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43.丁次のごり押し

 丁次は女の顔に迫り、

「雇われママから、経営者になって早いもんで三年か……。あまりいい噂を聞かないが、じっさいのところ、どうなんだ。え?」と、女の耳もとで言った。肩を抱いたまま、ますます大胆に頬をすり寄せた。「もういいだろ? たっぷり焦らされたんだ。今日こそいい返事を聞かせてもらおうか」


「ダメ。ぜったいダメです。それだけはカンベンしてください……」女はうつむいて身を硬くした。わずかに見える横顔から察するに、年増とはいえかなりの美人だ。黒のワンピースがいささか男の劣情をくすぐるようだが。


「いくらでも松茸をひとみにくれてやるから。な? 桐の箱にたっぷり入った特上の『つぼみ松茸』だぞ。こんな上物はめったにお目にかからんだろ。なんだったら、故郷くにに残したご両親の分もわけてやろう。きっと喜ぶ。――だからさ」と、丁次は声をひそめて言い寄った。それでも女が拒絶するものだから、「なんなら、小遣いをあげるから。頼むよ。な、な、な? たった一回こっきりでいいから、冥土の土産に抱かせてくれ、ひとみ」


「なにをおっしゃるんですか。それとこれとは、話は別のはずです!」

「だったら、ハッキリ言ってやろう」丁次は強い語気で言った。「店の経営がうまくいっていないらしいな。人づてに聞いた。こんな地方都市じゃ集客も望めまい。そもそも客単価が高すぎる。セット料金、六五〇〇円とはなにごとか。どうりでリピーターがつかないはずだ。なんだったら、パトロンになってやろう。おれなら顔も広い。上客を引っ張ってきてやれる。味方につけた方が、なにかと便利なはずだ」


「経営のことは長田おさださんには関係ありません。よけいな口、挟まないでください!」

「店にどれだけ金を落としてると思ってるんだ? おまえに会いたかったからだ。それに、店の存続を案ずればこそだ。おまえの泣く姿は見たくない。そのためなら援助は惜しまないって言ってるんだ。――そのかわり、おれの女になれ。いや、なってくれ!」


「よしてください! お金を工面くめんする当てが、ないわけじゃありません。私は見返りとして、愛人関係になるようなマネをするつもりは……」


「純粋に力になりたいんだ。まえからおまえに夢中だった!」

「そんな申し出は困ります! 長田さんはあくまでお客さんの立場であって……」


 かたくなな女の態度に、丁次は不貞腐ふてくされた様子で、いったん身を離した。

「要は借りを作りたくないんだな?」と、すねた口調で言った。盛大に脚を組んだまま、背もたれにそり返る。「――わかった。なら、こうしよう。おまえに金儲けの仕事を手伝わせてやる。それで借金を帳消しにできるかどうかは、心がけひとつだ。少なくとも、金策に走ればなにかと誘惑がつきまとう。それよりかは手堅く金を稼げると思うが。仕事を手伝ってくれたら、バイト代を弾んでやろう。どうだ、これで引け目も感じまい?」


「金儲け?」と、ひとみと呼ばれた女はとっさに聞き返した。それほど困っているようだ。

「肉体労働になっちまうが、なに、体力勝負の部分はおれが受け持ってやる。ひとみはおれと、お手々(、、、)つないでおしゃべりしながら山歩きし、猟場で松茸を摘み取るだけでいい。その方が寂しくないしな。おれもいっしょに松茸を採って背負しょいかごに集める。運ぶのはおれが担当するから」


「なんの話ですか、山歩きとか?」

「まさにおれが山菜採り名人だと呼ばれる所以ゆえんだ。いっしょに山へ松茸狩りに出かけようってんだ」

「――ひょっとして、よくお話してくださる秘密の猟場のことですか?」


 ここで丁次は、長田家に代々伝わる松茸が異様に採れるという秘密の猟場について、滔々(とうとう)とまくし立てはじめた。

 長田家の持山である六人行者岳の、山中にある『行者転ばし』と呼ばれる窪地のこと。

 なぜか枯れることのない『シロ』から、毎年松茸がうなるほど沸いてくる。採りごろのそれをかごいっぱいに摘み取り、下山し、しかるべきルートで売りさばく。それだけのシンプルな仕事だと。


 あとひと月もすれば、旬の時期が来る。都合一週間にかけて通う予定で、売り上げ如何いかんにかかわらず、三〇〇万を融通すると約束した。

 もしも豊作ならば、もっと弾んでもいい。借金の肩代わりではなく、贈与という名目にすると、女に持ちかけた。丁次の話しぶりから察するに、このビジョンは去年のできごとのようだ。


