47.米良に伝わる上漆をめぐる兄弟伝説
一〇メートルも登らないうちに獣道はじきに途切れ、密度の濃い雑木が覆いかぶさった。イヌガヤやカラマツ、イチイなどの針葉樹をはじめ、訳のわからぬ曲がりくねった木が入り組み、凶暴なジャングルと化していた。
いくら藪漕ぎしたところで、なにほども進まない。丁次は自慢の鉈で道を切り拓いていくが、なかなか捗るものではなかった。
しかも勾配がきつすぎる。なにかに捕まっていないと、かんたんに下まで滑落するだろう。
しがみつく思いで登攀しなければならなかった。先頭の丁次が滑れば、みんなを巻き込んでしまう恐れがある。斜面はなかばそり返るように、いつまでも続いているようだ。恐るべき山だった。
北側の斜面だからか、陽の光はまったく射さず、そのくせ異様な湿気でむせ返るほどだ。
四人はたちまち全身汗まみれになった。
「すげえところだな、ここは。まさに人が入ることを拒んでやがる」と、和弘がぼやいた。木の幹にしがみつきながら進まねばならず、散弾銃をかまえ、三人に脅しをかけている場合ではなかった。
治彦とひなたはそれに応える余裕もなく、丁次のあとをついていくので精一杯だ。ときおり治彦はひなたの手をとり、気づかった。
それにしても『入らず山』の難攻不落ぶり。びっしりと雑木が広がり、人ひとりが潜り込めるスペースもない。
丁次の鉈が活路を開き、炭坑作業員のように掘り進めていく。まさに掘るという表現がふさわしい繁茂だ。
一時間がすぎたころ、ようやくなだらかな尾根に達することができた。が、ここはあくまで『入らず山』の突端にすぎず、これから稜線伝いに西へ進むという。陽が翳り、闇が迫っていた。時計は十八時まえを示している。
かつて丁次は『入らず山』への調査をかねた偵察を四度行っていると告白した。一度目は一九七七年、四十九歳のとき。二度目は一九八六年、次が一九九九年、そして最近が二〇〇六年、丁次が七十八の年だ。
当時、つぼみサイズだった不老不死の秘薬となるいくつかの植物は、今年こそ採れごろに達しているはずだと鼻息を荒くして言った。
「位置はだいたいわかっておる。身体が憶えているのだ。おれを信じてついてこい」と、丁次は鉈をふるいながら言った。物騒な肉厚の刃物はよく研がれており、直径五センチほどの太さの雑木ぐらいなら、たやすく切断していく。「和弘――どうせおまえに脅されなくったって、おれはハル坊と一緒に来るつもりだった。むしろ嬉々としておまえの言い分を飲んでやろう」
「だからと言って、分け前はあんたと折半するつもりはねえぜ。伯父貴と小僧の取り分は、二人あわせて三割だ。残りはぜんぶおれがいただく。それなりの労働をさせるだろうから、タダじゃかわいそうだからな」
和弘がそう言うと、丁次は鉈をふりかぶったまま、泣きそうな横顔を見せた。
「横暴な奴め。たった三割だと? おれがどれだけこのときを待ち望んできたと思ってやがる!」
「そっくりぜんぶをいただくのは、さすがに酷だ。これでも良心的だろ? あんたにゃ、それで充分だ。親父の怨み、忘れたわけじゃあるめえ。こってり搾り取ってやらないとな。長田家の骨肉の争いに決着をつけてやる」
「まさか甥っ子にここまでやり込められるとは予想外だった……」
「世代交代のお時間ってわけさ」
ひなたが治彦の手につかまったままわめいた。
「欲にまみれた家系だこと! さんざん言ったでしょ。この山に入ってしまった時点で報いを受けます! いまからでも遅くない……。引き返すべきです!」
