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44.内臓回廊にて 時間軸を合わせるには?

 丁次は欲張りなほど大きな背負しょいかごを担いでいた。まるで舌切り雀の意地の悪いばあさんが、大きなつづらを背負っているかのようだ。いったい、どれほど量を採るつもりなのか……。

 かごのなかは空らしく、涼しい顔で女との会話に熱をあげている。

 赤いニット帽が似合っているひとみも、まんざらではない様子で笑っていた。かなり親密な関係へと進展していた。

 これから秘密の猟場とやらへ向かう途中らしい。とすれば、ひなたにとっては好都合だった。


 ところが肉の管がはじまる箇所にさしかかると、女は悲鳴をあげて立ちすくんでしまった。

 なだめる丁次。――こんなものは怖くない。お宝に到達するまえの度胸試しか、通過儀礼みたいなもんだとうそぶいている。


「さ、ひとみ。怖くなんかないぞ。おれがついてる」と、猫なで声で言い、怯える女に手を差しのべた。「内臓回廊じたいはどうってことはない。これが不気味なのか? 生のソーセージだと思えばいい。モツ鍋の材料だ。ちょっとヌルヌルするだけだ。噛みつきゃしない」


「いったい誰の仕業なんですか……。まさかこの先に、サイコパスが潜んでるんじゃ」ひとみは我が身を抱きながら後ろにさがった。赤いニット帽といい、ショッキングピンクのパーカーといい、場違いにも程がある。


「おいおい、そんなはずはなかろう。……待てよ。いまから向う『行者転ばし』は、かつて異常犯罪の巣窟そうくつであったことはたしかだ。よく考えてみりゃ、この内臓の道しるべは、六人の山伏たちの仕業ってわけか。次元を越えて、いつまでもこうしてつながっているのかもしれんな。いまさら気づいた」


「……無理。私には、こんなものを触って歩くなんてできない! 帰らせてください!」

「こら、待ちなさい。せっかくマタギの秘伝書を使って、異界の門をくぐり、ここまでやってきた。こんな山奥くんだりまでやってきて、引き返してどうする。ここまで来たら行くっきゃないじゃん」

「茶化さないでったら!」


 見るにえない押し問答がしばらく続いた。ひなたはしゃがみ込み、思わず欠伸あくびを洩らす始末だった。


曾祖父ひいじいさまが言ったもんだ。親子で回廊にさしかかったとき、長男が誤って肉管から手を離してしまったんだと。曾祖父さまがふり返ったときには、長男は忽然と消えて、どこを捜しても見つからなかったそうな。神隠しに遭った。だから猟場に着くまでは、けっして手を離してはならんと、厳しく言い伝えられてきた。死にたくなかったら、ちゃんと気をたしかにもって、管につかまってついてくること。さもないと、時の狭間はざまに置いてけぼりにされるぞ」


「それなら――三〇〇万」と、女は声をふるわせて呟いた。「三〇〇万が手に入るなら、我慢するしかない。こんなもの、どうってことない」

「その意気だ。ゼニが稼げるなら、なんでもない。このあいだ言ったように、豊作だったら、うんと弾んでやる。約束しよう」


 こうして二人は、丁次を先頭に、消化管でできた道しるべを伝って進みはじめた。

 奥へ奥へと、オレンジ色の光を放つ森の深みへ突き進む。ひとみも及び腰の姿勢で、愛人のあとを追った。ヌタウナギをつかんだみたいに粘液で両手がすべるようだった。ぐいと引けば、ゴムそこのけに伸びた。


 遅れをとってはまずい。ようやく丁次の目的地を特定したのだ。

 ひなたは立ちあがり、二人のあとを追おうとした。どうせ無害な傍観者の立場にすぎない。騒ぎ立てたところで、彼らには干渉するはずもないのだ。気遣いは無用だった。


 ひなたは一歩、踏み出そうとした。

 が、その場に釘付けにされたかのように身体が動かない。まるで両足が地面に埋まり、コンクリートで固められたみたいだ。

 これはどうしたことか。

 動けない原因はなぜ? 


