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46.『入らず山』につながる

「秘密の近道の術とは、つまり、ひなたちゃんがやったことと原理は同じだ。そう言った意味で、お嬢ちゃんの推理はみごととしか言いようがない」丁次が内臓回廊の入り口に達すると、三人に向きなおり言った。「『らず山』へは、まともにここから歩くとなると、尾根を四つ越えていかなくちゃならない。時間がいくらあっても足りん。そこでショートカットできるんであれば、利用しない手はなかろう。――いまからそれをやる」


『行者転ばし』の窪地からロープを伝って登りつめ、内臓回廊まで来た一行は、丁次の指示に従った。

 三人が見守るなか、丁次はなたを振りかぶり、肉管の一端を切りつけた。

 一刀のもとに消化管は断ち切れ、ゴムの復元力でもとの長さに戻ろうとしたが、すかさず端をつかまえた。ぶよぶよした管の切り口から中身が洩れないよう、紙縒こよりをひねるようにねじり、ぐいと引っ張った。


 木から木へと、だらしなくしなりながら森の奥へ続いていた不吉な道しるべを、丁次は左斜めに歩き進め、九〇度の角度に曲げていった。

 歩いていった先に、やけに白茶けた杉の大木があった。他とはちがい、葉もすっかり脱落して丸坊主となっている。枯死しているようだ。


 とはいえ、その木は特徴的な形をしていた。

 太い幹が上に伸びるにしたがい、左右段違いに、三本ずつ枝が真横に張り出ているのだ。

 あたかも国宝に指定されている、奈良県天理市の石上神宮に伝来したとされる古代の鉄剣、七支刀しちしとうを思わせた。


「この技を発見したのは、ちょっとした偶然だった。こんな裏技があるとは、世の中わからんもんだな」

 丁次は肉管の一端をその枝に縛りつけた。

 すると、瞬時にして周囲の景色が切り替わった。それこそテレビのチャンネルを替えたかのように。


 森自体の薄暗さはそのままだ。

 さっきはびっしりと下生えが茂り、奥の方がほのかにオレンジ色で染まっていたのに、鮮やかなすみれ色の光が満ちているものへと変化していたのだ。足もともシダ類がなくなり、砂利が敷きつめられた地面へとなった。そのかわり、一段と湿度が増した気がする。雰囲気からして違った。


 最後尾を歩く和弘が口笛を吹いた。

「これはこれは――たいしたマジックだな。ほんとうに近道できるなら、こんな便利な技、使わない手はねえ」


「いま、内臓回廊は別の空間につながった。あとは腸のロープを伝って、奥へ進むだけで『入らず山』の入り口に出られる。あくまで入り口にすぎんが、それでも充分役に立つ」と、丁次は淡々と言った。「……そのまえに、こんな荷物を背負って行くのもしんどい。『入らず山』へ潜入するのに、わざわざ採った松茸まで持っていく必要もあるまい。いったんよけいな荷物はここへ置いとこう。あとで回収すればいい。どうせ家に帰るにゃ、ここを通過しなきゃならんのだ」


 と言って、丁次は、たっぷり松茸が入った背負しょいかごをおろした。腰にぶらさげた水筒も残した。どうせ空だ。

 あとはポシェットだけを身につけた。なかには干し餅や飴玉、チョコレートなどの保存食が入っている。特別に和弘からなただけは所持を許された。『入らず山』は道なき道であり、鬱蒼たるやぶに覆われている。誰かが道を切り拓く必要があるのだ。


 治彦もそれにならい、肩から重荷をはずして地面に置いた。

 和弘も大きなクーラーボックスを捨てた。なかには六人行者岳で仕留めたカモシカのタンが数枚入っていた。新聞紙でそれをくるみ、和弘は小さなバックパックにつめた。

 銃口を突きつけたまま指図した。


「まずは道の先が『入らず山』かどうか、ハッタリじゃないのを証明しなきゃなるまい。この山じゃ、里の常識が通用しなくなってやがるんでな。用心するに越したこたねえ。先頭は伯父貴だ。その次が小僧。そしてひなたお嬢ちゃん。殿しんがりはおれだ」


「おまえに言われなくったって、先頭を行くつもりだ。脅迫されている立場ながら、おれとて『入らず山』の例のモノを採りたくてウズウズしておるんでな。喉から手が出るほど待ち遠しい」