「お宝だ」と、和弘はひなたの尻を乱暴に叩きながら言った。「お嬢ちゃん、まだわからんようだな。この神域のお宝さえあれば、里であくせく日銭を稼ぐ必要もねえ。不老長寿だか不老不死だか知らねえが、その元となる植物さえ手に入れば、億単位のゼニが転がり込むんだ。それを狙わないなんて、どうかしてる。山の神のタブーを冒していようがいまいが、遠慮するこたねえさ。人間ってなあ、つまるところ欲望にキリがないんだ。たとえおれの寿命が十年削れたとしても狙ってやる」
「きっと、ろくな死に方しないだろうね」と、治彦がひなたに加勢した。「皆川の方がはるかに大人だ。悲しいけど、和兄の方が幼稚すぎる」
「小僧が。もう一度おさらいしようか。このお嬢ちゃんの命はおれが握ってるも同然なんだ。その点、よく肝に銘じときな。次はおまえの番ってわけさ。コレで散髪してやろうか? さぞかし涼しくなる」と、和弘が散弾銃の銃口をひなたの肩に置いて、治彦の顔に狙いをつけた。
「……わかったよ。これ以上、逆らわないから。年ごろなんだ。つい、和兄みたいな大人に食ってかかりたくなる。安全装置をゆるめないでよ」
「反抗期か? まだあどけない青少年なんだ。この先、生きてりゃ、いずれひなたみたいな、おっぱいと尻の色っぽいオンナを抱けるだろうよ。どうせおまえら、まだなんだろ? 死に急ぐこともあるまい」
「よけいなお世話」ひなたはふり向き、アカンベーをした。
「しっかり前を見て歩け。おじいちゃんに置いてかれるぞ。九十の老いぼれに遅れをとってどうする」
「三割……。どれだけがめつい男なんだ」先頭を歩く丁次は腹立ちまぎれに藪を切りつけ、やけのやんぱちみたいに枝を放り投げた。
「おたがいさまだろ、伯父貴。な?」
それにしても長田家の欲望はあさましい。この家系を見るにつけ、ある話が思い起こされる。
話が逸れるが、宮崎県の西部にある米良に、木地師職人の兄弟伝説が残されているのだ。『龍の淵』の底に沈殿した上漆をめぐって争った話である。
それがこうだ――。
昔々のこと。日向の米良の里に、安左衛門と十兵衛という兄弟がいた。
二人は仲がよく、米良の山奥に分け入って、山の漆を掻いて生活の糧としていた。
あるとき、兄の安左衛門は山で仕事をしていたところ、あやまって漆掻きの鎌を谷川の淵に落としてしまう。
だいじな商売道具だ。失うわけにはいかない。
すぐさま裸になって飛び込み、深いところまで潜っていった。
驚くべきことに底一面、漆が堆積しているではないか。どうやら長い年月をかけて山の漆の木汁が雨水に流され、溜まりに溜まったのだろう。
両手ですくえば、上質の漆であることがわかった。この溜まり場の広がりを見たところ、誰も手をつけていないのは明白。
安左衛門はまたとない人生最上の幸運に巡り合えたと、内心にんまりした。
それからというもの、毎日その淵に通い、少しずつ漆をすくい取っては町へ持っていき、高値で買い取ってもらった。
そのうち、懐が温まっていった。いままでわずかな漆をもとめて、日がな一日山中をかけずりまわったことを思うと滑稽に思えてくる。あの淵の在り処さえあれば、これから楽に稼ぐことができる。
しだいに仕事は怠けがちになり、昼間から酒を食らうようになった。
近所の人たちの目をごまかせるはずもなく、どこであのような上質の漆を手に入れているのかと、不審に思われるようになった。
とりわけ弟の十兵衛は怪しんでいた。最近では安左衛門は以前のように一緒に山へ行かず、単身出かけていっては、確実に成果を出していた。
きっと裏があるにちがいない。――十兵衛はひそかに尾行することにした。
ついにその秘密の場所をつきとめた。なるほど淵の底に人知れず堆積していたとは、誰も夢にすら思わない。
後日、ひそかに十兵衛は淵に潜り、漆を取って売りさばくようになった。たちまち弟も羽振りがよくなった。
安左衛門は出し抜かれたことに気づいた。