 なんらかの磁場が働いており、ひなた自身の力が弱まるのか、サイコメトリー能力による移動も制限されているのか。

 いずれにせよ、このままでは先行する二人を見失ってしまう。現に丁次と女は、我関せずといった様子で奥へ分け入っていく。ゼニに眼がくらんだ亡者どもの行軍だった。


 この際、過去の二人がどこへ行こうがどうだっていい。

 丁次が治彦を連れて、向かう先はわかった。

 では現在の、治彦たちがいる時間軸に合わせるにはどうすればいい?


 ひなたは知恵をしぼった。焦り、パニックになりそうになる。

 瞬時にしてアドレナリンが爆発する。

 考えろ。なにか方法があるはずだ。ここまで来て、あきらめるわけにはいかない!


 ここは過去の六人行者岳の山中だ。おそらく去年のいまごろの出来事を見せつけられているにちがいない。

 丁次は異界の門をくぐり、我々は次元を越えた空間を歩いていると言っていた。それがどういうことなのか理解しかねた。


 まずは冷静に話を整理しよう。――ひなたは自身に言い聞かせた。

 ここを内臓回廊と称し、この先に秘密の猟場があるのだという。内臓回廊では木々に結び付けられた消化管の道しるべをたどりながら進まないと、時の狭間に置き去りにされるとのこと。


 内臓回廊とはゆがんだ次元で構成されているようだ。となると、その先にある猟場とやらも、通常とは異なる世界ではないか。異常犯罪の巣窟と言っていたのが気になる。それがどういうことなのか、情報量が少なすぎる。いずれにせよこれらは、日常から大きく逸脱した異空間にちがいない。


 手を離してしまった曾祖父の長男は、忽然と姿を消した。どこへ行ったのかはわからない。ただ、丁次は死にたくなかったら、手を離すなと言った。丁次のなかで長男は命を落としたも同義らしい。

 一本の小腸の綱が、日常と異界をつないでいる。


 六人の山伏がどうのと言っていた。さすがにこの山が六人行者岳と言うだけの歴史があるのだろう。

 丁次の口ぶりから察するに、山伏は過去の人間だ。過去の人間がこのロープを張り巡らせたのかもしれないと分析していた。いつまでも腐らず、いまも生々しい色合いを保っているのはおかしい。

 したがって、ここでは時間の流れがカオスなのだ。




 二人の背中が遠ざかる。

 異様に大きな背負いかごを担いだ丁次と、カラフルなコーディネートの服装のひとみ。グロテスクな命綱につかまり、欲望のおもむくまま進んでいく。


 ええい、やけくそだ。どうにでもなれ!

 ひなたはジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだ。折り畳みナイフの刃を起こした。

 これは丁次の部屋のガンロッカーにしまってあったのをくすねてきた一品だ。どうせ治彦を助けに行くからには、なんらかの武器が必要だと思い、佳苗には黙って拝借したのだ。


 肉管の出発点には、なんとか手が届く。

 ためらいもせず、木の幹に縛られた一端を切りつけた。

 手ごたえがあった!

 先ほどのカラオケスナックとは異なり、この森では物理的な力が有効だ。いまはその相違点について疑問を持っている暇はない。


 気味が悪すぎる……。ぱっくり切り口が開き、血が流れた。

 いくらサイコメトリーで没入した世界でのあやふやな体験とはいえ、ましてや人間のものと思われる内臓。良心の呵責かしゃくを感じないと言えばうそになる。


 しかし、ここで取り残されては、せっかくの手がかりを失う。それだけはなんとしても避けたかった。ここで二人を見失うことは、治彦を死なせることにもつながるのだ。

 だからナイフをかかげ、さらに切りつけた。

 

 無理やり木と木に縛り付けているだけに、自重じじゅうで切り口は大きく広がった。たちまち、ちぎれかけた。

 あわててひなたは消化管の端をつかんだ。つかんだ拍子に、茶色い粘液が流れてきた。鼻が曲がるほどくさい。

 なにがなんだかわけがわからない。これ以上、いやな液汁があふれてこないよう、端を紙縒こよりをひねるようにねじりあげ、勢いよく引っ張った。


 時間軸を合わせるには!

