41.山の神のシンボル
丁次と小幡はひと息ついたあと、いったんクマの解体の手をとめた。
さしあたって、敬太、ブン助、緒方の遺体をどうするかが問題だった。里から徒歩で半日のところまで分け入っていたのだ。物理的に二人だけでは運びようがない。
とりあえずいまは、遺髪だけでも持ち帰ることにした。
遺体は浅い穴を掘って三人とも埋めることにする。丸太を井桁に組んで重石がわりにし、肉食、雑食動物に掘り返されないようにした。この時期、キツネなどは飢えていることがあるので用心する必要があった。後日、あらためて遺族や関係者の一団をつれて回収しに来るしかなかった。
ふたたび丁次と小幡は、解体作業に取りかかった。
ほんとうはクマの頭部をはずし、ナガセ(背骨と背肉)、アバラ(アバラ肉)、エダニク(手足の肉)、ヨロウ(股の肉)、シコズキ(腰の肉)など、細かく切り分けなければならないのだが、これも二人でやるとなると時間がかかりすぎる。名残り惜しいが断念することにした。
本来ならば里に帰ったあと、『モチグシ』と呼ばれる神事に使うための、肉の串焼きまで作らなければならない。
焼いてマタギ仲間にも平等にふるまい、山の神にも捧げて、はじめてクマに対する供養が完遂するのだ。
というのも、またもや荒れそうな空模様になってきたのだ。しばらくもすれば吹雪くにちがいない。急がねばならなかった。ケボカイ儀礼で充分供養したつもりだと、丁次たちは言い訳した。
仮に解体せず、二人だけで引きずって下山しようにも、ミナシロはかるく体重二〇〇キロ超。
それに白い毛皮を他人に見られるのだけは、なんとしても避けなくてはならなかった。まさか働き手である若い衆三人を、いちどに失うとは思わなかったのだ。最優先すべきはクマよりも、仲間の死を親族に告げることのはずだ。
……とは言いながら、せめてミナシロの臓器だけでも持ち帰ろうということになった。内臓なら、さすがにミナシロのそれとは思うまい。
幸い肝臓は無傷だった。肺もスラッグ弾で破壊されていたが、一部だけでも回収することにした。
クマの頭から舌もいただく。細かく刻んで下茹でしてから、刻みニンニクと塩で味付けし、クマの脂肪で炒めると絶品である。
丁次は生殖器まで切り取った。
あいにくこのミナシロは冬場に獲れたが、早春、冬眠から起きたばかりの牡クマのそれを焼酎につけ、一ヶ月以上寝かせたものをクマ金酒といった。タキリ単体を塩焼きにして食べる地域もあるほどだ。金酒は強壮剤として、マムシ酒以上だともてはやされた。
「さて――待ってました、熊胆のお出ましだ。うまくやれよ、丁次」と、小幡老。
クマのまえで小刀を手にした丁次は、小幡を見やり、
「さっきも言ったとおり、やっぱり毛皮やら内臓は、あんたにくれてやる。そのかわり胆嚢は、おれがいただく」
「毛皮やら木っ端をもらったところで、熊胆には遠く及ばねえんで不満だが。……ま、ミナシロを獲ったことはナイショにしてくれるんだったら安いもんさ。頭領のサジ加減ひとつってか。おめえにゃ昔からかなわねえ」
「いいか、小幡」と、丁次は鋭くささやいた。「さっきも言ったとおり、ヌシ――ミナシロを殺っちまったことは、墓場まで持っていくと誓え。その毛皮も、なるべく人目のつかないうちに始末しろ。あまりにも目立ちすぎる。どこか遠くに住む、奇人変人の金持ちに売りつけちまえ。思いっきり吹っかけてもかまわん」
「応接間の敷物にしちまおうかと考えてたがやめとこう。誓うよ。墓場まで持ってく。これでおあいこだ」
小幡が節くれだった手をさし出したので、丁次も握り返した。すぐさま小幡の胸を小突き、
「バレたら、地の果てまで追いかけまわすからな」
「バレちまったら、村八分だ。まちがいなく厂原を追い出される。それだけはごめんだ。この年になって行くところなんかねえ。東京へ嫁に行った美沙子にも縁を切られたんだ」
「なら、先生の言うことを聞くべきだ」
丁次は言いながらクマの肝臓とつながっている胆嚢を引き離した。
胆嚢についた細い胆管を、麻紐で縛りあげる。手がかじかんでいるので、胆汁がこぼれないようにするのは苦労した。
やっと下処理が済んだ。手のひらにのせる。
ぷっくりと膨らんだ、水風船然とした臓器。絵の具を全色混ぜたときみたいな汚らしい色をしている。