「だとしても万が一、おかしな行動を起こしてみろ。容赦なくこの銃が火を吹く。途中で逃げ出そうとしてもダメだ。おれの狩りの腕はあんたより劣るかもしれねえが、クレー射撃でたっぷり経験を積んでる。動く標的を狙うのはわけねえぜ」

「元マタギのおれが、今度は獲物になるなんて願い下げだ」


「ここに来て、逆らわないよ。約束するから」と、治彦は肩を揉みながら両手をあげてアピールした。しかしながらジーンズのポケットには折り畳みナイフを忍ばせていた。どうやら和弘はボディチェックするほどの用心深さを欠いているようだ。治彦は内心舌を出した。ここ一番で役に立つかもしれない。


「あれほど警告したのに、無視するなんてひどい」ひなたは背を丸め、半ベソをかいた。さながら囚人だ。自身の無力感を嘆くしかない。「あの山に行くべきじゃない。行ったところで、望みのものなんか手に入りっこないのに……」


 和弘は立ち止まるひなたの背中を小突いた。

「それはどうかな? 手つかずの山だからこそ、絶好の猟場となってるのは、伯父貴の見立てじゃなくても察しがつく。見にいくだけでも価値はあるはずだ。ここでグズグズしてても始まらねえ。伯父貴、さっさと出発しようぜ」


「ではまいるぞ。さっきも言ったな。くれぐれも内臓の道しるべから手を離すな。気を確かにもって、おれのあとをついて来い」

 こうして四人は肉管を伝い、進み出した。細長く伸びきった内臓はあいかわらず生温かく、ムチンのようなめりを帯びていた。

 途中、九〇度に進路を左に曲がり、妖しげにすみれ色が煙る森の奥へ分け入っていった。




 もやが立ち込めるさなかを突っ切ると、いつしか内臓回廊の終点に着いた。

 丁次の合図とともに、一行は手を離し、思い思いに手のひらについた粘り気を拭い取った。

 眼のまえに浅い谷間が広がっていた。地面には細かい砂利が転がっている。いまでこそ干上がっているが、もとは小川だったのかもしれない。

 山が途切れ、ちょっとした幅の谷間が横切り、その向こうは急斜面の山が立ちふさがっているわけだ。

 丁次たちの真正面に、かろうじて人が入り込めるだけの獣道が見えた。ここから先が『入らず山』なのだという。


 獣道の手前には注連縄しめなわが張られていた。

 紙垂しでがだらしなく垂れ、そよ風でなびいている。その揺れ方は、ヌーディストビーチで闊歩する男女の陰毛のようにはかなげだ。

 人間と神の境界を示すその縄がなにほども効果がないのか、丁次は臆することなく張られた縄をくぐり、治彦たちが通りやすいよう手をそえた。


「さ、ハル坊、来い」と、呼ばれたとき、治彦は一瞬ドキリとした。

 注連縄一本で隔てた境界線の向こうで、祖父の顔が別人に見えたためだ。

 どす黒い肌に、爛々(らんらん)と輝く眼。まるでコークスが燃え盛るみたいに不吉な赤光しゃっこうを放っていた。口など耳まで裂け、犬歯が飛び出、まるで地獄の番犬もかくやという人相に変わり果てていたから、驚くなという方が無理な話だ。

 その顔は、もはや人間のそれではない。


 ――が、それもほんの一瞬のできごと。

 まばたきを数回くり返すと、注連縄の向こうで待っていたのは、いつもの丁次の厳めしい顔だった。顔色も土気色を呈しているとはいえ、正常な祖父のものである。


「どした、ハル坊。なにを迷うておる。ここまで来たらためらうな。ひなたちゃんの命もかかっているのだ。さっさと用事を済ませちまおう」

「……そ、そうだね。行くしかない」

「なに、ボケッと突っ立てるんだ。早いとこ、『入らず山』に突撃しろよ」と、背後から和弘が急かした。




 これから神域を侵すという冒涜感が祖父を悪鬼のように見させたのか、あるいは単なる気の迷いにすぎないのか、もしくは丁次自身の深層心理が具現化したのか、治彦には知る由もなかった。

 いずれにせよ、山はいくらでも怪異をつむぎ出すものだ。

 治彦はうしろの皆川 ひなたの手を取り、ともに注連縄の下をくぐった。

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