 渾身の力を込めた。

 釘付けにされた両足を、引き剥がすことができた。気合があれば、なんとかなる!

 だけど凄まじく下半身は重い。泥のなかでもがいているような鈍さだ。それでも動けないよりかはましだ。


 肉管の端を引っ張ったまま、左にある杉の木に近づく。

 ますます丁次たちが遠のく。急がなければ……。

 いままで縛り付けてあった木とは別の枝に巻き付けてみた。


 瞬時に森の向こうへ歩いていく二人の姿が消失した。文字どおり、忽然と消えた。

 ちがうんだ(、、、、、)この(、、)時間軸ではない(、、、、、、、)

 巻き付けたものを解いてみると、二人のうしろ姿が現れた。

 こういうカラクリなのだ。


 ならばと、一段上の枝に肉管を引っかけた。

 これも反応はない。

 ひなたは気迫を込めて、肉管を手にしたまま枝に足をかけ、木をよじ登った。


 さらに一段高い位置にある太い枝に巻き付けてみた。

 森が歪み、若干の色合いに変化があった。

 まちがいない。

 上方向(、、、)になんらかの(、、、、、、)法則がある(、、、、、)


「お願い、内臓回廊! ハルくんたちが通る直前に合わせて!」と、ひなたは叫んだ。「合わせろ、馬鹿! 変態! 合わせないと、森に火をつけちゃうから!」


 さらに別の枝に引っかけた。これ以上、消化管は伸びきらない。これで時間軸があわなければお手あげだ。

 一縷いちるの望みを賭けて縛り付けた。


 周囲に変化があった。

 すぐ眼下を、二人の男が佇んでいた。無防備な頭頂部をさらしている。まさか、真上に女子高生が突っ立っているとは夢にも思うまい。

 先ほどと同じ姿で背負いかごをかついだ丁次が、うしろをふり返った。


「グズクズするな、ハル坊。これが秘密の猟場『行者転ばし』へと続く道しるべだ。心をたしかに持てよ、ハル。これより内臓回廊を伝って進む。いま、おれたちの眼のまえには異界の門が開いておるのだ。この道は幻の道でもある。しっかりこの小腸の道しるべを手にしながら、おれについてこい。はぐれると、時の狭間に置き去りにされるぞ」


「内臓回廊」と、治彦は声をしぼり出した。まさしく愛しの治彦、その人だった。「『行者転ばし』って、なにそれ? それが秘密の猟場?」


「行けばわかる。ほれ、ロープにつかまれ。これにたどって進むんだ。先に行くぞ」

 と丁次は言って両手でつかむと、それをたぐりながら前進しはじめた。


 ふり返りもせず、片手で藪漕ぎしていく。

「うわっ……。ちょっ、待ってよ、じいちゃん!」

 治彦はいくぶんためらったのち、恐る恐る肉管を握った。いやな感触がするのだろう。女子生徒みたいな悲鳴をあげた。


 ためしに綱引きみたいに引くと、しなやかによく伸びた。治彦はいちど手を離し、手のひらを見た。透明の粘液がべったりと付着し、糸を引いているようだ。鼻を近づけると、うへっ!と呻き、顔をしかめている。

 覚悟を決めたらしく、治彦は用心深く、命綱をたぐりながら小走りに丁次のあとを追った。


 ビンゴだ! まさに現在の時間軸につながったのだ。

 ひなたは遠ざかる治彦を呼び止めようと、声をあげようとした。

 ところが枝の上でバランスを崩した。そのとたん、あまりの高さに目眩めまいを憶える。

「あ」と、ひと声あげたまま杉の木から落下してしまった。

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