いくら血を分けた弟とはいえ淵の漆を横取りされたくない。あの上漆はなんとしても独り占めするのだ。何人たりとも奪われるわけにはいかない。
知恵をしぼった。
町の彫り物師に大木を削らせ、精巧な龍の像を彫らせたのだ。
苦労してその像を谷川の落合まで運んでは沈めた。淵の底に座ったそれは、まるでヌシのような存在となるにちがいない。それほど魂のこもった一品だった。
そうとは知らず十兵衛は、翌日淵に潜ってひと仕事をしようとしたところを、龍と出くわしたからたまらない。
龍は憤怒の形相で睨みつけてくるので、漆どころではない。恐れをなし、あわてて逃げ帰った。
この一部始終を兄は隠れて見ていた。腹のなかでほくそ笑んだ。
これで上漆は独占できる。ためしに淵に潜ってみると、たしかに龍はよくできていた。
そのときだった。
安左衛門は眼をこらした。ありえない……。
龍はまるで命が吹き込まれたかのように、本当に動きまわっているのだ。
安左衛門が漆に手をつけようとすると、大口を開けて襲ってきた。ほうほうの体で逃げ出した。
日をあらためて潜ってみたものの、やはり龍は淵に居座っており、どうしても漆の溜まり場には近づけない。
溜まり場にはまだ大量にあるというのに、あきらめなければならなかった。
こんなことになるなら、最初から弟にも上漆のことを教え、仲良く取りに来るべきだったと、烈しく悔いるのだった。
拙作『日高川という名の大蛇に抱かれて【怒りの炎で光宗センセを火あぶりの刑にしちゃうもん!】』が安珍清姫伝説をモチーフにして描いているのに対し、本作はなんと宮崎県の昔話『龍の淵』が根底にあったのです。この47部でエピソードを挿入するのは、いささか詰め込みすぎな感が否めませんが、どうしてもネジ込みたかったのです……。
ちなみにこの『龍の淵』も、『安珍清姫』同様、『まんが日本昔ばなし』でアニメ化されています。YouTubeで検索するとヒットするので、興味ある方は観てください。なかなか考えさせられるエピソードです。
もっともこの日向米良の『龍の淵』(『日本の伝説31 宮崎の伝説』角川書店に『米良の上うるし』として収録)も、元ネタは 『島根の伝説』島根県小・中学校国語教育研究会/編、日本標準に収録された『頼太水』という伝説ではないかとの見方があります。島根県能義郡広瀬町(現・安来市)の伝説です。
同著によると、参考として福井県福井市の類似の伝説が紹介されているそうなので、広く伝播した話なのでしょう。それによるとこうです。
寛永十二(1635)年、いまの能義郡広瀬町布部に頼太と頼次という兄弟が住んでいた。二人は漆の汁をとることを生業としていたが、兄の頼太は怠け者だった。
布部川の上流には雄渕、雌渕という渕があった(※この二つの渕は現在、布部ダムができたため、湖底に沈んでしまった)。
雌渕には長年にわたり、木から流出した漆が渕の底に沈んでいるという言い伝えがあった。だが渕には竜が住んでいるとのうわさがあり、誰も取りに行く者はいなかった。
あるとき、この雌渕の漆を取ってやろうと思い立った兄の頼太。
雌渕まで出かけていき潜った。狙いどおり、湖底には大量の漆がたまっていた。それで頼太は思う存分漆を集めることができた。
そのことを知った弟の頼次は竜の祟りを恐れ、兄に危険なことを止めさせようと考えた。
一計を案じ、藁で大きな竜の形を作り、湖底に沈めた。
そのことを知らない頼太はふたたび雌淵に潜った。ところが急に天気が悪くなり、大雨が降り出してきた。
三日三晩雨は降り続き、渕の水は布部川に流れ込んでいった。頼太のその後を知る者は誰もいない。
時が経つうちに、藁の竜が雨を呼び起こし大水を出させたのだろうと語られるようになった。
それ以降、この地方では大水のことを頼太水と呼ぶようになったという。