 この提案にはさすがのひとみも、態度を軟化するしかなかった。というより、おおいに興味を示したらしく、

「ぜひお願いします! それなら、私にもできるかも……。こう見えて、富士山に登ったことがあるんです。御殿場ルートの新五合目までだけど」と言い、形よい頭をさげた。


 この反応に丁次は気をよくし、快活な笑みを浮かべた。

「やっぱり乗ってきたな。となると、まずは前祝いだ。おれの酒を飲んでくれ」と、アイスペールのなかの氷をじかに手づかみし、グラスに投じ、ウイスキーを注いだ。自身のも作った。ひとみに片方のグラスを渡し、「前途を祝し――チェリオ!」と言って、乾杯した。

 二人きりの店内。淫靡いんびな響きとなった。


 ひとみは蠱惑的こわくてきな眼で相手を見つめ、薄くほほ笑み、グラスに唇をつけた。

 それから二人はとりとめもない会話を重ねた。丁次は女の腰にまわした腕を解こうとはしない。

 しだいに女も接客の疲れか、それとも借金返済のめどがついた安心からか、しだいに防御をゆるめていった。


 ……いや、それともオン・ザ・ロックのなかに、催淫薬さいいんやく媚薬びやくの類でも混ぜたのではあるまいか? あきらかに女の様子がおかしくなった。酔いのせいだけではないような気がした。目も当てられないほど、蜂蜜ハニーみたいにゆるゆる(、、、、)になったのだ。

 丁次は、待ってましたと言わんばかりに相好そうごうをくずし、黒いワンピースの女に覆いかぶさった……。




 ひなたは思わず眼をそむけた。大人たちの汚い一面を目の当たりにし、うんざりさせられた。

 まさか治彦の祖父が、よりにもよってこんな人だったとは、見損なうというより、クマの解体シーンを見せつけられたときよりも吐き気を催した。いい年こいて、お盛んすぎる。


 もういちど、二人を見ようと顔をあげた。ひょっとしてあられもない痴態ちたいに及んでいるのではないか。

 ところが、である。

 次の瞬間には、すでに場所を変え、ひなたは屋外にいた。


 暗い森の真っ只なかだ。

 鬱蒼うっそうたる葉をしたたらせた杉の大木が立ち並んでいた。下生えの藪やシダ類が行く手を阻んでいる。昼間なのか夜なのかさえ判別がつかない。生温かい大気に包まれていた。鳥のさえずりさえない、やけに生気を欠いた場所だった。


 あたり一帯にもやが立ち込めていた。森の奥にまで靄は雲海のように漂い、向こうへ行くにしたがい、オレンジ色に煙っていた。

 不吉な予感しかしない。


 ふいに、ひなたは異変に気づいた。

 おかしい……。なんだ、ここは?

 太い木の幹には細長いものが縛りつけられ、それが別の幹へとつながっているのだ。ところどころ曲がりくねり、森の奥まで延々と続いていた。

 まるで事故現場の規制ロープじゃあるまいし、立ち入り禁止エリアみたいじゃないか。


 ところがロープは形がいびつで、太い部分や細く伸びきった箇所もあり、木と木のあいだでは重みにより、だらしなくしなっていた。

 ひなたは間近でロープを見た。ピンク色のウナギかと眼を疑った。思わず顔をしかめた。


 ミナシロの遺骸を解体し、取り出したグロテスクな消化管に似ていたのだ。いや、似ているどころか、まちがいなく生物の大腸小腸であろう。まるでいましがた体内から抜き取り、縛り付けたかのような新鮮さがあり、ぬらぬらと光沢を放っていた。

 まさか、人間のそれではないのだろうか? だとしても、いささか長すぎる。


 いったい、誰がこんなことを……。

 絶句したときだった。背後で気配が沸いた。シダをかきわけて誰かがやってくる。

 灰色の作業着姿の男と、派手な色の登山服に身をかためた女が、フォークダンスみたいに身体をくっつけ、手をつないで歩いてきた。

 過去に干渉できないビジョンであるならば、隠れる必要もあるまい。ひなたは堂々と二人と相対した。


 丁次とひとみだった。

 どうやら二人はスナックでの約束を交わしたあと、後日、こうして山へ入ったらしい。これからひと仕事のようだ。

 店内でのやり取りから、旬の時期がひと月後にくると言っていた。つまりひなたは、時間を省略して二人の行動を見ているようだ。

 当然のことながら、ひなたの存在に気づくことなく通りすぎ、森の奥へ藪漕ぎしていく。

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