあたって、今日でも漁師は陸地の山を見て判断するのである。
特徴ある山や高木、岬の突端など、海上から目立つ陸地の目印をいくつか重ね、重なった延長線上に、なんの特徴もない海においてピンポイントで漁場を見つけ出すのだ。この技術により、前日と一〇センチと違わぬポイントをピタリと当てる。――そのため、海から見た山の神信仰も生み出されたほどだった。
また、船大工が船の完成時に、逆さにひっくり返すという儀礼が全国各地で見られる。船材である木そのものは、山の神の所有物からいただく。これを海側のものにするために、その所有権を転換させるためだとされている。
いずれにせよ、山とは人々に畏れられる場所であった。