しかも表面に青い静脈が稲妻のように浮き出ていた。大きさは文庫本ぐらいの大きさだ。たっぷり胆汁で満たされ、たぷたぷとした感触がある。重さにして三〇〇グラムはあるだろう。まぎれもなく極上のサイズだ。
薬種屋に極品の評価をもらうには、クマの年齢や捕獲の仕方、獲った季節などの条件により、品質が異なってくると言われている。とりわけ雪中の時期がいちばんよいとされていた。すなわち冬眠中のクマのそれだ。
クマの胆汁酸の主成分がウルソデオキシコール酸である。
慢性肝疾患における肝機能の改善や、C型肝炎の治療にも効果が期待されている。また胆石を溶かすための数少ない経口薬となり、他にも消化機能をよくしたり、胆汁の分泌を促す利胆薬など、幅広く使われている。
今日では、熊胆の代替品である人工熊胆、すなわち合成ウルソデオキシコール酸が作られることが可能になった。
しかしながら可能になった現在においてさえ、やはり漢方薬として天然ものの熊胆がいまだに珍重されているのだ。
現在は主として中国からの輸入に頼っている。
ところが中国市場において、動物虐待として国際問題にまで波及し、物議を醸していた。
専用のクマ工場では、ツキノワグマを身動きのとれないよう小さな檻に閉じ込め、麻酔もせず腹部に穴をあけ、カテーテルを入れたまま放置。一日に数回、胆汁を抜かれているという。これを十年から二十年にかけて、クマの寿命が尽きるまで搾り取るわけである。
というのも、一九八九年、中国政府は中華人民共和国野生動物保護法を実施。
ツキノワグマが保護野生動物に指定され、殺害はおろか捕獲してはいけないとして、『クマを殺しての胆汁採取』を禁止した。これは絶滅を危惧したうえでの保護対策だった。
にもかかわらず、『生きたクマからの直接胆汁採取』なら違法ではないと、業者は規制の抜け道をくぐり、クマを生かせたまま牛の搾乳のように胆汁を搾る工場を作ってしまったのだ。
政府も政府である。クマの捕獲殺害防止を名目としながらも、胆汁の需要(主に日本と韓国が相手国)を満たせるとして、むしろこの産業を推進。
外科用カテーテルの太い管をクマの脇腹にさし込み、永続して胆汁を採取するのである。
クマは身動きのとれないゲージのなかで激痛に悶え苦しむこととなる。寿命がくるまで拘束される方針だが、不衛生な手術のせいで感染症にかかり、命を落とす事例も少なくなかった。
たとえ感染症にならずとも、クマは極度の苦痛と恐怖、ストレスで錯乱してしまうのだ。
なかにはみずから管を引きちぎり、腹を噛んで死を選ぶ個体すらいた。工場側は、自殺防止のための金属製のコルセットを着させて対策をとっており、動物愛護の観点から見ても非人道的なおこないとして、問題提起がなされている……。
手のひらのなかの、ドドメ色をした水風船じみたミナシロの胆嚢。
胆汁があふれんばかりに満たされ、ズシリと重みを感じる。
それは生命の重みであり、聖性をまとったミナシロのそれは、山の神のシンボルにもつながる。
ここにきて、皆川 ひなたの意識が現在に舞いもどった。
もとの丁次の部屋にいた。床の間に足をかけた状態で、眼のまえには桂林によく似た風景の掛け軸。
その裏にはガンロッカーがある。かたわらには佳苗が心配そうに佇んでいた。
どうやらサイコメトリー能力で、丁次の過去に没入しているあいだ、それほど時間は経過していないようだった。
ひなたの手のひらには、いましがたまで持っていたぽってりと膨らんだ熊胆とは異なり、ミイラみたいに乾燥し、四分の一にまで縮んだしなびた物体がのっていた。
黒々と熟成した色合いになって、獲り立て直後の、いかにも生命を摘み取った背徳感は微塵もない。祖母が縁側で作ったような干し柿と大差がなかった。いささかグロテスクなだけだ。
ひなたにはすべてお見通しだった。
この熊の胆は丁次にとって特別であり、ガンロッカーにひそかに隠していたのもわかるような気がした。
山の神を敬い、人は大自然に生かされていると考え、クマをはじめとする獲物を『撃ち取った』と言わず、『授かった』と表現するマタギともあろう者が、一線を越えてしまったばかりに、やましさから人はその証拠となる物品を隠そうとするものだ。
丁次はあきらかに清いマタギの精神から逸脱していた。
さらに付け加えるなら、その右腕である射手の小幡も同罪だった。




